完全解読 フッサール『現象学の理念』 竹田青嗣
完全解読「フッサール『現象学の理念』」
竹田青嗣 2012/03 講談社 全集・双書 290p
Vol.3 No.0664★★★★☆
新着資料の中に、このようなタイトルが並んでいると、ついついスケベ心が起きて手を伸ばしてしまう。必ずしも当ブログの主テーマでもないし、いくら解説本や初心者向けの本とはいえ、簡単でもなく、また読了することもままならない一冊であることはわかっているのだが、魅惑するオーラがふわふわと漂ってきた。
3・11直後は、物理的に読書することなどできなかったし、精神的にも無理だった。ようやく本を手にとってみようと思ったのは1ヵ月半が経過したころだ。しかし、テーマはすこし斜めに外れた分野だった。
地震そのものや原発そのものを扱った本に目を通せるようになるには、数カ月が必要であった。その後、大量に流通している3・11本をひとまず片づけて、当ブログなりの流れにもどすまで、ほとんど1年が経過した、ということになる。
そしていま、ほとんど何の関係もなさそうな、このような哲学の本に手が伸びるようになった、ということは、個人的には、ああ、ようやく、ここまで余裕ができたのか、という確認の意味あいがある。
さて、当ブログでは、1)ブログありき、2)読書メモをテーマとする、3)Osho「私が愛した本」を主軸に据える、4)いかにその読書ブログという形態を卒業するか、というプロセスを経てきた。ひとつひとつは駆け足だったが、それなりに妥当性があった。
「私が愛した本」(BIHL)の158冊の本については、一応の把握はできているが、まだ十分とは言えない。BIHLも二順目に入ったところだが、現在は大きく頓挫している。3分の1はほぼ読了し、3分の1はまだその本の存在さえ確認できていないものもある。そして3分の1は、これから読み込もうとしているところである。
その、これから読み込もうとしている多くの部分は、いわゆる西洋哲学の部分である。そのほとんどは、まだOshoの言葉を転記しておいただけに留まっているが、いずれは、キチンと目を通すつもりでいる。
しかしながら、現代の西洋哲学全般に対して、いつかどこかでOshoがこのようなことを言っていたことがある。「闇夜に、窓の無い暗い部屋で、目の見えない人が、手さぐりで、その部屋にいない、黒い猫を、探しているようなものである」。
だから、読み返そうとは思っていても、それほど急いではおらず、余裕があったら、そちらにも手を伸ばしたいな、と思っている程度なのである。
哲学的な流れで言えば、一番面白いと思うのは、木田元の反哲学あたりで、この辺から読み続けてみたいとは思う。しかし、そこにいない黒猫を探し続けるつもりはないので、ガチョウは外にでている!、というZEN的クオンタム・リープに、最終的な解決策を見い出してしまっているのが、当ブログなのである。
いずれにせよ、4)の読書ブログからの脱却の試みとして、BIHLのど真ん中をジブランの「プロフェット」と固定し、そこからOshoの「メサイア」をぶち抜いて、Oshoのニーチェへと突破していこうとしているのであり、必ずしも、西洋哲学全般と無関係に進行しているわけではない。
空は無限に大きいのだ、と達観しつつも、その大きさを測るのに、バベルの搭の営みもまた、その大きさを量る上では必要なのだ、という認識のもと、西洋哲学全般についてのおさらいも、粛々と進めなければならないのだ。
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