トワイライト・フリークス 山田塊也 <2>
「トワイライト・フリークス」―黄昏の対抗文化人たち <2>
山田 塊也 (著) 2001/11 ビレッジプレス 単行本: 250p
ポンにはポンの矜持がある。ポンからみれば、三省もナナオもこうなる、という得難い視点を披露する。スナイダーだって、ギンズバーグだって、とんでもないことになってしまいそうだが、スナイダーは腰巻きに祝辞を贈っている。
ポン あなたの知的な精神力 まったく衰えてないですね。 Congratulations! ゲーリー・スナイダー
この本を読んで、ますます、1975年という年がどういう年であったのか、が、いよいよ明確になってきた。いわゆる「星の遊行群」の「事件」性というものが、明確になってきた。
つまり、あの年、私は私なりに、年端もいかない若者の一人として、「部族」の否定を行っていたのである。たしかに表現としては拙いものだった。しかし、直感は正しかった。私はナナオでもなければ、ポンでも三省でもない。もちろんスナイダーでもギンズバーグでもない。私には私の矜持があった。
| 固定リンク
「33)プレムバヴェシュの孫たちとの対話」カテゴリの記事
- OSHO ZEN TAROT <61> SUPPERESSION(抑圧)(2012.04.18)
- OSHO ZEN TAROT <60>UNDERSUTANDING(理解)(2012.04.17)
- プレムバヴェシュの孫たちとの対話 <31>孫の寝息とともに瞑想する(2012.04.17)
- OSHO ZEN TAROT <59> LETTING GO(手放し)(2012.04.16)
- プレムバヴェシュの孫たちとの対話 <30> プロジェクト567に向けて(2012.04.15)
コメント