巨大津波は生態系をどう変えたか 生きものたちの東日本大震災 永幡嘉之
「巨大津波は生態系をどう変えたか」生きものたちの東日本大震災
永幡嘉之
2012/04 講談社ブルーバックス 新書
212p
Vol.3 No.0725 ★★★★★
震災直後はまとまった長文はかけず、また緊急用のツイッターに依存したために、復活後の当ブログも、短文の箇条書きをいくつも連ねるというスタイルが数カ月続いた。それはそれで、後で読んでみると、臨場感があって、決して悪いスタイルではない。
この本もまた、各論的には感動したり、圧倒されたりする部分も多く、意表を突かれたという意味では、箇条書きでたくさんのメモを遺しておきたいと思う一冊ではある。しかしながら、各論的な感想はいずれ自分なりに集約されて、ひとつの方向性の見える読書になっていってほしいと、今は願っている。
震災も一年数カ月前のこととなり、当ブログ全体が統合の時期に入っている今、この本についても、総論的に読み込みをすすめなければならない。
1973年生まれで、関西で育った著者は、岩手県田老町出身の妻と、現在は山形に居を構えているらしい。2012年2月からなったという、東京大学保全生態学研究室特任研究員、という立場はどういうものか、私にはにわかにはわからないが、いずれ、生態系にくわしいカメラマン、という認識でよいのだろう。
写真集やカメラマンについては、当ブログでも散発的に触れてきた。小齋誠進写真集「その時、閖上は」(2011/08 有限会社印刷センター)に感動してみたり、石川梵「フリスビー犬、被災地をゆく」(2011/12 飛鳥新社)をこき下ろしてみたり、「TSUNAMI3・11: 東日本大震災記録写真集」に意味不明な違和感を感じたりしてきた。
その他いろいろ写真集もパラパラ手にとってきたが、この本はまた、一風変わった本である。ブルーバックスということで、科学的な読み物となっているが、植物や小動物たちの図鑑のような写真が多数含まれている。
「生きものたちの東日本大震災」とはいうものの、メインに取り上げられているのは、宮城県仙台平野の沿岸部分がほとんどである。つまり、日常的に、私自身が小さい時期から触れている、地元の自然について書かれているので、その意味では実に興味深かった。
しかし、と言いたい。これは「研究者」の目であって、地元に暮らす「生活者」の目ではない。地元の人間が、これだけ地元の小動物たちに目を配ることはほとんどない。そんなことをしていたら、人間として生きていけなくなる可能性もある。
例えば、「仙台平野の歴史津波―巨大津波が仙台平野を襲う!」の飯沼勇義は、震災の10数年前から、仙台湾の蒲生干潟の在り方に疑問を提出していた。仙台新港をつくるため、防潮林が伐採され、そのあとにできた干潟に海岸線の生態系が「復活」した。それらを保護する動きに対して、飯沼はその生態系を守るより、やがてやってくる巨大津波のために、防潮林を復活させたり、堤防を作る方が先決だ、と主張していた(と思う)。
「巨大津波研究者」としての飯沼の予言はまさに的中してしまったわけだが、さて、ここでは、人間が大事なのか、地球全体の生態系が大事なのか、という問題は当然でてくる。
「東北を歩く 増補新版 小さな村の希望を旅する」(2008/07 新宿書房)の結城登美雄などの視点によれば、震災前から、すでに東北の生態系は崩壊してしまっているのであり、センセーショナルな形で東北に注目をしたとしても、本当の意味での「東北復興」はあり得ない、ということになる。
あるいは「森は海の恋人」の畠山重篤のような人によれば、震災の後はむしろ海は豊かになるという。いずれそれは、「生活者」の視点があるからこそでてくる、やせがまんの面があるにせよ、巨大津波は確かに生態系を変える可能性があり、悪い方向ばっかりではないだろう、という反論はでてくるに違いない。
たとえば宮沢賢治なら、著者のようなデリケートな視点で、被災後の小動物たちに愛情あふれる視線を投げかけたであろうことは間違いない。むしろ、科学者の目を超えて、隣人として共感のあまり絶叫したかもしれない。
しかし、賢治はカメラマンでもなければ、「研究者」でもなく、それを童話や詩という形で昇華しようとした。アリの目でひとつひとつの事象を正確に把握し続けることも大事なことだが、はてさて、それを今回は、たとえば南方熊楠なら、一体どうしただろう。
秋までの間、生活に結びつく仕事をせず、毎朝起きると沿岸部に走って頻繁に家を空ける私を、乳児を抱えていた妻は何もいわずに送りだしてくれた。ハマナスやヒメマイトトンボが健在だったことを話すことはあっても、津波の話は家ではあまりしなかった。p212「エピローグ」
当ブログは、この本のような貴重な科学者マインドによるデータを大事にしながらも、3・11後を、ひとりの地球人としてどう生きるのかを考え続けていきたい。 そういえば「昆虫にとってコンビニとは何か?」(高橋敬一 2006/12 朝日新聞出版)という一冊があったことをふと思い出した。
一人の人間としてはいずれは死亡する。死亡率100%だ。人類もいずれは絶滅するだろう。期限を区切らなければ、絶滅危惧種のひとつであることは間違いない。そして、小動物たちも、また、絶滅が予測されないものはない。
今は外来種として、国内の在来種を駆逐しつづけている生物たちも、個体としては消滅し、種としても絶滅することは必至なのだ。
祇園精舎の鐘の声
諸行無常の響きあり
沙羅双樹の花の色
盛者必衰の理をあらわす
おごれる人も久しからず
ただ春の世の夢のごとし
たけき者も遂には滅びぬ
偏に風の前の塵に同じ
この命にも必ず死は訪れる。人類にも、地球にも、その生態系にも、いずれは終わりがやってくる。だからこそ、この命を大事にし、この命のあるうちに、生死を超える道に辿り着くことこそを、当ブログの指標としておきたい。
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