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2012/05/16

福島に生きる 玄侑宗久


「福島に生きる」
玄侑宗久 2011/12 双葉社 新書 207p
Vol.3 No.0668★★★★★

 イーハトーブ、センダード、そしてフクシマ。3・11後に、にわかに身近になってしまった、これらの呼称であるが、フクシマと、カタガナ書きで抽象化、象徴化することができる立場は、まだまだ、本当の現地のことを知らない、ということになる。

 著者にとっては、フクシマではなく、福島であろう。そして三春町であろう。原寸大の被災地にいる。見える風景は、フィクションの世界でもなく、幻想の世界でもない。ありのままの世界が、眼の前の福島なのである。

 あとがきが書かれたのは平成二十三年霜月朔日。平成二十三年は2011年のことだとは分かる。霜月は11月。朔日は、通常1日を表わすのだから、2011年11月1日、と読むのが妥当であろう。この本が出たのが12月4日だから、多分、そうに違いない。

 太陰暦で言えば、平成二十三年霜月朔日は2011年11月25日になる。朔日は、新月の意味である。だから、こちらかも知れない。

 最後の最後に、このような、「文学」的なハテナが浮かんでくるのが不思議なくらい、この本は、現実的なジャーナリステッィクな記録になっている。

 鴨長明の「方丈記」を引いて語った「無常という力」や鎌田東二との対談「原子力と宗教 日本人への問い」とともに、著者は3・11後の、特に福島や東電原発について発言することが多くなり、原発から45キロの寺の住職兼作家という立場上、これまでの記録と、これからの発言に注目が集まるだろう。

 今後、かつての自然をいつ取り戻せるのかは、私にも分からない。だがこれだけは断言できる。どんなに困難であっても、私たちはこの福島県を、原発事故以前よりもなお美しく豊かな大地として蘇生しなくてはならない。それは強い意志でもあるし、生き残った私たちの使命なのかもしれない------。p47「あのとき福島で、東北で、起きていたこと」

 この本が書かれ、出版されてからでさえ、すでに半年の時間が経過している。刻々と変化する現場の状況の中で、著者は、また新たなる心境でいることだろう。

 この本で、あらためてそうだったのか、という劇的な真実の暴露のようなものは少ない。すでに報道されていることも多く、また、類推することが、まずはできるであろう内容である。著者のスタンスも、福島県内の寺の住職としての、実に謙虚で真摯な述懐であることは間違いない。

 それにしても、こうしてあらためて、ひとつひとつの事柄を確認していくと、人間として直視できず、眼をそらしたくなることが、随所にでてくる。分かっていることなのだが、文字面を追っているだけで、知らず、老眼鏡の奥で、まなじりから、涙がこぼれ落ちる。

 被害の大きかった気仙沼での話だが、檀家のほとんどが壊滅しているため、寄付も募れず、仮設の本堂もできない。そこで住職は、フリーメーソンからの寄付を受け容れ、仮設の本堂を建てたのである。

 今後、再建できずに困っているお寺などが、本山も当てにできず、どこから寄付を受けるのかも予測できない。檀家とすれば、妙な寄付で建ててほしくはないだろうが、建物がなくなったままでは何もできない。背に腹は代えられない、という住職側も単純に批判はできないのである。p77「復興と再生、そして失われたものたち」

 いきなり、寄付側のこのような名称が飛び込んできて、びっくりした。著者としても、そのような事実を明瞭に把握してうえのことなのだろうか。あるいは、著者は、このような団体にどのような感慨を持っているのだろうか。

 3・11をどのように捉えるかは人それぞれであり、著者は著者なりの、原寸大の、現実的な、東北の、一寺院を守る住職の、率直な意見を語っている。

 しかし、宗教団体ではなく、宗教性をこそ重く想い、檀家も、本山も、本堂も、住職さえも、あまり眼中にない当ブログとしては、3・11後に思うことは、福島でも、フクシマでもない。勿論、センダードでもイーハトーブでもない。

 3・11に対峙するのは、地球や大地であるし、そこに生きる、地球人としての、ひとりひとりの意識であろう、とするのが、当ブログの立場である。そこに、より現実的な、リアリティを持ち得るかが、大事だ。

 地球に生きる。一人の地球人として、ポスト3・11を生きていく。それが、ささやかな当ブログの密かな宣言である。

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