プレムバヴェシュの孫たちとの対話 <23> 孫たちとスマホ
<23> 孫たちとスマホ
テレビが壊れた。17年も使ってきたブラウン管テレビではあるが、天気予報と地震速報を見る分には何の不足もなかった。
もともと地デジには納得いかない処があり、テレビなんかどうでもいいや、と思っていたところ、被災地ということでさらにアナログ放送が延長になり、3月末まで、アナログテレビを享受したのだった。
もっとも、アンテナもチューナーも揃えていたので、地デジ化しても、ブラウン管で当面は見続ける予定だった。
ところがである。4月に入って数日しただけで、テレビがプツンといったまま、ブラックアウトした。なんというタイミングであろうか。
結局は我が家にも液晶地デジテレビが設置されることになった。そうなってみれば、これはこれで目新しく、やっぱり時代はこういう方向なのかな、と遅ればせながら納得。
ところで、表題も、なにがなんだかわからない風になってきたが、とにかく言わんとするところは、インターネットの最新形態と未来の地球人たちはどう付き合って行くのだろうか、という事である。
現在はスマートフォンとTwitter、Facebookばかりが大きく取り上げられているが、個人的には釈然としない処も多い。今後、更にどのような進化を続けるのかは、大いに気にかかる処である。
プロジェクト567においては、図書館ネットワークと、象徴としてのスマホは、似ているようでもあるが、むしろ、受信と発信、という意味では、まったく反対の立場と考えたい。
あるいは、創造性を象徴としてのスマホに託したいと思う。テレビ時代はとうに過ぎているはずなのだが、おっとどっこい、地デジ化で、テレビは家庭の中心に座している。
視聴者参加とか言いながら、結局は、視聴者は膨大な情報に洗脳され、コントロールされる。愚民化の最たる物である。
オリジナリティ、クリエイティビティを考えるなら、テレビなんかより、はるかにネットのほうが進んでおり、今後は更に進化を続けて行くと予想される。
その方向性はどのような向きを示しているのであろうか。プロジェクト567においては、牽強付会に、ホワイトターラーの方に持って行きたいのであるが、上手く行くであろうか。
もっともそのホワイトなんとかも、意味不明なところが多い。まずはここでは、仮説の仮説としてのアウトラインを示すのみにしておいて、後に整合性を図ることとする。
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