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2012/06/20

マーケット・プレイスでの瞑想 The Osho Upanishad <4>

<3>よりつづく 

Upanishad
The Osho Upanishad <4>
Osho (著) 1986/11 出版社: Rajneesh Foundation Intl ペーパーバック: 1032p 言語 英語, OSHO Internationai Newletter 2008/04からの転載

マーケット・プレイスでの瞑想

 Q:Osho,私は「マーケット・プレイスでの瞑想」というグループをリードしています。そのグループは、マインドがどのようにその人の現実をつくりだしているのかを、教える事を含んでいます。エクササイズのひとつは、欲望をかなえる方法を人びとに見せることです。欲望をかなえる方法を人びとに見せることは、彼らを瞑想の状態へと連れて行きますか? あるいは、彼らをますます瞑想から遠ざけてしまいますか?

 A:マーケット・プレイスでの瞑想とは、私のメッセージそのものだ。だが、あなたは、そのメッセージを誤解している。まず、瞑想とはマインドの中にあるものではない。世界はマインドの中にある。瞑想はマインドを超えたところにある。マインドは世界を創造するが、瞑想を生み出すことはできない。マインドがもたらすのは、不満、充足、快楽、苦痛、不安、苦悩、もしくは動物のような満足、水牛のような満足だ。だが、水牛は、瞑想の中にはいない。

 あなたの世界とは、あなたのマインドの投影だというのは正しい。だが、あなたは、人びとが、彼ら自身の欲望に満足するようになることを助けている。あなたは重大な質問をした。あなた自身のしていることが、人びとを瞑想に導くか、それとも遠ざけるかという質問だ。それは人びとを瞑想から遠ざける。あなたは彼らの友ではない。あなたは、人びとが、彼ら自身の欲望に満足できるようになるよう、彼らにいわば、毒を与えているのだ。

 瞑想への大切な一歩となるのは神聖なる不満であり、満足ではない。自分の金、自分の力、自分の評判に満足している人間が、どうして瞑想するだろう。あなたは人びとに阿片を、麻薬を与えている。

 大昔から、すべての宗教が、同じことをしてきた。人びとに阿片を与えること。人びとを満足させること。人びとに慰めを与えること。この世間に満足することには、宗教的な価値があると教えること。すべての宗教は、人びとに慰めを与えてきた。だが、慰めは宗教ではない。

 宗教は革命だ。そして、革命が、満足から生まれることはない。それは途方もない不満から生まれる……。

 瞑想をマーケット・プレイスにもたらすがいい。だが、瞑想とは、満足という意味ではない。いつかは満足がやってくる。だが、それは瞑想の出発点ではなく、瞑想の究極の開花においてもたらされる。瞑想が深まるにつれて、あなたはより静かになり、平和に満ちてくる。よりバランスがとれ、より中心が定まり、気づきが増し、意識的になる。それにつれて、満足はまるで影のように、あなたに付き従うようになる。だが、そうなるのはあなたの作為によってではない。

 私は人びとに満足を教えない。

 だが、これまでも人びとはだまされ、ペテンにかけられてきた。あなたが世間に入って、自分の欲望に満足する方法や自分の状態に満足する方法を人びとに教えるなら、あなたは人びとから愛され、尊敬されるだろう。だが、それによって、あなたは人びとの精神に鋭さを与えるわけでもなく、人びとに英知をもたらすわけでもない。あなたは人びとを鈍感にし、凡庸にする。ばかはいつでも満足している。

 あなたは、人びとが自分自身の存在を変容させるのを助けてはいない。その場合には、不満が必要だからだ。人は、自分を変容させるためには、どんな代償、どんな危険もいとわなくなるほど、世間に対して絶望しなければならない。瞑想とは危険なものだ。危険というのは、あなたのエゴが犠牲になるからだ。あなたが残るか、それとも瞑想が起こるかのどちらかだ。

 普通、あなた方は、「自分が瞑想する」と考える。あなた方には、瞑想という現象がわかっていない。あなたが瞑想することはできない。あなたは障壁であり、邪魔者であるにすぎない。瞑想に起こってほしかったら、あなたは消えなければならない。自分が重要だという考えは、捨てなければならない。

 無のごとき人間にならなければならない。あなたが無のごとくなったとき、沈黙があなたを訪れ、それにつづいて、満足がやってくる。それは、世間に対する満足ではない。存在に対する満足、星や、薔薇や、海や、岩や、山々に対する満足だ。それは、一国の大統領や首相になることによる満足ではない。世界一の金持ちになることによる満足でもない。それは、あなた方の野心の世界とは、まったく関係がない。それは、野心のない状態だ。完全に空っぽであり、あなた自身もいない。

 そのような空っぽさの中に満足がある。花が咲くのは、そんな時だけだ。だが、そのような満足は、神に属するものであり、あなたが求めて達成したものではない。あなたは、それが起こるのを許しただけだ。あなたは、その邪魔をしなかった。あなたは、中空の竹のように、竹笛のようになった。そして歌が自分を通り抜けていくのを許したのだ。それは、あなたの歌ではない。その歌に、あなたの署名はない。それは、存在そのものの歌だ。

 マーケット・プレイスに行きなさい。マーケット・プレイスに瞑想をもたらしなさい。だが、私の言うことを、正確に理解しなさい。瞑想とは、人びとを現状に満足させることではない。人びとを現状に満足させるとは、彼らに麻薬を与えること、「あなた方はみんな正しい。人生とはこんなものなのだから。みなさんは、すでに身に余るほどのものを受け取っているではありませんか」といった言葉で彼らを慰めることだ。人びとは、そんな言葉に、喜んで耳を傾ける。

 私は言いたい。変容の旅を始めるには、まず第一に、神聖なる不満が必要だと……。変容の旅を始めるにはまず、自分の生きている世界や、自分の演じている人格に、完全にうんざりしなければならない。巡礼は、途方もない不満から始めなければならない。そのような不満がないなら、人は容易に怠慢になる……。個人がより大きな不満を抱くようにさせなさい。「この不満、この苦悩を超えていく道が、どこかに見つからないだろうか」という疑問が、彼の中に生まれるまで。

 瞑想は、不満から、苦悩から抜け出すための道だ。あなたは、ただ観る者、ただマインドを観る者にならなければならない。あなたは、マインドが世界を創造すると言った。それは真実だ。だが、瞑想はマインドではなく、マインドは瞑想をもたらさない。瞑想とは、マインドの外に出ることであり、マインドを観る者、つまり、欲望、創造、想念、夢想など、マインドの中で進行するすべてのことがらを観る者になることだ。

 あなたは、ただ観るだけの者となる。だんだんと、この観る者は、力を増し、中心が定まり、深く根を降ろすようになる。そして突然、あなたは、ひとつのことを理解する――自分はこの観る者であり、マインドではないと。そして、もろもろの物象が自分の外にあるように、このマインドもまた、自分の外にあるのだと。世間はあなたの外にある。マインドもあなたの外にある。肉体もあなたの外にある。あなたは、もっとも深いところにあるものであり、すべてあなたの外にある。

 マーケット・プレイスに行きなさい。自分のマインドを観る者になる方法を、人びとに教えなさい。だが、自分の欲望に満足する方法を人びとに教えてはいけない。ほんとうの満足が到来するまで、人びとにより大きな不満を抱かせなくてはならない。あなたが彼らを満足させるなら、彼らに、ほんとうの満足はけっして到来しない。にせもので満足してしまったら、そのこと自体が障壁となる。

 マインドは超越されなければならない。マインドは、われわれが演じるべきゲームでもなければ、われわれの生きるべき世界でもない。われわれの生きるべき世界は、マインドを超えたところにある。マーケット・プレイスでの瞑想とは美しいアイデアだが、瞑想とは何かを、ただ知的にではなく、自己の存在をもって正確に理解しなさい。人びとと分かちあえる何かを、じかに体験しなさい。そのような体験がなければ、あなたは、自分の知らないことをくり返すオウムにすぎない。

 私は、自分の知らないことをくり返すことを、私のサニヤシンたちに禁止する。自分の知らないことについては、「私は無知です。知りません」と言った方がいい。その無知は、あなた自身のものであり、少なくとも、それは真実を口にしたことになる。あなたの自尊心は、他人から借用した知識をくり返すことを自分に許してはならない。それはあなたのものではなく、それを分かちあうことはできない。そもそも、あなたはそれを持っていないのだから。

 あなたが知っているすべてのことは、あなたのマインドの領域のものだ。だが、瞑想はハートの体験だ。だから、まずあなたのハートを歌わせ、踊らせなさい。瞑想の中で喜び、それからマーケット・プレイスに行きなさい。
Osho, The Rajneesh Upanishad, #33 より抜粋

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