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2012年6月の54件の記事

2012/06/30

ジョブズが創った未来。ジョブズがいない未来。 ニューズウィーク日本版

Nw
特集 「ジョブズの辞任でどう変わる? 天才なきアップル」 ジョブズが創った未来。ジョブズがいない未来。
「ニューズウィーク日本版」 Newsweek Japan 2011/9/7号 阪急コミュニケーションズ 発売日:2011年08月31日
Vol.3 No.0749★★★★★

 このタイトルなので、てっきりジョブズの死を報じる内容なのかと思ったら、それ以前の辞任の時の報道だった。ジョブズに対する評価は、死後のものとほとんど変わらない。彼の人生を振り返るというより、アップルの今後の展開を気にしている内容だ。

 こうして見ると、ジョブズの辞任劇も、かなり計算されたマーケティングだったのではないだろうか。たしか、彼の死の翌日に新しいiPhone4sが発表されたのだった。最後まで、まぁ、よく頭を使ったものだ。生きているうちに頭を使えとは、このことか。

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Meditation in the Marketplace<8> ジョブズのZEN

<7>からつづく

「Meditation In the Marketplace」

<8>ジョブズのZEN 

 ジョブズ追っかけが始まってしまい、すこしづつ見ていると、ちょっと不思議なことにきがついた。1984年、マッキントッシュを発売した時のジョブズ。29歳。この写真何気なくみてきたが、実は、これはジョブズの坐禅を意識した写真だったのだ。結跏趺坐を組んでいるのだから、間違いないだろう。

Mac

 そしてこちらは、1998年、iMacを発売したときのジョブズ。43歳。結跏趺坐とはいかないが、あきらかにマッキントッシュの時と同じポーズをとっている。これはZENを意識していたから、こういうスタイルになったのだろう。

Imac_3

個人的には一台子供のためにiMacを購入したがあまりよいイメージはない。だが、今になってみれば、こうしてジョブズが一貫した意思を思っていたのだ、ということを理解できる。

 ここで脈絡なく、自分の画像を入れ込んでみる。あまりに僭越過ぎるが、お座りして抱っこしている、という意味では、何かが通じているかな~

Photo

<9>につづく

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トイ・ストーリー2/ピクサー

<トイ・ストーリー1>よりつづく 


「トイ・ストーリー2」 
ピクサー 2004/04 ディズニー DVD 92分
Vol.3 No.0748★★★★★

 いやはやここまでくれば、ジョブズ一人の仕事であるわけではないのだが、このような完全CGの映画ができるところまで、ジョブズが関わっていたとなると、やはりこれは大変なことだな、と思う。

 前回の「トイ・ストーリー1」は、なんの脈絡もなく、ただ茶の間にあったから見ただけだったが、ジョブズ追っかけのなかで、これらのトイ・ストーリーの制作過程を知ることは驚きだ。

 ストーリーそのものの展開は意表を突かれるが、後半の結末へと急ぐあたりでは、だいぶストーリーが端折られていて、どうもいまいち納得がいかない。それでもなお、テーマがおもちゃであり対象年齢を考えると、これはこれでいいのだろう。

 もちろん、おもちゃに郷愁をもつ大人が見ても十分楽しめる内容だ。とくにCGの出来方が、ふ~む、なるほど、という出来上がり。

 「トイ・ストーリー3」も図書館に入っているが、予約が殺到しており、私の番がくるまでどれだけ時間がかかるやら。のんびり楽しみにして、まっていよう。

 その他の、ジョブズが関わったとされるピクサー作品も図書館に入っているので、そちらを先に見よう。

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2012/06/29

0円ハウス 坂口恭平/佐藤直子


「0円ハウス」 
坂口恭平/佐藤直子 2004/07 リトル・モア 単行本  199p
Vol.3 No.0747★☆☆☆☆

写真集。もはや、当ブログとしてはまともにコメントしようがない。

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坂口恭平関連リスト

「0円ハウス」佐藤直子と共著 2004/07 リトル・モア

「TOKYO 0円ハウス 0円生活」 2008/01 大和書房

「墨田川のエジソン」 2008/04 幻冬舎

「TOKYO一坪遺産」 2009/06 春秋社

「ゼロから始める都市型狩猟採集生活」  2010/08  太田出版

「独立国家のつくりかた」 2012/05 講談社

「モバイルハウス」 三万円で家をつくる 2013/08 集英社新書

「現実脱出論」(2014/09 講談社) 

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ジョブズの哲学 カリスマが最後に残した40の教え 竹内一正


「ジョブズの哲学」 カリスマが最後に残した40の教え
竹内一正 2012/02 大和書房 文庫 227p
Vol.3 No.0746★★☆☆☆

 ちょっと説教っぽい本。1957年生まれの、いわゆるビジネス本というジャンルの本が多くある著者は、松下、トヨタ、YS-11、イチロー、セブン&アイなどをテーマにしてきているだけに、当ブログの趣向にはいささかマッチしない。

 いわゆるアップル本やジョブズ本を読みこんでくっつければこういう本ができるだろう、という安直な本。そのライフスタイルへの共感や、本人への取材などはほとんどされていない。

 つまりは、どこぞの社員研修の講師にでも呼ばれ、やる気を鼓舞する時のための準備としてジョブズを使っているだけで、「ジョブズの哲学」を理解し実践しているお方ではない。

 誰か「成功」した人について書けばひともうけ出来るのだろうが、例えば、誰も注目しないような東北の寒村を歩き続けてきた結城登美雄のような本をこの人は書くことができないだろう。そうするには、自分なりの哲学をつよく持っている必要がある。

 この本から当ブログが得られるものは、
1)世間でいわれるところのジョブズの人生とは、他でも言われているように、大体がこんなものだったのだろう
2)いわゆるビジネス本側から切り取れば、大体はこんな風になってしまうのだろう
ということに対する理解である。

 青色吐息にあえぐ日本の企業も見習え、という趣旨だが、あいもかわらぬ陳腐な姿勢だ。

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2012/06/28

スティーブ・ジョブズの生き方<4> カレン・ブルーメンソール/渡辺了介

<3>からつづく


「スティーブ・ジョブズの生き方」 <4>
カレン・ブルーメンソール/渡辺了介 2012/03 あすなろ書房 単行本  349p

 結局この本、4回目のメモ。この本が格別に面白いというわけではなく、ジョブズの生き方そのものが注目に値するものだった、ということなのだろう。あらためて評価をレインボーにアップした。

 ジョブズのプレイリスト

 スティーブ・ジョブズのiPodには、どのようなアーティストが入っているのだろうか。ジョブズの伝記を書いたウォルター・アイザックソンが見せてもらったところ、次のようだったという。

ボブ・ディラン(15枚のアルバムと海賊版のテープ6本分からほとんどの曲
ザ・ビートルズ(7枚のアルバムからほとんどの曲)
ローリング・ストーンズ(6枚のアルバムからほとんどの曲)
ジョーン・バエズ(4枚のアルバム)
ヨーヨー・マ(3枚のアルバム)
バッハ「ブランデンブルク協奏曲第2番」
アレサ・フランクリン/グリーン・ディ/グレイトフル・デッド/コールドプレイ/ザ・ドアーズ/ザ・モンキーズ/サイモン&ガーファンクル/シール/ジェファーソン・エアプレインン/ジミ・ヘンドリックス/ジャニス・ジョップリン/ジョニ・ミッチェル/ジョニー・キャッシュ/ジョン・メイヤー/10000マニアックス/トーキング・ヘッズ/ドノヴァン/ドン・マクリーン/バディ・ホリー/B・B・キング/ブラック・アイド・ピーズ/モービーズ/U2 
p269「音楽」

 今の若い人たちのプレイリストにはついていけないが、ジョブズのプレイリストなら、ついていける。やはり若い時に聴いた曲が一生涯の音楽になっているようだ。同世代として、このような音楽を、ジョブズは生涯聴いていたのだ。

 ジョブズは化学療法を始めた。だが、面倒なのはそれだけではなかった。大手術となって消化と吸収の機能が低下したため、これまでより食事の改修を増やし、肉、魚、乳製品などからタンパク質をたっぷり摂る必要があった。だが、人生のほとんどを(それも、ある時期には厳格な)ベジタリアンとして生きてきて、そんな食事をずっと避けてきたジョブズは、手術後もそれで押しとおした。p278「がん」

 最近聴いている宮下富美夫も、52歳で肺がんで亡くなった。彼もまた早期発見早期治療に努めれば、延命できたのではないか、と思われる。自然食通信などに連載していた加藤哲夫も、3・11後、出身のフクシマを思いながら、60歳で膵臓ガンでなくなった。

 私自身も若い時分に体調を崩したが、自分なりの食事療法を試していた最中のことだった。専門家ならぬ私には、食事や健康のことは詳しくは分からない。しかし、意識してベジタリアンになることは、何かを得て、何かを失うことではないか、と、今思っている。

 2010年5月にアップルは、テクノロジー企業として世界で最も価値が高い会社になった。株価と株式発行数から計算した時価総額、つまり投資家が評価するアップルの価値が2220億ドルとなり、2190億どるのマイクロソフトを抜いたのだ。

 マイクロソフトの価値が2011年もほぼ横ばいだったのに対して、アップルの価値はさらに上昇し、2011年末には3760億ドルになった。p313「人生」

 価値の尺度はいろいろあり、かならずしも株価の総額だけで決めることはできないし、ジョブズ自身もそれだけを考えていたはずはない。それにしても、一時、一発屋と思われていたジョブズが、結局はマイクロ・ソフトを抜いたとすれば、それはとてつもない復活劇であった、と言わざるを得ない。

 結果的には、ジョブズがプロデュースした映画「トイ・ストーリー」などを制作しピクシーがディズニーに買収されることになり、ジョブズはディズニーの筆頭株主にもなった。取締役にも就任した。

 エリンは10代半ばで、2010年のアカデミー賞授賞式に父といっしょに行きたいとねだったが、聞いてもらえなかった。だがジョブズは、エリンを京都に連れていくという約束は果たすことができた。

 もともとは2008年に計画していたが、ジョブズの病気で中止になっていた。2010年になり、今回もいったんは無理ということになったが、7月に実現できたのだった。

 リサのときと同じくエリンも、父とすしやそばを食べ、禅寺を訪れて、親子の絆を実感することができた。エリンはアイザックソンに、自分にとっていつも良い父親というわけではないと認めたうえで、それもいいのだと言った。p315「人生」

 「日経おとなのoff」を読んだ時は、伝統的禅宗の仏閣など関係ない、と思っていたが、こうして見てみると、ジョブズもまた2010年8月という、ごくごく最近日本を訪れ、禅寺を訪問していたのだった。どこに行ったのか、興味しんしんである。

 最初は、とにかくシンプルな小学生向きのポプラ社ノンフィクションの「スティーブ・ジョブズ」を読んで、もうこれで十分と思っていたが、ここまでくると、アイザックソンによるジョブズ公認自叙伝を読みたくなった。

 図書館のウェイティブ・リストは満タンだが、いずかは読めるだろう。

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2012/06/27

スティーブ・ジョブズは何を遺したのか

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「スティーブ・ジョブズは何を遺したのか」
日経パソコン2011/12/12 雑誌 特集 8p
Vol.3 No.0745★★★★☆

 「日経おとなのoff」では、あんな形でジョブズを捉えていたので、さて、同じ日経の他の雑誌ではどのように取り上げているだろうと、こちらを見てみた。なかなか面白そうな特集だったのだが、実際は同じタイトルの日経BP社からでている林信行の単行本の再構成ということだった。

 それでは元本をと思ったが、近隣の図書館には入っていない。残念ながら、当面は読めないようだ。

 

 アップルのCMを見ていると、なんだか、大事なものを見逃した気になってきた。

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スティーブ・ジョブズの生き方<3> カレン・ブルーメンソール/渡辺了介

<2>からつづく


「スティーブ・ジョブズの生き方」 <3>
カレン・ブルーメンソール/渡辺了介 2012/03 あすなろ書房 単行本  349p 

 最後にジョブズは、大人の決断をした。1991年3月18日、ジョブズとパウエルは、ヨセミテ公園のロッジで結婚式を挙げた。式を執りおこなってくれたのは、ジョブズがずっと以前から心の師と仰ぐ禅宗の僧、知野(乙川)弘文だった。ウェディングケーキは厳格なベジタリアンでも食べられるもので、50人のほどの参列者は式のあと、雪が降る中を散策した。p177「家族」

 少なくともこの時点では知野の名前は明確にでてくる。「心の師」とさえ表現されている。ここでもやっぱりベジタリアンにこだわっている。ベジタリアンのライフスタイル、それはそれでいいのだが、ベジタリアンの人はなんだか病気に弱くて早死にするようなイメージがある。ジョブズも56歳と7ヵ月で膵臓ガンに倒れた。

 アップルを離れたあと、ジョブズは厳格な菜食主義に戻っていた---ただし、すしはずっと大好物だった。東京でも、ジョブズはリサをホテルの地下にあるすし屋に連れていき、塩とたれの穴子をいっしょにつまんだ。p183

 すしを食ってもいい「厳格」な菜食主義なら、私もやれるかもしれない(笑)。

 マイクロソフトが成功をほぼ手中におさめたことは認めたものの、こう付けくわえた。
 「マイクロソフトが三流の製品しか作らないことが、がまんならないんだ」
 このインタビューのあとジョブズは、心の中で思っていることを公の場でぶちまけるべきじゃなかった、とゲイツに謝った。だが、その舌の根も乾かないうちに、ゲイツのことを「ちょっと人間の器が小さい」と評し、「若いころにヒッピーのコミューンに入りびたった経験」でもあれば、もう少し大きな人間になっただろうに、と記者に語っている。
p224「ディファレント」

 1955年生まれの二人は1970年当時15歳。まだまだ「ヒッピーのコミューンに入りびた」れる年齢ではなかった。ジョブズはその点、早熟だったといえる。むしろ、ジョブズはその60年代的影が薄いだけに、コンピュータ・ビジネスに邁進した(邁進できた)ということもできるだろう。

 クレイジーな人たちがいる。反逆者、厄介者と呼ばれる人たち。
 四角い穴に丸い杭を打ち込むように、物事をまるで違う目で見る人たち。
 彼らは規則を嫌う。彼らは現状を肯定しない。彼らの言葉に心を打たれる人がいる。反対する人も、称賛する人も、けなす人もいる。
 しかし、彼らを無視することは、だれにもできない。なぜなら、彼らは物事を変えたからだ。彼らは人間を前進させた。
 彼らはクレイジーと言われるが、私たちは、天才だと思う。自分が世界を変えられると本気で信じられる人たちこそが、本当に世界を変えているのだから。
p231「ディファレント」

 アップルに復帰したジョブズがまず行ったCM作戦。5年間も放映されたという。

<4>につづく
 

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「『禅』の世界へ」 日経おとなのoff 2012年6月号<5>

<4>よりつづく 


「『禅』の世界へ」 日経おとなのoff 2012年6月号 <5>
日経おとなのOFF編集部 2012/05 雑誌

 次の人達のリクエストも入っているようだし、この本が入口ではあったとしても、ジョブズ本人の追っかけのほうにウェイトが掛かっていきそうなので、一旦、この本は返却しよう。その前に、気になったことだけをランダムにメモしておく。

1)表紙を開けると一番最初にゴルフクラブの広告がある。これを似つかわしいと思うか思わないか。私はこれはこれでいいと思う。白洲次郎を連想することもあるし、弓道を連想する場合もある。ゴルフ道なんてものもあっていいとは思うが、私のライフスタイルではなかった。

2)目次をめくると「巨人の星」大リーグボール誕生秘話、などというものがでている。坐禅を組んだ星飛雄馬が、警策に打たれながらのひらめき、ということになる。中学生時代は、このマンガにぞっこんだった自分のことを思い出す。

3)村岡正剛は相変わらずである。いつか、彼の「編集術」とやらに突入しようと思う。

4)スティーブ・ジョブズと禅。知野(乙川)弘文や漫画「ゼン・オブ・スティーブ・ジョブズ」が紹介されている。ということは、これ以上のジョブズ=禅、の資料は出てこないのかな。

5)「日本の三大禅宗」なんてところも、別にキチンと理解しているわけではないが、このような学習は、もう必要ないのではないか、と思う。日本の仏閣リストしかり。

6)「禅」が生んだ日本文化、なんてところも、面白くないわけではないのだが、いまはいいや、という感じ。

7)読んで「禅」修行、のところで、鈴木大拙「禅と日本文化」、鈴木俊隆「禅マインドビギナーズ・マインド」、玄侑宗久「禅的生活」の三冊がノンフィクションとして紹介されているのは、我が意を得たり。フィクションとしては、「禅とオートバイ修理技術」、サリンジャー「フラニーとゾーイー」、京極夏彦「鉄鼠の檻」の三冊がフィクションとして紹介されている。

8)アートとしては、横尾忠則「黒いY字路10」、マーク・ロスコ「シーグラム壁画」が紹介されている。

9)音楽や映画として、レノンの「LOVE」、ジョン・ケージ「4分33秒」、道元の人生を描いたDVD「禅 ZEN」の三点が紹介されている。

10)「十牛図」が教える悟りへの道、では、また独特な味わいの絵を並べている。村越英裕という1957年生まれの人が解説している。

11)超訳 禅の言葉、では、「超訳 ニーチェの言葉」の白鳥晴彦が解説している。「超訳 禅の言葉」という単行本があるわけではないようだ。 

 その他、公案だとか禅語だとか、さまざまなことが網羅されている。あまりにごちゃごちゃと何でもつっこんでしまった嫌いがある。全然シンプルじゃない。

 だけど、やっぱり、つっこみどころ満載で、やっぱり我が書棚にも一冊欲しいかなぁ、と思う(笑)

<6>につづく

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2012/06/26

スティーブ・ジョブズの生き方<2> カレン・ブルーメンソール/渡辺了介

<1>からつづく


「スティーブ・ジョブズの生き方」 <2>
カレン・ブルーメンソール/渡辺了介 2012/03 あすなろ書房 単行本  349p 

 簡単にマック派なんて読んでいたが、その語源となるマッキントッシュとは、リンゴの品種の名前が語源になっていることをこの本で始めて知った。なるほどそうだったのか。それにしても、どこまでジョブズはベジタリアンだったのかは不明だが、ベジタリアンだからこそできたリンゴのマークであったし、あれほどまでの執拗な創作劇であったのかもしれない。

 時代を追っかけながら、ジョブズのことを考えてみると、とにかく10代の時にすでに、無料で電話をかけられる器具を作って売りさばいていたというだから、相当な事業意欲の持ちぬしであったことは間違いない。

 そしてアップル1で20歳そこそこの時、、すでに膨大な資金を蓄えるようになった。共同創業者だったウォズにアックは、飛行機事故を契機にビジネスから去っていく。そこそこの生活ができればそれでいい、見切りをつけたのだ。

 それに反してジョブズは、次々とビジネスを展開していく。限りない事業欲というべきか、大いなる不満分子というべきか。どこまでも、どこまでも突き進む。

 Oshoは「マーケット・プレイスでの瞑想  The Osho Upanishad 」で語る。

 マーケット・プレイスに行きなさい。自分のマインドを観る者になる方法を、人びとに教えなさい。だが、自分の欲望に満足する方法を人びとに教えてはいけない。ほんとうの満足が到来するまで、人びとにより大きな不満を抱かせなくてはならない。あなたが彼らを満足させるなら、彼らに、ほんとうの満足はけっして到来しない。にせもので満足してしまったら、そのこと自体が障壁となる。Osho 

 ジョブズの飽くなき創造はどこからきたのだろう。

 たいていの人は、そこでやめてしまう。しかし、重要なんは、さらに考え続けることだジョブズは言う。最終的にめざすのは、「問題の根本にある原理原則と、いわばぐるりと一周回って元に戻ったような、実際に機能する美しくてエレガントな解決方法」を見つける方法だ。

 おそらくは禅を学んだ影響だろう、ジョブズは、製品に何かを盛り込むかと同じ集中力で、製品から何を削りおとすかにも心を砕いたのだ。p127「海賊」

 うん、なるほど。禅の影響もあるのだろうか。私はむしろ、ベジタリアン的な執拗さを感じる。

<3>につづく

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「『禅』の世界へ」 日経おとなのoff 2012年6月号<4>

<3>よりつづく 


「『禅』の世界へ」 日経おとなのoff 2012年6月号 <4>
日経おとなのOFF編集部 2012/05 雑誌

 禅とジョブズの繋がりということで、この本をきっかけにいきなりジョブズ追っかけに入った当ブログではあるが、やはり、一番最初にこの雑誌に持った違和感は、必ずしも個人的な不具合というわけではなさそうである。

 小学生向き中学生向き、そして一般向けのジョブズの伝記などを読んでいると、やはり必ずしも、禅とジョブズは直線的には繋がっていない。ケイレブ・メルビーのコミック版「ZEN OF STEVE JOBS」と、言われたように鈴木俊隆の「禅マインド・ビギナーズ・マインド」を熟読していたのかどうかも、あやしくなってくる。

 
 アマンダ・ジラー「世界を変えた! スティーブ・ジョブズ」あたりでは、むしろ鈴木俊隆に対する否定的な記述さえ残されている。 一時スティーブが会社の宗教顧問をさせていたとされる乙川(知野)弘文は、鈴木俊隆の後輩にあたり、その招聘によってアメリカに渡ったわけだが、必ずしも本国の伝統にハマっていた僧侶ではなさそうだ。

 アメリカに渡って、二度に渡ってアメリカ人女性と結婚し、最後は62歳でスイスに旅行中に、幼い娘と事故死している。

 後半生のジョブズは、必ずしも禅との繋がりを積極的に持ち続けていたとは思えない。こちらの「日経おとなのOFF」の表紙にある、「スティーブ・ジョブズ”伝説のスピーチ”は禅の教えそのもの」なるコピーなどは、どうも取ってつけたようで薄気味悪い。

 この号はなかなか魅惑的でつっこみどころ満載のようであるのだが、結局は、日本版のフェイクな一冊と言えるのではないか。気付いてみれば、去年の10月にジョブズが亡くなって以降、たくさんの雑誌がジョブズ特集を組んでいるので、遅ればせながら、なんとか理由をくっつけてジョブズを引っ張り出した、というのが実際のところではないだろうか。

 それにしても、よく数えてみると、ジョブズは56歳と7ヵ月の人生だった。

 この雑誌、なかなか魅力的ではあったのだが、購入してまで手元におくかどうか今まで悩んでいたwのだが、やっぱり、そこまでする価値はないのではないか、と思うようになった。むしろ、沢山でているジョブズ本を追っかけて、その中に、もっと面白そうなことを見つけたほうがよさそうだ。

<5>につづく

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スティーブ・ジョブズの生き方<1> カレン・ブルーメンソール/渡辺了介


「スティーブ・ジョブズの生き方」 <1>
カレン・ブルーメンソール/渡辺了介 2012/03 あすなろ書房 単行本 349p
Vol.3 No.0744★★★★★

 最初は小学生向きのジョブズの伝記を読んでいたが、少しづつグレードアップして中学生向き、そして、これはすこしマトモかなというところまできた。ストーリーはそのままだが、すこしづつディティールが細かくなっている。

 読み始めたばかりだが、突然、ジョブの読書のことがでてきたので、まずはここを抜き書きしておく。

 ジョブズの大学時代の読書リスト

「ビー・ヒア・ナウ」リチャード・アルパート(現在はラム・ダス)
「あるヨギの自伝」パラマハンサ・ヨガナンダ
「宇宙意識」リチャード・モーリス・バック
「タントラへの道ー精神の物質主義を断ち切って」 「仏教と瞑想」チョギャム・トゥルンパ
「小さな惑星の緑の食卓」フランシス・ムア・ラッペ
「無粘液食餌療法」 「合理的な断食」アーノルド・エーレット
「禅へのいざない」鈴木俊隆 
p051「大学」

 1955年生まれのジョブズだが、小学生の時に一学年飛び級しているし、制度の違いもあるので、正確ではないが、1972年17歳でオレゴン州ポートランドのリード大学にしたことになっている。

 しかし、一学期で卒業したということになっているが、一年半の間、大学をうろついていた、と講演では語っているようだ。この短い期間で上記の本をすべて熟読する、ということにはならなかったであろうが、もし、感受性豊かなこの年代で、一冊一冊に影響されたとしたら、飛んでもないことになってしまう。

 ドラックカルチャーあり、インド哲学あり、チベット密教あり、禅あり、文学あり、菜食主義あり、断食あり。もちろん読んで読めないことはないが、本当に自らの生き方として取り入れることは不可能だ。しかしその「生き方」を求めていたジョブズの姿勢はこのリストからも察することができる。

 このリストはいつどの段階で、誰がまとめたのかを知りたいが(たぶんそのうちわかるだろう)、日本においても上記の本を読むことができるが、殆どの本は1972年の時点では邦訳されていない。

 「ビー・ヒア・ナウ」(1979/01 平河出版)は、1970年当時、日本の学生の本棚には必ず吉本隆明があり、アメリカの学生の本棚にはババ・ラム・ダスのこの本があったとされる、時代を象徴する一冊。

 「あるヨギの自伝」(1983/09 森北出版)は、当ブログ未読である。その存在は知っているし、複数の人が推薦されている。

  リチャード・モーリス・バック(1837~1902)  と「かもめのジョナサン」のリチャード・バックが混同していた。いつか読もうと思っていたが、こちらの「宇宙意識」」 (2004/02ナチュラルスピリット) の出版社の色合いが、いまいち私の好みではないので、後回しになっていた。近日読んでみよう。

 チョギャム・トゥルンパ は当ブログで追っかけ済み。あの時代性の中で語られる価値はあるが、道半ばで倒れた、というイメージはある。

フランシス・ムア・ラッペとアーノルド・エーレットは、当ブログ、ノーマーク。食事については鬼門である。私自身もいろいろ実験して、大きな障害を受けたことがある。結論としては、普通の雑食が一番、というものだった。しかし、この辺で再点検かな?

 鈴木俊隆の「禅へのいざない」(1998/06 PHP研究所)は現在追っかけ中。ケイレブ・メルビーのコミック版 「ZEN OF STEVE JOBS」(2012/02 集英社) なんてのもあるが、つっこみが足らない。

 思えば「世界のスピリチュアル50の名著」(T.バトラー・ボードン 2007/09)なんて本も読みかけのままだったが、ジョブズの大学時代の読書リストとかなりの部分がかさなってくる。これらの文化の中で彼が育まれていったのだ、ということがよくわかる。

<2>につづく 

 

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2012/06/25

ジョブズは何も発明せずにすべてを生み出した 林信行


「ジョブズは何も発明せずにすべてを生み出した」 
林信行 2012年02青春出版社 新書 172p
Vol.3 No.0743★★★★☆

 ちょっとアイロニカルなタイトルではあるが、実際は最大限にジョブズを評価する評論者による、行きすぎたジョブズ偶像化を危惧する、迫真の一冊である。

 当ブログにおいて著者の本は、「アップルとグーグル 日本に迫るネット革命の覇者」小川浩との共著 2008/04 インプレスR&D)、「進化するグーグル 世界を掌握する"未来戦略”」(2009/01 青春出版社)、「iPadショックiPhoneが切り拓き、iPadが育てる新しいビジネス」  (2010/5 日経BP社) などを読んできた。

 当ブログにおいては、もう科学やIT関連の本を読むのはやめよう、と決断したのだが、テーマ「Meditation in the Marketplace」の進行上、またまた、こちらのほうに押し流されてきた。実は大変気になるし、読めばそれなりに面白いのだが、これではまたまた的が絞れなくなってしまいそうだ。

 ジョブズの個性、あるいは特性は、まずはその生い立ちにあるだろうし、才能にある。そして、近くにシリコンバレーがあって、興味を持てるコンピュータ文化や、60年代カルチャーとの出会いがあっただろう。

 その後も、ビジネスや経営者として卓越した実績を遺したのは、確かに本人の才能と努力によるものである。

 マウスだって、GUIだって、あるいはネットミュージック配信だって、本当はジョブズが最初に発明したわけではないのだが、それをセンセーショナルなパフォーマンスによってビジネスラインに乗せた才能は卓越したものである。

 私個人は、21世紀になってからのアップルは、あまり接点を持っていなかった。音楽中心の若者文化となり、老境を迎えんとする我が身とは、かなりのギャップを感じるようになった。

 それでも、それらを指揮し続けるジョブズは同世代の騎手として、もうすこし生存していて欲しかったが、まぁ、これが寿命というものなのだろう。

 彼の伝記を読めば、かなり権力志向で強圧的であるので、同じ職場にいることは私などには最初からできなかったであろう。だが、こういう強いリーダーシップをもった人間でなければ、これほどまでにイノベーションすることも出来なかったのも確かであろう。

 この本に於いてはZENのことには触れていないが、マズローの自己実現のステップなどについては語られている。しかし、これらは後付であって、そもそもは、スティーブ・ジョブズという強烈な個性があってこそのアップルであった。

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2012/06/24

ZEN OF STEVE JOBS <1> ケイレブ・メルビー/ジェス3


「ゼン・オブ・スティーブ・ジョブズ」 <1> ZEN OF STEVE JOBS
ゼン・オブ・スティーブ・ジョブズケイレブ・メルビー/ジェス3 集英社インターナショナル/集英社2012/02 単行本 87p
Vol.3 No.0742★★☆☆☆

 漫画。あちらのイラストレーターが漫画を書き、吹き込みの部分を翻訳した本。タイトルがなにやらすごかったので、期待したが、内容はいまいち。本当は★3くらいつけたかったが、期待が大きかっただけに落胆分だけ評価は低くなった。

 ジョブズが師事したのは、「禅マインド・ビギナーズ・マインド」の鈴木俊隆ではなく、その後輩筋にあたる乙川(知野)弘文だった。1938年、寺の三男にうまれたが、7歳で父と死別、ほかの寺の養子となった。長じてアメリカにわたり禅センターの指導にあたったということだ。

 ジョブズとは長く交流が続き、1990年代にはNEXT社の「宗教顧問」もつとめたようだが、21世紀になったあたりでは、二人の交流は途絶えていたようである。アメリカの女性と二度結婚し、2002年、64才で事故死している。

 漫画自体は、いわゆるアメリカンコミックだが、途中、製本ミスで落丁本かな、と思うほどに時代系列を乱している。もちろん効果を狙ったうえでの話しだろうが、あまり効果をあげているとも思えない。

 ほかの書に見えない一面がこの本でわかることはよいが、必ずしも禅やZENについて、深まっていくような気もしない。ジョブズのある一面が補強されている、というところ。

 科学と芸術をつないだと評されるジョブズ、その中に割って入ることができるのか、その意識。その可能性の片鱗を垣間見る足がかりのひとつと見ることは可能である。

<2>につづく

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世界を変えた! スティーブ・ジョブズ アマンダ・ジラー/星野真理


「世界を変えた!スティーブ・ジョブズ」 
アマンダ・ジラー/星野真理 2012/03 小学館 単行本 182p
Vol.3 No.0741★★★☆☆

 こちらの一冊も漢字にルビが振ってある。小学校の図書館に入ってもいいような一冊だ。ただ、いささか長すぎる。小学生では飽きてしまうかも。中学生にちょうどいいような内容。でも中学生だったら、ルビはいらないよなぁ。

 ジョブズの人生は成功した人生だったのだろうか。成功と失敗と、ふたつに人生を分けることはできないが、あらためてこうしてジョブズの人生を振り返ってみると、からずしも、うらやましい~と羨望するような人生ではなかったのではないか、と私なら思う。

 最初から養子に出されるという人生のスタートがあった。60年代カルチャーの波の中で、ヒッピーカルチャーやZENとの出会いがあった。コンピュータの波があり、人生の悲喜劇があった。人間関係やビジネス上のあれこれ。決して順風ばかりに押された人生ではなかった。

 科学と芸術をつなげた男、という評価もないではないが、果たしてそうだっただろうか。彼は技術者(もどき)ではあったかもしれないが、かならずしも科学者ではなかったのではないか。そして、芸術家(もどき)ではあったかもしれないが、デザイナーですらなかったのではないか。

 経営者としてのパフォーマンスは優れていたようだ。この本では市場価格世界一の企業を作り上げた、となっているが、どうもこの辺の評価は株価や世間の評価の瞬間風速によるもので、必ずしも鵜呑みにはできない。

 同時代を生きてきた人間として思うことは、パソコンをつくったと評されるジョブズではあるが、もしあの地点でジョブズがつくらなくても、いずれは誰かが作ったと思われるのである。あるいは、マウスにしても、タッチパネルにしても、いずれはそういう流れにならざるを得なかったのではないか。 

 ただ、事実として、それを早め、それを推進した、そういう現場にジョブズは確かに立ち会っていた、とはいえそうだ。

 この本ではむしろ、別な面のメモを残しておきたい。

 ジョブズとコトケがいっしょに読んだ本のうちの一冊、「あるヨギの自叙伝」では、著者のパラハンサ・ヨガナンダが、1894年1月のクンブメーラに参加したことをつづっている。ジョブズが伝記「スティーブ・ジョブズ」の著者に語ったところによると、ジョブズが自分のiPad2二ダウンロードした本は、この一冊だけだった。

 これは「十代のころにはじめて読み、インド旅行中にまた読み、その後も毎年読み返してきた、瞑想と精神世界への案内書」だとジョブズは語っている。ジョブズにとって、この本で知った祭りを自分の目で見ることは、わくわくするような体験だったにちがいない。p60「精神の目覚め」

 ジョブズの精神性については、ZENとのかかわりが取りざたされているが、なにはともあれ、こういう形でインド文化とのふれあいが、まずは登場している。

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2012/06/23

ヒーリングライフ 人と地球を癒す音<2> 宮下富実夫

<1>からつづく

Hl_2
「ヒーリングライフ」 人と地球を癒す音<2> 
宮下富実夫 1998/08 春秋社 単行本 CD付 p205 関連リスト

 当ブログのテーマ「Meditation in the Marketplace」の進行のなかで、残った三冊の一冊として読み直してみる。特にほかの二冊にくらべ、この本には「Meditation」の意味合いが強く、いきおいこちらの期待も高まる。

 しかしながら、この本から受けるイメージはあまり広がらない。ヒーリング=治療、という意味合いが強く、ましてやこの本においても健康や長寿であることが幸福の条件のように書かれていながら、そのご本人は、この本を書いた数年後にガンでなくなってしまった、という事実を知ってしまっているからだろう。

 瞑想とは自分のうちに宿る瀬なる自分と神意識が一体となり、そして、すべての感覚、感情を超え、静寂の息吹に包まれ、癒されたやすらぎの状態に到達することであり、自我意識を超越することです。

 自分がまだ瞑想していると意識している間は、自我意識が働いているので真の瞑想にはなりません。

 瞑想していることすらも忘れ、意識しない状態に到達するためにはどうしたらよいのでしょうか。

 それは淡々とした毎日の生活のなかで、自我意識の心にとらわれることなく、そして内なる良心に恥じることのない行動のなかで大自然と一体となり、不平、不満の意識の壁を超え、愛に満ちあふれた感謝のなかにある、癒しとやすらぎの聖なる波動を絶えず自分の内に納めていくことの実践です。p110「瞑想法 瞑想とは」

 人には人の表現形態がある。ある程度の自由の幅がある。ましてや瞑想やその境地についての表現はまちまちだ。どれが正しいとはいえないし、そうであってはならない、ということはない。だがしかし、それにおいても、ここに書かれている内容は、正しいようでもあり、完璧に失敗しているようでもあり、少なくとも私は納得しない。

 文字面はこれはこれでいいのだ。ある意味、これ以上語ることなどできるわけがない。だが、どうもタイトである。哲学過ぎる。どうも広がりがない。何度も何度も読み返して、含蓄を味わうという面白みのない文章だ。

 父の日プレゼントのiPadnanoとサウンドボックスの組み合わせから、わが0円オフィスに流れている音楽は宮下富美夫だ。図書館から借りだした20数枚のアルバムを全曲入れて、シャッフルしているので、営業時間、ずっと流しつづけていても邪魔にならないし、飽きない。

 外出時には明りは消していくが、音だけは流している。節電のこの時代に、ちょっともったいない気はするが、流動するこの空間にこの音を沁み込みさせていくことは、とても大事なのではないか、と直感する。

 実際この頃、直観力が高まったような気がする。それを感じることが2・3続いた。あれ、何事?と思うようなことである。これはこれで、彼がいうところの右脳が活性化されているのかもしれない。いや、こういういい方は失礼になるかもしれない。0円読書0円ブログのせめてもの恩返しとして、宮下富美夫のヒーリングミュージックは私にぴったりだ、効果抜群、と断言しておこう。

 だが・・・・、と私はひとりごちる。ここで終わらない。当ブログは次のステップを踏まなければならない。

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2012/06/22

スティーブ・ジョブズ ポプラ社ノンフィクション


「スティーブ・ジョブズ」 ポプラ社ノンフィクション
パム・ポラック/メグ・ベルヴィソ 2012/01 ポプラ社 単行本 111p
Vol.3 No.0740

いいですねぇ、ここまでシンプルに語られると、ついつい、もうこれでいいじゃないか、と思える。ついついレインボー評価。漢字にルビまで振ってある。これは小学校の図書館に入っても大丈夫。少なくともジョブズという人のことは分かる。

 シンプルであったとしてもやはり56年という人生は長い。いろんなことがあったね。ほとんど同時代を同時に生きてきた人だからね。落ち度はいろいろ知っているし、彼の製品のマイナス面もよく知っている。

 それでもやっぱり、ジョブズはジョブズの、自分のできる仕事を最大限にしたのだな。

 関連リストを作っておこう。

スティーブ・ジョブズ関連リスト

「Zen Mind, Beginner's Mind  禅へのいざない」 鈴木俊隆 鈴木俊隆 (著) 紀野 一義 (翻訳) 1998/06 PHP研究所 
「Mr.インクレディブル」 ディズニー/ピクサー 2006/06 ウォルト・ディズニー・ジャパン(株)ポニーキャニオン
「ルイスと未来泥棒」 2008/04  ウォルト ディズニー スタジオ ホーム エンターテイメント DVD
「アップルとグーグル」 日本に迫るネット革命の覇者 小川浩 /林信行 2008/04 インプレスR&D
「アップルを創った怪物」 もうひとりの創業者スティ-ブ・ウォズニアック自伝スティ-ブ・ウォズニアック 2008/11ダイヤモンド社
「トイ・ストーリー」 ウォルト・ディズニー・ジャパン 2010/05発売  ・販売元: DVD1枚 ・収録時間: 81分
「トイ・ストーリー2」ウォルト・ディズニー・ジャパン 2004/04発売  ・販売元: DVD1枚 ・収録時間92分 
「AppleジョブズのiPod革命」 マッキントッシュ、ピクサー、iPodを生み出した男のカリスマの証明  伊藤伸一郎 2006/3
「iPhoneをつくった会社」ケータイ業界を揺るがすアップル社の企業文化 大谷和利 2008/08 アスキー・メディアワークス
「アップル、グーグル、マイクロソフト」 クラウド、携帯端末戦争のゆくえ 岡嶋裕史 2010/03 光文社
「iPadショック」 iPhoneが切り拓き、iPadが育てる新しいビジネス林 信行 (著) 2010/5 日経BP社 
「iPhone4の使い方がわかる本」家電批評ビギナーズバイブル 2010/08
「禅マインド ビギナ-ズ・マインド」 鈴木俊隆/松永太郎 2010/08 サンガ
「タブレット革命」iPad登場でわかった“板型PC”の破壊力 松村太郎 2010/09 アスキー・メディアワークス
「iPhoneとiPadが、ちゃんと使えるようになる本」 使っている人も欲しい人も必見! 特選街 2010年 11月号 マキノ出版 2010/10
「特集 ジョブズの辞任でどう変わる? 天才なきアップル」 ニューズウィーク日本版2011/9/7号 阪急コミュニケーションズ 
「スティーブ・ジョブズⅠ」The Exclusive Biography ウォルター・アイザックソン 2011/10 講談社 
「完全保存版 ジョブズ、天才の軌跡」 ニューズウィーク日本版 2011/10/19号 阪急コミュニケーションズ
「スティーブ・ジョブズ 超人伝説」 週刊ダイヤモンド 2011/10/22号 ダイヤモンド社
「特集 天才なきアップルを悩ます『神話』」 ジョブズ、偶像と実像 ジョブズ神話とアップルの真価 ニューズウィーク日本版 2011/10/26号 阪急コミュニケーションズ
「ありがとう、スティーブ」 CEOを退任したカリスマの流儀「残念ながら、その日がきた」 Mac Fan 2011/11号 
スティーブ・ジョブズⅡ」The Exclusive Biography ウォルター・アイザックソン 2011/11 講談社 
「スティーブ・ジョブズとアップルのDNA」Think different.なぜ彼らは成功したのか? 大谷和利 2011/12 マイナビ
「スティーブ・ジョブズ 奇跡のスマホ戦略」ポスト・Jobsのプラットフォーム戦争の勝者は? 石川温 2011/12 エンターブレイン/角川グループ
「スティーブ・ジョブズは何を遺したのか」日経パソコン2011/12/12
「解剖 アップルが仕掛けたデザインの魔法」 日経デザイン 2011/12号
「スティーブ・ジョブズ」 ポプラ社ノンフィクション パム・ポラック/メグ・ベルヴィソ 2012/01 ポプラ社
「ジョブズ伝説」 アートとコンピュータを融合した男 高木利弘 2011/12 三五館:
「図解スティーブ・ジョブズ全仕事」 桑原晃弥 2012/01 学研パブリッシング
「スティーブ・ジョブズってどんな人?」 ナム・キョンワン アン・ヒゴン 汐文社 2012/01
「ZEN OF STEVE JOBS」 ケイレブ・メルビー/ジェス3 2012/02 集英社
「ジョブズは何も発明せずにすべてを生み出した」 林信行 2012/02 青春出版社
「ジョブズの哲学」カリスマが最後に残した40の教え 竹内一正 2012/02 大和書房
「世界を変えた! スティーブ・ジョブズ」 アマンダ・ジラー/星野真理 2012/03 小学館
「Appleの正体」 スティーブ・ジョブズの最高傑作 マック・ファン 2012/03号マイナビ
「インサイド・アップル」 アダム・ラシンスキー 2012/03 早川書房
「アップルのデザイン」 ジョブズは“究極”をどう生み出したのか 日経デザイン 2012/04 日経BP社
「『禅』の世界へ」 日経おとなのoff 2012年6月号日経おとなのOFF編集部 2012/05
「Think Simple」 アップルを生みだす熱狂的哲学 ケン・シーガル 2012/05 NHK出版「Steve Jobs Special」ジョブズと11人の証言 NHKスペシャル取材班 2012/09 講談社
「アップル 驚異のエクスペリエンス」 ―顧客を大ファンに変える「アップルストア」の法則 カーマイン・ガロ 2013/1/24 日経BP社
映画「スティーブ・ジョブズ2013/11公開 gaga 
「WIRED×STEVE JOBS」 『WIRED』 保存版特別号 2013/10 コンデナスト・ジャパン

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Meditation in the Marketplace<7>マイストーリー2001/10/04

<6>からつづく 

「Meditation In the Marketplace」 

<7>マイストーリー2001/10/04

  私は三人姉弟の末っ子でしたから、結構いたづら坊主で、 冒険もずいぶんしました。 そんな私が、なぜ、今、保険コンサルタントの仕事をするようになったか、 振り返ってみると、ふたつの大きな事件がきっかけになっているようです。

 若い時の私は向こう見ずで、明日は明日の風が吹く、 という調子で、はたから見れば、相当危なっかしい生き方をしていました。 ヒッチハイクで日本一周したり、インドに渡って、仏教の修行をしたり……  ところが、アジアの旅から帰ってきて、勉強をやり直していた時、 病気になりました。 しかも、そうとう重い病気でした。 のどが腫れて、ご飯が食べれなくなったのです。

  最初原因が分からなくて、あちこちの病院に行きましたが、 最後は、大きな総合病院に入院しました。 なかなか良くならず、結局、半年入院しました。 幸い、放射線治療と食事療法でなんとか、快復することができましたが、 大変な闘病生活を味わうこととなりました。

  この時、初めて、生命保険のお世話になりました。と、言っても その保険は、家族が入ってくれていた保険でした。 ちょうど一年前、家族が知り合いの勧めで入っていたのです。 ちょっと前までは、3日4日の徹夜でも、土方のアルバイトでもこなしていた あんなに健康だった自分が、 病気になるなんて、考えてみたこともありませんでした。

  この時の体験が、保険とはありがたいものだなぁ、 と、つくづく思った最初の出来事です。 入院していた期間の治療費の他に、入院の身の回りの物を揃えたり、 家族の交通費などを払っても、まだ余裕があるくらいでした。

  でも、完治してから、5年後に家族が私に話したところによると 当時、私は、余命半年と宣言されていたそうです。 今、こうして、元気に生きていられるのは、 あの時、医療費や、家族の生活の心配もなく、 安心して治療に専念できたからではないか、と思います。 つくづく、保険のありがたみを、肌身で感じたことでした。

 二つ目の事件は、それからずっと後の事です。 結婚して、子供も二人できて、仕事に張り切っていました。 当時10人ほどの部下もいて、一生懸命働きましたので、マイホーム用の土地も買うことができました。

  そんな時、交通事故が起きました。知人の運転する車の助手席に乗っていた私は 車がガードレールにぶつかった拍子に、鞭打ち症になってしまったのです。 知人の脇見運転で、車も大した被害もなく、 ガードレールもほぼ無傷だというのに、 私だけ、鞭打ち症になって、今度は整形外科に入院することになって しまいました。 そして、4ヶ月も入院することになったのです。

  この時は、苦しみました。 首がとても痛かったのですが、それ以上に、仕事に影響がでて、 妻や子の生活のことを考えなくてはならないのが、つらい体験でした。 それでも、当時、幼稚園時だった子供が、休みの日にお見舞いにきてくれるのが、 うれしくて、さあ、早く直さなくては、と、一生懸命リハビリに励みました。

  実はこの時も、保険で助けられました。 セールスマンに言われるままに 無頓着に入っていた保険ですが、入院費や車の修理費なども含め、 ほとんどが保険金の支払いでまかなわれ、本当に保険というものは 良くできているものだ、と、痛感いたしました。この頃から、保険のことをもっと勉強しなくては、と、思うようになりました。  

 その後、仕事が軌道に乗って、おかげさまでマイホームも完成しました。 二人の子供も無事成長し、縁あって今こうして保険コンサルタントをしています。 私と同じ様な事故や病気の体験をされたお客さんも多く、 保険で助かった話を聞くと、この仕事をしていて良かったな、と思います。 今は、この仕事は私の天職だな、と思っています。

 仕事柄、いろいろな方々にお会いしますが、保険について、無関心なだけでなく むしろ、嫌いだと、言う人に、出会う時があります。 そんな時、私はシメシメと思います。なぜなら、こういう人にこそ、 保険のありがたさを伝えなくては、と 伝道者にも似た使命感が湧いてくるからです。

  保険を通じて、どなたとも友人になれ、生涯を通じて、おつきあいできるという この仕事を、私は愛し、誇りに思っています。(おしまい)

==============================================

 

<追記>
この文章は、15年ほど前のなにかの研修の時に、練習として作文させられたものだ。あまりこういう風にまとめることはないので貴重な一文である。10年ほどまえに自分のHPに貼りつけておいたのだが、この文章があることなどすっかり忘れていた。

 今回、あらためて発見して改訂版を書こうと思った。ですます調でもあるし、今思えば、随所に訂正の余地がある。もっと正確に詳しく書いておいたほうがいいのではないか、とも思った。

 だが、所詮マイストーリーである。プライバシーの公開はこの程度でいいだろう。すくなくとも骨子はこの通りなのだから、むしろ、当時の雰囲気を遺して、このままのほうがいいのではないか、と考え直した。(2012/06/22)

<8>へつづく

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行列のできる保険ショップがはじめて書いた 世界一やさしい保険の本 あなたにピッタリ!保険選びの決定版保 険相談センター

<1>からつづく

行列のできる保険ショップがはじめて書いた世界一やさしい保険の本
行列のできる保険ショップがはじめて書いた
「世界一やさしい保険の本」 <2> あなたにピッタリ!保険選びの決定版
保険相談センター  2010/09 東洋経済新報社 単行本 215p

 なかなかスタートしにくいテーマだが、ここでボヤボヤしていたのでは、洒落にならない。ここはサッサと通り過ぎるに限る。

 そう思ってまた開いたこの本ではあるが、おお、これはなかなか、これで面白いのではないか。どうやらこの本は「はじめて書いた」という触れ込みとは裏腹に「『超保険』解体新書」の後継とみることができる、とどこかで感じたが、その紐付けは弱い。

 そもそも個人の実名で書いてあるのではなく団体名で書いてあるので、そこはあまり追求しないでおこう。いずれにせよ、カテゴリ「Meditation in the Marketplace」の中で読みこむとした限りは、この本がここに位置している意味を考えなくてはならない。

 現代人においては保険は無縁のものではない。無縁の人など存在しない。例えば坂口恭平いうところの「0円ハウス0円生活」とて無縁ではなかろう。例えば土手の上から車が落ちてきて0円ハウスの中で生活していた人々がケガをして病院に担がれたとする。その時の治療代は自賠責保険からでることになるだろう。

 車を所有していなくても、その支払い先になる可能性は常にあり、その自賠責保険の制度を維持するにはそれなりの経費がかかる。今や自動車を所有していて任意保険に入っていない人も減ってきている。

 0円ハウスに火災保険や地震保険をかけている人はいないだろうが、一般にはローンを組んでマイホームを入手するには火災保険や生命保険は必須となる。3・11では地震保険がかなり活躍した。

 子供が生まれれば学資保険や医療保険が気になりだす。日本人の死亡原因のトップはガンだと知れば、ガン保険のことも知りたいと思うだろう。

 老齢になれば介護保険の仕組みがよくも悪くも気になり、年金制度もどうなっているのか、やきもきしている向きも多い。現在の日本政府を揺るがせている公的年金制度もすでに破綻していると同義なのであり、消費税増税で救う道しか本当は残っていないのだ。

 保険というキーワードはあまりにも広義過ぎる。しかもなおかつ、ひとつひとつが小難しく面倒くさい。そもそもあまりにもいじられ過ぎて、殆どだれも正確には分かっていないような状態にさえ陥っている、と私は見る。

 ケータイやスマホの料金体系があまりにも難しすぎると、私などは最初から最もシンプルなコースを選ぶようにしているが、保険システムの魑魅魍魎状態に比べたら、通信の料金体系など、まだま可愛いものだ。ましてや通話料の月1万に対して、保険は月5万以上はザラだから、ますます物事は重大だと言える。

 だからこそここで「世界一やさしい」保険の本が登場する。保険業法では他社との比較を営業で使うことは禁止されているために、本来「日本一」とか「世界一」などという言葉は控えめにしなければならないはずである。この本には会社名とか商品名が登場しないので、ギリギリ許される行為だろうが、本来比較しようのないものを比較して勝手に名乗っていることになる。

 10年以上前に自分のHPにアップしておいた「マイストーリー」という文章の中で、自分と保険の出会いをメモしておいたが、保険などというものと全く無縁であると思っていた自分は甘かった。保険は、現代地球人にとって、どこまでもついてくる。生まれてから死ぬまで。無縁な人はひとりもいない。

 であるなら、ここはすこし前向きに、キチンと把握する姿勢だけでも作っておかなければならない。小難しくて面倒くさいのは周知のとおりである。できれば目をそむけ避けてとおり、誰かに任せてしまいたい。

 だが、それでもなお自分で考え、自分で対処しなければならないことが多いのが保険というものである。そもそもその利益を享受するのは自分であるし、そのシステムを毎月毎年の保険料として維持していかなければならないのは自分自身である。

 「世界一」には誇張があるにせよ、「やさしい保険」というシステムが必要なのは本当だ。この本一冊だけ読んでも無理だろう。やはり相談にいかなくては・・・・・。そう思わせるのがこの本の目的である。

 実際には行列は出来ていないだろうが(これも誇張、まぎらわしい、場合によっては性質の悪いウソとなる)、行って相談しようと思わせるための、宣伝本である。

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VANから遠く離れて 評伝石津謙介 佐山一郎


「VANから遠く離れて」 評伝石津謙介
佐山一郎 2012/03 岩波書店  単行本 330p
Vol.3 No.0739★★★★☆

 VANといっても、IT関連データ通信サービスのバリュー・アディド・ネットワークのことではない。かつて一世を風靡したアイビーファッションのブランド「VAN」のことである。

 一般にはVANについてどれだけ記憶に残っているのだろう。私も中学生の頃にちょっとだけ意識したことがあったが、それはたしかにちょっとだけカッコよかったが、私のライフスタイルにはならなかった。

 著者は私と同学年の東京生まれである。たぶんマセたガキだったのだろう。稲の切り株の残る田んぼで草野球をやっていたようなこちらとは違って、あそこのデパート、あそこのショップと渡り歩いてVANを着ていたのだろうか。

 石津謙介はそのVANブランドを立ち上げた男である。1911年、岡山県生まれ、2005年、94歳でなくなった。相当な男子である。その男の一大絵巻として書かれているが、読みようによってはこの100年の時代の動きがわかるようになっている。

 私はこの人物についてはまったく知らないが、いつか「間違いだらけの車選び」で徳大寺有恒が、VANが倒産したあとの石津謙介「さん」が、ホンダのステップバンにセンスよく乗っていたのが、とてもかっこよかった、と書いていたのを読んだくらいだった。

 「さん」づけで呼んでいたことに、あの一言居士が、この人物を敬愛していたことを知ったが、VANもまた倒産したのだ、ということをもこれで知った。この本で、さらに細かいことを知ることになったが、まぁ、それにしてもだいぶ昔のことである。

 ある意味、この石津謙介という存在は、白洲次郎のかっこよさに通じるところがあるのではないだろうか、と思った。年代は10年ほどちがうが、何をやってもかっこよく見えてしまうオーラを放つ存在であったのかもしれない。

 そのVANが倒産したのは、基本的には米国流アイビールックが将来性を失い、60年代カルチャーの大波に飲まれてしまったのが遠因だが、こちとらは、その60年代以降のカルチャーに大乗りしたので、VANなど振り返ることすらなかった。

 もちろんVANジャケットなど着る気もなかったし、見ても少し嫉妬の気持ちをこめながらも、ダサいなぁ、と思っていたので、誰かからもらったVANのロゴのついたマフラーを一時所有していただけだった。

 さらにふと思う。当時、アメリカから日本にやってきていたゲーリー・スナイダーなどは、このVAN思想の真逆の流れにあったのではないか。アメリカに生まれて東洋思想に目をむけ、京都に住んで禅を学んだスナイダーに対し、日本の伝統文化の中に生まれながら、西洋ファッションに目覚めてアイビースタイルを提唱した石津謙介。

 東洋と西洋の文化が相互交流する第二次世界大戦後にあって、互いに交じり合う流れのひとつひとつに彼らはいたのではないか。そう思うと、今回、ここで、この評伝が登場してきた意味もすこしづつ理解できるようになった。

 VANというブランドは、後期には単に商標として売られていたようなので、そこに思想性は失われてしまったし、現在、そのブランドがどうなっているのか関心もないのだが、たしかにそこから「遠くはなれて」俯瞰した場合、自分たちが生きてきた時代というものが見えてくる。

 その思想に共鳴しようがしまいが、この100年という時代を推し量るときに、石津謙介はひとつの基線となってくれそうな気がする。

 

 

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2012/06/21

机の上はいらないモノが95%<2> 世界一シンプルな整理法 リズ・ダベンポ-ト

<1>からつづく


「机の上はいらないモノが95%」 <2> 世界一シンプルな整理法
リズ・ダベンポ-ト/川村透 2008/11 草思社 単行本 110p 

 再び読みなおしてみる。内容はいたってシンプルだ。わずか110ページの小冊子という趣き。なんなら、PDF何枚かで十分内容を印刷できてしまうのではないか、という内容。前著に比較しても、実にシンプル。あまりに装飾を落とし過ぎたのではないか、という内容。だけど、そのソリッドな感覚が、なかなか小気味いい。

 今回読み直して、気になったのは、内容よりもむしろ、「世界一シンプルな整理法」というところ。原著の原題はOrder From Caos for Student。前著の、「気がつくと机がぐちゃぐちゃになっているあなたへ」の原題はもともとOrder From Caos。どうも、草思社一流のタイトルの付け方で、邦訳のこの本が脚色されているようだ。

 世界一なんて、原著にはどこにもない。整理法なんてのはまともに読んだことがないが、かつては辰巳渚の「捨てる技術」なんてものが役に立った。最近は「断捨離」なんて言葉が流行しているが、まだ読んだことはない。

 草思社のセンスは、まぁ、許すとしても、Order From Caos の語感も悪くない。宇宙的な広がりを感じるのではないか。漫然と散らばっているような星たちも、実はそれぞれに、緻密な関係性を保っており、全体と一つになっている。そんなイメージがある。

 Googleの検索ワードを入力する欄が一個しかなくても、ジョブズが作ったiPadが単なる一枚の板に過ぎなかったとしても、そこに何もないわけじゃない。それこそ「世界一シンプル」な窓から、世界や宇宙のすべてが見える仕組みなのである。

 小さな無から、無限大までの広がりの演出。それが「世界一シンプルな整理法」という表現に結びついていくのではないか。あるいは、方向性はその逆でいいのだが。

 全体的で、網羅的であればあるほど、要点を押さえて、シンプル化していく。そのあたりがどうも肝要であるようだ。

 95%が要らないとしても、残り5%は貴重である。20個の内、19個は必要ない、ということなのだ。たしかに言われてみればそうなのだが、よくよく考えてみると、実は、その1個は20個を統合し要約したものになっていることがある。あるいは、その絞り込みのために、「世界一シンプルな整理法」がある、ということなのだ。

 たしかに後発のこちらのほうは「学生向き」に書かれている。読みモノとしては前著のほうが面白い。だが、とにかくシンプルなデスクトップに向かって、整理は続いていく。

<3>につづく

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「『禅』の世界へ」 日経おとなのoff 2012年6月号<3>

<2>よりつづく 


「『禅』の世界へ」 日経おとなのoff 2012年6月号 <3>
日経おとなのOFF編集部 2012/05 雑誌

 まず、この雑誌のこの号がなぜに磁力を持っていて魅力的に思えるのかを考えてみよう。一番最初は出会い方にあったと思う。町を歩いていて、ふと入った大型店舗のきらきら輝いている書店の雑誌コーナーで、「禅」という文字が異彩を放っていたこと。この最初のインパクトが強かったことは確かだ。

 次には、禅とジョブズと日経、という組み合わせ。禅だけなら、良書がたくさんある。ジョブズの伝記もあふれかえっている。日経もわが世の春を謳歌している。それぞれがそれぞれに自らの立ち位置をすでに獲得している。その、ともすればかけ離れたような三者の、妙なバランスが、大きな魅力になっているのだろう。

 しかし、禅は禅で、日本の禅はどこかガラパゴス禅となってしまっており、本誌でも伝統的な日本の禅を紹介しているが、これが単体では、なんの目新しいこともなく、磁力はぐっと落ちる。パワーも感じない。

 ジョブズもまた、決してマック派じゃなかった私などにとっては、必ずしも魅惑的な存在ではなく、そこに魅かれる理由はあまりない。ところが、ZENとのかかわりがあった、というところで、俄然、磁力が増すのである。

 日経もやたらと印刷物を出すので、あきれ返っているが、今回あらためて「おとなのOFF」という雑誌を作っていることを知った。ざっとバックナンバーの特集の名前をみたが、特段に面白そうとは感じない。

 この三者が出会ってこそ、初めてかもし出される魅惑的な部分が、私を今、困惑させているのだろう。

 禅はすでに確立されている。エスタブリッシュメントだ。だが、その悟りすました姿勢に、不備は残っていないのか。ガラパゴス化し、ZENとして再び問い直されようとしている動きに対して、積極的に関与しうるのか。

 ジョブズがかかわったとすれば、禅ではなくてZENであろう。ジョブズはZENの究極を味わったのか。導師でもなければマスターでもないジョブズに、なにもそれほどまでの要求をすることもないが、はてさて、言われるほどに、本当に彼にZENは影響を与えていたのか。

 さて日経。評論の時代から実務の時代に入って、日経はすこし悦に入りすぎているのではないか。ONだからこそ日経だったはずなのだが、ここでOFFなどとオダをあげていていいのか。

 禅、ジョブズ、日経のトリニティが、限りなく私を魅了したことは間違いない。ただ、単体だとどうしてもアラが見える。この三つが揃ってこそなし得る何かがある。だが、多分、一番不足しているのは、ジョブズについてだろう。

 ジョブズとパーソナルコンピュータを同義とするなら、多分不足はしていない。しかし、ジョブズは、もうひとつ別な価値を生み出した模様だ。PCを超えた何か、いわゆるiPadやiPhone以上の何かをすでに包含していたのではないか。そして、それを私は見逃し続けているのではないか。

 iPadのなんにもない単なるタブレットは、ある意味で、禅の一円相に見える。「いつの間にかぐちゃぐちゃになって」しまった机の上を、さっぱりとかたづけてしまったのである。ここに、ジョブズの強力なメッセージがあるのではないか。

 和文タイプライターや写植機以来のキーボード派の私としては、ガラケーもスマホも物理キーボード付属の機種を使っているが、まだまだ絞り込みが足らないのではないか。

 かつて、コマンド入力からマウス操作へと移行させ、フロッピードライブを外してしまったジョブズである。完全に物理キーボードを撃退しようとしていることに、かなり過激な反骨の精神が見える。

 禅、ジョブズ、日経。このトリニティの中で、まず外すことができるのは、日経だろう。日経は、マーケットプレイスという意味では重要なポイントだが、他に補完してくれるものがないわけではない。禅とジョブズというだけなら、他にも入口はある。

 次に外すとするなら、禅の伝統的なガラパゴス状況。お世話にもなったし、これからもお手本とせざるを得ない。しかしながら、禅→ZEN、そして一般的なスピリチュアリティへ、という図式で考えるなら、「禅」は捨ててもいい。

 さて、ジョブズだが、これもまたマック派ではない私にとっては、無視しても構わない位置にいることは確かなのだ。iOSがなくてもアンドロイドOSを使うだろうし、仕事じゃぁ、Winがなければニッチもサッチもいかない。

 ただ、例えばリズ・ダベンボードの「机の上はいらないモノが95%」などを読んでいると、まさに机の上であるパソコンのデスクトップなども散らかし放題ではないか。95%がそこになくてもいいものなのだ。そのポイントをジョブズは彼一流の美学で、徹底的に指摘しつづける。

 そういえば、21世紀に突入すると突然頭角を現したGoogleにしても、一番最初に現れるのは、検索単語を入力する窓の一行だった。ここから全てにスタートするわけだが、極めてシンプルになっている。

 「Meditation in the Marketplace<6>思い入れの三冊の後継、そして・・・」で選んだ三冊も、「世界一シンプル」、「世界一やさしい」、「人と地球を癒す」がサブタイトルである。統合シンプル化がキーワードである。

 統合やシンプル化は禅やZENの持ち味である。あるいは、マーケットプレイスにおいても、重要なファクターであることは間違いない。

 この雑誌からさらに前に行こうとすれば、まずは量的にジョブズを追っかけてみることが必要であろう。そして、そこには「世界一シンプル」や「世界一やさしい」や「人と地球を癒す」ヒントが隠されているかもしれない。

 そんな思いで、すこしジョブズ追っかけを始めてみようと思う。

<4>につづく

 

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2012年上半期に当ブログが読んだ新刊本ベスト10

2011年下半期よりつづく

2012年上半期に当ブログが読んだ
新刊本ベスト10 

(それぞれの本のタイトルをクリックすると、当ブログが書いたそれぞれの本の感想に飛びます)

第1位 

「原発ゼロ世界へ」 ぜんぶなくす
小出裕章京都大学原子炉実験所助教 2012/01 エイシア出版/出版共同販売 単行本 309p

第2位

「傷ついた日本人へ」 
ダライ・ラマ14世 2012/04 新潮社 新書 189p 

 

第3位

「宮沢賢治祈りのことば」 悲しみから這い上がる希望の力 
石寒太 2011/12 実業之日本社 単行本 223p

 

第4位

「原子力と宗教」 日本人への問い
鎌田東二/玄侑宗久 2012/03 角川学芸出版 新書 223p 

第5位

「南相馬10日間の救命医療」津波・原発災害と闘った医師の記録
太田圭祐 2011/12 時事通信社 単行本 197p

第6位
Photo
「3.11からの子育て」 「知らなかった」から半歩前へ
(月刊クーヨン増刊) 2011/12/10 クレヨンハウス [雑誌]

 

第7位

「フクシマは世界を変えたか」ヨーロッパの脱原発事情
片野優 2012/04 河出書房新社 単行本 295p 

 

第8位

「3・11後を生きるきみたちへ」福島からのメッセージ
たくきよしみつ 2012/04  岩波書店  岩波ジュニア 新書  226p

 

第9位

「巨大津波は生態系をどう変えたか」生きものたちの東日本大震災
永幡嘉之 2012/04 講談社ブルーバックス  新書 212p

第10位
1
「プロメテウスの罠」 原始村に住む <1>
福島川内村 漠原人 朝日新聞 2012/02/07 新聞連載記事

次点

「3・11とグローカルデザイン」 世界建築会議からのメッセージ 3・11 and Glocal Design  A message from the UIA
日本建築家協会・デザイン部会/編著 2012/03 鹿島出版会 単行本 167

次へつづく

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意識は傍観者である 脳の知られざる営み デイヴィッド・イーグルマン


「意識は傍観者である」脳の知られざる営み
スデイヴィッド・イーグルマン/著 大田直子/訳 2012/04 早川書房 単行本・ムック p368
Vol.3 No.0738★★☆☆☆

 「意識は傍観者である」。なかなか素敵なタイトルだ。長い旅路の結論としては、これで十分じゃないか。だが、神経科学者の著者は、その事実に驚き、戸惑いを見せる。あるいは、それを得意げに見せびらかす。

 原タイトルは、INCOGNITO The Secret Lives of the Brain。本来なら、「匿名 脳の知られざる営み」、ということになろうか。

 傍観者でも悪くないし、匿名でも悪くない。無名性、名づけようもないもの。それが意識である。「意識は傍観者である」。この結論はとうにでている。特に東洋においては、別にめずらしいものではない。

 あるいは、そこへ到達することこそ、人生の究極的な目的とさえされている。本書においては、たくさんの事例をあげながら、科学的アプローチでその結論に近づいていくが、それは、外的な思考を持っての飛行である。

 そのような結論を、言葉として得ることそのことが、西洋的姿勢の限界でもある。この素敵な結論を、自ら体感することこそ、いわゆる瞑想である。

 意識は傍観者である。だからどうした。そこからだ。それは当然のことなのだ。意識とは、丘の上の物見だ。路傍の傍観者であり、名前のない存在なのである。

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2012/06/20

「『禅』の世界へ」 日経おとなのoff 2012年6月号<2>

<1>よりつづく 


「『禅』の世界へ」 日経おとなのoff 2012年6月号 <2>
日経おとなのOFF編集部 2012/05 雑誌

 この雑誌のこの号は、どうしてまた、こうまで私を挑発するのだろう。新刊本コーナーにあった時は借り出すことはできず、私の前に一人リクエストしていて、ようやく私が借り出す番になった。私の後には、次の人が既に借り出しのブッキングをしている。私の手元にあるのは最長で二週間。

 そこまで問題視するのなら、買ってしまえばいいと、ネットストアを見てみるとすでに予約ができない状態。どうせ、書店に頼めば取り寄せてくれるのは分かっているのだが、どうも、この本、手元においていい本なのか、どうかいまだにわからない。

 買ってしまうのは簡単だ。だが、この手の本は、読まないままツンドクになってしまう可能性も高い。ぜひとも読まなくてならないものではないのだが、雑多な記事が雑然と詰め込まれているので、ちょっとづつつまみ食いして、あとはどうも完読したような気分にならないまま、いつかは忘れてしまうのだ。

 だから、気になる一冊ではあるが、買わずに、読みたくなったらまた借り出して、期限つきで精読して、また返してしまう、という手はありだと思う。

 それにしてもだ。この雑誌のこの号は、私の味方なのか敵なのか、それさえ分からない。なんという違和感だろう。なんという挑発だろう。吸い寄せられていくのか。撃退するのか。少なくとも、今のところ無視はできない。

 はっきり言えることは、この雑誌には矛盾がある。この雑誌には瑕疵がある。しかしながら、当ブログは、一雑誌をあざけることを主目的としているわけではない。もし、この雑誌の中に矛盾をみつけ、この雑誌の中に瑕疵があるとするならば、それは、私の中の矛盾であり、瑕疵である。この雑誌は、私自身の鏡になってくれるのではないか。そういう予感がする。

 この雑誌をどう読めばいいのか、いまだに検討がつかない。かつての「ウェブ進化論」のように、表紙から裏表紙まで、一カ月かけて取っ組み合いをすべきなのか。あるいは、ピンポイントで深掘りすべきなのか。

 時あたかも、当ブログは、テーマ「Meditation in the Marketplace」 を進行中であり、今日的究極の一冊として選んだのだ。当ブログの今後ばかりか、我が身の今後すら、この雑誌との格闘の中で見えてくる可能性がある。あるいは、その位の熱意を持ってしたら、路傍の石だろうが、イワシの頭だろうが、何かの返答をくれるだろう。

 とはいいつつ、なんにでもかんにでも興味を持てるわけではない。なにか磁力がなければ、一つごとに集中することはできない。すくなくとも、路傍の石に見入ることも、イワシの頭を信心することは私にはできない。

 だが、この雑誌はどうも磁力がある。他の号は知らず、この号はどうも捨て置くことができない。必要があれば、切り捨てなければならない。あるいは、いずれは自らの無礼を恥ずるようなことがあるのなら、みずから頭を下げて、教えを乞わなければならない。

 なんなのか、この挑発は。すこし、とっくみあってみよう。

<3>へつづく

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マーケット・プレイスでの瞑想 The Osho Upanishad <4>

<3>よりつづく 

Upanishad
The Osho Upanishad <4>
Osho (著) 1986/11 出版社: Rajneesh Foundation Intl ペーパーバック: 1032p 言語 英語, OSHO Internationai Newletter 2008/04からの転載

マーケット・プレイスでの瞑想

 Q:Osho,私は「マーケット・プレイスでの瞑想」というグループをリードしています。そのグループは、マインドがどのようにその人の現実をつくりだしているのかを、教える事を含んでいます。エクササイズのひとつは、欲望をかなえる方法を人びとに見せることです。欲望をかなえる方法を人びとに見せることは、彼らを瞑想の状態へと連れて行きますか? あるいは、彼らをますます瞑想から遠ざけてしまいますか?

 A:マーケット・プレイスでの瞑想とは、私のメッセージそのものだ。だが、あなたは、そのメッセージを誤解している。まず、瞑想とはマインドの中にあるものではない。世界はマインドの中にある。瞑想はマインドを超えたところにある。マインドは世界を創造するが、瞑想を生み出すことはできない。マインドがもたらすのは、不満、充足、快楽、苦痛、不安、苦悩、もしくは動物のような満足、水牛のような満足だ。だが、水牛は、瞑想の中にはいない。

 あなたの世界とは、あなたのマインドの投影だというのは正しい。だが、あなたは、人びとが、彼ら自身の欲望に満足するようになることを助けている。あなたは重大な質問をした。あなた自身のしていることが、人びとを瞑想に導くか、それとも遠ざけるかという質問だ。それは人びとを瞑想から遠ざける。あなたは彼らの友ではない。あなたは、人びとが、彼ら自身の欲望に満足できるようになるよう、彼らにいわば、毒を与えているのだ。

 瞑想への大切な一歩となるのは神聖なる不満であり、満足ではない。自分の金、自分の力、自分の評判に満足している人間が、どうして瞑想するだろう。あなたは人びとに阿片を、麻薬を与えている。

 大昔から、すべての宗教が、同じことをしてきた。人びとに阿片を与えること。人びとを満足させること。人びとに慰めを与えること。この世間に満足することには、宗教的な価値があると教えること。すべての宗教は、人びとに慰めを与えてきた。だが、慰めは宗教ではない。

 宗教は革命だ。そして、革命が、満足から生まれることはない。それは途方もない不満から生まれる……。

 瞑想をマーケット・プレイスにもたらすがいい。だが、瞑想とは、満足という意味ではない。いつかは満足がやってくる。だが、それは瞑想の出発点ではなく、瞑想の究極の開花においてもたらされる。瞑想が深まるにつれて、あなたはより静かになり、平和に満ちてくる。よりバランスがとれ、より中心が定まり、気づきが増し、意識的になる。それにつれて、満足はまるで影のように、あなたに付き従うようになる。だが、そうなるのはあなたの作為によってではない。

 私は人びとに満足を教えない。

 だが、これまでも人びとはだまされ、ペテンにかけられてきた。あなたが世間に入って、自分の欲望に満足する方法や自分の状態に満足する方法を人びとに教えるなら、あなたは人びとから愛され、尊敬されるだろう。だが、それによって、あなたは人びとの精神に鋭さを与えるわけでもなく、人びとに英知をもたらすわけでもない。あなたは人びとを鈍感にし、凡庸にする。ばかはいつでも満足している。

 あなたは、人びとが自分自身の存在を変容させるのを助けてはいない。その場合には、不満が必要だからだ。人は、自分を変容させるためには、どんな代償、どんな危険もいとわなくなるほど、世間に対して絶望しなければならない。瞑想とは危険なものだ。危険というのは、あなたのエゴが犠牲になるからだ。あなたが残るか、それとも瞑想が起こるかのどちらかだ。

 普通、あなた方は、「自分が瞑想する」と考える。あなた方には、瞑想という現象がわかっていない。あなたが瞑想することはできない。あなたは障壁であり、邪魔者であるにすぎない。瞑想に起こってほしかったら、あなたは消えなければならない。自分が重要だという考えは、捨てなければならない。

 無のごとき人間にならなければならない。あなたが無のごとくなったとき、沈黙があなたを訪れ、それにつづいて、満足がやってくる。それは、世間に対する満足ではない。存在に対する満足、星や、薔薇や、海や、岩や、山々に対する満足だ。それは、一国の大統領や首相になることによる満足ではない。世界一の金持ちになることによる満足でもない。それは、あなた方の野心の世界とは、まったく関係がない。それは、野心のない状態だ。完全に空っぽであり、あなた自身もいない。

 そのような空っぽさの中に満足がある。花が咲くのは、そんな時だけだ。だが、そのような満足は、神に属するものであり、あなたが求めて達成したものではない。あなたは、それが起こるのを許しただけだ。あなたは、その邪魔をしなかった。あなたは、中空の竹のように、竹笛のようになった。そして歌が自分を通り抜けていくのを許したのだ。それは、あなたの歌ではない。その歌に、あなたの署名はない。それは、存在そのものの歌だ。

 マーケット・プレイスに行きなさい。マーケット・プレイスに瞑想をもたらしなさい。だが、私の言うことを、正確に理解しなさい。瞑想とは、人びとを現状に満足させることではない。人びとを現状に満足させるとは、彼らに麻薬を与えること、「あなた方はみんな正しい。人生とはこんなものなのだから。みなさんは、すでに身に余るほどのものを受け取っているではありませんか」といった言葉で彼らを慰めることだ。人びとは、そんな言葉に、喜んで耳を傾ける。

 私は言いたい。変容の旅を始めるには、まず第一に、神聖なる不満が必要だと……。変容の旅を始めるにはまず、自分の生きている世界や、自分の演じている人格に、完全にうんざりしなければならない。巡礼は、途方もない不満から始めなければならない。そのような不満がないなら、人は容易に怠慢になる……。個人がより大きな不満を抱くようにさせなさい。「この不満、この苦悩を超えていく道が、どこかに見つからないだろうか」という疑問が、彼の中に生まれるまで。

 瞑想は、不満から、苦悩から抜け出すための道だ。あなたは、ただ観る者、ただマインドを観る者にならなければならない。あなたは、マインドが世界を創造すると言った。それは真実だ。だが、瞑想はマインドではなく、マインドは瞑想をもたらさない。瞑想とは、マインドの外に出ることであり、マインドを観る者、つまり、欲望、創造、想念、夢想など、マインドの中で進行するすべてのことがらを観る者になることだ。

 あなたは、ただ観るだけの者となる。だんだんと、この観る者は、力を増し、中心が定まり、深く根を降ろすようになる。そして突然、あなたは、ひとつのことを理解する――自分はこの観る者であり、マインドではないと。そして、もろもろの物象が自分の外にあるように、このマインドもまた、自分の外にあるのだと。世間はあなたの外にある。マインドもあなたの外にある。肉体もあなたの外にある。あなたは、もっとも深いところにあるものであり、すべてあなたの外にある。

 マーケット・プレイスに行きなさい。自分のマインドを観る者になる方法を、人びとに教えなさい。だが、自分の欲望に満足する方法を人びとに教えてはいけない。ほんとうの満足が到来するまで、人びとにより大きな不満を抱かせなくてはならない。あなたが彼らを満足させるなら、彼らに、ほんとうの満足はけっして到来しない。にせもので満足してしまったら、そのこと自体が障壁となる。

 マインドは超越されなければならない。マインドは、われわれが演じるべきゲームでもなければ、われわれの生きるべき世界でもない。われわれの生きるべき世界は、マインドを超えたところにある。マーケット・プレイスでの瞑想とは美しいアイデアだが、瞑想とは何かを、ただ知的にではなく、自己の存在をもって正確に理解しなさい。人びとと分かちあえる何かを、じかに体験しなさい。そのような体験がなければ、あなたは、自分の知らないことをくり返すオウムにすぎない。

 私は、自分の知らないことをくり返すことを、私のサニヤシンたちに禁止する。自分の知らないことについては、「私は無知です。知りません」と言った方がいい。その無知は、あなた自身のものであり、少なくとも、それは真実を口にしたことになる。あなたの自尊心は、他人から借用した知識をくり返すことを自分に許してはならない。それはあなたのものではなく、それを分かちあうことはできない。そもそも、あなたはそれを持っていないのだから。

 あなたが知っているすべてのことは、あなたのマインドの領域のものだ。だが、瞑想はハートの体験だ。だから、まずあなたのハートを歌わせ、踊らせなさい。瞑想の中で喜び、それからマーケット・プレイスに行きなさい。
Osho, The Rajneesh Upanishad, #33 より抜粋

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2012/06/19

Meditation in the Marketplace<6>思い入れの三冊の後継、そして・・・

<5>からつづく 

「Meditation In the Marketplace」 

<6>思い入れの三冊の後継、そして・・・

 前回の思い入れの三冊を思い出して、ふと気付いてみれば、5年前に、その名も「マーケットプレイス」というカテゴリで、連続してメモしておいたものだった。

「気がつくと机がぐちゃぐちゃになっているあなたへ」リズ・ダベンポ-ト/平石律子 2002/09 草思社
「新代理店経営戦略読本」  保険21世紀研究会(編) 2001/05 近代セールス社 
「『超保険』解体新書」 「超保険」研究会 2004/03 績文堂出版

そして、その他にも連続して何冊かの本をメモしておいたのだった。 

「日本版FPジャーナル」 2007年10月号(第92号)日本ファイナンシャル・プランナーズ協会
「新日本保険新聞」 新日本保険新聞社 2007/9
「代協活動の現状と課題」平成20年度版社団法人・日本損害保険代理業協会 
「ガントレーニングセミナー」 顧客をガンから守るムーブメント(仮称) 
「社労士Get」早稲田経営出版 2007/8 ・・・・・

 しかし、あの時は、それから展開しなかった。ひたすら、「マーケットプレイス」カテゴリは沈潜を始めた。理由はいくつかある。一番は、わが業界への社会的な突き上げが始まったことであった。コンプライアンスだの、不払いだのと、旗印はきわめて悪かった。

 反省すべきことは山ほどあった。もちろん個人でも足元を見直す必要があったが、業界全体としての不透明性も正すよい機会だった。この時から、大きく批判勢力に流れていった(つまり自ら裁判をおこしたりしている)業界人も身近にいる。

 ただ、当ブログはいちいちは業界ネタを追っかけることはなかった。そもそも、業界とは一線を画したライフスタイルをとっているし、ブログにまでこまかく書き付けるほどの面の厚さもなかった。ひたすら、業界の低空飛行を横目に、自分の世界を追っかけた。

 しかし、あのときもあの「思い入れ」の三冊からスタートしていたことにはおどろいた。つまり、この5年間、私の頭の中はあまり進化していないのではないか。あるいは、あの時に「中断」してしまった思いが、今再び頭をもたげてきた、ともいえるのではないだろうか。

 あの三冊はすでに時代遅れになっている。そこで、後継となるべき新たなる三冊を選んでみた。ただし今回のカテゴリ名は「Meditation in the Marketplace」である。単純な後継ではない。

S3

 リズ・ダベンポ-トの「気がつくと机がぐちゃぐちゃになっているあなたへ」の後継は「机の上はいらないモノが95%」だ。内容はほぼ同等だが、後者の方がよりシンプル化している。本家のほうも読み直してみると、ますます意味深い。気がついてみれば「世界一」シンプルな整理法、というサブタイトルがついている。

 「世界一」つながりでいえば、「世界一やさしい保険の本」もまた、「新代理店経営戦略読本」「『超保険』解体新書」 の後継とみなすことができる。団体名で書いてあって判然としないが、これは「『超保険』解体新書」の関係者が暗躍している。決して、行列のできる保険ショップが「はじめて」書いたわけではない。

 しかし今回は、「マーケットプレイス」だけではない。「Meditation in the Marketplace」カテゴリなのである。ここで加えておきたいのは、宮下富実夫「ヒーリングライフ」 人と地球を癒す音、だ。なぜか彼の音楽は、わが0円オフィス改造計画のバックで、ずっと静かに流れてくれている。だから本当は本なのではなくて音楽なのだが、あえて今回はこの本を選んだ。

 まずはここまでが途中経過だ。しかし、これらはまだま今日的ではない。途中経過だ。このラインの一番最近のところはどこだろう、と考えた。今日のところは、次のこの一冊に絞りこんでおきたい。

 Off

 「『禅』の世界へ」 日経おとなのoff 2012年6月号 スティーブ・ジョブズと『禅』 ~伝説のスピーチに見る禅の思想~

<7>につづく

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チベットの歴史と宗教 チベット中学校歴史宗教教科書 世界の教科書シリーズ チベット中央政権文部省


「チベットの歴史と宗教」チベット中学校歴史宗教教科書 世界の教科書シリーズ
チベット中央政権文部省/石浜裕美子 2012/04 明石書店 全集・双書 314p
Vol.3 No.0737★★★★★

 残念ながら、この本、一ヶ月にも手元にありながら、熟読ができなかった。再読を期す。

 そもそも小中学生の時から、地理や歴史は苦手だった。ましてや教科書となると、最初から逃げ出したくなる。自分が中学生の時の歴史の教科書など、いま引っ張り出してみたいと思わないだろう。

 そういえばリズ・ダベンポ-トの「気がつくと机がぐちゃぐちゃになっているあなたへ」を以前読んだ時に、それまで大事にしてきた学生時代の教科書をダンボールごと捨てたのだった。今となっては、ちょっと失敗したかな、と思うときもないではないが、結局、大事にしていたとしても、読みはしなかっただろう。

 この本はチベット中央政権文部省認定の教科書である。どうも、どこか堅苦しい。そもそもチベット文化は、60年代以降、カウンターカルチャー的取り扱いをされてきて、体系的なものよりは、もっと自由にトッピングできる、想像の世界的ニュアンスが強かったのである。

 バラバラに、あちこちかき集めることによって、自分の中に、自分なりの全体像が生まれていくのは楽しい。自己流であったとしても、そのプロセスを全部知っているのだから、愛着も湧く。

 逆に、自分の嫌いなもの、目の届かないものは、永遠に触れないことになる。そこに落とし穴があるが、自由に自分のイメージを広げることができるのは楽しい。

 この教科書は、さまざまな次元をひとつにまとめあげている。網羅的であるがゆえに、どこか平坦である。もちろん、中学生用なので、基礎となる部分をいちどおさえておきましょう、というレベルで、気になったところがあれば、あとで自分なりに深めていけばいいのだが。

 しかしながら、ふと考える。あれだけチベットやタントラを語ったOshoであるが、ツォンカパについては、いままでみたところでは一言も触れていない。むしろ、ツォンカパが登場する前までのチベットでそのスピリチュアリティの命脈は途切れてしまったような表現さえ目につく。

 ツォンカパの後継であるダライラマの系譜などには目もくれない。網羅的に集大成してしまうことで、なにかが失われてしまう。バイタリティ、原石の持つダイナミズム、生命そのもの、デリケートで壊れやすいもの、花のかおり、朝のしずく。

 この教科書は、順次並列化されてるだけに、なにかがおかしい。教育者や文部省御用達では、どこかお行儀がよすぎてしまうのではないか。ましてや、地理や歴史にとどまらず、「宗教」となると、これを順次まとめてしまうのは、完全に間違っているとさえいうことができる。チベット中央集権御用達の宗教教科書。やっぱり、どこか不似合いだ。

 転生魂・多火手は、チベット時代の16時のことを強く意識している。この10代における周囲の環境はきわめて重要である。700年前、このような教科書はなかっただろう。あったとしても、まったく別な形だっただろう。

 この教科書、多火手の目線で、もういちど手にしてみたいと思う。翻訳者の名前に石浜裕美子の名前が見えるのはうれしい。

 

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2012/06/18

TOKYO 0円ハウス0円生活 坂口恭平


「TOKYO 0円ハウス0円生活」 
坂口恭平 2008/01 大和書房 単行本 277p
Vol.3 No.0736★★★☆☆

 著者の本はこれで4冊目。2004年の「0円ハウス」も近々手に取ることができると思うので、それを見たら、総括と関連リストを作ろう。

 この本も面白くないわけではないのだが、着想の割には277ページと大作で、じっくり読んでいては、このゴミに自分の貴重な時間をとられる、という感覚になり、後半は急ぎ足になる。

 シャレになる部分と、そうでない部分とないまぜになる。とにかく著者は文章がうまいので、ついつい読んでしまうが、たとえば0円生活が成立していたとしても、たとえばこれは個人のプライバシーであるし、ここまで克明にレポートする必要があるのか、という疑問を持つ。

 そもそも、0円ハウスとか0円生活、という用語自体、大げさな表現が含まれている。私たちが若いときには、ヒッチハイクなんて言葉もなくて、無銭旅行といったが、実際には無銭ではなかった。

 それと同じレベルで0円生活という言葉をあえて許容するとしても、それを一冊の本としてレポートすることにどれだけの意味があるのだろうか。あるいは、後半の部分の著者本人のライフストーリーについても、公に開示することの、どれだけの意味があるのだろうか。

 ある知人の翻訳家が、翻訳家とは、翻訳で「家」を建てることができる人のことで、自分はまだ「家」が建っていないから、翻訳家ではなくて、翻訳業である、といっていた。

 この本のレベルでいう0円ハウスなら、たぶん、建てようと思えば誰でも建てられるだろう。だが、そこにどんな意味があるだろう。人によって「家」のもっている意味はまちまちだ。

 雨露さえしのげればいい、という人もいるだろうし、天衣無縫で青天井でも平気な人もいるかもしれない。あるいは、ステータスシンボルとして、中身はなくても、とにかく一等地にデザイナーズハウスを持たなければだめだ、と思う人もいるだろう。

 人それぞれだ。ただ、私は隅田川の河川敷の住人にはなりたいとは思わない。河川敷に住むようになるかも知れないが、都会ではなく、地方を選ぶだろう。うちの奥さんは寒いところはだめだ、というから、たぶん、河川敷にもやっぱり住まないのだと思う。

 著者は別の本で、0円ハウスを、ディビット・ソローの森の生活や、鴨長明の方丈庵と比較する文章も書いているが、ソローハウスも方丈庵も0円ハウスではない。自ら設計はしているが、プロの手も入っている。拾ってきたもので作った家ではない。

 たしかに方丈庵は、荷車二台で持ち運べるよう設計されているが、移動は業者に頼むのである。やはり、キチンとこのあたりの線引きをしておく必要があるだろう。

 さらにいえば、ソローにしても、2年ほどで森の生活を卒業しているし、鴨長明も、いつまでも方丈庵にいてはいけない、と結句している。

 巻末には、処女作品である「0円ハウス」の誕生過程が書いてある。当ブログの坂口恭平読書は、現在からどんどん過去の遡っていくスタイルで進んでいる。

 そもそもこの手のワークには、ムキになって対応するべきものではない。シャレをシャレとして感じることができなければ、静かに立ち去ったほうがいいだろう。多分、当ブログは、ここから静かに立ち去る。

 それでもやっぱり坂口恭平は、ひとつの新しいコンセプトを切り拓いている、という事実は残るだろう。

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2012/06/17

気がつくと机がぐちゃぐちゃになっているあなたへ<2> リズ・ダベンポ-ト

<1>よりつづく


「気がつくと机がぐちゃぐちゃになっているあなたへ」 
リズ・ダベンポ-ト/平石律子 2002/09 草思社 単行本  222p

 テーマ「Maditation in the Marketplace」のプロセスの中で、続編である「机の上はいらないモノが95%」を読んだあとに、久しぶりで元本のこちらも読むことになった。蔵書では唯一この10年間ずっと我がオフィスに留まり続けていた一冊である。

 久しぶりに開いてみると、忘れてしまっていることもたくさんあるが、現在の自分の仕事のやり方の重要ないくつかは、実はこの本の影響だったのだ、とあらためて確認することになった。 

 よいことがいっぱい書いてあるが、一ユーザーとしては守れなかったことがたくさんある。やっぱり、気がつくと机がぐちゃぐちゃになっていたために、結局はまたこの本を読むことになったわけだが、それはそれなりに理由というものも確かにある。

 今回はまた、一台の壊れた古いノートパソコンをもらったことがきっかけとなった。OSも古く、メモリーも少ない。ましてや液晶部分が映らなくなっているので、通常のユーザーなら買い替えるのが当然である。

 しかしながら、私の趣味は、それをもらいうけて、治したくなるのである。もともと素人だから、プログラムのバグや回路の不具合などはどうしようもない。しかし、何かのパーツを取り換えれば、まだまだ使えるのではないか、すぐそう思ってしまうのである。

 そこで近くのリサイクルショップをまわり、ネットオークションでパーツを落札し、結局は見事に、使えるところまで来た。たしかに時代に遅れてはいるが、まだまだ十分使える範囲である。サブ機のサブ機として、ベッドサイドに鎮座ましますことになった。

 ここまでならめでたしめでたしなのだが、実はこのようにして過去何度も、壊れたパソコンに挑戦したことがあった。たしかに一時は使えるのだが、時間の経過とともに、結局は新しいパソコンを買い替えることになる。それもそれでいい。

 ところが、私は、この一度は壊れていながら、自力で修理したパソコンを、時代遅れになったからと言って捨てることができない。一台一台思い入れがあるのである。

 そしてさらに困ったことに、修理をするために、部品を落札していると、部品取りのジャンクパソコンを手にすることになるのだが、このジャンクパソコンという奴も、実はまだまだ使えるのである。そのジャンクパソコンを使用可能にするために、また別なジャンクパソコンを落札するという、悪夢の連鎖が始まることである。

 最初は机の脇にあり、次第に本棚に行き、押し入れに行った。しかし、置き場がなくなり、裏庭のスチール小屋に移動して行った。これらのパソコンはすでに、ゴミ直前である。諦めて捨てたものも沢山ある。しかし、捨てるに捨てられないものも、何台もある。

 今回確認したら、同じノートパソコンの悪夢の連鎖で集めた最高台数は5台だ。同じ形式の同じ型だ。実は一台一台は、稼働可能なのだ。しかし、もうメーカーもOS会社もすでにサポートしていない。スタンドアロンなら使えないことはない。しかし、ネットで動画の時代には使えない。WiFiも既に古い型で、繋がることはない。

 そして、それにまつわるISDNとかターミナルアダプターだとか、メモリーだとか、ハードディスクだとかが、ゴソッとでてきた。これには参った。一番古いモバイルプリンターは15年前のものだった。これは実に愛用した。実は、これも今でも使える。しかしながら、コネクタとか、パソコンとの相性で使うことはない。これ、すごく高価だったんだけどなぁ。

 そんなことを考えていて、今度は、これらを逆にネットオークションに出品することを考えた。実は、出品は殆どしたことがない。ずっと前にデジカメを一回だけ出品したことがあるだけだ。あの手間を考えると、さっさと捨ててしまったほうが楽なのだが、リストを見ると、まだまだ結構な値段がついているのである。

 落札してくれる人がいればのことだが、まだまだ実用だ。1円スタート、ノーリタン、ノークレームで出品すればいいのに、と家族はいうが、それはそれで環境問題的にはよさそうだが、そんなことに気を取られているうちに、自分本来の仕事をすべきなのではないか、と考えだす。

 1円スタートで、本当に1円で落札されたら、結構がっくりくるだろう。いや実際自分も1円落札したことは何回もあるが、送金や送料などを含めていくと結構な値段になる。買い手のほうも、決して楽ではないのだ。

 こうして、とにかく、これらをどうするか、と本棚や押し入れ、物置から引っ張り出して、並べてみると、結構な山になる。箱ごと残っているものも多いので、ネットオークションでは人気商品になる可能性はある。さてどうするか。

 気がつくと、わがオフィスの一角がぐちゃぐちゃになっていた。これではいかん、なんとかしなくちゃ、と、今回もまた、この本を開くことになったのだった。

 リズ・ダベンボードに言わせれば、そんなものは、明日廃品回収にだしなさい、ということになる。どうせ自分で使わないのであれば、空間を無駄に使っているうえに、仕事の邪魔をしている。あなたにはあなた本来の仕事があるでしょう。ほへ~、それはそうなのですが・・・・・。

 さらに困ったことに、この一週間は、坂口恭平の「0円ハウス」とやらに気を取られている。都会のゴミのような排出物で、十分暮らしていけるのではないか、という現代社会に対するアンチテーゼである。捨てる前に、どうしてももう一度、見てしまう。

 今日は28インチのブラウン管テレビを廃品回収にだした。被災三県でも地デジに完全移行し、不要になってしまった。実はまだまだブラウン管テレビの使い道もあるのだが、地デジ化4日目にして、わが家のテレビはオシャカ様になった。修理も可能であろうが、家族が許さない。ここはなんとか踏ん切りをつけた。

 それと、他にもある素材で、実は、現在「0円オフィス」の改造中である。地震で解体する建物の中にはまだまだ使えるものが沢山ある。親戚の建物から外したもので、現在我が事務所を補強中。これは、私流のガレキの受け入れだ。

 パソコンゴミの中かから、我が0円オフィスを補強できるものがあるのではないか。目を皿のようにして見てみる。あることはある。しかし、これらのほとんどは捨てて目の前から消すに限るだろう。なぜなら、彼女から言わせれば、そうして考えていること自体、すでにあなたの大切な時間を無駄に取られているでしょう、ということになる。

 いらないモノが95%だ。いつか、は来ない。今、やる。とりあえず、は、やってはいけない。ホントその通りだな。

 とりあえずのつもりで取っておいたモバイルパソコンがもう17年前のものだった。パーツ取りの連鎖で、同じ型のノートパソコンが5台まで増えた。これは私の思考法のなにかが関係しているようだ。それはそれで悪くない。だが、本来やるべきことが疎かになっているとするならば、う~ん、たしかに、決断すべき時が来たようだ。

<3>につづく

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2012/06/16

ネトゲ廃人 芦崎治


「ネトゲ廃人」 
芦崎治 2012/05 新潮社  文庫 254p
Vol.3 No.0735★★★★☆

 ネトゲ廃人? 新刊本リストにこんな本が入っていると、ぎょっとする。ネトゲ? 寝刺なのかな・・・。廃人とはこれいかに。ああ、これはひょっとするとネットゲームをやり過ぎたら廃人になるよ、という意味かも、と思いつくまで時間がかかった。

 また若い人が書いた本かなと思ったが、割と年配の人、というか、私と同じ1954年生まれの人が書いている。そして、裏付けを見て、さらに発見したことは、この本はすでに2009年5月に出版された本で、再版本としてこの5月にでた、ということだった。

 私は個人的にはどうも、いわゆるテレビゲームという奴は苦手である。1978年末にインドから還ってきた頃、日本はインベーダーゲーム一色になっていた。どこもかしこも、テレビゲーム机に向かって、パキューン、パキューンとやっていた。

 私も目あたらしくて、一回100円のゲームを10回ほどやっただろうか。だけど、どうも上手になれないので、すぐ飽きてしまった。もともとパチンコをやっても上手にはならないので、パチンコも好きではない。

 かつて、パチンコ屋の片隅にジャン球というのがあって、マージャンとパチンコの組み合わせで、これには少しハマった。だれども、メダル一枚でゆっくり遊べてしまうので、店としてはもうからないのか、いつの間にかなくなってしまった。

 最近はネトゲとかモバゲーとか、なにやら恐ろしそうな名前が流通している。私も、ヤフーのオセロに登録したら、モバゲーに登録してしまったようだ。だが、ネットでやるのは、オセロと、マージャンと、時たま、将棋とか碁だけ。もっぱら、リアルなゲームをネットでやってみるだけで、バーチャルなゲームは入っていけない。

 もっとも数年前は、バーチャルゲームのセカンドライフにハマってみようと、パソコンも動きがスムーズな機種に買い替えたのだが、そのゲーム自体があまりはやらなかった。せっかくバーチャル世界に行っても、人と出会うことはほとんどなかった。なので、どうもネトゲ廃人なんて言葉自体、なんだか恐ろしげに聞こえてきてしまう。

 著者の若い時の友人が「ドラゴンクエスト」を作った人なのだという。そういう縁もあって、ゲームクリエーターたちを取材する機会が増えていったらしい。

 廃人とは恐ろしげな言葉だが、廃人になるくらい精通している、という意味で、プライドや称賛にもなっているらしい。時にはネトゲ廃神とも、単に廃とか、廃レベルとかもいうらしい。この辺になると、どうやら2ちゃんねる系統の造語っぽくなる。

 ゲームにはまるなんて、小学生や中学生レベルなのかと思えば、決してそうではなく、30代40代でもいるようである。そして、このレポートのなかでは、自殺や問題行動を起こしてしまうレベルの人も多いようではあるが、多かれ少なかれ、人が夢中になれば、そういうことも起こるだろう、という程度もこともある。

 自分だって、ネトゲにこそはまっていないが、読書ブログってやつに、結局ははまっているではないか。廃人とはいかないけど、膨大な時間を費やしているぞ。この時間を、いずれ、モッタイなかったなぁ、なんて反省する日もくるのかな。

 本書の中には沢山のゲームの名前がでてくるが、中身どころか、殆どその名前さえ知らない。唯一知っているのは「セカンドライフ」だけ。あれも、自分としては夢中になったというレベルではなかったし、無駄だったなぁ、というほど時間を浪費することはなかった。

 しかし、ティム・ゲストの「セカンドライフを読む。」にも出てきたように、体に障害がある人にとっては、この世界が自分の体を自由に使える貴重な世界である、という場合もある。なにやら、最近では、リアルな仕事にいまひとつモチベーションを持ち得ない現場で、ほんのちいさなポイント制にすると、ゲーム感覚が湧いてきて、能率があがる、なんてレポートもあるようだ。

 私個人は、そもそも、マンガにもハマらなかったし、小説もごらんのとおり余り読まない、 なんの面白みもない男なのだが、実は、自分の周りは面白いことがいっぱいあって、ヴァーチャルな世界に行っている閑がない、と思っている。俺にはコミック雑誌なんていらない、俺のまわりはマンガばかり、って歌があったけど、あれは私の歌だ。

 著者の友人も「ドラクエ」で都市部に億ションを買ったというから、結局は、経済活動で、人を嵌めて儲ける人もいるのだろう。この本は、3年前にでた本だけど、今年からは、ゲーム会社がプロ野球のオーナーになっている時代である。

 私はネットゲームはやらないけれど、ああ、そういう時代なんだなぁ、と溜め息をつきつつ、あまり批判しないようにしようとは思う。だけど、本音は、やっぱり、俺にはネトゲなんていらない、というところにある。

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2012/06/15

アップルのデザイン ジョブズは“究極”をどう生み出したのか 日経デザイン<1>


「アップルのデザイン」 ジョブズは“究極”をどう生み出したのか <1>
日経デザイン 2012/04 日経BP社/日経BPマーケティン 単行本 199p
Vol.3 No.0734★★★★★

 スティーブ・ジョブズ礼賛はとまらない。次から次と関連本がでてくる。ついつい流行に後れまいと、わが食指もそれらに伸びる。いや、本だけではない。先日、ちょっと早い父の日プレゼントでiPodnanoなるものをもらって、すっかり環境音楽にはまっていたら、イヤフォンだけでは耳が痛くなるでしょ、と、父の日の本番では、スタンドとスピーカーがセットになったものをプレゼントされた。

 知らず知らずのうちMac文化が、わがライフスタイルの生活空間に忍び寄ってきているようだ。ケータイも、音質と通信エリアが大切とばかりガラケー重視できたが、そろそろ買い替え期を向かえ、本気でiPhone導入を考え始まった。その前にまずはiPadが来るかもしれない。

 Mac文化は、私にとっては無縁の文化だった。それは高値の花でもあった。手の届かないところにある葡萄はすっぱい、とばかり、Macの否定的側面ばかりをみてきた可能性がある。

 そもそもMacは高価すぎた。マイコン時代でも手作り感覚の時代に、セットでウン百万という価格設定だった。Win95との競合時代になると、やたらとバグばかりが目立ち、トラブル報告が目についた。

 私が一番Macに近づいたのは1998年に娘が中学生から高校生になるときに、入学祝で緑のiMacをプレゼントした。なに、本当は自分がほしかったのだが、自分の生活空間にiMacがある、ということはなかなか素敵なことだった。

 しかし、そのiMacも製品寿命は極端に短かった。ほんの数年すると完全に時代遅れとなり、娘も大学生になるころにはすっかりWinのノートパソコン派になって、Macは見向きもしなくなった。

 残された緑のiMacに当時はやりのVineリナックスを入れて遊んでいたが、それがいったいなんだと言うんじゃい、という気分になり、近所の子供に譲ってしまった。あの頃、ジョブスはすでに、まったく違う次元に飛んでいたのだ。

 もし、仕事がWinOS一辺倒でなかったら、私もここまでMacと距離をおくこともなかっただろう。だが、仕事環境はリナックスもMacもサポートしなかった。すべてはWinとIE一辺倒だった。二重にラインを作ればいいのだろうが、経済的にもスペース的にもその余裕が私にはなかった。

 ところがである。このWin一辺倒だった仕事環境が、iPadを活用することを勧め始まったのである。唖然とした。ほかのタブレットならまだしも、iPadとなると、私の仕事環境においては、初めてのMac文化と仕事領域の接触となる。

 仕事用iPadは、リビングで寝っころがるためにあるわけではない。カバンにしのばせ、客先に出向き、パンフレット代わりにタブレットを活用しろ、ということだ。ネットワークが発達し、すべてオフィス型になりつつあったスタイルを、ふたたび接触型、面談型に仕切りなおしをしろ、ということでもある。

 そのためには、モバイル回線の確保も必要となるし、移動の手段も必要となる。そして、顧客の絞込みもまた始まる。モバイル環境があって、ハイブリットな移動手段があるのなら、私は軽量ノートのほうが使いやすい。キーボードつきのほうが絶対いいのだ。

 しかし、プレゼン用には、タブレットをスマートに演出するほうがふさわしいのかもしれない。そして、それを要求するのは、より若いジュニア層であろう。まさか、カバンにノート機とタブレット機を二台入れて歩くのは実用的ではない。

 では、外出用にタブレット機一台を持っていけばいいのだろうか。ここが、仕事用として使えるかどうかの瀬戸際だ。順次アプリが開発されてくるそうだが、わが業界で、どこまでそれが可能であるのか。業界人の数は限られている。その限られたキャパシティの中で、どこまで開発が進むのか、見ものである。

 なにはともあれ、よかれあしかれ、硬直しがちな仕事環境を、スティーブ・ジョブズたちのようなイノベーターたちが、外部からどんどん、崩してくる。それを補修するために、変化がおきる。これまで続いてきたこの変遷の数々を、今後もみんな続けていくのか、あるいは、あるところで、一定の決着を見るのか。

 あまり振り回されたくもないが、身に降る火の粉は払わにゃならない。

<2>につづく

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2012/06/14

机の上はいらないモノが95%<1> 世界一シンプルな整理法 リズ・ダベンポ-ト 


「机の上はいらないモノが95%」 <1>世界一シンプルな整理法
リズ・ダベンポ-ト/川村透 2008/11 草思社 単行本 110p
Vol.3 No.0733★★★★☆

 テーマ「Meditation in the Marketplace」の進行の中で、思い入れの三冊の中の一冊としてリズ・ダベンポ-トの、「気がつくと机がぐちゃぐちゃになっているあなたへ」(2002/09 草思社)を思い出したのだった。

 あれだけ思い入れの深かった三冊だが、この10年で残っているのは、この本一冊だけ。いまでも事務所においてある。最近こそ開かなくなったが、ことあるごとに開いては、赤線を引き、マーカーでしるしをつけて参考にしたのだった。

 あの本の後続本として出たのが、こちらの「机の上はいらないモノが95%」である。いやぁ、実に図星だ。今日までのわが机の上は、麻の葉が乱れるごとく、すごい状態になっていた。ところが、この本を読んだおかげで、また快刀のごとく、ほとんどの書類をバッサバッサと片付けてくれたのだった。ほとんどがシュレッダー行きである。

 6年の間をおいて発行された2冊の本の内容はほとんど同じである。むしろ、後続本のほうが、よりシンプルで骨子だけが書いてある。

 彼女に教わったことはたくさんある。机を逆U字型にすること。やるべきボックスとあとからやるべきボックスを作ること、司令塔としての手帳をつけること。やるべきリストに7つ以上の項目を書かないこと。いずれやる、とりあえず、というスタイルは全廃し、すぐやる。

 今でも守っていることがいくつもある。ただ、仕事の環境もだいぶ変わってきた。特に、手書きのTODOリストは、現在はすべてオンラインでリストアップされる時代になった。いちいち手書きする手間が省けてきた。

 ペーパーレスとはいうものの、いまだに紙ベースで保存しなければならない書類も多い。この片付けが私には大の苦手である。彼女は、机の上が片付かないのは右脳が発達している人たちだ、というが、なるほどと思う。

 同じ兄弟でも、兄はまったく小さいころから机の上がきれいだった。引き出しの中も、菓子箱などをカットしたりして、整理整頓していた。これが私にはまったくできなかった。私はオールワンがいい。引き出しの中は、大きく何でも突っ込んでおく。机の上も何でも並べておくのが好きだった。

 しかし、事務的な仕事となるとこれが障害となる。ほしい時にほしいモノがみつからない。これでだいぶロスする。これだけ人生を重ねてきたので、それなりに工夫はして、なんとかやりくり上手にはなってきた、と自分では思うのだが、今回この本をめくってみて、ああ、まだまだだなぁ、と反省しきり。

 読み直して気になったのは、おすすめスタイルとして、背もたれや肘掛のある椅子ではなく、バランスボールを推奨しているところ。あれ、前著にはそんなこと書いてなかったはずだがなぁ。でも、これっていいアイディアかも。

 まさか大きなオフィスではそれはできないだろうが、わがSOHOなら、それは可能だろう。一度やってみる価値はある。

 この10年間の「思い入れの三冊」でいまでも現役で役立ちそうなのは、この本一冊。ほかの二冊は記念碑として過去のものとなってしまった。そこのところを考えてみるに、どうやら、机の上を片付ける、ということは、次から次とやってくる人生の新しい課題への対処の仕方を教えているような気もしてくる。

 さまざまな課題のなかで、処理できるものと処理できないものがある。とにかくやらなければならないことを7つに絞る。そして優先順位をつける。先延ばしにしないで、今やる。いつまでもリストの上位に上ってこないものは、思い切って断念する。

 これは整理術というより、人生訓の様な気がしてきた。

<2>につづく

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ゼロから始める都市型狩猟採集生活 坂口恭平


「ゼロから始める都市型狩猟採集生活」 
坂口恭平 2010/08  太田出版 単行本 181p
Vol.3 No.0732★★☆☆☆

 「TOKYO一坪遺産」についてのメモを書いたら、やたらとアクセスが増えた。何でかなぁ、と調べてみると、それは著者本人がツイッターで、その一万数千人のフォロアーたちにリツイートしたからであった。なるほど、時代である。こちらが何か書けば、直接本人に届く可能性はあるわけだ。

 当ブログは、基本的には「つぶやき」であり、聞く人を必要としないモノローグである。だからある程度は自由にメモしておくことができるし、自由に自分の中でつないでいく時間の余裕もできる。

 それでも、著者や関係者からはしばしば直接反応がある。かつて「レスポンスのあった著者たち」なんてメモも残しておいたが、小なりといえども、当ブログも必要な時には役にたつようだ

 さて、坂口恭平「独立国家のつくりかた」についてもメモしておいたが、はて、今回は著者はリツイートするだろうか。別に期待しているわけではないが、リツイートといっても本のタイトルだけなので、ワンクリックで終了。こちらのメモをキチンと読んでいる、ということにはならない。

 この本は、誰かに向かって話している。著者はちょくちょく読者に向かって「きみ」と呼びかける。でも、どうやら私はその「きみ」ではなさそうだ。彼の読者層のターゲットから大きく外れている。だから、あまりいきり立って、ひとつひとつ取り上げて反論反証するのはやめておこう。

 この本は、ニートや引きこもりと呼ばれる人たちに向かって書かれているようだ。少なくとも、かつて話題になった「ネットカフェ難民」程度までレベルアップ(!)した人たちなら、すでに常識と化している内容も多かろう。

 あるいは最近話題になっている生活保護の不正請求までグレードアップ(!)した人たちなら、おいおいいつまでそんなことやってんだよ、もう少しゴーシャスな世界が待ってるよ、と嘲笑しているかもしれない。

 少なくとも、この本における「狩猟採集」は、純粋に「狩猟採集」ではない。世の中の、人の情けにすがって生きているだけである。公園にいれば、ヘルパーやボランティアの人々が食事や毛布をくれるから、なにもしなくてもいい、なんてことは、なにをかいわんやである。

 卵が先か、鶏が先か、という話になるが、少なくともこれでは「都市型」でしかない。都市のゴミにすがっていきていくライフスタイルを、都市否定の生き方とみることはできない。「狩猟採集」を語るなら、「都市」をキチンと捨てる必要がある。

 著者は、60年代カルチャーに衝撃を受けているようだが、実際に60年代カルチャーをリアルタイムで経験した人々は、0円生活はしていないだろう。彼の著書に登場するような人々は、60年代カルチャーとなんの関係もない。

 ただ、このゼロ円という言葉に、どこか心打たれるのは、60年代の合言葉であった「FREE」に通じるところがあるからではないだろうか。フリーはもちろん自由という意味でもあるし、ただ=無料という意味もある。あるいは、何々にとらわれない、という意味もある。

 ゼロもまた、空や無に通じるところがあるので、なにか郷愁のようなものを催させるのだろう。

 思えば、わがブログも0円ブログである。偶然そうなったわけではない。そうしてきたのだ。基本的に、無料のブログサービスを利用し、有料オプションは一切使用していない。そして、題材は、一般の公立図書館の無料資料ばかりを読み込んでいる。通信回線は仕事用に依存しているので、付加使用量は一切かからない。

 これは、ネット回線があれば、誰でも0円でここまでできるぞ、という私なりのいきがりだった。でも、それだけだな~。

 0円ではないが、使っているスマートフォンは毎月5円運用である。本体0円。最初の手数料は数千円かかったが、基本料金0円で二年近くが過ぎた。自宅WiFiと仕事用モバイルWiFiでつないでいるので、外出先でも通信料追加0円。う~ん、でも、これもな~、だからどうしたぁ~w

 0円生活といえば、今回の3・11でも似たような話題がある。被災地で発生した瓦礫をどうするか、という問題で、受け入れるの受け入れないのと大騒ぎしているが、実はここにも問題がある。

 被災地の瓦礫とは、あの津波でできた瓦礫ばかりではない。地震で傾いたような家屋も多く解体されて瓦礫化している。それこそ、60年代カルチャーを直視してきた私としては、とても瓦礫とは思えないような建築物もゴミと化していく。

 そこで、私は私なりに「使用可能」な瓦礫を「受け入れて」いる。つまり、取り外せば、なんの問題もなく使える建材が山とある。そこから私の受け入れ可能な範囲のものをもらいうけてきて、ガレージを改造した「0円オフィス」をDIYで補強した次第である。

 私は著者が本著でいうところの「都市型狩猟採集生活」には賛成できない。しかし、ちょっと視点を変えた「地球型再利用生活」には大賛成である。

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2012/06/13

独立国家のつくりかた 坂口恭平 <1>


「独立国家のつくりかた」 <1>
坂口恭平 2012/05 講談社 現代新書 221p
Vol.3 No.0731★☆☆☆☆

 時間が空いたので、通りがかりの書店で立ち読み。いずれゆっくり読んでやろうと思っていたのだが、新書だったので、すぐ読めた。ふむふむ、こういう内容だったのか。

 第一印象。まず、これは羊頭狗肉だろう。ツリーハウスや家賃三万円の家を「独立国」とすることが、坂口恭平という34歳にして妻と三歳の子供ありの、大の大人の所業であるならば、あまりに幼稚な行いといわざるを得ない。

 これをアートや芸術活動の一環である、というのは、それは作者の勝手なことだが、それに付き合っている周囲もいったいどうしたことであろうか。

 彼が私淑しているという中沢新一も、カメラ目線たっぷりのパフォーマーだが、その「弟子」たる坂口恭平とやらの、受けを狙っての連続パフォーマンスに、まあ、勝手にどうぞ、と、こちらはどんどん白けていく。

 なんとかもオダてりゃ木に登るともいうけれど、ツリーハウスに登って撮影した写真など、まさにそのことを見事に表現しているかのようだ。

 独立国の自らを総理大臣(大統領だっけかな)とみなして、電話をして中沢新一に「文部科学大臣」(だっけかな)の就任を要請したというが、頼むほうも頼むほうだが、受けるほうも受けるほうだ。ふざけ過ぎると、また痛い目にあいますよ。

 1978年生まれということだから、麻原彰晃のことなどリアルタイムでは知らないのだろうが、彼らだって、最初のノリは「遊び」だったと思う。なんとか大臣とか、いろいろやっているうちに、ミイラ取りがミイラになってしまった。

 中沢新一もいまいち切れが悪い。坂口独立国の教育大臣など受ける余裕があるのなら、本当は、島田裕巳センセイの「中沢新一批判、あるいは宗教的テロリズムについて」2007/4 亜紀書房)あたりに、キチンと答えておかないとまずいと思うよ。

 中沢の、オウムに対する評価のノリも、今回のノリとさして変わっていなかった。覚めていないと大怪我をしますよ。3・11あたりで、自分への矛先がほかへ移ったなどとオダをあげている場合ではない、と私なら思う。

 独立という言葉にウエイトをおくのなら、別にここに始まったことではない。沖縄独立なんてことは以前から言われているし、山田塊也あたりにも「奄美独立革命論」なんてものもあった。今回、朝日新聞の「プロメテウスの罠」を読んだときに書いた「足に土―原人・アキラ」のアキラが参加した合宿のネーミングも、実は「東北独立合宿」の後継だったのである。

 あの獏原人たちも、土地なんか誰のものでもない、と勝手に開墾してしまったのだが(後に地主から購入)、彼らは決してカメラ目線のパフォーマンスなんかじゃなかった。その証拠に、彼らは積極的にはミニコミや会報をつくらなかったし、メディアに乗ることなど、ほとんどなかった。

 「TOKYO一坪遺産」に続いて坂口恭平は二冊目だが、だいたいがこういう調子なのだな、と、なんとなく察しがついた。

<2>につづく

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方丈記 鴨長明/浅見和彦


「方丈記」 
鴨長明/浅見和彦 2011/11 筑摩書房 文庫 253P 
Vol.3 No.0730★★★★☆

 簗瀬一雄の「現代語訳付き方丈記」(角川学芸出版2010/11)が面白かったので、同時期にでたこちらの文庫にも目を通しておこうと思った。内容的にはほぼ同等である。すでに1000年前の古典であるだけに、解釈も自由だし、それぞれの解説本も出そろっている。

 あとは3.11後における鴨長明とのリンクを、解説者がどのように織り込んでくるかが関心ごとととは言えるが、本来の眼目ではない。

 それにしても、もう一度、鴨長明の当時の被災表現を読ませられるのは、ちょっとつらいものがあった。もちろん、当時の悲惨さは目を伏せたくなるものの、この現代の、この地においても、似たようなことが起こっているのである。あるいは、当時を上回るスケールで起こったとさえいえる。

 そそくさと、後半に移り、方丈庵のくだりを読んでみる。この本には図解が取り入れられているので、なおイメージしやすい。

 デイビッド・ソローの森の生活や、ゲーリー・スナイダーのキッドキッドディジー、宮沢賢治の松の林の蔭の小さな家、あるいは、現代では坂口恭平のTOKYO 0円ハウスなどと見比べてみる。

 鴨長明は、その名文でたたえられている。対比が素晴らしい。水と火とか、動と静、外と内、など、実にコントラストの強い、メリハリの利いた文章が多い。ただ、京都や西の風景だったり、仕事柄、なにやら都びととしての個性が強く、どこかで、読み手のこちらの志向性とずれていく。

 あまり歴史的な事象や、瑣末な役職ごとにとらわれると、どうも読み進めなくなる。世の中のお困りごとは、すでに十分だ。自らの方丈庵にたどりつき、みごと図地反転して、宇宙のすべてを自らに取り入れることができるのかどうか。

 そのあたりに思いを馳せることができれば、当ブログとしては、この文庫を手にした目的は果たせた、というべきである。

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TOKYO一坪遺産 坂口恭平


「TOKYO一坪遺産」 
坂口恭平 2009/06 春秋社 単行本 198P
Vol.3 No.0729★★★★★

敬愛するお姉さまからの推薦である。「独立国家のつくりかた」が面白い、ということなのだが、図書館はまだ所蔵していない。Youtubeで彼の名前を検索すると、なにやら、早口でまくし立てる中肉中背の青年が登場して圧倒された。

 まずは図書館を検索してみると、新刊は入っていないが、彼の著書なら4冊入っている。なにはともあれ、届いた順から読んでみることにした。

 同時に、鴨長明「方丈記」を読んでいたのだが、方丈庵にいくまでの、前半の被災情景の描写が、あまりに3・11に酷似しているので、途中で放り出してしまった。実は、この鴨長明の方丈庵と、坂口恭平のO円ハウスの、共通項をみつけるべく、というべきか、どこがどう違うのか、という折り合いをつけるための、作業がひとつはじまった、ということなのである。

 一読してふむふむ、と思う。発想はいたってシンプルだ。地球はだれのものでもない。土地も建物も、本当は、誰がどこに建ててもいいはずだし、占有はできないはずなのだ。処女作(であろう)「TOKYO 0円ハウス 0円生活」(2008 大和書房)を読んでみないとわからないが、その発想はいたって根源的で常識的だと思う。

 むかし、ほびっと村で「プラサード書店」の店主をしていたキコリは、学生時代に、地球は誰もものでもない、と仲間たちと、キャンパス内にテントを張って生活を始めたことがある。それが、やがてトモたちの石神井コミューンにつながっていくわけである。

 自分も20前後のときに、ヒッチハイクで旅することが多かった。ある日、なかなか車がとまらずに、とぼとぼ路上を歩いていると、なにやら前のほうを、同じように歩いている人がいる。お、ヒッチハイク仲間かな、と思って距離を縮めると、どうやらその身なりからして、バックパッカーではないことがわかった。

 ホームレスなんていう言葉がなかった時代だった。彼は乞食だった。ああ、はたから見たら、こうして路上を前後して歩いている二人は、見る人が見れば、二人の乞食にすぎないのだろうなぁ、と、わが身の境遇を哀れんでみたものである。

 しかるに、数百メートル一緒に歩いていた彼は、あるポイントで90度に折れ曲がり、道路の脇の畑のあぜ道に入っていった。何をするのだろうと思って、こちらは立ち止まり、その行方を見つめていると、実は、その進行方向に、小さな掘立小屋があったのである。彼はホームレスではなかった。彼には家があったのである。

 家がないのは、こちらだった。路傍のヒューム管の中で寝たり、屋根つきの田舎のバス停で寝泊りしながらの長旅で、いやす我が家などなかった。あの時ほど、自分が、ああ、たったひとりなんだなぁ、と思ったことも少ない。

 坂口恭平の視点は面白い。図地反転してみると、確かに、宇宙は自分の中にとりこまれているという発想は、ある意味、鴨長明と同じことだ。場合によっては、鴨長明の外世界の被災状況と、坂口恭平の「TOKYO」の悲惨さは、同じことなのだ。

 ただ、彼は「建築家」だから家にこだわっているが、宇宙を語るなら方丈庵も0円ハウスもいらない。本書にでてくる「高架下の画家仙人」のように、本当は家などいらないのである。

 いやいや、ここまでくれば、もっと進んで、この体さえも、本当はいらないのである。宇宙は宇宙なのであり、宇宙を宇宙とするには、私という存在などいらない。

 ここまでくれば、家にも体にもこだわる必要がなくなる。あとは、逆に大邸宅だろうが、町だろうが、巨大都市だろうが、どのような形態であっても、本当はどうでもいい、ということになってしまう。

 ただ、適正サイズというものが必要だ。身長170センチの大人が、生後1ヶ月のベビー用の服を着れるわけがないし、サーカスの象の衣装が似合うわけでもない。お父さんはユニクロに行って、お母さんはシマムラに行って、子供は子供用のべビザウルスにでもいって、自分サイズの服を買ってくるしかないだろう。もちろん、自作で問題はない。だが、サイズは重要だ。

 ディビット・ソローの森の生活も、鴨長明の方丈記も、坂口恭平の0円生活も、結局はメタファーである。赤瀬川源平の裏返しのカニ缶よろしく、どの地点でひっくり返すかの指標でしかない。

 少なくとも私には、山奥でひとり暮らすこともできないし、被災地の瓦礫の一角でひとり暮らすこともできない。家族が必要であろうし、仲間が必要である。それなりのサービスも受けたい。床屋さん、八百屋さん、医療や学校。そして、その町並みの中で、自分もなにかの役割を果たせれば、なおいい。

 適正規模は、人間関係200人、町5万人程度がベストではないか、と思う。もちろん、近くには都市があってもいいが、無駄な高層ビルは、私個人は必要としない。自らの住まいも、あれやこれやで、適性規模がある。最低限これだけでできるよ、ということはあっても、ミニマムであることを誇ることに、それほどの意味を感じない。

 TOKYO一坪遺産。そもそも私にはTOKYOへのこだわりはない。棲んだこともなければ、ほんの数年前まで、20年近く行ったこともなかった。私には巨大都市文明は必要ない。ましてや、そこに一坪の遺産を見つけようとはしない。

 私は一坪では暮らせない。プラスアルファとしての百坪くらいはほしいが、百坪でも足らないと思う。私の周辺の人々で、自宅敷地が3000坪程度の人はザラである。当たり前のサイズと言える。私はそんなにもっていないし、正確に言えば、土地など所有していない。だが、イメージとして、自らの身を処す適正サイズの住まいさえ確保されれば、あとは、その話題からは遠ざかりたい、と思う。

 この著者は文章がうまい。建築家というより作家志望なのだろう。

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2012/06/12

スマホは「声」で動かせ! 音声認識が拓く日本の未来


「スマホは『声』で動かせ!」音声認識が拓く日本の未来
鈴木清幸 2012/04 ダイヤモンド・ビジネス企画/ダイヤモンド社 単行本 205p
Vol.3 No.0728★★★★☆

 確かにスマホは便利だ。なにか調べ物があるとき、さっと開いてアプリボタンを押して、検索内容を声で伝えれば、すぐGoogleで検索してくる。デスクトップ機は当然のこと、ノート機でも、こう簡単にはいかない。立ち上がりの時間がどうしてもかかるし、自分の環境ではキーボードが必須となっている。

 ただ、この本は「スマホ」にウェイトがあるわけではない。「声」にウェイトをおいている。著者の肩書きは、株式会社アドバンテスト・メディア 代表取締役兼社長だ。音声認識システムのAmiVoiceという製品名がやたらと本文に登場する。

 よくよく考えて見れば、キーボードとマウスの入力システムは、一番ポピュラーで、もうなくてはならないものと思い込んでいるが、これが、いま、だんだん揺らぎつつある。ガラケーにせよ、出がけのスマホにせよ、私は、物理QWERTキーボードがついている機種を使用している。これが今のところ、一番いい。だが、それは本当にベストなのか。

 そもそも私は今でも納戸に英文タイプライターも和文タイプライターもしまいこんでいる、キーボードオタクなのだ。キーボードは大好きだ。もちろんマウスも不可欠だが、タッチパネルという奴はほとんど使えない。一時期は、IBMのスティック型のポインティングを仕様したが、時代はそれを片隅に押しやってしまった。

 そもそも1995年当時、あのウィンドウ95機を購入した当時でさえ、簡単なマイクと、文字変換装置がついていた。ワクワクしながら、パソコンに語りかけてみたものだが、見事にフラれた。ほとんど一文字も認識しないどころか、パソコン全体が固まってしまい、えらい迷惑したことが何回かある。あれ以来、音声認識など、私の用にはならないだろう、と振り向いたこともない。

 しかし、その当時から著者は、どうやらこの道一本できたようだ。株式会社アドバンスト・メディアを立ち上げたのは1997年。1952年生まれだから42歳の時だ。その以前からずっとこのテーマにこだわってきたようだ。

 たしかに、すでにスマホに搭載されている音声認識システムの精度は高い。私の使用範囲などは微々たるものだが、すでに「動かす」ことそのものが音声でできるようになっているのかもしれない。

 著者は、このレベルでとどまっている人ではない。医療用の音声認識システムとか、行政や高度なビジネスレベルでの音声認識システムの開発のイノベーターである。

 コンピュータと話すといえば、すぐに「2001年宇宙の旅」を思い出すが、少なくとも、あのHALとの会話レベルはもうすでにできているようだ。ただHALのような「意識」をコンピュータに求めるのはもっと先のことになるだろう。

 著者は、コールセンターのような、直接顧客からの「声」が集まる部署にも、この音声認識装置を投入することを企画する。ビック「声」の見える化だ。そもそも、メガ情報やビックデータの集積は、とてつもない勢いで進んでいる。ここに「声」が加わることによって、さらに、地球上の人間たちの動向が統合される可能性がある。

 この可能性を脅威と見ることもできるだろうし、あるいは、グローバルな超意識への布石と見ることも可能だろう。すくなくとも、同世代の人たちが、実業の第一線で、夢のようなシステムを具現化させている現代という時代には、本当に驚かされる。

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2012/06/11

Meditation in the Marketplace<5>思い入れの三冊

<4>からつづく

「Meditation In the Marketplace」 

<5>思い入れの三冊

 Marketplace関連図書リストの中で、とくに思いいれの深かったのは2冊と思っていたけれど、実は3冊だった。

3s

 一冊目は「新代理店経営戦略読本」(保険21世紀研究会編 2001/05 近代セールス社)。どうやら、当ブログを書き始めた2005年当時は、かなり意識していたようだ。場合によっては、このまま当ブログはこの路線を走っていたのではないだろうか。

 保険21世紀研究会には、3冊の本がある。「激震 保険業界の行方―生命保険&損害保険」(1998/6)、「いま知っておきたい銀行の保険窓販―一からわかってエキスパートになる」( 2000/11)、そして上の「新代理店経営戦略読本」

 1998年に、長年、安眠をむさぼっていた日本の保険業界に激震が走った。金融ビックバンの始まりである。当時、私はこの業界関連の本を盛んに読んでいた。その中でも、かなり気になった一冊が「激震 保険業界の行方」であった。

 この本は、昔なつかしいパソコン通信、ニフティサーブのFRISKに集っていた人々によって作られた一冊だったのである。かなり感動しつつ参加していた私だったが、その続編がこの「新代理店経営戦略読本」で、参加者へのプレゼントとして直接私の家に送ってもらった一冊だった。

 二冊目は、「『超保険』解体新書」( 「超保険」研究会 2004/03 績文堂出版)これはこれなりに思い入れが深い一冊であった。いずれはNHK番組「プロジェクトX」に取り上げられるだろう、いや、未来の世界遺産を目指すのだ、と、当時の商品開発者たちの鼻息は荒かったのが某社の超保険。

 その顛末の細かいことはここには書かないが、当時急速に発達したノートパソコンと、コンサルティング能力のなせるワザとして、生損保一体型として登場した超保険に、私は惚れた。いろいろな経緯があって、当時の開発意図はかなり捻じ曲げられてしまったが、現在でも抜本超保険として生き残っている。

 この本の執筆者の一人が、今回の3.11で被災し、自分の財産はポシェットひとつになてしまった、と嘆いていた。もちろん、その後、また復活復興の道をたどり始めている。

 もうひとりの執筆者の一人が、実は、当ブログでも既読の「行列のできる保険ショップがはじめて書いた『世界一やさしい保険の本』あなたにピッタリ!保険選びの決定版」  (保険相談センター  2010/09 東洋経済新報社)の関係者である。今回、こうして振り返らなければ、ここにそのような関係があるとは気がつかなかった。

 そして、忘れていたわけじゃぁないが、直接仕事には関係なかったが、とても気にいっていた本が、「気がつくと机がぐちゃぐちゃになっているあなたへ」( リズ・ダベンポート /平石律子 2002/09 草思社)。この本は多いにヒントを与えてくれた。

 彼女には近著として「机の上はいらないモノが95% 世界一シンプルな整理法」(2008/10 草思社)がある。当ブログとしては未読であるが、図書館にはあるので、近日中に読んでみよう。

 それと、もうひとつ、今回振り返ってみていてきがついたのは、ブログを書き始めたり、SNSに参加する直前まで書いていたホームページで、実は、かなりこの路線のことを書き始めていたことだった。面白いおかしく「保険屋こぼれ話」などと書き始めていたのだった。

 自分なりに興味深い「マイストーリー」という文章も再発見したので、近日中に全文を再掲するとして、今回はリンクだけを張っておく。さらにはそのホームページに書きっぱなしになっていたのが、「Father Knows Best」というアメリカの1940年代のTVホームドラマ。

 日本でも「パパは何でも知っている」というタイトルで放映された。この番組の主人公が、保険業界の人間という設定になっており、これはいつかまたネタ切れの時に、再燃しそうなつながりである。

 そしてさらにさらに、自分のHPに書いていたのは「禅とオートバイ修理技術」という本のことであった。こちらも、これに真似て「禅と保険コンサルティング」なんて文にも展開できるかもしれないぞ。

<6>につづく

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Meditation in the Marketplace<4>十牛図十番 世間にて

<3>からつづく 

「Meditation In the Marketplace」 

<4>十牛図十番 世間にて

 これまでの当ブログに登場したMarketplace関連図書のリストを作成してみて、つくづく思う。登場したのは40冊程度。すでに約2800冊を読み込んでいる当ブログの中では1.4%。さらに、その中にあっても、本当に、自らの仕事に直接つながっていると思われるものは、わずかに2冊。0.1%にも満たない。

 しかもその2冊は、当ブログが開始する数年以上前に読み込んだ本であり、出版されて、すでに10年の時間が経過しているものである。記念碑的な本ではあっても、すでに内容は陳腐化している。現状に役立つものではない。

 そもそも、当ブログと、自らの日常の仕事はリンクしていない。別次元のこととして進行してきた。どちらが真実でどちらが大事ということではない。どちらも大事なのであって、どちらも真実だ。

 これまでもこの二つをリンクしようと試みたことは、何度もある。いや、その試みた時の残骸が、40冊程度の関連本として残されているのだ。そしてそれらは、いずれも失敗した。まさに、何度も試みたときの、ためらい傷の記録として、これらの関連本リストが残されている。

 時あたかも、当ブログは、カテゴリを「Meditation in the Marketplace」と決めて、テーマ文を「Meditation in the Marketplace」としてメモし始めたところだ。しかしながら、MeditationとMarketplaceは、見事に分裂していく。すでに定量の108冊の書き込みのうち、3分の1を経過しても、テーマ文は遅々として進まない。

 Meditationというテーマも鬼門である。この方向に進んでいくと、言葉を失う。ブログとして記録することの意味が薄くなっていくのだ。視聴覚資料の借り出しに熱中して、いまでは喜多郎宮下富実夫タンジェリン・ドリームの軌跡をトレースすることでせいいっぱいだ。

 なにはともあれ、この二つの痕跡がこのカテゴリ、このテーマの手がかりだ。最終目標は、十牛図の十番。

Photo

十 世間にて (入てん垂手)

足は裸足で、胸ははだけ
私は世間の人々と交わる

服はぼろぼろで埃まみれでも
私はつねに至福に満ちている

自分の寿命を延ばす魔術など用いない

いまや、私の目の前で
樹々は息を吹き返す

私の門の中では、千人の賢者たちも私を知らない。私の庭の美しさは目に見えないのだ。どうして祖師たちの足跡など探し求めることがあるだろう? 酒瓶をさげて市場にでかけ、杖を持って家に戻る。私が酒屋やマーケットを訪れると、目をとめる誰もが悟ってしまう。 Osho究極の旅」p449

<5>につづく 

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2012/06/10

白洲家の日々 娘婿が見た次郎と正子 牧山圭男


「白洲家の日々」  娘婿が見た次郎と正子 
牧山圭男 2012/04 新潮社 単行本 p220
Vol.3 No.0727★★★☆☆

 このような本が出版され、被災地と目される土地の図書館の新刊本コーナーに並び、その本に、一読者としてこちらの手が伸びる、ということは、3・11ショックから一年半が経過した、という、うれしくもあり、かなしくもある、私なりの日々である。

 そもそもなんで白州次郎ファミリー関連を読み始めたのだろう。しかも、すでに25冊になんなんとしている。地球人スピリチュアリティを標榜する当ブログといかにつながっているのであろうか。

 思い起こせば、某SNSで、Osho関連の93台のロールスロイスはどこに行ったのだろう、という話題に深入りしたことが始まりだった。手元の資料やネット上の情報、あるいは友人たちの書き込みなどを手がかりにその行方を探っていた。

 そのとき、ジョン・レノンのロールスロイスとか、力道山のロールスロイスが視野に入り、やがて、白洲次郎のベントレーが見えてきたのだった。

 次郎の前を、たんなるスノッブ、と通り過ぎることは簡単である。時代も違い、立場も違う。嗜好性も違えば、棲んでいる世界が違う。だが、この車つながりで考える時、Oshoのいうゾルバ性が、ムクッと首をもたげるのである。

 グローバル性とは何も、地域だけのことではない。多様な嗜好性を持つ人々の中に、集合超意識を見ようとする場合、これらのゾルバそのものの次郎などは、見過ごす訳にはいかないのではないか、と思う。

 そもそもは白洲正子のほうが先にブームとなって、ご婦人方に人気となり、そのつれあいとして、なんだか「素敵」な男性として登場してきたのが、白洲次郎だった。いろいろいじってみれば、これがなかなかすごい人で、だんだん男性族も目をとめるようになった。

 それに乗じて、娘が本を書き孫が本を書いた。そして今度は、娘の婿さんが本を書いた、という次第である。どうやら、このファミリーは現代の日本人の何かをつかんでいるようである。その証拠に、図書館にたくさん資料が入っている。

 スピリチュアリティという意味では、むしろ、能や民芸や、陶芸などを通じて、仏教へと通じていく正子の方が、より深い世界を探求していただろう。だが、当ブログとしては、そこにたどり着くには、正子は、避けて通れない、というほどではない。

 しかし、スノッブな次郎は、スピリチュアリティとは必ずしもいえないが、そのスノッブゆえに、なぜか避けて通れない、あるいは逆に引き寄せられるような魅力がある。

 この二人が、なにはともあれ夫婦としてカップリングを組み、茅葺の民家に住んでいた、という風景が、何か、日本人的集合超意識に触れるのだろう。

 娘婿が書いたこの本も、だからどうした、という身内のプライバシーの切り売り本に過ぎない。よくもまあ、身内のことをこれだけ書くもんだ、とも思うが、これはこれで、商品として成立しているのだろう。企画力の勝利であろう。

 ただ一読者としては、パラパラと通り過ぎるだけである。そして、まずは関連本リストに一行加えておくことにする。

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通信料金をトコトン下げる!必勝テク ケータイ スマホ ネット


「通信料金をトコトン下げる!必勝テク」 ケータイ スマホ ネット
「特選街」 2012年 07月号 2012/06/02 マキノ出版 B5
Vol.3 No.0726
★★★★☆

 ケータイの料金体系は非常にわかりにくい。通信会社にいいようにもて遊ばれている感じがする。だから、いぜんはとにかく通信機能があればいい、と時代遅れのムーバ機を約6年間、最低料金で使い続けてきた。

 しかしフォーマ機への全面変更ということで、いかしかたなくフォーマ機に変えて、はや2年近くになろうとしている。機種代の払い込みもまもなく終わり、ナンバー・モバイル・ポータビリティ(NMP)とやらのチャンスでもあり、またぞろ、通信環境を再考するチャンスへとさしかかった。

 ケータイでの音声の通信環境は絶対必要である。これは品質のよいシンプルなものが一番いい。ケータイメールは最小限に必要である、料金はあまり気にしない。さて、問題はこれからだ。モバイル環境で、どこまでの通信条件を必要とするのか。

 現状でいえば、ケータイ+家庭WiFiに特化したスマホ+FonFreeInternet、というトリニティで乗り切ってきた。だが、ごく最近は、タブレット型端末をどのように自らの仕事に入れ込んでいくかが課題となりつつある。

 これまでの歴史的なことを振り返ると、仕事には、固定電話と机ひとつがあればよい、という時代が長く続いた。そこに登場したのがポケベルである。PHSへと進化し、ケータイが当たり前の時代となった。

 すべて印刷物という紙ベースの時代から、パソコンが導入されたところで、年配の層から脱落組が増えた。OA機器といかに取り組むかが、ビジネス上のサバイバル戦略の鍵となったのである。

 パソコンの進化も、スタンドアロンのデスクトップ機が長いこと鎮座していたが、ノート機がネットにつながることによって、仕事環境は大きく変化した。特に、オフラインソフトがオンラインソフトへと変化し、クラウド化が一気に進んだ。

 ノート機+オフラインソフトの組み合わせで、客先へ営業先にでかけるというスタイルもごく当たり前になったが、パソコンの紛失や盗難が多発し、膨大な顧客データの流出という問題が顕在化した。そのおかげで、パソコンのモバイル化は停滞し、ノート機もやはりオフィスで机の上で使うもの、という時代へと逆戻りしつつあった。

 そこに、2年ほど前から登場したのが、スマートフォン(スマホ)とタブレット端末である。ガラパゴス・ケータイ(ガラケー)と揶揄された国内向けケータイ端末は進化が異常な段階に差し掛かりつつあったところに、iPadの横槍を受けたのだった。

 ガラケーのほうが国内向けにはより適した面もあったが、グローバル化の波は、それを認めない。結局、2012年春モデルは、国内各社すべてスマホ、という時代が到来したのである。さて、問題はこれからである。機種代+通信料金が馬鹿高いものになりつつあるからである。

 「通信料金をトコトン下げる必勝テク」ということでは、現状の8円運用スマホ+FONで決まりである。これ以上下げようがない。現在では5円運用まで下がったAUのIS01はお気に入りである。端末代0円で数千円の手数料を払えば、あとは家庭用WiFiでつなぎ放題。

 FONは自宅でも活用できるが、外出先で利用できる場合がある。意外なところに電波が飛んでいて、実に便利なものだと実感することも多かった。しかし、これは実用にならない。モバイル環境で、使いたいときに使うという信頼性は一切ない。つながればもうけもの、というテストケースという位置づけだった。

 さて、ここからが問題なのだが、今、各業界は、タブレット端末の登場を契機として、これをいかに仕事に組み込むかを検討し始めている。個人的なエンタメ性の高いスマホより、プレゼンとしてのタブレット端末を、動くパンフレットとして活用し始めたのだ。

 タブレット端末は単体としては、実につまらない仕組みである。物理キーボードもなければ、マウスもない。外付け機種などのアクセサリーなどは一切受け付けない。いたってアホな機械である。

 ところがこれが、モバイルWiFiとつながることによって、ビジネス上の武器と化す。仕事はすべてオンライン上で行う。膨大なデータはすべてクラウド化されているので、自らに蓄えることがない。端末紛失=情報流出、という不安材料が削除される。

 業界のトレンドは、とにかくここまでやってきた。もちろん問題は山積みである。これまで紙ベース→デスクトップ機ベースで構築してきたフォーマットを、タブレット端末ベースに組み替えなくてはならない。膨大な作業が待ち構えている。

 さらには、そのモバイル環境をささえる通信環境がどこまで整うのか、ここが目下の課題となりつつある。FONは使い物にはならない。WiFiスポットは趣味以上のものとしては使えない。端末組み込みWiFiは通信料金が高すぎる。新型通信(Xi)は通信可能エリアが小さすぎる。

 結論として、このトレンドを迎え撃つわが陣営は、機種代終了のガラケー端末+2年縛り終了の無料スマホ+最安モバイルWiFi(家族と共用)、というスタイルに落ち着きつつある。

 ガラケーはまず音声通信がしっかりつながってくれればそれでいい。エリアが広く、信頼性が高くなくてはいけない。メールやワンセグも使える。緊急時には役立ってくれるだろう。物理キーボードもついているし、場合によってはフルプラウザでインターネット接続できるように料金も設定してある。

 無料スマホはお気に入りである。5インチ画面で物理キーボードがついている。ちょっとしたミニパソコンである。ワンセグの受信能力もすばらしい。OSがバージョンアップできないので、一部動画が使えない部分はあるが、それは許容範囲内だ。

 モバイルWiFiは、目下、家族と共用のものを携帯してその使い勝手をテスト中。ポケットに入れて歩くので確かに重いが、この程度は許容範囲だ。問題はその品質とエリア。品質はつながってしまえばまずまず。ただエリアが問題。

 高速道路ではぶつぶつ切れる。地方では、街ごとつながらない。充電の状況は長時間にも耐用しているようである。自らの活動範囲とどこまでマッチしてくれるかが鍵だ。モバイルWiFiがあれば、WiFiノート機を持っていけばいいので、実は、私はタブレット端末は回避しようと思っている。モバイル環境があれば、ノート機のほうが絶対に使いやすい。

 FONのかわいいルータを持参して歩くっていう奥の手もある。出先で有線LANがあれば、そこにLANコードを差し込みさせていただいて、いつものWiFi環境が再現。ノート機がいつもの状態で使えるのである。

 ここまでくれば、あとは電源の問題である。それぞれのモバイル機器はすぐ充電量が消費されてしまう。車にはシガレット電源から充電できるように各社のアダプタを常備している。USBで充電できるようにもなっているし、場合によっては100ボルトの電力も取り出せるようにしてある。車に関してはガソリンが必要なわけだから、常にガス欠はないように注意する必要がある。

 停電時などに備えて、「1台7役 手回し充電ライト 携帯レスキューそなえ君」だとか、「くるくる回して 充電くん 〜携帯充電機能付ダイナモラジオライト~」などなどを用意はしているが、気休めにはなっても実用にはならない。太陽電池と充電器の組み合わせのトランクスタイルをベランダに準備する必要があるかもしれないが、今のところは隣の家の屋根に上がっている太陽電池パネルが目下の命綱である。

 自らの年齢の上昇とともに、顧客層の年齢も上昇する。もちろん高齢化すれば、しだいに顧客は減少する。自らのビジネススタイルを維持するためにも、ジュニアマーケットの獲得は目下の課題である。タブレット端末化の波は、若い年齢層の顧客取り込み作戦のひとつでもある。

 しかしその目論見は本当に功を奏するのだろうか。もうすこし様子をみてみないとわからない。

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2012/06/09

巨大津波は生態系をどう変えたか 生きものたちの東日本大震災 永幡嘉之


「巨大津波は生態系をどう変えたか」生きものたちの東日本大震災
永幡嘉之 2012/04 講談社ブルーバックス  新書 212p
Vol.3 No.0725 ★★★★★

 震災直後はまとまった長文はかけず、また緊急用のツイッターに依存したために、復活後の当ブログも、短文の箇条書きをいくつも連ねるというスタイルが数カ月続いた。それはそれで、後で読んでみると、臨場感があって、決して悪いスタイルではない。

 この本もまた、各論的には感動したり、圧倒されたりする部分も多く、意表を突かれたという意味では、箇条書きでたくさんのメモを遺しておきたいと思う一冊ではある。しかしながら、各論的な感想はいずれ自分なりに集約されて、ひとつの方向性の見える読書になっていってほしいと、今は願っている。

 震災も一年数カ月前のこととなり、当ブログ全体が統合の時期に入っている今、この本についても、総論的に読み込みをすすめなければならない。

 1973年生まれで、関西で育った著者は、岩手県田老町出身の妻と、現在は山形に居を構えているらしい。2012年2月からなったという、東京大学保全生態学研究室特任研究員、という立場はどういうものか、私にはにわかにはわからないが、いずれ、生態系にくわしいカメラマン、という認識でよいのだろう。 

 写真集やカメラマンについては、当ブログでも散発的に触れてきた。小齋誠進写真集「その時、閖上は」(2011/08 有限会社印刷センター)に感動してみたり、石川梵「フリスビー犬、被災地をゆく」(2011/12 飛鳥新社)をこき下ろしてみたり、「TSUNAMI3・11: 東日本大震災記録写真集」に意味不明な違和感を感じたりしてきた。

 その他いろいろ写真集もパラパラ手にとってきたが、この本はまた、一風変わった本である。ブルーバックスということで、科学的な読み物となっているが、植物や小動物たちの図鑑のような写真が多数含まれている。

 「生きものたちの東日本大震災」とはいうものの、メインに取り上げられているのは、宮城県仙台平野の沿岸部分がほとんどである。つまり、日常的に、私自身が小さい時期から触れている、地元の自然について書かれているので、その意味では実に興味深かった。

 しかし、と言いたい。これは「研究者」の目であって、地元に暮らす「生活者」の目ではない。地元の人間が、これだけ地元の小動物たちに目を配ることはほとんどない。そんなことをしていたら、人間として生きていけなくなる可能性もある。

 例えば、「仙台平野の歴史津波―巨大津波が仙台平野を襲う!」の飯沼勇義は、震災の10数年前から、仙台湾の蒲生干潟の在り方に疑問を提出していた。仙台新港をつくるため、防潮林が伐採され、そのあとにできた干潟に海岸線の生態系が「復活」した。それらを保護する動きに対して、飯沼はその生態系を守るより、やがてやってくる巨大津波のために、防潮林を復活させたり、堤防を作る方が先決だ、と主張していた(と思う)。

 「巨大津波研究者」としての飯沼の予言はまさに的中してしまったわけだが、さて、ここでは、人間が大事なのか、地球全体の生態系が大事なのか、という問題は当然でてくる。

 「東北を歩く 増補新版  小さな村の希望を旅する」(2008/07 新宿書房)の結城登美雄などの視点によれば、震災前から、すでに東北の生態系は崩壊してしまっているのであり、センセーショナルな形で東北に注目をしたとしても、本当の意味での「東北復興」はあり得ない、ということになる。

 あるいは「森は海の恋人」畠山重篤のような人によれば、震災の後はむしろ海は豊かになるという。いずれそれは、「生活者」の視点があるからこそでてくる、やせがまんの面があるにせよ、巨大津波は確かに生態系を変える可能性があり、悪い方向ばっかりではないだろう、という反論はでてくるに違いない。

 たとえば宮沢賢治なら、著者のようなデリケートな視点で、被災後の小動物たちに愛情あふれる視線を投げかけたであろうことは間違いない。むしろ、科学者の目を超えて、隣人として共感のあまり絶叫したかもしれない。

 しかし、賢治はカメラマンでもなければ、「研究者」でもなく、それを童話や詩という形で昇華しようとした。アリの目でひとつひとつの事象を正確に把握し続けることも大事なことだが、はてさて、それを今回は、たとえば南方熊楠なら、一体どうしただろう。

 秋までの間、生活に結びつく仕事をせず、毎朝起きると沿岸部に走って頻繁に家を空ける私を、乳児を抱えていた妻は何もいわずに送りだしてくれた。ハマナスやヒメマイトトンボが健在だったことを話すことはあっても、津波の話は家ではあまりしなかった。p212「エピローグ」

 当ブログは、この本のような貴重な科学者マインドによるデータを大事にしながらも、3・11後を、ひとりの地球人としてどう生きるのかを考え続けていきたい。 そういえば「昆虫にとってコンビニとは何か?」(高橋敬一 2006/12 朝日新聞出版)という一冊があったことをふと思い出した。

 一人の人間としてはいずれは死亡する。死亡率100%だ。人類もいずれは絶滅するだろう。期限を区切らなければ、絶滅危惧種のひとつであることは間違いない。そして、小動物たちも、また、絶滅が予測されないものはない。

 今は外来種として、国内の在来種を駆逐しつづけている生物たちも、個体としては消滅し、種としても絶滅することは必至なのだ。

祇園精舎の鐘の声

諸行無常の響きあり

沙羅双樹の花の色

盛者必衰の理をあらわす

おごれる人も久しからず

ただ春の世の夢のごとし

たけき者も遂には滅びぬ

偏に風の前の塵に同じ

 この命にも必ず死は訪れる。人類にも、地球にも、その生態系にも、いずれは終わりがやってくる。だからこそ、この命を大事にし、この命のあるうちに、生死を超える道に辿り着くことこそを、当ブログの指標としておきたい。

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2012/06/08

Meditation in the Marketplace<3>Marketplace関連図書リスト

<2>からつづく

「Meditation In the Marketplace」 

<3>Marketplace関連リスト 編集中

「金持ち父さん貧乏父さん」アメリカの金持ちが教えてくれるお金の哲学 ロバート・T.キヨサキ /シャロン・L.レクター 2000/11 筑摩書房 
「新代理店経営戦略読本」  保険21世紀研究会(編) 2001/05 近代セールス社 
「金持ち父さんのキャッシュフロー・クワドラント」 経済的自由があなたのものになる ロバート・T.キヨサキ /シャロン・L.レクター 2001/06 筑摩書房 
「気がつくと机がぐちゃぐちゃになっているあなたへ」 リズ・ダベンポート /平石律子 2002/09 草思社 
「金持ち父さんの投資ガイド(上級編)」 起業家精神から富が生まれる ロバート・T.キヨサキ /シャロン・L.レクター 2002/03 筑摩書房 
「『心の専門家』はいらない」 小沢牧子 2002/03月 洋泉社 
「FPになろう」 目指す人のためのよくわかるハンドブック   酒井富士子 2003/09 インデックス・コミュニケーション 
「最強のファイナンス理論」 心理学が解くマーケットの謎 真壁昭夫 2003 
「『超保険』解体新書」 「超保険」研究会 2004/03 績文堂出版 
「Riki力道山、世界を相手にビジネスした男」 東急エージェンシー 2004/04  単行本 
「心を商品化する社会」  「心のケア」の危うさを問う 小沢牧子・中島浩籌 2004/06洋泉社「はじめての金融工学」 真壁昭夫 2005/04講談社 
「企業再生とM&Aのすべて」 藤原総一郎 2005/05 文藝春秋 
「事故と心理」 なぜ事故に好かれてしまうのか 吉田信彌 2006/8 中央公論新書 
「保険屋SNS、これまた楽し」 
「インドビジネス」 驚異の潜在力 島田卓 2006/9 祥伝社 
「スピリチュアル・マネープログラム」 Light in Light MA 2006/05 新風舎 
「F1ビジネス」 もう一つの自動車戦争 田中詔一 2006/05 角川書店 
「金持ち父さんの起業する前に読む本」 ビッグビジネスで成功するための10のレッスン ロバート・T.キヨサキ /シャロン・L.レクター 2006/11 筑摩書房 
「上位15%に残る株式投資法とは」
「新日本保険新聞」 新日本保険新聞社 2007/9 
「セカンドライフメタバースビジネス」 大槻透世二 2007/07 ソフトバンククリエイティブ 
「ザ・シークレット」 ロンダ・バーン /山川紘矢他訳  2007/10  角川書店 
「日本版FPジャーナル」 2007年10月号(第92号)日本ファイナンシャル・プランナーズ協会
「カウンセラー・トレーニング・メモ」 
「クラウド化する世界」 ビジネスモデル構築の大転換 ニコラス・G.カー /村上彩 2008/10 翔泳社 
「NPO法人のすべて」 増補7版 特定非営利活動法人の設立・運営・会計・税務 斎藤力夫/田中義幸 2008/11 税務経理協会 
「仕事ができる人はなぜレッツノートを使っているのか?」 山田祥平 2009/01 朝日新聞出版 
「CFP試験読んで受かる『合格読本』(2009年度版 2)」 ライフプランニング・リタイアメントプランニング/リスクと保険 DaiーXの資格書 プロFP Japan 2009/06 ダイエックス出版 「グリーン・ニューディール」 これから起こる変化と伸びるビジネス 三木優 2009/07 近代セールス社 
「『クラウド・ビジネス』入門」 世界を変える情報革命 林雅之 2009/03 創元社 
「コミュニティビジネス入門」 地域市民の社会的事業 風見正三/山口浩平 2009/10 学芸出版社 
「よくわかる保険業界」最新2版  最新〈業界の常識〉 満野龍太郎 2010/07 日本実業出版社 
「見直し以前の『いる保険』『いらない保険』の常識」 清水香 2010/07 講談社 
「生保・損保特集 2010年」 東洋経済新報社 2010/10  
「世界一やさしい保険の本」 行列のできる保険ショップがはじめて書いた あなたにピッタリ!保険選びの決定版 保険相談センター  2010/09 東洋経済新報社 
「自動車保険金は出ないのがフツー」 加茂隆康 2010/07 
「生命保険のウラ側」 後田亨 2010/02 朝日新聞出版 
「『ツイッター』でビジネスが変わる!」 グーグルを越える情報革命 ジョエル・コム/小林啓倫 2010/01 ディスカヴァー・トゥエンティワン 
「週刊 ダイヤモンド 」2010年 7/17号 [雑誌] 特集 ツイッターマーケティング入門 ソーシャルメディアはこう使え! twitter ダイヤモンド社  
「保険完全ガイド―保険辛口ランキング50」 100%ムックシリーズ 2010/09 晋遊舎 
「ゆっくりやさしく社会を変える」 NPOで輝く女たち 秋山訓子 2010/10 講談社 
「がんばろう!日本 災害復興計画」 リベラルタイム 2011/06 リベラルタイム出版社
「災害から親を救う50の手立て」 米山公啓 2011/07 扶桑社 
「災害そのとき人は何を思うのか」 広瀬弘忠/中嶋励子 2011/07 ベストセラーズ

<4>につづく

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3・11後を生きるきみたちへ 福島からのメッセージ  たくきよしみつ


「3・11後を生きるきみたちへ」福島からのメッセージ
たくきよしみつ 2012/04  岩波書店  岩波ジュニア 新書  226p
Vol.3 No.0724 ★★★★★

 内容的には、前著「裸のフクシマ 原発30km圏内で暮らす」(2011/10 講談社)とほぼ同等だが、半年後に出た本であり、情報もあらたに整理されており、また岩波ジュニア新書ということで、やや低年齢層にもわかりやすい科学読本のスタイルを導入してある。

 著者は、なにやら若くして文学賞を受賞した人で、その後は、都会と田舎に二重の生活基盤を持ちながら、パソコン関係の本を書いている人、という認識だったが、どうやら、もともとはミュージッシャンらしい。

 みずからの音楽的な成果も自負しているようなので、時と場所を得たら、ひょっとすると、同年輩の、宮下富実夫喜多郎のような存在になったのかもしれないと、想像してみる。著者名で地元図書館のリストを検索してみると、著書は何冊もでてくるのだが、視聴覚資料は、残念ながら一点もみつからなかった。

 この本は、過大評価したい部分と、過小評価しなければならない部分が混在しており、結局は、ありきたりの評価になってしまった。

 お気に召さないのは、結局、この人は一体、何のために本を書いたり表現しているのだろう、というところ。いや、それは分かっているのだが、表現者としては、その詰めが甘いのではないか。あるいは、ここまで来ているのなら、もっと先まで行かなくてはならないだろう、というところが、どうも不満を感じさせる。

 つまり、スピリチュアリティへの言及がない。あるいは、瞑想の理解を開示していない。著者には、他の表現物が多数あるので、それらにも目を通してみる必要があるが、すくなくとも、彼の数冊を読んだ限りにおいては、決定的なパーツが不足している。

 逆に言えば、当ブログでも理想化してきたアルビン・トフラーの「第三の波」の、森の中のエレクトロニック・コテッジを地で行ったようなライフスタイルは見事だったと思うし、うらやましいと思う。現実にそのような生き方ができたのだという、実践の人でもある。

 しかし、ここからだ。「3・11後を生きる」のは、「きみたち」ではなくて、私たち、わたし、なのだ。たくきよしみつにとって、「3・11後を生きる」のは、フクシマとか原発とかにかかわり続けること「だけ」に終始することではないだろう。

 これをきっかけに、ここを契機に、さらに極めていかなくてはならないことがあるはずだ。それは、他者に転化できるものではない。科学に精通し、芸術の才に恵まれた著者には、さらに「意識」への高見へと上昇し得る可能性がある。

 この本の問題提起はほとんど納得できる。著者の生き方も素晴らしい、うらやましいと思う。だが、ここまできたら、さらにもう一歩先にいかなくてはならない。科学や芸術とトリニティを維持できるほどのクリアな意識だ。当ブログ流にいえば、瞑想が必要なのだ。

 むしろ、パソコン周辺や原発周辺の科学的な知識や情報は、彼にとっては専門的な分野ではないはずだ。文学や音楽のほうがもっと彼らしい分野だろう。遅ればせながら、彼はどんな音楽をつくっているのだろう、と興味しんしんとなってきた。

 そして、彼こそが期待され、彼こそが招待されているのは「意識」の世界だ。この世界を探求し、到達し、あるいは、それを表現し、普遍化する、という作業に、彼ほど似つかわしい人はいない。「3・11後を生き」ようとする、たくきよしみつに、私は、そう感じるのである。

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2012/06/07

地球交響曲 ガイアシンフォニー第四番 サウンドトラック


「地球交響曲 ガイアシンフォニー第四番」 サウンドトラック
2001/10 ビクター エンタテインメント 録音ディスク1枚 大きさ 12cm
Vol.3 No.0723
★★★★★

吉野 (3:15) / 長屋和哉 ブルー・バード (2:48) / ボーイズ・エアー・クワイア ピアノ協奏曲 第21番 ハ長調 (K. 467) (6:43). 第2楽章 / モーツァルト ; イェネ・ヤンドー, ピアノ ます (5:03) / フジ子・ヘミング 水の妖精 (3:49) / 神山純一 タンホイザー (4:20) : 歌劇 / ワーグナー ; スロヴァキア・フィルハーモニー管弦楽団 カイルア・レイン (5:45) / ビル・ケアリー アヴェ・マリア (2:54) / ボーイズ・エアー・クワイア 四季 (5:03) / ヴィヴァルディ ; スーザン・オズボーン トッカータとフーガ (3:00) / バッハ ; ハンス・クリフトフ・ベッカー・フォス ルリ・ルラ (3:28) / ボーイズ・エアー・クワイア 夜想曲 第1番 (4:53) / フィールド ; ケリー・ヨスト リインカーネーション (5:42) / 石原真治 夜間飛行 (4:31) / Tingara カナリア海流 (4:27) / 神山純一 星ぬ子守歌 (5:16) : ふしぬくわぁぬいうた / Tingara

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2012/06/06

図説密教の世界 正木晃


「図説密教の世界」ふくろうの本
正木晃 2012/05河出書房新社 全集・双書 127p
Vol.3 No.0722 ★★★★★

 別にスピリチュアリティとして密教を取り上げる必要もないし、仏教のもっとも最新的な理解は密教に依拠しているとしても、当ブログが密教に拘泥する必要などないのだ。

 しかし、正木晃の新刊となれば、これは一度は手にとってみたくなる。正木晃関連リストは当ブログとしては未作成であったようだが(近日作成)、当ブログとしては彼の著書には多大な恩恵を感じている。

 この本、評価に悩む。正木本人が書こうとしている本音の部分についてはレインボー評価してなんら問題はないが、これは「ふくろうの本」として、出版社の企画の中でつくられている本である。不本意な形で、網羅的に含めなければならない個所がいくつもある。だから、どうもその辺は蛇足的なので評価できない。

 最後に、著者のチベット仏教の師であるツルティム・ケサン大谷大学名誉教授(1942~)の言葉を紹介しておこう。
 「チベット仏教のレベルから見て、高く評価できる日本人僧侶は一人しかいない。それは空海である。」
p125「近世・近代の密教」

 21世紀以降における地球人のスピリチュアリティが、仏教に絞りこまれたとも限らず、また、ひとり密教たかしと決まったわけでもない。ましてや、チベット密教が避けて通れない不可欠なものとなってしまったわけでもない。

 だから、別にここでツルティム・ケサンの言葉に引っ掛かる必要もないのだが、空海と言えば、今、聴きつつある、喜多郎宮下富美夫の世界にも深く影を落としていることを忘れることはできない。

 ブッダの悟りの世界は言葉で表わすことはできない、だから美術や象徴で表現する、とする密教が発達したのは、それはそれでいいとして、それを持ってして、密教重視も困ったもんだと、私なら思う。

 そもそも、人間のさとりに、この本に書かれたような網羅的な知識を必要とすることはない。むしろ、時には邪魔になるだろう。正木晃という優れた現代の研究者の本としては無視できない一冊だが、このような網羅本を書かせなければならない出版社の事情とか、あるいは、読者の要求とかについては、私はあまり健全なものではない、と感じる。

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MU-LEGEND OF LEMURIA 月光編 第3章 ヒーリング・ビデオ 宮下冨実夫

Moon
「MU-LEGEND OF LEMURIA 第3章 月光編」  ヒーリング・ビデオ
宮下冨実夫/音楽監督 1992 ポニーキャニオン VHS 30分 関連リスト
Vol.3 No.0721★★☆☆☆ 

 30分ビデオとはいいつつ、実際は20分強しかない。これではちょっと短すぎる。この音と映像から、ムーやレムリアをイマジネートせよ、というなら、この世の森羅万象、どこを見ても、それは可能ということになる。

 私ははっきり言って、このビデオシリーズは羊頭狗肉と判断せざるを得ない。出会い方があるのだろうし、共鳴し合う人間のタイプというものもあるだろう。評価されるべき人には評価されていいと思う。しかし、20年も経った今、ようやく私がこのビデオを手にしている理由がすこしわかった気がする。

 ボーディソニックで聴くように開発されたもののようでもあり、ボディーソニックのソフト不足の為に作られたようでもあり、時代を感じさせる一面がある。テクノロジーの発達と、ソフトの感性、そして、よりクリアな、もっと進化した「意識」が必要だ。この教訓は、2012年の今日的な課題でもある。

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MU-LEGEND OF LEMURIA 第2章 編 ヒーリング・ビデオ 宮下冨実夫

 Taiyo
「MU-LEGEND OF LEMURIA 第2章 太陽編」 ヒーリング・ビデオ
宮下冨実夫/音楽監督 1992 ポニーキャニオン 30分 VHS 関連リスト
Vol.3 No.0720★★★☆☆ 

 このビデオのタイトルを発見した時は、おおっ、と驚きの声を上げてしまったが、ワクワクしながらみたわりには感動が薄かった。映像も今となっては、シンメトリを多様するなど、特筆すべきこともない。

 音から、ムーやレムリアを連想するとするなら、別に映像を必要としないし、ダイレクトにムーやレムリアにコネクトしようとすれば、富実夫の音も、少し邪魔にさえなる。このビデオからなにかの「情報」や「知識」を得ようとすることが間違っていたのだろう。

 1992年という、このビデオが制作された時代を考えてみる。バブルが崩壊しても、経済にどっぷりつかっていなかったライフスタイルの人間たちには、まだ、本当のその「崩壊」の意味がわかっていなかった。

 意味のないバブルの上に乗っかったかたちで90年代に突入し、イメージばかりが先へ先へと急いでいくスピリチュアル界。やがて95年のデッドエンドに突入する準備段階であったおいうべきだ。そのような環境の中で、このビデオシリーズが制作されている。

 シンセサイザーやビデオなど、電子機器の発達で、ただ振り回すだけで、それなりの世界が生み出されていた時代がある。しかし、時代とともに、それは「意識」と同調しながら、洗練されていく必要がある。

 インターネットやモバイル環境によるコンピュータワールドの発展も、今は目新しくても、いずれは「意識」と大きく繋がらないと、本来の意味を失っていく可能性は大である。

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2012/06/05

ヒーリングライフ<1> 人と地球を癒す音 宮下富実夫

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「ヒーリングライフ」 人と地球を癒す音 <1>
宮下富実夫 1998/08 春秋社 単行本 CD付 p205 関連リスト
Vol.3 No.0719★★★★☆

 「癒しの音を求めて」(1999/06 春秋社)と「リズム絶対主義」(2000/12 扶桑社)のさきがけとなった一冊。これら三冊で、単行本三部作、と考えていいのだろうか。癒し系のミュージシャンというスタイルだが、能書きはなかなかシンプルとはいかない。

 シンセサイザーでの音作りにも、それなりの音楽「理論」というものが必要とされるのだろうが、ヒーリングミュージックにも、それなりの論理的根拠を求めている、という風情である。それがどこまで本当で正しいのかは知らないが、ひとつひとつを点検する気にはならない。

 本来、絵は絵であり、音楽は音楽である。たとえば、近眼が治る絵というものがあり、それを見ると確かに治療効果があるのかもしれないが、その絵を「名画」とはいわない。あるいは、近眼が治るかどうか、で絵を見ているとすると、それは、どこか絵画というアートに対する冒涜のような気にもなってくるのだが、どうだろう。

 音楽も、そもそも作り手はそれなりの工夫をしているのだろうが、聞き手のほうは、ひとつひとつの「効果」を期待しているわけではない。モンロー研究所のヘミシンクCDのように、過去生にさかのぼるための音作りというものもあるそうだが、私は眉唾である。

 いずれにせよ、私は、宮下富実夫という人の音楽は好きだが、あまり、理論的なことにはあまり「耳」を貸したくない。単純に音は音として楽しませていただければ、それでよい、という感じだ。

<2>につづく

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2012/06/04

MU-LEGEND OF LEMURIA 第1章 創造編 ヒーリング・ビデオ 宮下冨実夫

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「MU-LEGEND OF LEMURIA 第1章 創造編」 ヒーリング・ビデオ
宮下 冨実夫/音楽監督 1992 ポニーキャニオン ビデオテープ 関連リスト
Vol.3 No.0718★★★★☆

 ふむ~、こういうビデオも作っていたのか、とその「先見性」に目を開く。もっとも、ファーイースト時代に「地球空洞説」などを発表しているアーティストだけに、この程度のことは当たり前だと言えるだろう。

それにしても、ムーとレムリアを混同してひとつの単語にしてしまうこと自体、なかなか当ブログ好みではある。彼にして、このような発想でいたか、と納得。見るまでは、いやが上でも期待が高まった。

 しかし、実際の映像を見てみると、たんに南米かどこかの山岳風景を飛行機の上から撮影しているようなものが多く、そこに何かをイメージしろ、というのも、なかなか「親切」なビデオではある。

 もしかして、すべての神話と伝説が、かつて真実であった、と考えることは出来ないでしょうか。あなたがイメージの扉を開くとき、伝説は再び現実となり、自然は美しく息を吹き返すのです。

 これは「想像」と「瞑想」のためのヴィジュアル・メディテーション・ビデオです。どうぞイメージの扉を最大限に開放して、この何気ない映像の中に存分に心を遊ばせて見て下さい。

 現実には存在しなかった島が見え、円環の虹の中、太陽に向かって伸びてくる人影が動き、様々な不思議が映ります。あなた自身のリズムを、地球の呼吸に合わせ、忙しい日常のすべてを忘れて------。パケット裏カバー

 製作人に湯川れい子の名前が見える。時代背景を考えれば、出るべくして出た作品群ということになろう。続編に「太陽編」、「月光編」がある。三部作。

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2012/06/03

平安 宮下富実夫

Photo
「平安」
 宮下富実夫 1991/05 Biwa Records  CD 関連リスト 
Vol.3 No.0717★★★★☆

 

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2012/06/02

>つながりすぎた世界 インターネットが広げる「思考感染」にどう立ち向かうか ウィリアム・H.デーヴィドー


「つながりすぎた世界」インターネットが広げる「思考感染」にどう立ち向かうか ウィリアム・H.デーヴィドー/酒井泰介 2012/04 ダイヤモンド社 単行本 270p Vol.3 No.0716★★★☆☆  

 ウィリアム・パワーズの「つながらない生活  『ネット世間」』の距離のとり方」(2012/02 プレジデント社)に連なるようなタイトルであるが、ニコラス・A・クリスタキスの「つながり 社会的ネットワークの驚くべき力」(2010/7講談社) とは真逆のタイトルでもある。しかし、位置的には、この二冊の間に挟まるような位置にあるのが、この「つながりすぎた世界」である。  

 アメリカのハードカバー本にありがちな、重厚な語り口は、ともすると、すでにわかりきったことを延々と述べていくスタイルは、この本も同じである。コンピュータやインターネットの発展経過を自分なりにまとめ、それを産業革命や、自動車産業と比較する。

 そして、近年のインターネットにまつわるあれこれのエピソードを捉えて、そこに自らのコメントを加える。殆どがそのような形にまとまってしまうので、本当は、それほど多くのことをこの本から学べるわけではない。

 著者の結論は三つ(ないし四つ)。p225

1)応急処置で解決しようとしない。
2)安全域を十分にとる。
3)不必要な結びつきをつくらない。
4)本質的に危険なシステムをつくらない。

 メーカーや開発者、ビジネスや教育、行政、さまざまな立場で、その意見や態度は一様ではあり得ないが、当ブログでは基本的な一般的なネットユーザーとして、200人程度のゆるいつながりを提唱してきた。

 200人のうちのコアなつながりを30人程度と作っておけば、ほとんど世界中の70億人とつながり得る、という発想だ。それは決して固定的なものではなく、常に流動的で可変的ではあるが、6次の隔たり法則と、20対80の法則で、ほとんど裏打ちされている。

 ツイッターで何万人もフォローしフォローされている、なんてことを自慢する人もいるが、それはまさに「つながりすぎた」世界であろう。本書でいうところの「過剰結合」(オーバー・コネクティビティ)である。

 もっとも、私はそれはつながり過ぎているとは表現しない。それはつながっていないのだ。手は2本あるが、数万人と同時に握手するなんてことはできない。また、相手からも、数万人のひとりとしてさえ認識されない可能性もある。

 著者の使う言葉で、もうひとつ「思考感染」という言葉がある。これもまた、そもそも思考は感染そのものなのであるから、そこそこにマスクや手洗いで防御する必要がある。

 メガ情報化社会に貢献する必要はなにもなく、ほどほどに情報社会を活用し、利用すればいい。必要以上にクレジットカードを使う必要もないし、ネットつながりの数を自慢しあう風潮に同調する必要もない。

 Oshoは「大いなる挑戦ー黄金の未来」の中で、ひとつの世界政府と小さなコミューンのつながりの世界を語っている。家族のありかた、政治のありかた、人生そのものをどうとらえるか、など、基本的な部分の理解や構築がなければ「つながり」だけを考えることはできないだろう。

 ネグリは「<帝国>」の中で、マルチチュードは、武器、貨幣、憲法を、自らのものにしなければならないと語る。世界がグローバル化すれば、この三つは必然的につながりを持たざるを得ないだろうし、そのプロセスは必然の流れとして今後も激化することはまちがないない。

 しかし、その中にあっても、なお、ひとりの人間として、一人の地球人としての、適正なサイズを忘れてはならない。

 

 

 

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2012/06/01

舞 宮下富実夫


「舞」
宮下富実夫 1991 Biwa Records ヒーリングCD 関連リスト 
舞い踊り躍動する、自然界の呼吸とリズムを描いた作品。 【心身のバイオリズムの調和に】 舞い踊る自然の姿を表現した作品。 呼吸とリズムを自然界のバイオリズムに調和させ、心身の躍動を創り出します。 羅動と活力の増強のために。
Vol.3 No.0715★★★★★

太陽の舞

水の舞

火の舞

花の舞

風の舞

月の舞

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