プレムバヴェシュの孫たちとの対話 <26> 孫たちと三つの波
<26>孫たちと三つの波
孫たちを7つのキーワードの中心においた場合、その上下には、図書館ネットワークと、スマホが位置することになり、この情報時代に生まれた新人類たちにしてみれば、さもふさわしい位置取りであるようである。
外縁を探ってみれば、エコビレッジと3・11が取り囲み、これもまた、牽強付会に定位置化してみれば、みれないこともない。
この図式を見ていると、連想されてくるのが、アルビン・トフラーの第三の波である。すでに三つの波は、常態化しているのであり、農業革命と情報革命にそれぞれが対応していそうだ、ということはわかる。
しかし、ここにおいて、あらたなるテーマがもちあがる。プロジェクト567においては、孫たちの位置から見た場合、エコカーとホワイトターラーは対応の位置にある。さて、この位置取りの加減やいかん。
エコカーやハイブリッド車、あるいは太陽電池などへの思いをまとめることは、第二の波である工業革命にまとめることは、それほどむずかしくはなさそうだ。あるいは、そのものといってもいいだろう。
しかし、ホワイトターラーを第二の波の中で論ずることは、かなりむずかしい。エコカーとホワイトターラーを対応させるように、同心円上におくのは、やはり無理がありそうだ。
ここで想定できることは、この図式は同心円としてまとめられるものではなく、渦巻きとして、スパイラルとして認知されるべきであろうといことである。
つまり、孫たち→図書館ネットワーク→スマホ→エコカー→ホワイトターラー→エコビレッジ→3・11、という外向けのスパイラルを想定することができる。もちろん、逆コースの内向きスパイラルも当然のごとく存在することになる。
当ブログ、あるいはプロジェクト567においては、ホワイトターラーを漠としたものとして放置し、細かく点検してこなかった。それには多犠牲を被せたまま、未知数として敬遠してあるのである。
しかし、他の6つのキーワードがそれぞれに検証される必要があるかぎり、ひとつだけ、そのチェックを逃れることはできないであろう。ここでは、ホワイトターラーも、その位置取りの中で、その本質を、批判的に検証される必要がある。
そも、ホワイトターラーはチベット密教のなかに位置すべきものであろう。インド仏教が衰退し、中国、日本に流れた瞑想技法が、禅文化として結実するなか、秘密仏教としてのチベット文化は、そのヒマラヤの高地という自然環境もあって、産業として、組織化されていった、という側面があることは否めない。
時のモンゴルの政治力を背景として、大施主と帰依所という役割分担、システムが構築されていった。つまり、蒸気機関の発明からフォービズムまでの工業化の波と相図形のように、インド密教は、世界制覇を目指すモンゴリアンたちの余勢をかりて、時のスピリチュアリティの装いのもと、かなり奇形化していったのではないか、と仮定することができる。
まずはこのような視点から、ホワイトターラーを捉えなおあし、スパイラルとしてのプロジェクト567を補強していく必要がある。
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