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2012/04/09

プレムバヴェシュの孫たちとの対話 <20> 孫たちとエコカー

<19>よりつづく

「プレムバヴェシュの孫たちとの対話」

<20> 孫たちとエコカー

 プロジェクト567における ベースが、エコビレッジ、エコタウン、エコシティ、あるいは森に沈む都市、というイメージなら、その次に来るものは、移動手段となろうか。

 プロジェクト567で与えられたものは、ベーシックなハイブリッド車であった。決して最新型でもなく、割高な車種でもなかった。ハイグレードな軽自動車とほぼ同等な価格でハイブリッド車も入手出来るようになった。

 今後はますます技術が進み、ハイブリッドだけがエコカーとは言えなくなりそうである。新しいディーゼル車であるとか、電気自動車であるとか、掛け声はあちこちから上がっている。

 電気自動車はかなり理想に近づいているようでもあるが、まだ、単体としての値段が高いし、実用になるほどの継続走行距離が出せていない。安い夜間電力で燃料を供給、というモデルも、脱原発の潮流の中では肩身が狭い。

 もし近い将来、太陽電池から車に蓄電できるようになったら、環境への負担はかなり軽減されると思われるが、そこまで技術革新が進むまでには、それなりの年月がかかるだろう。

 さて、太陽電池だが、個人的に現在の屋根に載せるべき具体的なセットを模索してみた。値段も、性能も、デザインも、かなりの現実に近づいているのだが、まだ実現していない。

 それは、どうも、論理的に可笑しい所が気になるからである。まず、売電システムがおかしい。自己完結していない。蓄電システムが貧弱である。それに、そもそも、集合住宅や、賃貸住宅における太陽電池システムがフィットしない。

 いくつかの問題点があり、いまだに割高な太陽光パネルを屋根に上げたからと言って、どうもまだまだ一人よがりのイメージが拭ぐえない。

 いずれにせよ、孫たちにとって、新生児として、産院から退院すれば、まずは車で自宅まで車で移動ということが、人生のまず最初に必要とされる事だ。これから、生涯に渡って、移動し、活動するには車は必須アイテムとなる。

 このエネルギーの根本を考え抜く必要はどうしても出て来る。当然ウォーキングやサイクリングも組み合わせながら、現在においては、ハイブリッドなエコカーは、より現実的な選択肢である。

<21>につづく

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