OSHO ZEN TAROT <66> ICE-OLATION(アイス・オレーション)
OSHO ZEN TAROT <66>
60. ICE-OLATION(アイス・オレーション)
私たちが惨めなのは、あまりにも自己に入り込みすぎているからだ。あまりにも自己に入り込みすぎていると私が言うとき、それはどういう意味だろう? そして、私たちがあまりにも自己に入り込みすぎていると、正確にはなにが起こるのだろう?
あなたがたは存在のなかにいることができるか、あるいは自己のなかにいることができるか、そのどちらかだ——同時に両方はありえない。自己のなかにいるということは、離れている、わかれているということだ。自己のなかにいることは、島になるということだ。
自己のなかにいることは、自分のまわりに境界線を引くということだ。自己のなかにいることは、「これは私」と「あれは私ではない」を区別することだ。「私」と「私ではない」の定義、境界、それが自己とはなにかだ——。自己は孤立(アイソレート) する。そして、それはあなたを凍りつかせる——
あなたはもはや流れていない。もし流れていたら、自己は存在することができない。人びとがほとんど角氷(アイスキュ-ブ) のようになっているのはそのためだ。彼らには暖かみがまるでない。愛がまったくない——愛は暖かみであり、彼らは愛を怖れている。
もし暖かみが訪れたら、彼らは融けだし、境界は消えてしまうだろう。愛のなかで境界は消える。喜びのなかでも境界は消える。喜びは冷たくはないからだ。Osho Zen: The Path of Paradox, Volume 1 Chapter 5
解説:
私たちの社会では、とくに男性の場合、泣いてはいけない、痛めつけられても凛々(りり)しい顔をして、痛みを顔に出してはいけないと教えられてきました。しかし、女性でも、この罠に引っかかってしまうことがあります。
私たちはみな、二度と傷つけられずに生き延びるにはフィーリングと感情を押し殺すしかない、と感じたことも一度か二度はあるはずです。痛みがとくに深ければ、私たちは自分にさえもその痛みを隠そうとするでしょう。そのために私たちは凍りつき、硬くなってしまうこともあるのです。
氷に小さな割れ目がひとつできただけでも、その傷が再び解き放たれ、私たちのなかを巡りはじめる——そのことを私たちは深いところで知っているからです。
この人物の顔に浮かぶ虹色の涙に、この「アイス‐オレーションi c e - o l a t i o n (凍りつき、孤立すること)」を打破する鍵があります。涙が、涙だけが、氷を溶かす力をもっています。
泣いていいのです。そして、自分の涙を恥ずかしがる理由はなにもありません。泣くことは私たちが痛みを手放すのを助け、私たちが自分に優しくなるようにさせ、最後には自分を癒すのを助けてくれます。Copyright © 2012 Osho International Foundation
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