原子力と宗教 日本人への問い 鎌田東二/玄侑宗久
「原子力と宗教」 日本人への問い
鎌田東二/玄侑宗久 2012/03 角川学芸出版 新書 223p
Vol.3 No.0660★★★★★
果たしてこの本はどうかな、という、うがった態度で読み始めたが、この本はよかった。レインボー評価しておいて悪くないと思う。特に、二人には、3・11後における鴨長明についての、それぞれの著書があるという。その本を読みたい、と思わせてくれただけ、期待を込めて、受け止めておきたい。
本来であれば、ここはやはり「日本人への問い」ではなく、「地球人への問い」でなくてはならない筈だ。二人は、寺の住職と、大学の神道学者という、極めてドメステッィクでガラパゴス的存在なので、どうしても「日本」という枠組みにとらわれてしまうだろうが、本来、この対談で語られているのは「地球人」としての生き方だ。
対談という意味では、内田樹/中沢新一「日本の文脈」などより、遥かに優れている。二人の対談ということでより普遍化された部分がある。
玄侑 ああ、またアメリカの悪口を言ってしまった。こういうことばかり言っているものですから、私の本はなかなか英訳されないんです(笑)。
鎌田 私の本なんて、何語訳もされませんね(笑)。そんな話、来たことないですよ。p166「日本人は原発を捨てられるか?」
イーハトーブという賢治の命名はエスペラント語によるが、王仁三郎なども、さかんにエスペラントを研究していた。しかし、実際にはこの人造語は普及しなかった。現在では、実際的には英語が世界標準語であろう。
この本の内容が、もし英語で翻訳されて、もっと世界中に読まれるような時代にならなければならない。玄侑は「フクシマ」人でありながら、世界宗教=仏教に籍を置くだけに、グローバル性を持っている。
鎌田は、日本神道にこだわるあまり、言霊の世界に入ってしまうので、永遠に英訳されることはないだろう。むしろ、神道的アニミズムまで解体し、もっとグローバルな方向へ懐を広げる必要がある。
スピリチュアリティについては、文学的な言い回しなど本来必要なく、1500語で足りるとされるグロービッシュなどで十分語り得るような内容にまでシンプル化される必要がある。玄侑とて、ガラパゴス仏教の背景に浮かんだ徒花みたいなものだ。
ここからあまり脱線したくはないが、例えば日本人作家として世界で一番読まれているとされる村上春樹は、このスピリチュアリティを、世界に伝えることはできるだろうか。
この対談を「大いなる挑戦」の7つのポイントからチェックしてみよう。まず思いつくのは、「ひとつの宗教性」というところだが、つっこみは足らないが、仏教ー神道という立場に、例えば、キリスト教やイスラムを超えた形での「ひとつの宗教性」へ突き抜けていく力を加えていくことは可能であると思われる。墓や位牌、神社、山門などという文化や伝統にあまりこだわり過ぎてはいけない。
「新しい教育」で言えば、それぞれの僧侶教育や大学カリキュラムという俗的部分を限りなくそぎ落とせば、二人はよく理解できているはずである。
「創造的科学」。これはむしろ玄侑のほうが勇気がある。鎌田は立場上、日本国家というものにこだわるので、それに付随した「創造性」へ踏みきれない部分がある。
「能力主義」についても理解力あるだろう。ただ、薄っぺらい「人道主義」が頭をもたげてくる可能性があるのは、二人とも、結局は、人気商売だから仕方ないかもしれない。
「遺伝子工学」については、なかなか諾とはし難いだろう。それは当ブログとしても同じこと。今後の課題だ。
もっとも卑近で、しかも見逃されやすいのは「ひとつの世界政府」だろう。もっとも実現不可能にも思える。小さな目に見える自治、そして、国境を越えた調整機関としての世界政府。この本にも、その芽は見えているが、強調はされていない。
二人の対談は、「地球人への問い」という形で再編される必要がある。そして、それは英語で、世界へ発信されるべきである。
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