« プレムバヴェシュの孫たちとの対話 <19> 孫たちにとってのエコビレッジ | トップページ | プレムバヴェシュの孫たちとの対話 <20> 孫たちとエコカー »

2012/04/08

春の先の春へ 震災への鎮魂歌 宮澤賢治「春と修羅」をよむ 古川日出男


「春の先の春へ」 震災への鎮魂歌 宮澤賢治ブックス
宮沢賢治/古川日出男 2012/01 左右社 単行本 61p
Vol.3 No.0648★★★★★

 詩を朗読する人たちがいる。その人たちも3・11を、その立場で体験した。そして、鎮魂をしようとするとき、賢治の春と修羅の朗読を選んだ。

 賢治を読んだからと言って、鎮魂になると思うのは、読み手側の、勝手な思い込みである。ほんとうにそうなっているかは、わからない。しかし、詩の朗読者たちは、それをやらずには、いられない。

 この本は、詩集とみるなら、単に著作権のきれた賢治の詩の断片を編んだだけの、なんの変鉄もないアンソロジーにすぎない。その思い込みは思い込みとして、その情念が空回りしているようにも思える。

 しかしながら、この本の特異性は、付録というべきか、むしろ本体として、一枚の詩の朗読のCDディスクをつけているところにあるだろう。

 その出来のよしあしについては、異論あってしかるべきだろう。それぞれに、それぞれの賢治がいる。賢治を賢治たらしむるために、あえて賢治の原点にかえろうとする読み手もあるだろうし、賢治を我が物とするために、自らの声に変えようとする者もいる。

 このCDは、あるいは、この朗読は、3・11への鎮魂として、賢治を朗読せずにはいられなかった人々が、すくなくとも、ここにもいたのだ、という切実な証左となって、くっきりと、残された。

|

« プレムバヴェシュの孫たちとの対話 <19> 孫たちにとってのエコビレッジ | トップページ | プレムバヴェシュの孫たちとの対話 <20> 孫たちとエコカー »

33)プレムバヴェシュの孫たちとの対話」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 春の先の春へ 震災への鎮魂歌 宮澤賢治「春と修羅」をよむ 古川日出男:

« プレムバヴェシュの孫たちとの対話 <19> 孫たちにとってのエコビレッジ | トップページ | プレムバヴェシュの孫たちとの対話 <20> 孫たちとエコカー »