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2012/06/18

TOKYO 0円ハウス0円生活 坂口恭平


「TOKYO 0円ハウス0円生活」 
坂口恭平 2008/01 大和書房 単行本 277p
Vol.3 No.0736★★★☆☆

 著者の本はこれで4冊目。2004年の「0円ハウス」も近々手に取ることができると思うので、それを見たら、総括と関連リストを作ろう。

 この本も面白くないわけではないのだが、着想の割には277ページと大作で、じっくり読んでいては、このゴミに自分の貴重な時間をとられる、という感覚になり、後半は急ぎ足になる。

 シャレになる部分と、そうでない部分とないまぜになる。とにかく著者は文章がうまいので、ついつい読んでしまうが、たとえば0円生活が成立していたとしても、たとえばこれは個人のプライバシーであるし、ここまで克明にレポートする必要があるのか、という疑問を持つ。

 そもそも、0円ハウスとか0円生活、という用語自体、大げさな表現が含まれている。私たちが若いときには、ヒッチハイクなんて言葉もなくて、無銭旅行といったが、実際には無銭ではなかった。

 それと同じレベルで0円生活という言葉をあえて許容するとしても、それを一冊の本としてレポートすることにどれだけの意味があるのだろうか。あるいは、後半の部分の著者本人のライフストーリーについても、公に開示することの、どれだけの意味があるのだろうか。

 ある知人の翻訳家が、翻訳家とは、翻訳で「家」を建てることができる人のことで、自分はまだ「家」が建っていないから、翻訳家ではなくて、翻訳業である、といっていた。

 この本のレベルでいう0円ハウスなら、たぶん、建てようと思えば誰でも建てられるだろう。だが、そこにどんな意味があるだろう。人によって「家」のもっている意味はまちまちだ。

 雨露さえしのげればいい、という人もいるだろうし、天衣無縫で青天井でも平気な人もいるかもしれない。あるいは、ステータスシンボルとして、中身はなくても、とにかく一等地にデザイナーズハウスを持たなければだめだ、と思う人もいるだろう。

 人それぞれだ。ただ、私は隅田川の河川敷の住人にはなりたいとは思わない。河川敷に住むようになるかも知れないが、都会ではなく、地方を選ぶだろう。うちの奥さんは寒いところはだめだ、というから、たぶん、河川敷にもやっぱり住まないのだと思う。

 著者は別の本で、0円ハウスを、ディビット・ソローの森の生活や、鴨長明の方丈庵と比較する文章も書いているが、ソローハウスも方丈庵も0円ハウスではない。自ら設計はしているが、プロの手も入っている。拾ってきたもので作った家ではない。

 たしかに方丈庵は、荷車二台で持ち運べるよう設計されているが、移動は業者に頼むのである。やはり、キチンとこのあたりの線引きをしておく必要があるだろう。

 さらにいえば、ソローにしても、2年ほどで森の生活を卒業しているし、鴨長明も、いつまでも方丈庵にいてはいけない、と結句している。

 巻末には、処女作品である「0円ハウス」の誕生過程が書いてある。当ブログの坂口恭平読書は、現在からどんどん過去の遡っていくスタイルで進んでいる。

 そもそもこの手のワークには、ムキになって対応するべきものではない。シャレをシャレとして感じることができなければ、静かに立ち去ったほうがいいだろう。多分、当ブログは、ここから静かに立ち去る。

 それでもやっぱり坂口恭平は、ひとつの新しいコンセプトを切り拓いている、という事実は残るだろう。

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