新装 犬も歩けば ナナオサカキ <3>
「犬も歩けば」新装 <3>
サカキナナオ 2004/05 野草社/新泉社 単行本 141p
ナナオの詩の中では、サンシャインオレンジが、同時性をともなって、一番記憶に残っている。薬物効果のなかで、あるいはそのものを歌った詩であったにせよ、より具体性をともなって、あの時代を思い出す。1975年。それにしても、このー詩が、ナナオの一番最初の詩集のなかの、かなり最初のスペースに登場することが、私にとってはかなり意外だ。
あのころナナオはすでに出来上がったひとつの存在であったはずである。修正不可能な、ある意味、完全性を携えて、私ーたちの前に立っていたはずではなかったのか。
ナナオを詩人としてとらえるのは、間違っているのだろう。すくなくとも、詩集のなかにナナオをみつけようとするなら、それはまったくの見当違いということになるのだろう。
名付けようもないもの。とりあえず詩人というレッテルを張り、詩でも吟わしておけば、危険性を軽減できる。あいつは詩人だし、あいつはあいつだ。
しかし、私は、ナナオの本質からみて、その危険性に震撼する。強烈な挑発だ。詩などでは覆いきれないマグマが畝っている。危ない。私はそのマグマに溶解される勇気はない。準備もない。あるいは、私には私の人生の目的がある。だから、避けた。身に降る火の粉は、払わにゃならぬ。
2012年。3・11の1年後にして、私はベルゼバべシュとして、0歳、1歳の孫たちと暮らし始めた。妻はその祝いの食事にあたって救急車で病院おくりとなった。私は私で、孫たちとの風呂遊びをたのしんでいたら、腰を痛めて、自分ひとりの風呂さえはいれなくなった。うん、これはただ事じゃないぞ。
2012年には2012年のリアリティが進行中である。
ポンによれば、1988年8月の八ヶ岳における「いのちの祭り」にナナオは参加しなかったという。会場がスキー場だったから。ナーガも飛び魚漁の最盛期で不参加。私もこの時、不参加。前年かrら、そのイベントの意義をしっており参加するつもりでいたが、出発直前になって車が故障した。これもひとつの縁。
ナナオ還暦の「ナナオサカキ邸新築設計書過」も、意味深い。 我が身も還暦チカクなり、原寸大の詩人の実像を思い描くようになった。
犬も歩けば。足に土。ココぺリの足あと。思えば、ナナオに足は付き物だった。地球と人間を繋ぐもの。それは足。
人生生きていれば、何事かあらん。犬も歩けば。
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