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2012/05/12

大手メディアが隠すニュースにならなかったあぶない真実 上杉隆


大手メディアが隠す「ニュースにならなかったあぶない真実」 
上杉隆 2012/04 PHPエディターズ・グループ/PHP研究所 単行本 221p
Vol.3 No.0663★★★☆☆

 私はこの人のことを好きでもなければ、嫌いでもない。ただ、距離をおいておきたいことは確かだ。必要な時は参考にする、程度だろうか。「ジャーナリズム崩壊」(2008/07 幻冬舎)、「報道災害〈原発編〉 事実を伝えないメディアの大罪」(2011/07 幻冬舎)、その他、何冊かめくってみたし、ネット上の動画配信などでも、その活躍は目にしている。もちろんテレビもみた。

 この人に対する感想は、ジャーナリズムをかなり理想化しているのではないか、というもの。受け手側としてのこちらは、ジャーナリズムやマスメディアなんて、所詮、その程度だよ、というちょっとだらけた、白けた気分である。

 小学校三年の時から新聞部だった私は、将来の自分像としてはジャーナリストとして描くことが多かった。高校時代も新聞部だった。しかし、以前にも書いたが、その在校当時、ちょうど1970年の6月に起きた校内事件の報道を見て、ああ、新聞なんて真実を伝えていない、と痛烈に感じざるを得なかった。

 その後、ミニコミ誌などを創刊したりしたが、それ以来、メディア不信は一貫している。理想化することもなければ、期待もしていない。ただ、それなりに利用はさせていただきますよ、というスタンスだ。

 新聞も、ここ5年ほど宅配してもらっていない。図書館にいった時や知人宅でたまにパラパラやるが、面白くないので、すぐ閉じる。かと言って、ネット上の「つぶやき」を重視しているわけでもない。

 当ブログでは、以前、科学、芸術、意識、に対応させたかたちで、現代の象徴的職業として、プログラマー、ジャーナリスト、カウンセラー、の三つを上げたことがあった。この三つの職業、どれでも成れるなら成りたかったなぁ、という思いと、その三つが一つになったような職業はないものか、という思いがあった。そして、こうも付記しておいた。

1)グローバル社会に対応する創造的なプログラマー
2)マルチな表現を理解する瞑想的なジャーナリスト
3)転生輪廻を自らの体験として理解する精神的なカウンセラー  
2008.12.14

 上杉という人、ユーストリームやツイッターなどのネットの利用という意味では1)はほぼクリアしているだろうし、2)もややカバーしているかもしれない。しかし「瞑想的な」という部分は、こちらの希望にはかなっていない。そして、一番の不足は3)についてだろう。

 3・11当時、結果として、東電第一原発から80キロ圏にいた私にとって、もちろん原発のことも心配だったが、それ以上に、海岸線を中心とした津波被災地のほうに意識がいっていた。原発のことは専門家たちが心配してくれ、私には何もできない、そういう気分だった。

 むしろ、海岸線にある友人知人の被災状況のほうが、ずっとずっと優先順位が高かった。当時の心境としては、原発が話題になると、津波被災地の情報がすくなくなるので、むしろ、あまり原発を騒がないでほしい、とさえ思った。

 上杉という人、中央において、権力にぶら下がって、ジャーナリストとして、ウソVSホントごっこをやり続けていたが、自分の足で「行ッテ」、例えば、津波被災地の人々の生活をみていたのかどうか、私には、その動向がつかめなかった。

 今日も近くのスーパーで買い物をしていたら、見知らぬ女性従業員から声をかけられた。知らないわけではなかった。小学校時代の同級生である。あれ以来、お互いに名前さえ忘れているような関係だ。

 その彼女、商品の受け渡しの合間に雑談すれば、今回の3・11で、海岸線の自宅と夫を失い、内陸部の娘宅に身を寄せているという。それでも明るく、スーパーで働いている。傍目には、そんな被害があったことなど、簡単には見抜けない。

 私は、ジャーナリズムに「真実」は期待していない。所詮それは無理だ。あるいは、真実ではなくて、「真理」といっておこうか。すくなくとも、ジャーナリズムがどんなに魅力的な分野であっても、人間の所業としては、最終的な完結はしない。

 そもそもジャーナリストは、まともな職業として見られない時代もあったが、そういう文脈ではなかったとしても、この人が思っているほどには、ジャーナリズムは、理想社会ではない。ある種、くだらん世界なのである。

 たしかこの人、ジャーナリスト無期休業宣言とかしたらしいが、私は、皮肉でなく、積極的な意味で「廃業」すべきだと、思う。しょせん、くだらん世界なのである。

 ネット上でも、ミニ・ジャーナリストたちが、第三次、第四次情報を、いじりまくって、なにやら正義ぶって、つぶやきつづけているが、私の魂にとどくことはほとんどない。

 いつものネタだが、1991年のスピリット・オブ・プレイスの時、大きなスポンサーのひとつは電力会社だった。それを持ってきたのは、地元のテレビ局スタッフ。ただこまったことに、このスポンサーがついたおかげで、私が持ち込んだ沖縄ロックバンドがパージされた。プログラムから完全に外されたのである。

 結果としては、猛抗議したが聞き入れられず、自前でコンサート会場を確保し、なんとかひとつの大きなプログラムの中に組み込むことはできたが、会場入り口を別にすることや、チケットの販売も別ルートにするなど、さまざまな抵抗を受けた。

 それもこれも、そのバンドが、反原発的スタイルだったためだが、実に愚かしい反発を受け続けてきている。後年、そのバンドシンガーが参議院議員となり、6年間も国会に在籍したはずだが、こちらも大した業績がなかったように思うので、まぁ、結果的にはどうでもよかったのかもしれないが・・・・ガハハ(自虐笑)。

 なにはともあれ、この本は、私が借り出したのではなく、家族が借りたのであり、読まないの? と聞かれたので、ああ、読んでおこうかな、という程度に目を通した一冊だった。この程度のことしか書けない。原発についての真実は、この本によらずとも知ることはできる。

 この人、原発についてこれだけのことを言うのなら、もっと前から、10年も、20年も前からスタートすべきだった。3・11後にこれだけいうのは、ある意味、後だしジャンケンでズルイ、と、私なら感じる。

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