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2012/06/17

気がつくと机がぐちゃぐちゃになっているあなたへ<2> リズ・ダベンポ-ト

<1>よりつづく


「気がつくと机がぐちゃぐちゃになっているあなたへ」 
リズ・ダベンポ-ト/平石律子 2002/09 草思社 単行本  222p

 テーマ「Maditation in the Marketplace」のプロセスの中で、続編である「机の上はいらないモノが95%」を読んだあとに、久しぶりで元本のこちらも読むことになった。蔵書では唯一この10年間ずっと我がオフィスに留まり続けていた一冊である。

 久しぶりに開いてみると、忘れてしまっていることもたくさんあるが、現在の自分の仕事のやり方の重要ないくつかは、実はこの本の影響だったのだ、とあらためて確認することになった。 

 よいことがいっぱい書いてあるが、一ユーザーとしては守れなかったことがたくさんある。やっぱり、気がつくと机がぐちゃぐちゃになっていたために、結局はまたこの本を読むことになったわけだが、それはそれなりに理由というものも確かにある。

 今回はまた、一台の壊れた古いノートパソコンをもらったことがきっかけとなった。OSも古く、メモリーも少ない。ましてや液晶部分が映らなくなっているので、通常のユーザーなら買い替えるのが当然である。

 しかしながら、私の趣味は、それをもらいうけて、治したくなるのである。もともと素人だから、プログラムのバグや回路の不具合などはどうしようもない。しかし、何かのパーツを取り換えれば、まだまだ使えるのではないか、すぐそう思ってしまうのである。

 そこで近くのリサイクルショップをまわり、ネットオークションでパーツを落札し、結局は見事に、使えるところまで来た。たしかに時代に遅れてはいるが、まだまだ十分使える範囲である。サブ機のサブ機として、ベッドサイドに鎮座ましますことになった。

 ここまでならめでたしめでたしなのだが、実はこのようにして過去何度も、壊れたパソコンに挑戦したことがあった。たしかに一時は使えるのだが、時間の経過とともに、結局は新しいパソコンを買い替えることになる。それもそれでいい。

 ところが、私は、この一度は壊れていながら、自力で修理したパソコンを、時代遅れになったからと言って捨てることができない。一台一台思い入れがあるのである。

 そしてさらに困ったことに、修理をするために、部品を落札していると、部品取りのジャンクパソコンを手にすることになるのだが、このジャンクパソコンという奴も、実はまだまだ使えるのである。そのジャンクパソコンを使用可能にするために、また別なジャンクパソコンを落札するという、悪夢の連鎖が始まることである。

 最初は机の脇にあり、次第に本棚に行き、押し入れに行った。しかし、置き場がなくなり、裏庭のスチール小屋に移動して行った。これらのパソコンはすでに、ゴミ直前である。諦めて捨てたものも沢山ある。しかし、捨てるに捨てられないものも、何台もある。

 今回確認したら、同じノートパソコンの悪夢の連鎖で集めた最高台数は5台だ。同じ形式の同じ型だ。実は一台一台は、稼働可能なのだ。しかし、もうメーカーもOS会社もすでにサポートしていない。スタンドアロンなら使えないことはない。しかし、ネットで動画の時代には使えない。WiFiも既に古い型で、繋がることはない。

 そして、それにまつわるISDNとかターミナルアダプターだとか、メモリーだとか、ハードディスクだとかが、ゴソッとでてきた。これには参った。一番古いモバイルプリンターは15年前のものだった。これは実に愛用した。実は、これも今でも使える。しかしながら、コネクタとか、パソコンとの相性で使うことはない。これ、すごく高価だったんだけどなぁ。

 そんなことを考えていて、今度は、これらを逆にネットオークションに出品することを考えた。実は、出品は殆どしたことがない。ずっと前にデジカメを一回だけ出品したことがあるだけだ。あの手間を考えると、さっさと捨ててしまったほうが楽なのだが、リストを見ると、まだまだ結構な値段がついているのである。

 落札してくれる人がいればのことだが、まだまだ実用だ。1円スタート、ノーリタン、ノークレームで出品すればいいのに、と家族はいうが、それはそれで環境問題的にはよさそうだが、そんなことに気を取られているうちに、自分本来の仕事をすべきなのではないか、と考えだす。

 1円スタートで、本当に1円で落札されたら、結構がっくりくるだろう。いや実際自分も1円落札したことは何回もあるが、送金や送料などを含めていくと結構な値段になる。買い手のほうも、決して楽ではないのだ。

 こうして、とにかく、これらをどうするか、と本棚や押し入れ、物置から引っ張り出して、並べてみると、結構な山になる。箱ごと残っているものも多いので、ネットオークションでは人気商品になる可能性はある。さてどうするか。

 気がつくと、わがオフィスの一角がぐちゃぐちゃになっていた。これではいかん、なんとかしなくちゃ、と、今回もまた、この本を開くことになったのだった。

 リズ・ダベンボードに言わせれば、そんなものは、明日廃品回収にだしなさい、ということになる。どうせ自分で使わないのであれば、空間を無駄に使っているうえに、仕事の邪魔をしている。あなたにはあなた本来の仕事があるでしょう。ほへ~、それはそうなのですが・・・・・。

 さらに困ったことに、この一週間は、坂口恭平の「0円ハウス」とやらに気を取られている。都会のゴミのような排出物で、十分暮らしていけるのではないか、という現代社会に対するアンチテーゼである。捨てる前に、どうしてももう一度、見てしまう。

 今日は28インチのブラウン管テレビを廃品回収にだした。被災三県でも地デジに完全移行し、不要になってしまった。実はまだまだブラウン管テレビの使い道もあるのだが、地デジ化4日目にして、わが家のテレビはオシャカ様になった。修理も可能であろうが、家族が許さない。ここはなんとか踏ん切りをつけた。

 それと、他にもある素材で、実は、現在「0円オフィス」の改造中である。地震で解体する建物の中にはまだまだ使えるものが沢山ある。親戚の建物から外したもので、現在我が事務所を補強中。これは、私流のガレキの受け入れだ。

 パソコンゴミの中かから、我が0円オフィスを補強できるものがあるのではないか。目を皿のようにして見てみる。あることはある。しかし、これらのほとんどは捨てて目の前から消すに限るだろう。なぜなら、彼女から言わせれば、そうして考えていること自体、すでにあなたの大切な時間を無駄に取られているでしょう、ということになる。

 いらないモノが95%だ。いつか、は来ない。今、やる。とりあえず、は、やってはいけない。ホントその通りだな。

 とりあえずのつもりで取っておいたモバイルパソコンがもう17年前のものだった。パーツ取りの連鎖で、同じ型のノートパソコンが5台まで増えた。これは私の思考法のなにかが関係しているようだ。それはそれで悪くない。だが、本来やるべきことが疎かになっているとするならば、う~ん、たしかに、決断すべき時が来たようだ。

<3>につづく

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