ガイアの復讐 ジェ-ムズ・ラヴロック
「ガイアの復讐」
ジェ-ムズ・ラヴロック/著 秋元勇巳/監修 竹村健一/訳 2006/10 中央公論新社 単行本 290p
Vol.3 No.0787★★☆☆☆
1)この本の評価も難しい。原発推進派、という意味では評価不能で、記録しておくのもはばかれる。著者はいろいろ言うが結局この本のキモは原発推進にあるのだから、せいぜい評価して★ひとつがいいところである。
2)しかるにこの本は「あの」ラヴロックの最近刊なのである。ガイアという単語で一世を風靡した、大御所なのである。単に無視することはまことに失礼ばかりか、有害とさえなるだろう。
3)このおじさん、1919年英国生まれですでに93歳になっている。近所に、このような大学を退官して悠々自適な生活を送っているような好々爺がいたら、きっと近所の人気者で、なにかと話題にされて、愛されるに違いない。
4)しかしながら、この本においてラブロックはますます意気軒昂であるようだ。闘争をさけず、議論を好み、異端、孤立をも恐れないような、毅然とした姿勢がうかがえる。それがともすれば、大きく的外れだったり、意欲的「過ぎる」としても、それはそれなりに、彼なりの「科学者」像であるようだ。
5)環境保護主義の友人の多くは、私が原子力発電を強く支持することに驚き、最近宗旨替えをしたのかと思うようだ。
しかし私の最初の著書「地球生命圏---ガイアの科学」(1979年。邦訳はスワミ・プレム・プラブッダ訳、工作舎)の第二章と、次の著書「ガイアの時代」(1988年。スワミ・プレム・プラブッダ訳、工作舎)の第七章を読めば、そうでないことがわかる。p159「核分裂エネルギー」
6)スチュアート・ブランドの「地球の論点」(2011/06 英治出版)が、このラブロックの影響を受けていることがわかったので、こちらの本も読んでみることにしたのだが、上記のラブロックの一連の書物は、翻訳者がOshoの翻訳者でもあり、出版社も親近感を感じていたところだったので、出版当時から、それなりに気にはしてきた。
7)ラブロックは、文明社会がガイアと共存してゆく切り札として、原子力エネルギーの利用を強く推奨しているが、これはいまに始まった主張ではない。1979年の最初のガイア著作から、彼の全著作を通じ、繰り返し述べられていることである。
ヒステリックな反原子力感情が世界を覆い、環境保護運動と反原子力運動がほとんど同義語のように語られていた時代にこのような主張を貫くことで、ラブロックは原子力を感情的に拒否する多くの友人を失い、反原子力を標榜する緑の党とも袂を分かたざるを得なくなるが、ガイアの本源に根ざした彼の主張の曲げられることはなかった。
最近では、緑の党の創設者の一人で活発な活動家でもあったパトリック・ムーアのように、ラブロックとの対話から自らの誤りを悟り、原子力エネルギー支持に回る環境運動家も現れるようになっている。p17秋元勇巳「今なぜジェームス・ラブロックなのか」
8)秋元には三菱金属鉱業(現三菱マテリアル)勤務、原子力文化振興財団理事長、などの経歴がある。最初ニューエイジの寵児のように登場したラブロックも、21世紀においては、秋元とか竹村健一などが推薦する論者となっている。
9)私は二年前に日本で「ガイア」という名前の車を見たが、(中略)その車は省エネ設計のハイブリッドカーですらなかったのだ。p141「再生可能エネルギー」
10)トヨタ・ガイアが登場したのは、1998年、初代プリウスより一年後のことだ。この名前に私も率直に言って驚いたが、20世紀末には、世界中が環境問題について考える時代となっていた。自社の商品にコピーライターたちがなりふり構わずイメージ戦略でありとあらゆる名前をつけることはよくあることである。
11)ただ、ラブロックとて、ガイアという名前をギリシャ神話から借りてきている限り、別に、ラブロックの頭ごなしに車の名前にされていたとしても、別段に怒るようなことでもあるまい。むしろ本家のガイア女神のほうが驚いて、怒っているかもしれない。すくなくとも、ガイア女神と原発は、直線的にはつながらない。
12)カウンターカルチャーというアイコンで自社戦略を展開したスティーブ・ジョブズや、ガイアというアイコンで型落ち車を売ろうとしたトヨタが滑稽なら、ガイヤというアイコンで原発政策を推進させようとするラブロック本人も、きわめて滑稽なこととなる。
13)私は1960年代の末頃、(略)近隣の友人であるウィリアム・ゴールディングと何度か散歩した。(略)私は彼に、(略)地球が単なる生命の存在する惑星ではなくある意味で生きていると考える理由を話した。彼はすぐさまこう言った。「それほど壮大な考えを提案するなら、ぴったりの名前をつけなければだめだ。ガイアがいいんじゃないかな」。地球に関する私の概念に彼がこんなにシンプルで力強い名前をつけてくれたことに私は心から感謝した。p236ラブロック「限界を超えて」
14)いずれにせよ、そのネーミングは借り物だ。
15)ラブロックを理解し、ガイア理論を正しく日本に紹介しようと努力した最初の著名人は、糸川英夫博士である。(略)ちなみに欧米でニューエイジ本なみの扱いを受けたラブロックの第三著「癒しのガイア」は、日本では糸川博士監訳のもと「ガイア---生命惑星・地球」(1993年 NTT出版)なる豪華本として上梓され、それまでくすぶっていたガイア理論のニューエイジ的誤解の払拭に役だった。p11秋元勇巳「ラブロックと日本 今なぜジェームス・ラブロックなのか」
16)秋元は、第一著、第二著の翻訳者である星川淳(=プラブッダ)をなんとしても無視したいようである。秋元が本家本元の原発推進派の御大であるなら、星川もまた後年(2005~2010)、いわゆる環境保護団体グリーンピース・ジャパンの事務局長を務めたゴリゴリの反原発派だ。二派が二つに分かれて両側からラブロックを引っ張り会っている図は、実に滑稽である。
17)もう一つの反応は、水素や同位元素といった軽い元素の核融合である。太陽や他の多くの恒星は、この反応によってパワーを得ている。まだ公共利用のための電気を供給するには至っていないが、「水素爆弾」の爆発エネルギーの一部はこの反応によるものだ。技術的な問題が解決して、実用的で効率のよい発電所が建設されれば、それが未来の伝記の源になると私は考えている。p154ラブロック「原子力エネルギー」
18)技術的で専門的な話題になれば、当ブログのような一読書子には手も足もでないが、この辺になれば、むしろ当ブログが依拠している、それこそゴリゴリの反原発の小出裕章氏のほうが説得力がはるかに上回る。ラブロックは科学者とか、地球の臨床医などと、自他ともに認めているようだが、こと原発や放射線の危害については、おそろしく無知なようだ。
19)ガイア仮説は、ガイア理論に発展した(p257用語解説)とのことだが、ラブロックが本著の随所で認めているように、科学はあくまで仮説に過ぎない。どのような言辞を振り回そうと、決定的な原理にはならない。この本はすでに6年前に出版された本である。3・11を体験して、関係者たちの心境に変化もあることだろう。そのあたりは、当ブログとしてもそれなりに追っかけてみたい。
20)すくなくとも、ラブロックは当ブログが求めているような地球観、人間観からはかなりずれてしまっている、と思う。
| 固定リンク
「30)Meditation in the Marketplace2」カテゴリの記事
- 「演劇」性と「瞑想」性がクロスするとき 石川裕人『失われた都市の伝説』 劇団洪洋社1976(2012.10.26)
- 私にとって「演劇」とはなにか<1> 石川裕人作・演出『教祖のオウム 金糸雀のマスク』現代浮世草紙集Vol.3(2012.10.26)
- 幻のポスター発見! 石川裕人第5作目 『夏の日の恋』 贋作愛と誠 1975 <1>(2012.10.25)
- 石川裕人にとって「離脱」とは何か 『石川裕人百本勝負 劇作風雲録』<4>(2012.10.25)
- New-T 発見!石川裕人のあらたなるペンネーム 『仙台平野の歴史津波』 飯沼勇義 <7>(2012.10.24)
コメント