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2012/04/11

プレムバヴェシュの孫たちとの対話 <25>ふたたび、孫たちにとって3・11とは何か

<24>よりつづく

「プレムバヴェシュの孫たちとの対話」

<25> ふたたび、孫たちにとって3・11とは何か

 3・11は、プロジェクト567は、7つめのキーワードである。7つ以上がないかぎり、それは最終のものであり、すべてを含んだものである。究極のものであり、新たな始まりでもある。

 つまり、表象としては、3・11という表現でなくてもかまわない。しかしながら、ある一定期間内に、つぎつぎと登場したキーワードの中においては、3・11ほど、7つ目のキーワードとしてふさわしいものはない。

 循環としては、3・11は、エコビレッジへと回帰する。あるいは、対をなす。そして、それはすべてを含んでいることが期待されていた。

 一般には3・11とは、巨大地震、歴史津波、最悪原発事故、それぞれの総合と捉えられている。しかし、それは、後付けであり、その只中にいた、それぞれの、一個の人間とっては、そんな客観的な表現は似つかわない。

 体験であれ、思考であれ、ひとりひとりの人間に立ち返ってみれば、それは、3・11以前と、3・11以後、とでもいうべき、実に峻別すべきポイントのことである。

 あるいは、そのようなものとして、活用すべき何か、なのである。

 さて、孫とはなにか、といえば、具体的に名前のついた実在の0歳児1歳児を意味していながら、それはひとつの象徴であり、抽象的な概念でもある。それは、人間を意味し、とりわけ、未来に向けて、命をつなぐ、存在としての、人間を意味している。

 つまり、3・11と孫たち、という時、それは、ある地点から発生してきた新しい人間、を意味している。それは、とりわけ、価値観において、まったく新しい視点をもっている。あるいは、そのことを期待されている。

<26>へつづく

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