月夜のでんしんばしら 宮沢賢治・原作 竹内通雅・絵 ミキハウスの絵本
「月夜のでんしんばしら」 ミキハウスの絵本
宮沢賢治/竹内通雅 2009/10三起商行 絵本 1冊
Vol.3 No.0639★★★★★
ドッテテドッテテ、ドッテテド
ドッテテドッテテ、ドッテテド
賢治の時代には、電気はまだまだ夢のような、希望に満ち満ちた、未来への架け橋だった。私の時代でも、電気はまだまだごくごく限られた道具だった。家の屋根裏に二本の導線が平行に張ってあり、要所要所に、裸電球がぶら下がっていた。
30ワットか40ワット位がいいとこで、60ワットなどというとそうとうに明るかった。最高は100ワットで、それ以上はなかった。これはなにか人寄りとかお祭りの時のしか使わなかった。トイレにあるのは2燭光といって、ちいさな電球だった。
それから家の中で電球を使うものといえば、真空管ラジオくらいしかなかった。作業場にいけば三相の大きな動力モーターが回っていたが、こちらは200ワットだった。
まもなくして、水道ポンプが回りだし、テレビが正田美智子さんを映し出した。東京オリンピックの頃は、テレビもカラーになった。その頃はもう、洗濯機やら、蛍光灯やら、扇風機やら、掃除機やら、電気炊飯器やら、ありとあらゆるものが、電気に代わっていった。
そして、今となっては、電気がなければなにもできないような生活になった。風呂も電気がないと沸かない。ストーブも電気がないとファンがまわらない。エアコン、アイロン、電話、電気毛布・カーペット、ああ、それからそれから。
3・11からは、原発の見直しがはじまり、一体、このような生活が、さて、どのような事をいみしているのか、みんなが考えるようになった。考えても、もう電気のない時代にはもどれない。電気のつくりかた、電気の使い方をみんなが考えるようになった。
でも、根本的には、あまり良い考えもでてこないようだ。みんな口々に偉そうなことはいうのだが、いうだけだ。
原発は、つけの先送りだ。しかも膨大な。電気生活も、原発に支えられている限り、あわれな存在である。
ドッテテドッテテ、ドッテテド
ドッテテドッテテ、ドッテテド
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