Meditation in the Marketplace<4>十牛図十番 世間にて
「Meditation In the Marketplace」
<4>十牛図十番 世間にて
これまでの当ブログに登場したMarketplace関連図書のリストを作成してみて、つくづく思う。登場したのは40冊程度。すでに約2800冊を読み込んでいる当ブログの中では1.4%。さらに、その中にあっても、本当に、自らの仕事に直接つながっていると思われるものは、わずかに2冊。0.1%にも満たない。
しかもその2冊は、当ブログが開始する数年以上前に読み込んだ本であり、出版されて、すでに10年の時間が経過しているものである。記念碑的な本ではあっても、すでに内容は陳腐化している。現状に役立つものではない。
そもそも、当ブログと、自らの日常の仕事はリンクしていない。別次元のこととして進行してきた。どちらが真実でどちらが大事ということではない。どちらも大事なのであって、どちらも真実だ。
これまでもこの二つをリンクしようと試みたことは、何度もある。いや、その試みた時の残骸が、40冊程度の関連本として残されているのだ。そしてそれらは、いずれも失敗した。まさに、何度も試みたときの、ためらい傷の記録として、これらの関連本リストが残されている。
時あたかも、当ブログは、カテゴリを「Meditation in the Marketplace」と決めて、テーマ文を「Meditation in the Marketplace」としてメモし始めたところだ。しかしながら、MeditationとMarketplaceは、見事に分裂していく。すでに定量の108冊の書き込みのうち、3分の1を経過しても、テーマ文は遅々として進まない。
Meditationというテーマも鬼門である。この方向に進んでいくと、言葉を失う。ブログとして記録することの意味が薄くなっていくのだ。視聴覚資料の借り出しに熱中して、いまでは喜多郎や宮下富実夫、タンジェリン・ドリームの軌跡をトレースすることでせいいっぱいだ。
なにはともあれ、この二つの痕跡がこのカテゴリ、このテーマの手がかりだ。最終目標は、十牛図の十番。
十 世間にて (入てん垂手)
足は裸足で、胸ははだけ
私は世間の人々と交わる
服はぼろぼろで埃まみれでも
私はつねに至福に満ちている
自分の寿命を延ばす魔術など用いない
いまや、私の目の前で
樹々は息を吹き返す
私の門の中では、千人の賢者たちも私を知らない。私の庭の美しさは目に見えないのだ。どうして祖師たちの足跡など探し求めることがあるだろう? 酒瓶をさげて市場にでかけ、杖を持って家に戻る。私が酒屋やマーケットを訪れると、目をとめる誰もが悟ってしまう。 Osho「究極の旅」p449
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