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2012/08/17

ウェブ×ソーシャル×アメリカ <全球時代>の構想力<2> 池田純一

<1>よりつづく


「ウェブ×ソーシャル×アメリカ」 <全球時代>の構想力<2>
池田純一(著) 2011/03 講談社 317P

1)この本の魅力はいったい、どこから来るのだろう。タイトルにある、ウェブ、ソーシャル、そしてアメリカ、それぞれに魅力的ではあるが、やはり、一番は、それらを包括した<全球>という意識だろう。

2)全球、とはあまり聞きなれないが、気象予報などでは一般に使われているらしい。この本においては、その言葉がどこからきたかといえば、やはり、スチュアート・ブランドゆかりの「アース・ホール・カタログ」にあるだろう。

3)「メディアラボ」(1988/04)や「地球の論点」(2011/06)の一連のスチュアート・ブランドの著書を一気に読み進めようとして、当ブログは、いきなりここで頓挫してしまった。特に「地球の論点」の第4章「新しい原子力」。

4)カウンタカルチャーの流れに組みするひとりとして、あるいは3・11における原発事故の惨禍に苦しむ被災地に住むひとりとして、古かろうが、新しかろうが、原発を推進しようとする潮流には、明確に一線を画したい。

5)3・11直後、津波に飲み込まれた地域の古い友人をたずねた。長いことお互い多忙にかまけて音信普通になっていた。古い住所録を頼りに彼の住まいを人づてに訪ね、ようやく再会できた。うれしかった。元気だった。

6)でもこの再会は、反面、私に新しい問題をもたらした。彼は、いつの間にか、原発の中に仕事を得て、小さな企業まで経営していたのである。家族とともにくらし、教育熱心な、ごくあたりまえの男である。その彼の現在の仕事について、私は、喉元に何かがつかえるような気持ちで、考え始まった。

7)スチュアート・ブランドと、この古い友人。この二つの出来事が、私に深い悲しみを与えた。

8)一人の「評論家」として脱原発を唱えるのは易しい。唱えるべきは、そういうスローガンであるべきだ。そうでなくてはならない。しかし、全球としての地球に生きる一人として、脱原発を生きることは、決してたやすいことではない。少なくとも、原発はこの地球上を覆い尽くす勢いで発達してしまった。この事実をまずは直視しなければならない。

9)目の前にある<全球>は、決して安泰ではない。いやいや、むしろ、悲劇的ですらある。どうにかしなければならないと、多くの人が憂いている。

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10) 9)まで書いて、一週間ほど放置した。その間、もういちどこの「ウェブ×ソーシャル×アメリカ」をざっと再読した。どうも納得できないことが、途上でいくつかあったからだ。

11)とにかくこの本においては「カウンターカルチャー」という単語が頻出する。一体全体、日本の出版史上において、「意味なく」これほどこの単語が頻出する書物はあっただろうか。とくにPCはカウンターカルチャーが創ったものだ、という「仮説」の真偽に、頭をひねった。

12)私自身は、70年代においては「カウンターカルチャー」は我が事のように身近なことであり、また自らその言葉を標榜し、またその流れの中に身を投じようとした。

13)しかし、実際のコンピュータや情報化時代の幕開けを感じたのはアルビン・トフラーの「第三の波」で、1980年10月にでたこの本を出版直後に読んだ。たしかに、第一、第二の波に対するカウンターとしての「第三の波」として情報化時代を読みとったけれども、当時のメインカルチャーと目される「体制」に対するものとしPCを読みとったわけでない。

14)カウンターカルチャーは、ユースカルチャー(若者文化)とか、ジ・アザー・カルチャー(もう一つ別の文化)とか、あるいは遅れてオルタナティブ(対案)などと表現された動きへ名付けられたものであり、かならずしも一定の意味を持っていない。

15)しかるにこの本においては、かなり恣意的に限定的に使われている部分がどうも気になった。著者は1965年静岡生まれのコンサルタントであり、いわゆる60年代的カウンターカルチャーには、直接的には触れることはなかっただろう。だから、想像で、後付でいわゆる60年代的カウンターカルチャーをイメージしていることが多い。

16)当ブログが、この本を読むきっかけにもなった、スティーブ・ジョブズ追っかけだが、私自身は、ジョブズをカウンターカルチャーの「騎手」のような取り上げ方をすることは妥当でないと感じている。

17)マイクロソフトOSを使うことより、MacOSを使うことが、より「カウンターカルチャー」的だなんて、思ったことはほぼ一度もない。勿論マクロソフトがいわゆる60年代カウンターカルチャーに直結していたなんて考えもしない。ただ、ジョブズは、アップルを維持するうえで、アイコンとしての60年代的カウンターカルチャーをうまく「利用」した形跡はありありだ。

18)少なくとも、ジョブズが育ったのが、60年代の西海岸であってみれば、当時の文化の片鱗をかぶっていないほうがおかしいj。たしかにスタンフォード大学の2005年の講演などでは、スチュアート・ブランドの「ホール・アース・カタログ」の終刊号から引用した言葉を使ってはいるようだが、それもまた、どうもそれをもって「カウンターカルチャー」だ、というのはすこし強引付会すぎるだろう。

19)さて、仮説的な疑問としてあった「カウンターカルチャーがPC/ウェブを作ったのか」という問いだが、どうやらそうではなかったようだ。p300「エピローグ」

20)再読して、ようやくこの「結論」に気づいたわけだが、なにを今さら、と、ちょっと白けた気分になった。そんなこと当たり前なのだ。そもそも、本当にカウンターカルチャーを知っている人なら、当時のパソコンの発達史は、直感的に連続的に繋がっていないことは皮膚感覚で分かったはずだ。

21)ゲイツ的生き方もともかくとして、ジョブズの生き方だって、決して「カウンターカルチャー」的ではない。その性格、その経営スタイル、その言説は、むしろ、それを否定する側面の方が多い。

22)と、ここまでくれば、あとは、「ホール・アース・カタログ」のスチュアート・ブランドの「カウンターカルチャー」性についての疑問が残っている。「ホール・アース・カタログ」を無視することはできないが、ブランドの最近刊である「地球の論点」には、疑問符がつきまくりだ。すくなくとも原発推進派への「転向」は納得ができない。というより、そもそもブランドを固定的なカウンターカルチャー「派」と決め付けた著者・池田純一が少し早とちり過ぎたのではないか。

23)最初に講談社の編集の方からいただいた話題は「ウェブと社会について」というもので、それならばと追って着手したものの、考え始めると何に焦点を当てるかが難しかった。p307「あとがきに代えて ウェブ時代に本を書くということ」

24)そもそもの「お題」がこうだったために、この本が最後までいびつなまま走ってしまったのだろう。当ブログなら「ウェブと意識について」という話題か「ウェブと社会と意識について」という話題になり、どうしても「意識」をはずすことはできなかっただろう。あるいは、一読書子としては、つねに重要な論点はそこにあるのだ。

25)この本においても、カウンターカルチャーのなかの重要なテーマである「意識の拡大」を何度も取り上げるが、それを当時の薬物状況下における影響の結果をレポートするに留まっている。本当のカウンターカルチャーは、そのあとに「瞑想」や「スピリチュアリティ」に移植されていったことを見逃している。

26)すくなくとも、60年代的カウンターカルチャーをスチュアート・ブランドの一人格に大きく依存したような書き方のこの本は、かなり偏っている。私なら、この文脈ならゲーリー・スナイダーを挙げるだろう。

27)スナイダーは、山尾三省のようにパソコン嫌いではないが、たしかにパソコンの発達史に直接貢献したり、ウェブの花型ではない。ただ、それこそ60年代カウンターカルチャーの象徴的存在として、2010年代の地球に現存するスナイダーは、今さらスチュアート・ブランドのように、「原発推進派」などに「転向」することは絶対にないだろう。

28)とか、どうとかいいつつ、やはりこの本は面白い。この本を足がかりにして、もう一度、スチュアート・ブランドの「地球の論点」「メディアラボ」を再読することにする。

29)この本、面白いのに、県内の公立図書館では、たったひとつの図書館に一冊しか入っていない。もうひとつ注目を浴びていないのかな。

30)ツイッターやフェイスブックについての言及も、かなり「意欲的」ではある。しかし、それらに対しての当ブログの意見は、もうすでにかなり確定的であってほぼ固定的なので、あえて、その見かたに対する対置は不要と判断した。

<3>につづく

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