Meditation in the Marketplace<11>マーケットプレイスでの瞑想
テーマ「Meditation In the Marketplace」
<11>iPadとFukushima
さてカテゴリは「Meditation in the Marketplace」(MMP1)からMMP2へと移行する。事態は急変してきた。日常を、そして、自らの仕事を見つめれば見つめるほど、物事はそう簡単でもなく、すべてが絡まっている、ということを実感する。
MMP1においての暫定的テーマは結局のところ、パソコン→タブレット端末の移行は是か非かというところに落ち着いた。つまりはiPadを仕事に活用するのかしないのか、そのことの裏も表もよ~く考えてみよう、ということだった。
その背景をひとつひとつ拾い上げていくと、これがなかなか面白い。哲学的であり、思想的にも輻輳した論戦が期待できる。今後もここを中心として進むとして、議題はさらに広がりを持ち始めようとしている。
私の手元には、今ふたつの書物がある。一冊は「プロメテウスの罠」(朝日新聞特別報道部 2012/03 学研)であり、もう一冊はスチュアート・ブランドの「地球の論点」(2011/06 英治出版)である。いみじくもこの二冊を対峙させてしまったのは池田純一「ウェブ×ソーシャル×アメリカ <全球時代>の構想力」(2011/03 講談社)である。
上記二冊ががっぷり4つ相撲を取り、池田純一が行司役を勤めることができるのかどうか。それはさだかではない。少なくとも、「プロメテウスの罠」は3・11をレポートしているのであり、他書二冊は3・11以前に書かれている。
3・11をはさんで、全球的思想の流れは一体どうなるのか。ここでは3・11は、鋭くFukushimaと読みかえられなければならない。
当ブログは、それなりに3・11をスキャンしてきたし、地震、津波、原発を、災害の天地人として峻別してきた。ここでは原発ではなく、事実としてのFukushimaをいまひとたび検証する必要に迫られてきた。
つづく
| 固定リンク
« 地球人スピリット・ジャーナル・ダイジェスト版<42>「Meditation in the Marketplace1」カテゴリについて | トップページ | 地球の論点 現実的な環境主義者のマニフェスト<1> スチュアート・ブランド »
「30)Meditation in the Marketplace2」カテゴリの記事
- 「演劇」性と「瞑想」性がクロスするとき 石川裕人『失われた都市の伝説』 劇団洪洋社1976(2012.10.26)
- 私にとって「演劇」とはなにか<1> 石川裕人作・演出『教祖のオウム 金糸雀のマスク』現代浮世草紙集Vol.3(2012.10.26)
- 幻のポスター発見! 石川裕人第5作目 『夏の日の恋』 贋作愛と誠 1975 <1>(2012.10.25)
- 石川裕人にとって「離脱」とは何か 『石川裕人百本勝負 劇作風雲録』<4>(2012.10.25)
- New-T 発見!石川裕人のあらたなるペンネーム 『仙台平野の歴史津波』 飯沼勇義 <7>(2012.10.24)
コメント