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2012/06/27

スティーブ・ジョブズの生き方<3> カレン・ブルーメンソール/渡辺了介

<2>からつづく


「スティーブ・ジョブズの生き方」 <3>
カレン・ブルーメンソール/渡辺了介 2012/03 あすなろ書房 単行本  349p 

 最後にジョブズは、大人の決断をした。1991年3月18日、ジョブズとパウエルは、ヨセミテ公園のロッジで結婚式を挙げた。式を執りおこなってくれたのは、ジョブズがずっと以前から心の師と仰ぐ禅宗の僧、知野(乙川)弘文だった。ウェディングケーキは厳格なベジタリアンでも食べられるもので、50人のほどの参列者は式のあと、雪が降る中を散策した。p177「家族」

 少なくともこの時点では知野の名前は明確にでてくる。「心の師」とさえ表現されている。ここでもやっぱりベジタリアンにこだわっている。ベジタリアンのライフスタイル、それはそれでいいのだが、ベジタリアンの人はなんだか病気に弱くて早死にするようなイメージがある。ジョブズも56歳と7ヵ月で膵臓ガンに倒れた。

 アップルを離れたあと、ジョブズは厳格な菜食主義に戻っていた---ただし、すしはずっと大好物だった。東京でも、ジョブズはリサをホテルの地下にあるすし屋に連れていき、塩とたれの穴子をいっしょにつまんだ。p183

 すしを食ってもいい「厳格」な菜食主義なら、私もやれるかもしれない(笑)。

 マイクロソフトが成功をほぼ手中におさめたことは認めたものの、こう付けくわえた。
 「マイクロソフトが三流の製品しか作らないことが、がまんならないんだ」
 このインタビューのあとジョブズは、心の中で思っていることを公の場でぶちまけるべきじゃなかった、とゲイツに謝った。だが、その舌の根も乾かないうちに、ゲイツのことを「ちょっと人間の器が小さい」と評し、「若いころにヒッピーのコミューンに入りびたった経験」でもあれば、もう少し大きな人間になっただろうに、と記者に語っている。
p224「ディファレント」

 1955年生まれの二人は1970年当時15歳。まだまだ「ヒッピーのコミューンに入りびた」れる年齢ではなかった。ジョブズはその点、早熟だったといえる。むしろ、ジョブズはその60年代的影が薄いだけに、コンピュータ・ビジネスに邁進した(邁進できた)ということもできるだろう。

 クレイジーな人たちがいる。反逆者、厄介者と呼ばれる人たち。
 四角い穴に丸い杭を打ち込むように、物事をまるで違う目で見る人たち。
 彼らは規則を嫌う。彼らは現状を肯定しない。彼らの言葉に心を打たれる人がいる。反対する人も、称賛する人も、けなす人もいる。
 しかし、彼らを無視することは、だれにもできない。なぜなら、彼らは物事を変えたからだ。彼らは人間を前進させた。
 彼らはクレイジーと言われるが、私たちは、天才だと思う。自分が世界を変えられると本気で信じられる人たちこそが、本当に世界を変えているのだから。
p231「ディファレント」

 アップルに復帰したジョブズがまず行ったCM作戦。5年間も放映されたという。

<4>につづく
 

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