ジョブズ伝説 <1> アートとコンピュータを融合した男 高木利弘
「ジョブズ伝説」アートとコンピュータを融合した男
<1>
高木利弘
三五館
: 2011/12 単行本 397p
Vol.3 No.0752★★★★★
著者は1955年生まれの日本人。日本最初のMac専門誌「MACワールド日本版」を1986年に創刊したというから、1986年という、ジョブズがアップルから追放された年であることが気にはなるが、根っからのMacファン、あるいは理解者と受け取っていいのだろう。
「スティーブ・ジョブズ1,2」ウォルター・アイザックソン 2011/10 講談社
「スティーブ・ジョブズ 偶像復活」 ジェフリー・ヤング他 2005/11 東洋経済社
「アップルを創った怪物」スティーブ・ウォズニアック 2008/11ダイヤモンド社
「スティーブ・ジョブズの再臨」アラン・デウッチマン 2001/02 毎日コミュニケーションズ
「ジョブズ・ウェイ」ジェイ・エリオット他 2011/08 ソフトバンククリエイティブ 巻末のリスト参照
などを随所に読み比べており、その「伝説」のゆらぎを訂正しながらも、より全体像としてのジョブズの実像に迫る。上記のいずれの本も読んでいない当ブログとしては、今後これらの本に手をだすかどうか(アイザックソンは予約済みだが数カ月先)は決定していないが、要点のダイジェストが書いてあるので、助かる。
「アートとコンピュータを融合した男」というサブタイトルも気にいらないわけではないが、当ブログとしては、ここにZENのニュアンスも盛り込んで欲しかったと思う。もちろん、これまで読んで来た中では、その面もかなり突っ込んだ記述が多い。
自分は母親から捨てられた。自分はいなくてもいい存在だった。
ジョブズは、そのことに深く傷ついた。そして癒すに癒せない傷を抱えて、ジョブズは強烈な「自分探し」の旅を続ける。ここでいう「旅」とは、実際にインドを数カ月間放浪するほどの旅をするということでもあり、座禅を組み、瞑想を通じて思索の旅を続けるということでもある。p35「ジョブズの誕生」
さっきディズニーに「ルイスと未来泥棒」というCGアニメがあることを知った。ピクサーとのM&Aがらみの2007年に発表されたものだが、どのような裏舞台があったのか知らないが、孤児院にすてられたルイスが、ガラクタ発明家となって、母を探しに行く、というストーリーのようだが、どうもこれはジョブズのことをかなり意識して創られた作品ではないだろうか。
ヒッピーたちは、この別称を逆手にとり、自らをヒッピーと名乗ることで、米国の伝統的な社会制度への反発をアピールし、個人の魂の解放や自然への回帰を提唱した。
そして、自然にとけ込み、自らを自然の一部と考える東洋思想や神秘主義にあこがれ、禅や瞑想に理想を求めた。
さらに、LSDやマリファナといった薬物の使用を、意識の高揚や覚醒、悟りをもたらすものとして肯定し、とりわけLSDのことを「インスタント禅」と呼んで盛んに使用した。
LSDを「インスタント禅」と呼ぶといったあたり、日本人のわれわれがイメージする「禅」とはだいぶ隔たりがあるが、LSDは、米国では1960年初頭くらいまで精神療法の治療薬と考えられており、薬局で普通に購入することができた。1968年にドラッグ乱用規制習性条項が修正され、完全に禁止されるまで、LSDはヒッピー・ムーブメントにとっての極めて重要な反戦、反体制のシンボルだったのである。
そして、当時高校生だったジョブズは、そうした時代の雰囲気に敏感に反応し、髪を肩まで伸ばし、マリファナを吸い、高校へはほとんど行かなくなった。その代わり、ウォズが在籍していたUCバークレーには、車を飛ばして週に2,3回は通い、ブルー・ボックス「バークレー・ブルー」を売ってはい小遣いを稼ぎ、ということをやっていたのである。p49「UCバークレーとヒッピー・ムーブメント」
時代背景があったとは言え、ジョブズが早熟な子供であったことは間違いない。
ジョブズの場合、レノンのような政治的発言は一切していないが、リード・カレッジでリベラル・アーツを専攻し、、導師の教えを請いにインド旅行をし、ロスアルトスの禅センターで禅僧コーブン・チノ(乙川弘文/旧姓、知野弘文)に出会って、ようやく生涯の師を得る。そして、同じく菜食主義を生涯貫く。p53「ビートルズの影響」
ジョブズがインドを数カ月回ったのは1974年4月以降のこととされているから、Oshoがプーナに引っ越したのと同時のことだった。この当時まだジョブズの耳にはOshoのことは届いていなかっただろうが、後年1982年には、ジョブズに縁の深いオレゴンにOshoコミューンができるのだから、どこかにジョブズがこの件に触れているものがあるかもしれない。
1960年代以降、学生たちの間では「リード・カレッジ」はおおっぴらにドラッグを使用できる大学」というもっぱらの噂である。(中略)
「そのころ注目を集めはじめた東洋の神秘主義に興味をひかれたんだ。リードには、ティモシー・リアリーやリチャード・アルパートからゲアリー・スナイダーなど、さまざまな人が訪ねてきていたよ」 「スティーブ・ジョブズ 偶像復活」39頁) p55「リード・カレッジ」
この部分は孫引きになってしまったが、これはやはり元本を読みたいな、と思ってきた。
ゲアリー・スナイダーは20世紀の米国を代表する詩人であり、環境保護運動家でもある。
代表作の詩集「亀の島」はピューリッツアー賞を受賞。日本に来て、臨済宗を学んだり、宮沢賢治の誌の翻訳をしたりといった活動もしている。
ジョブズがリード・カレッジに求めたのは、リアリーやスナイダーのような高度なインテリジェンスとの出会いであり、実際それは達成されたのだが、普通の授業に出て勉強するといったことには興味がなく、前期の成績はさんざんなものであった。p55同上
ここに来てようやく、ジョブズと当ブログの接点に深みが増し始めた。ゲーリー・スナイダーは3・11後一番最初に当ブログが再読し始めたものだし、宮沢賢治も、いまや日本を代表する世界的詩人となった。
コトケの証言。
「スティーブは禅と深くかかわり、大きな影響を受けています。ぎりぎりまでそぎ落としてミニマリスト的な美を追求するのも、激しく絞り込んでゆく集中力も、皆、禅から来るものなのです」
ジョブズはまた、直感や洞察を重視する仏教の教えにも強い影響を受け、
「抽象的思考や論理的分析よりも直感的な理解や意識のほうが重要だと、このころに気づいたんだ」
とのちに語っている。ただ気性が激しかったために、解脱して涅槃にいたることはできなかった。禅を追究したが、心の安寧も得られなかったし、他人に対する姿勢が和らぐこともなかったのだ。 「「スティーブ・ジョブズ」Ⅰ、74頁) p60「大学を中退して学んだこと」
コトケとは、一緒にインドを旅している。「解脱して涅槃にいたることもなく、禅を追究したが、心の安寧も得られなかった」とするのは、それこそ解脱していない第三者から見て判断できることではないが、たしかにこの辺については、もうすこし細かなレポートが欲しい。
あまり知られていないことであるが、ジョブズの人格や経営スタイルには、禅が大きな影響を与えている。
「スティーブ・ジョブズ 偶像復活」の序文「日本語版の読者へ」には、こう書かれている。
日本で生まれカリフォルニア州北部に移り住んだ導師(グル)のもとで、スティーブ・ジョブズあ、成人したころからずっと禅宗を学んできました。このため、スティーブの正確も経営スタイルも禅宗の影響を強くうけています。
スティーブの言動は飛躍が多いのですが、これは、禅問答で導師がよく用いるスタイルであり、禅の世界で喜ばれている形式でもあります。スティーブがまた長年にわたり座禅を熱心におこなっており、今も、土曜日の朝には、その週のできごとを1時間にわたって瞑想しつつ振り返っています。p69「禅師、乙川弘文との出会い」
はて、その週のできごとを振り返るのが「禅」なのかどうかは定かではないが、少なくともこの本のでた2005年にも、その習慣は続いていたようだ。
乙川(知野)弘文は、1991年の段階ではジョブズの結婚式を司っているが、2002年にスイスでなくなっている。
ジョブズはまず鈴木俊隆の本と出会って感銘を受け、鈴木が開いたロスアルトス禅センターを訪ね、そこで乙川弘文と出会った。それは1975年のころであった。p71「禅師、乙川弘文との出会い」
1975年。懐かしい。「ミルキーウェイ・キャラバン」が日本でネットワークを組み始めていたころ、ジョブズはこの辺にいたのだ。
束縛されるものもなく歯に衣を着せない人物、森羅万象という混沌に道理を見い出す法要や心の奥底に棲みついた疑問の回答を見い出す方法を探していた人物にとって、禅宗は魅力的だった。
内観・内省を重視するということは、だれにも指導してもらう必要がなく、スティーブのようなうぬぼれの強い若者にはぴったりなのだ。禅は、直観力と内なる力を高めて、合理的・分析的な思考に対抗する。この点も、きちんとした教育をうけていない若者には大きな魅力だった。
禅はまた、神秘的であり、大命題を取りあつかう。「旅こそが報い」といった禅の公案も、スティーブの真理観に訴えるものだった。スティーブは、コーブン・チノを師と仰いで禅宗に傾倒していった。(「スティーブ・ジョブズ 偶像復活」56~57頁)」p72同上
旅こそが報い、とは、どこかに目標があるわけではなく、変化し続けることこそが真理なのだ、という英語的ZEN理解の禅語のひとつであるようだ。
ジョブズは、1976年4月にアップルコンピュータを設立してすぐのころ、乙川弘文に「アップルを辞めて日本の禅寺に入ろうかと思っている」という相談をしちる。
チノ師は、彼の抱えているジレンマをおもしろがり、ブロークン・イングリッシュで、結局、事業も座禅をすることも同じだということがやがてわかるだろうから、事業をつづけたほうがよいと勧めた。
ジョブズはさらに考え、悩みつづけたが、「アップルのほうに夢中になりそうな気がしていたんだ。日本行きを断念するのは、ほんとうにたいへんな決断だった。一度行ったら二度と戻ってこないのではないか、という不安もあった」と語る。(「スティーブ・ジョブズの王国」208頁)p72同上
おお、ここまで来ると、もはや「アートとコンピュータと禅を融合した男」くらいのサブタイトルがついてもよさそうなものだとは思う。
| 固定リンク
「31)Meditation in the Marketplace1」カテゴリの記事
- ファインディング・ニモ ピクサー ウォルト・ディズニー(2012.07.15)
- ウェブ×ソーシャル×アメリカ <全球時代>の構想力<1> 池田純一(2012.07.15)
- ウォーリー ピクサー DVD(2012.07.13)
- 図解スティーブ・ジョブズ全仕事 桑原晃弥(2012.07.12)
- アップルを創った怪物 もうひとりの創業者スティ-ブ・ウォズニアック自伝(2012.07.11)
コメント