3・11以前 美しい東北を永遠に残そう 東日本大震災復興応援写真集
「「3・11以前」 美しい東北を永遠に残そう 東日本大震災復興応援写真集
「3・11以前」写真集プロジェクト事務局(編) 2012/03 小学館 単行本
Vol.3 No.0661★★★☆☆
一枚一枚の写真についての、本当の価値は、私にはわからない。ともすれば、いまでも、どこにでもあるような風景だ。たしかに海岸線で、風景と人が映っており、被災地からちょっとはずれれば、いまでも、こんな風景がいっぱいあるはずなのだ。
震災後に一般公募され、数千点の中からセレクトされた一枚一枚の写真が、海岸線の被災地をなぞるように配置されている。撮影した人、撮影された人や土地にとっては、かけがいのない、一枚一枚であろう。
40年前、10代でヒッチハイク日本一周した時、まず向かったのは北だった。街から海岸線に向かい、バックパッキングのまま、乗せてくれた車を、何台も乗り継いだ。
最初の夜に泊まったのは、魚屋の小父さんの家だった。三陸海岸の小さな港町。小父さんの家も決して大きくなかった。乗せてもらったのも軽トラだった
見ず知らずの家に泊めてもらい、一宿一飯の恩義にあずかりながら、次の日の朝は、近くの魚市場まで案内してもらった。年齢的に考えても、もうあの小父さんはいないだろうし、今回の震災で、あの町はどうなってしまっただろう。
カメラを持参しながら、カメラ小僧ではなかった私には、残されている写真は少ない。しかし、瞼にはしっかりとあの風景が刻まれている。
私は、個人的には3・11以前に戻りたいとは思わない。私は3・11以後でいい。つらいけど、3・11を受け入れる。起きてしまったことだから。
だけど、ふりかえっても仕方ない、とも思わない。ふりかえる必要はある。ふりかえって、ああ、あそこはこうだった、と思い出すことは必要だ。
昨日も、所要のついでに海岸線を車で走った。つらかった。あんなにあった街並みが、なくなっていた。更地になった元宅地に、卒塔婆が何本も立っていたりした。見えるはずのないところから、広々とした風景がみえて、海岸線まで一望できた。
私には何も言えない。一枚の写真も提供できない。その地に人々に、声さえかけられない。
今言えることは、たしかに3・11以前はあった、ということ。そして、3・11もあった、ということ。そして、今、3・11を生きている、ということ。
この写真集は、見る人の、見る角度によって、まったく意味の違ったものになる。
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