プレムバヴェシュの孫たちとの対話 <27> ホワイトターラーなのか、かぶと&鯉のぼりなのか
<27> ホワイトターラーなのか、かぶと&鯉のぼりなのか
孫たちにとってのホワイトターラーとは何か、という設問は、なかなか難しい難問である。そもそも、プロジェクト567においても、他のキーワードとの整合性がいまいち悪く、また、トフラーの三つの波の図式の中でとらえることも、なかなかしんどい。
そもそも、ホワイトターラーはチベットの民衆に愛されている女神さまで、男性性の強い観世音菩薩にたいする女性性の象徴ともされているようだ。
観世音菩薩が、いくら慈しみをもっても救いきれない衆生をみて、涙
を流した時、その涙から生まれたのが、白多羅菩薩とされ、英訳されたのが、ホワイトターラーらしい。
一緒にグリーンターラー菩薩も生まれたらしく、ふたりで観世音菩薩をお慰めしたともいう。
はてさて、いずれは孫たちも人間としての成長過程において、これらの菩薩さまたちにお会いすることもあるだろうし、その菩薩心を自らのものとすることもあるだろうが、今、0歳児1歳児にとって、それらをとらえることなど出来るであろうか。
そんなことを峻巡していたら、その解決というか、流れは、以外な形で展開しはじめた。
春分の日もすぎ、庭先の日差しがあかるくなって、子供の日が近づいてくるにつれて、ふたりの男子に、兜人形が届くことになったのである。
なにはともあれ、それを飾るののにふさわしい空間は、我が家の場合、ささやかながら和室の床の間しかない。なにはともあれ、1歳児にイタズラされないガードも必要である。
ところが、床の間には、先年より、ホワイトターラーさまが鎮座されているのである。どうすべきなのであろうか。ホワイトターラーと兜や鯉のぼりは、いかにもバランスが悪そうにも思えるし、いかにも我が家らしい、とさえ言えるかもしれない。
しかし、ここは、ちいさなスペースにこぎれいに飾り付けるためにも、いちどホワイトターラー菩薩にはご退席いただき、わがベットサイドに、お移りいただくことになったのである。
いずれにせよ、子供の日までの、暫定的なひと月のことである。いまは、孫たちにとっては、兜や鯉のぼりのほうが優先課題である。
かたや、じいさんのほうは、もう少し気を入れて、白多羅菩薩様との瞑想の時間を増やす結果となったのである。
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