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2012/04/24

Zen Mind, Beginner's Mind  禅へのいざない 鈴木俊隆 <4>

<3>よりつづく

Zen_2
「禅へのいざない」 Zen Mind, Beginner's Mind <4>
鈴木 俊隆 (著) 紀野 一義 (翻訳) 1998/06 PHP研究所  単行本 261p

 プロジェクト567の途上において、ふたたびみたび、この書を開くのは楽しい。本来、この位置は、スマートフォンのキーワードつながりであってみれば、むしろ、スティーブ・ジョブスが腰巻を飾っている新訳のほうがふさわしいかもしれない。

 しかし、翻訳者として紀野一義と松永太郎を比較してみると、松永は、自らを門外漢としてあくまでも謙虚に、慇懃無礼にふるまっているのに対して、紀野は、思いのたけ、鈴木俊隆をぶった切る。これはこれで見ものではないか。なかなか楽しい。

 今回、検索していて、紀野は友松圓諦が主宰する神田寺の青年部長を務めていたことを知った。私自身は、青年時代に菩提寺の佐山師から友松の「法句経」をいただいたことがある。紀野がOshoの「道元」に巻頭言を送っていることもあり、さまざまな法縁で、我が身が守られていることを知った。

 また最近読んだ「宮沢賢治の宗教世界」にも紀野が一文を寄せているし、他の一連の彼の文献にもあらためて目を通してみたい、などと、思い始めたが、これがまた、迷いの始まりのような気もする。ここは、あまり気を散らさず、自ら本来の姿を見つめ続けることこそが、本書のいわんとするところだろう。

 プロジェクト567において、この本がこの位置にあることの妙を思う。4を挟む、3と5の位置ながら、この本と対をなしているかに思えるのが、「Osho Zen Tarot 」である。偶然といいつつ、それを選んだのは自分であるし、また、ハード的な事象を、ふたつのソフト的シンボルとして読み換えたのは、私自身である。

 この本、後半が圧巻である。むしろサービス精神が旺盛で、語られすぎの嫌いがないでもないが、そこはそこ、ゆっくり目を通していけばいい。鈴木俊隆が40年前に語ったことに対して、20年前の紀野が翻訳し、時には苦言を呈するのであるが、それもまた、なにごとかの味わいがある。

 一元的に成りすぎる心の志向性にあって、多義性を取り戻す、いいバランスになる。「禅へのいざない」。そもそものタイトルZen Mind, Beginner's Mindが語られた空間と、異にした形で出されている邦訳ではあるが、これはこれとして、また、まったく別の、一冊の世界と考えてみれば、スティーブ・ジョブスならずとも、熟読に値する貴重な一冊と言える。

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ここまでに何度か指摘したように、「生きる」という言葉は通常、生物の生物学的な生死 [続きを読む]

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