プレムバヴェシュの孫たちとの対話<18> 孫たちと3・11
<18> 孫たちと3・11
昨年末にも、この春にも、別な甥のところにも、それぞれ新しい子供が生まれた。もともとが、私たち姉弟が、団塊の世代以降の生まれであってみれば、そのそれぞれのジュニ達が、結婚適齢期となり、自ずと子供たちが生まれて来るのは、自明の事である。
しかしまぁ、それが、この3・11絡みになってしまった事に、多くの因縁を感ずる。中には、この3・11の時に子供を生むなんて無責任だ、なんて意見もある。もともと人口増加のこの地球上において、結婚したり、出産すること自体、配慮にかけている、という過激な意見さえある。
私は私なりに、そういう意見に耳を傾けながら、それでもやっぱり、良き伴侶に巡り合い、子供に恵まれ、家族に囲まれて暮らす事が、良いと思う。そうありたいと願うし、そうであったし、子供たちもそうであって欲しい。もちろん、孫たちも、そして、子々孫々が、幸せに、仲良く暮らして欲しい。
子供までは自分の家族計画の責任だが、子供たちや、甥、姪、など、次世代における家族計画など、すでに還暦を迎えようとする初老の男には、如何ともしがたい。生まれて来る者は、生まれて来るのであって、日本のような小子化傾向の社会にあっては、望ましい姿でもある筈である。
今後も、人類は世代を継いで、生まれ続けるだろう。どんな種であっても、衰退や絶滅の危機は避けることは出来ないが、生命である限り、それは、生まれ続ける事を大前提とする。生まれ続けるからこそ生命とも呼ばれるのであり、その事が、第一義的であり、善である。
そのような喜ばしい環境の中、2010年においても、2011年においても、2012年においても、子供達は、祝福の中で生まれて来た。祝福の中で生まれて来た筈なのである。
しかるに、その前途を塞ぐかのように、あるいは押し潰すかのように立ちはだかるもの、3・11と、その後遺症。
地震はこれからも起き続けるだろう。津波も時々は襲って来るだろう。大自然と生きて行く限り、それは宿命とも言える。それは避けられない。そこに人類は叡知を傾けなければいけないし、受け入れざるを得ない。
さて、3・11で、人類が新たに抱え込んだ宿命、原発事故。これはどうなるのであろうか。有識者、専門家、当時者、それらを初めとして、責任者、被害者、評論家、メディア、そして時には無責任とも思える野次馬達の、さまざまな意見が聞こえて来る。
それぞれに主張があり、正しいようにも見えるし、よく分からないように思う時もある。一番美しくないと思うのは、他人の非だけ糾弾して、自らの反省点を見つめようとしない事。それは自分である場合もあるし、誰か他人にその姿を見る時もある。
原発は人類が共通して抱えてしまった課題であり、誰もが当事者であると言える。誰かが逃げる事が出来るような課題でもなければ、誰かに任せておけばよい難題でもない。誰もが、積極的に、自らの課題として、直視して行かなくてはならない一大テーマとなって、人類の前途に立ちはだかっているのだ。
孫たちは、このような時代に生まれて来た。
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