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2012/05/02

OSHO:アメリカへの道<9> 砂漠の実験都市・ラジニーシプーラムの誕生と崩壊の深層 マックス・ブレッカー  

<8>よりつづく


「OSHO:アメリカへの道」 <9>砂漠の実験都市・ラジニーシプーラムの誕生と崩壊の真相
マックス・ブレッカー /「Osho:アメリカへの道」プロジェクト 2005/10 和尚アートユニティ /めるくまーる 単行本 552p

 プロジェクト567の2オクターブ目のレに、この本を選んでみたものの、なかなか読みとおすのは難しい。全部読んでからメモしようと思っていたのだが、3分の1まできたところで、ややダウン気味だ。

 それでもやっぱり読みとおそうと思っているのだが、次から次へとアンチOSHOの記述を読み続けるのはつらい。ここまででてくるのは、結局は、OSHO本人ではなく、コミューンの話である。

 ラジニーシプーラムがもしインド国内に建設されたら、などという、歴史上の、もしも、の話はしないでおこう。ここで、プロジェクト567の過程において、敢えてこの本の再読を選んだのは、コミューンが建設されていたら、という希望ではなく、コミューン建設の実態があって、それにまつわるドラマが、その進展がよいにつけ、悪いにつけ、あった、ということの確認のためだった。

 賢治の羅須地人協会の期間も実に短いものだった。その理想とはうらはらに、必ずしも実効がともなった実験とは言い難い。スケールはまったく違うが、ここで羅須地人協会とラジニーシプーラムの比較関連を考えておくのは面白い。

 賢治のイーハトーブ---羅須地人協会---デクノボー。それに対する、OSHOのブッダフィールド---ラジニーシプーラム---ゾルバ・ザ・ブッダ。いずれも幻想的だ。とてもこの世のものとは思えない、とてつもない企てである。

 しかるに、両者ともに、多くの共感者を得て、例えば、花巻の宮沢賢治記念館として残り、かたや、プーナのOSHOコミューンとして、その命脈を保っているのは面白い。

 そして、ここにおいて、このふたつの動きを思い出したのは、3・11後の復興復旧という、村や街、都市再建の計画が乱立するなかにおいてだった。

 この読書の試みが、どのような結末になるかは今わからないが、自分としては、なかなかグッドアイディアである、と感じている。

<10>につづく

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