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2012/04/04

かもめのジョナサン リチャード・バック <6>

<5>よりつづく

かもめのジョナサン
「かもめのジョナサン」 <6>
リチャード・バック /五木寛之 1977/05 新潮社 文庫 140p

 賢治の「よだかの星」を読んでいて、こちらをまた読みたくなった。裏表、あるいは一体となっているとさえ思える、この二つのお話し。童話のようなスタイルをとってはいるが、両者とも、けっして0歳児や1歳児に向けたお話しではないことは、もちろんである。

 こうして再読してみると、パート1、2、3とあるうちの、パート1の印象がとても強いようだ。あえていうなら、パート2、3は蛇足だと言えないこともない。いつもパート1で納得して、読書を止めてしまっている。

 もしパート1までのお話しなら、よだかと好対となるのだが、どうもパート2、パート3ともなると、すこし、よだかの星の世界を逸脱する。むしろパート2、3は、余談として軽くパート1に添える程度でよかったのではないか、などと考えるのは、読者の身勝手というものである。

 アメリカであの時代に大ヒットするには、それなりの訳があった。パート2、パート3がなければ、やはりかもめのジョナサンは、体をなさない、ということになろう。

 それにしても、なかなかよく出来ている。最近読んだ、鈴木俊隆「禅マインド・ビギナーズ・マインド 」と同じ時代に愛読されたものだとすれば、やはり西洋人好みに、このくらい「哲学」的に解説しないわけにはいかないのだろう。

 この本、子どものお昼寝のしている間に読んだのだが、不思議と、読み終わったとたんに目を覚ました。

 この頃、こういうことがよく起きる。大工仕事をしていて、材料をカットしようとしてのこぎりも持ってくるのだが、あてはめてみると、ぴったりで、もうカットなどする必要がない、とか、余った材料があったりすると、それが、見事に別な目的に流用できるなど、不思議なことが多い。

 あるいは、そのようなアバウトな生活が始まっている、ということなのかもしれない。

 追伸
 ただし、その後がいけなかった。ちょっと目を離したすきに、この長い間愛読してきた文庫本は、1歳児によって、見事に表紙をへがされ、3つのパーツにちぎられしまった。(涙)

<7>につづく

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