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2012/05/12

3・11とグローカルデザイン 世界建築会議からのメッセージ  3・11 and Glocal Design A message from the UIA


「3・11とグローカルデザイン」 世界建築会議からのメッセージ 3・11 and Glocal Design  A message from the UIA
日本建築家協会・デザイン部会/編著 2012/03 鹿島出版会 単行本 167p
Vol.3 No.0662

 もし、グローカルという単語を、たとえば糸井重里のようなコピーライターが使うなら、私はその言葉を使いたくない。たとえば、中沢新一のようなパフォーマーが口走るなら、私はそれを否定したい。

 でも、この本に連なるような言葉使いなら、私はその言葉を使ってみたい。むしろ、それこそが本当だ、とさえ思う。

 建築のことなどあまり深く考えたことはなかったが、1991年のスピリット・オブ・プレイスの時、スタッフとして多くの建築家たちが参加していた。中心メンバーがそもそも建築家だったし、資金的バックもまた建築業界から多くでた。あの時以来、建築については、結構考える。

 あれから数年して、与えられた環境の中で、自宅を設計することになった。シロートなりにいろいろ考えた。施工会社に、「テーマは地球だ」、と伝えておいたが、はて、どこまで分かってくれたか。

 プロジェクト567の中には、実は、中央図書館が含まれている。全面ガラス張りの、超モダンな建築である。けやきの木からイメージしたという構造体もそれなりに愉快である。それを建設するにあたって、不況にあえぐ、地元の造船界の技術者たちの協力を得た、というのも、なかなか興味深かった。

 今回の震災で、この中央図書館はどんなことになってしまうのだろう、と思っていたが、最上階の天井が落ちた程度で、こちらが勝手にイメージしたような破滅的な被害はかろうじて逃れたようだ。

 3・11直前、私は、「現代建築家による“地球(ガイア)”建築」という本に魅了されていた。何枚も素敵な写真が入っていたが、特に一枚に惹かれた。当時、エコビレッジのことを考えていたから、もし、あの森の中に家をつくるなら、このイメージがいいな、と思っていた。

 デザインハウスは、カッコはいいが、住んでみると、意外と住みにくい、ということはある。あるいは、その住みにくいところを、住んでしまうところがカッコいいのだろう。

 私は、基本的には、土管の中でも、バス停の裏でも、住めればいいや、と思うほうだが、奥さんは、まずは「寒いところはいや」だ、という。それはそうだ。まずはここが出発点だ。

 最近、ひとりの友人が、都会の高層マンションに転居した。見晴らしが素晴らしいらしい。いちど行ってみないこともないが、私はあえて、都会に住みたいとも思わないし、まして高層ビルに住みたいとは、思っていない。

 平林千春のような人は、最近ようやく、「地方都市」に目覚めたようで、なにやらこの1~2年、100万都市もなかなかいいじゃん、みたいな感覚でいるようだが、あれでも、まだまだ都会ボケしていると思う。

 OSHOは、コミューンは5千人から5万人までが適正規模だろう、という。5千人の町と言えば、港町・閖上の規模だ。5万人と言えば、名取市の規模だ(実際は7万人)。正直言って、どちらも小さい。本音の私なら、そんなに狭いところはうっとうしいと思うだろう。海あり山あり、ショッピングモールあり、というなかなかの適正サイズだとは、思う。

 100万都市の中心街に住みたいとも思わない。たまにいくのはいい。あの雑踏が、無償に恋しくなる時も、確かにある。だが、毎日はいやだなぁ。

 そう思う私は、結局、このふたつの狭間に棲んでいる。ものすごい山の森の中と、超モダンな都会の高層マンションの、二つの環境を使い分けることのできる才覚があるのなら、そうもしたいが、なかなかそうもいかない。

 結果的に、私が私なりに棲んでいる、このスタイルが、私なりのグローカル、ということになるのであろう。なにも特筆すべきことでもなく、専門家の手を煩わせることもないが、これはこれで満足しているのである。

 この本、随所に英語が配置され、バイリンガルの本となっている。この点がまた気に入った。ふたつ並んでいれば、私はすぐ日本語だけ読むことになってしまうが、ドメステッィクでなく、ガラパゴスでもない、という感じがして、英語併記は、なんだか嬉しい。

 オレゴンのコミューンはあのような結果になってしまったけど、私はあれが好きだった。私のグローカルのモデルはあのコミューンだ。あれが何故作れなかったのか、今後の課題として残る。

 グローカルという言葉は決して新しい言葉ではないし、誤解も招きやすい単語だが、この本に連なるイメージなら、私は積極的に使いたい。この本は、専門家たちが科学的マインドと、感性的なスピリチュアリティを一体化させながら、なにか新しいものを創造しようとしている。その息吹が感じられる。

 近場のエコシティとして、センダード市あすとナーガの変遷を私なりに観察しているが、まだまだ、そこにはエコシティとしても、グローカルデザインとしても、顕著な動きを感じるまでに至っていない。具現化するのはかなり難しいことだ。

 でも、その想いがあり、思索があり、実験があり、思考錯誤があることは、やがては、黄金の未来につながるだろう、という可能性を感じさせる。

 3・11 and Glocal Design  A message from the UIA なかなか、イメージの広がる一冊である。

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