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2012/04/14

プレムバヴェシュの孫たちとの対話 <28>収束に向けて

<27>よりつづく

「プレムバヴェシュの孫たちとの対話」

<28> 収束に向けて

 さて、当カテゴリも残すところわずかになってきた。十分な考察になったとは言い切れず、大きな成果があったとも思えない。このまま、次のカテゴリも継続して同じテーマで引っ張って見ようかな、という気がないでもないが、それはやめておこう。

 というのも、どうも、仮称プロジェクト567のコードネームで進行してきた動めきが、すこしづつ形を持ち始めているのを感じるからだ。

 当ブログの一行紹介は、長いこと、意識をめぐる読書ブログ、というものであった。その後、最近になって、読書にも、ブログにも、見切りをつけようと、新たに、意識としての愛の探求、というものをこしらえてみたが、いまいち納得はいっていない。

 もし、今回のこのカテゴリの成果があったとすれば、当ブログの今後の継続に、方向性を与えてくれたことであろう。

 そもそも、プレムバヴェシュとは誰か、孫たちとはなにか、対話とはなにか、という考案はそのままそっくり残されてしまうのだが、それらをベースにして、今後につないでいくことはできそうである。

 少なくとも、当ブログは、形としては、モノローグからダイアローグへと流れていくべき時にきている。

 もちろん、孫たち、という表象は、具体的でありつつ象徴的なものであり、この地球文明を継ぐべき、未来のニューマンたちをも意味している。その中に、個としてのプレムバヴェシュも包含されるのであり、そうありたい、と願ってもいるのである。そこへむけての対話である。

 次なるカテゴリは、プロジェクト567となる。ある期間のなかで採集された7つのキーワードを基に、整合性をはかり、また違和感をのこしたまま、全体性を感じ、あるいは、一なる源泉を探る。

 方法論としては、結局は読書ブログ時代の手法を踏襲する以外になさそうである。7つのキーワードに対して、7冊の本を立て、そこを切り口に、思案し、瞑想へとつなぐ。

<29>へつづく

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