ココぺリの足あと ななおさかき <2>
「ココペリの足あと」 <2>
サカキナナオ/原成吉 2010/08 思潮社 単行本 220p
中程まで読み進み、ナナオにとっては1975年はどのような位置にあったのかを思う。トワイライト・フリークスのポンの斜視的なアイロニーを踏まえつつ、そしていまさらながら三省やスナイダーを見据えた上で75年を考える。
私は21才だった。4年経過したコミューンでは、メンバーの自宅出産が続いた。当時の煮詰まった問題点はふたつ。経済をどう維持するのか、ということと、対関係はどうあるべきか、ということ。この二つに出口はなかった。
逆にいえば、部族流れは、答えをもっているようには思えなかった。ますます混沌としたなかに、引きずり込まれていくようだった。チベットタントラなどの扱いは、断片的で、なにかチグハグな感じがつきまとった。
だからと言って、「存在の詩」でであったoshoも、解決策を持っているとは思えなかったが、結果的にoshoのもとに流れていったのは、他に妥当な解決策がなかったからであった。
Oshoのもとで徹底的に叩かれたのは、清貧主義をよかれとする態度。貧乏根性を徹底的に打ちのめされた、だからと言って、その後の人生がリッチになったわけではないが、ただ部族的な清貧主義には、もう戻れなかった。また、自らをプロレアリートとか、辺境最深部への退却、などという、貶められた位置にあえて据えようとする態度にももどれなかった。
あえていうなら、大いなる魅力をかんじつつも、1975年という年は、結果的に、いくつかの可能性の遮断であった。そのなかには、部族的なものも含まれていた。つまりは、今こうして詩集を読んだりはするが、実存としては、あの時点で、私は、自らの生き方としては、ナナオ的なものを、完全に否定したことになる。
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