プレムバヴェシュの孫たちとの対話 <29>孫たちのいる風景
<29>孫たちのいる風景
0歳児の区切りのよい日となり、なんごとかの行事をおこなう日となった。親たちは、学生時代にアルバイトをやった縁で、その神社に、宮参りとやらを行う。季節的にはまるで桜の花の咲き始めで、お祝いには、ふさわしい、もってこいの日程ではある。
観念的に考えている未来と、実際にその未来をいきるであろう具体的な孫たちを配置してみる風景とでは、視線のやり場がちがう。
孫たちの視線の先には、同じ年頃の子供たちがいる。やわらかいものながら、自然に、すこしづつ、彼らなりのネットワークができつつあるようだ。
彼らなりの挨拶のしかたがあり、応答のしかたがある。発信をして受信する。発信しても受信されないこともあり、向こうからくるものを受信でいない時もある。
総じて曖昧なものであり、それは、彼らの言語体系ほどに、実に曖昧なものである。ただ、確実にそれは芽生えている、とも言える。
花よ、蝶よ、と心踊らすことは、年齢に関係なくあることではあるが、孫たちといれば、それがまた、一段と新鮮に感じられるから不思議である。
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