ジョブズ伝説 <2> アートとコンピュータを融合した男 高木利弘
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「ジョブズ伝説」アートとコンピュータを融合した男 <2>
高木利弘 三五館 : 2011/12 単行本 397p
★★★★★
この本には功罪ある。功は、過去に出たジョブズ本をざっくりまとめてあるので、それらの本を読んだ気になってしまえることである。そして、罪は、それらの本を自分でも読みたくなることである。
ジョブズがアップルに返り咲いたばかりか、ディズニーの筆頭株主になり、さらにはビートルズのオリジナルブランドであったアップルを継承したことである。一節には5億ドルで買い取った(p336)という説もあるらしい。少なくとも、この局面でジョブズは、レノンの後継であろうとしたようだ。
本書はThe Man Who Harmonized Art and Computerとなっているが、日本人の著者がちょっとシャレて英語にしたまで(p352)で、別に定説となっているものではない。日本人に理解させようとして、むしろ、あらたなる誤解を生んでいるようである。
そもそもはジョブズ自身の言葉で言えば、「テクノロジーとリベラル・アーツの交差点」が原典であり、ジョブズの言っているテクノロジーは晩年においては「コンピュータ」を意味してはいない。
またリベラルアーツは、著者も言っているように日本訳の「教養」なんかを意味しているわけではない。
「リベラル・アーツ」というのは専門的な知識や技能を教えると言った一般的な学科とはまったく異なっており、幅広い知識と合理的な思考能力の開発を目的としている。
カリキュラムは、文学、言語学、哲学、歴史、数学、科学から構成されており、学際的な研究を奨励している。つまり、文系・理系の知識を併せ持ち、自分自身の力で独創的な論理を組み立てられる人材を育てる学科なのである。p351「魔法のような革命的なデバイス---iPad」
せっかく二つにまで統合したのに、申し訳ないが、当ブログ流に三つに分けるとすれば、科学、芸術、意識になるわけであり、テクノロジーは科学に置き換えることができるが、リベラル・アーツは、一度、芸術と意識に分化される必要があるのではないだろうか。
「リベラル・アーツ」というのは、単なる「アート」ではない。しかし、「アート」に通じる何かなのである。p352 同上
ではなんだろう。
「ジョブズはなぜ、『禅』や『日本の美学』に惹かれたのであろうか?」という問いに対する答えは、「リベラル・アーツ」の真髄を「禅」に見たからであり、ジョブズが理想とした「魂が入った製品」作りを「日本の美学に見たからである。p381「終章 未来社会へのメッセージ --- アートとコンピュータを融合せよ」
つまり、ジョブズいうところのリベラル・アーツは、一度、アートとZENに分解される必要がある。そして、科学、芸術、意識、の三つの柱を再確認する必要がある。ジョブズのアートを、「デザイン」と歪曲してはならないが、ここでは敢えて、デザインと言ってしまっていいのかもしれない。
「仏教、とくに日本の禅宗はすばらしく美的だと僕は思う。なかでも、京都にあるたくさんの庭園がすばらしい。その文化がかもし出すものに深く心を動かされる。これは禅宗から来るものだ」(「スティーブ・ジョブズ」Ⅰ 208頁) p385
56歳と7ヵ月の人生を走りきったスティーブ・ジョブズは、その可能性を十分発揮した。これ以上ないというくらい私たちの時代を象徴してくれた。しかし、まだ一歩ある。その人生を京都の寺院の庭園に執着するのでは、21世紀の地球人スピリットとは成り得ない。
まず、情報革命が勃発した。次に今、フェイスブックとツイッターが宗教革命を起こしつつある。チェニジアに端を発し、エジプトに波及し、リビアのカダフィ大差を死に追いやった、いわゆるジャスミン革命である。同じく、フェイスブックとツイッターは、先進国の若者をも突き動かしている。 p393同上
当ブログではまだまだ突っ込みがたらないが、2011年は、3・11とジョブズの死とならんで、「アラブの春」が重要な出来事であった。ここではジャスミン革命と表現されている。これらは、当ブログでいうところのマルチチュードのうごめきなのだが、ここにスピリチュアリティがどのように加わっていくのかが、21世紀の地球人スピリットの動向を握る鍵である。
ジョブズの人生に禅や日本の美学が非常に大きな影響を与えていたことに驚いた。自分がなぜアップル製品に惹かれるのか、その理由が「魂が入った製品」だからということに思い至ったとき、「青い鳥」の物語ではないが、答えは身近なところにあったことに、ほっとしたような安堵感を覚えた。p397高木
ここで著者は安堵してはいけない。ジョブズが日本の美学に惚れていたとしても、だからそれは日本人の「身近」なものであるなんていうのは欺瞞である。そもそも、それならば、日本の宗教界など、なんの変革も必要ない、ということになる。
ジョブズは日本の庭園と表現したかもしれないが、それは舌足らずであり、自ら光明を得る前に何かに自分の心境を託したまでであって、本来、魂とは外的なものではない。自らの内側にこそ見つけられるべきものなのである。
ジョブズは結局「モノ」づくりの天才のように扱われているが、客観芸術論から言えば、そのアートの作品は、自分自身でなくてはならない。注目すべきは、テクノロジーであり、デザインであるが、もっとも大事なのはそのスピリチュアリティである。
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