福島原発事故 原発を今後どうすべきか 小出裕章
「福島原発事故」原発を今後どうすべきか
小出裕章 2012/04 河合ブックレット 河合文化教育研究所 河合出版 全集・双書 121p
Vol.3 No.0786 ★★★★★
1)この本もビッグレッド評価だ。著者を招いて2011年9月17日18日に河合塾北九州校と福岡校で開催された講演会の記録である。聴衆10代から20前後の若者を中心とした受験生たち。いつも聴いている内容ではあるが、こちらもなお一歩踏み込んでいる。
2)みなさんは、いまだに原子力が未来のエネルギー源だと聞かされてきたと思うし、そう信じている方も多いと思いますが、実は世界は原子力から撤退しているんです。世界の原子力を牽引してきたのはもちろん米国とヨーロッパです。そういう国々でも一時期原子力に夢を抱いた時代がありました。私が原子力に夢を抱いた1960年代から70年代初めにかけてです。p44「世界の趨勢は廃炉」
3)スリーマイル島事故以降、なぜ、日本も舵を切れなかったのだろう。
4)いまからもう37年前がピークで、それをピークにして、もう原子力はだめだということで、米国ではもう夢から醒めている。計画中のものは次々とキャンセル。建設中だったもの、9割できていた原子力発電所すらがキャンセルされている。
いまようやく100基を超えて動いていますし、2008年あたりにちょっとだけ計画中というのがありますが、これは地球温暖化問題をてこに、ブッシュという前の大統領が原子力発電所を建設したら金をやるぞという原子力推進政策を発動したために電力会社がのりかけたものです。
しかし、これも今回の福島の事故で全部つぶれました。つまり、もう米国では原子力は終わりだということです。p45同上
5)当ブログにおいては、現在、スチュアート・ブランドの「地球の論点」を通過中である。日本においては3・11後の2011/06に邦訳本が出版されているが、原典は2008~9年に書かれている。池田純一も著書で、スチュアート・ブランドは共和党支持者だと書いている。
6)なるほど、時代的タイミングとか、その政治的立場から考えて、ブランドがあのような著書を書いてしまったのは、そのような背景が色濃く反映されていたと考えて問題ないだろう。しかしながら、小出氏がいうように、ブランドやラブロックやゴアやゲイツなどについても、「今回の福島の事故で全部つぶれ、もう米国では原子力は終わり」と断定していいものだろうか。
7)では、ヨーロパではどうかというと、これも米国も同じです。60年代から70年代にかけて、猛烈な勢いで原子力に夢をかけた時代があり、ずーっと計画が増えてきました。運転中、建設中、計画中の合計が一番高かったのは1977年。つまり34年も前です。
ヨーロッパは原子力はだめだと、それ以降どんどん計画中のものはキャンセル。建設中のものもキャンセル。運転していたものも150基を超えましたが、それすらがどんどん廃炉になって減っているという状態なんです。米国もヨーロッパも、30何年も前に原子力に見切りをつけているんです。p46
8)この辺については、勉強不足のゆえ、もうすこし調べてみないと、自分なりには確認できない。片野優「フクシマは世界を変えたか ヨーロッパの脱原発事情」 (2012/04 河出書房新社)あたりを再読する必要を感じる。
9)これからのみなさんに課せられた仕事はそれです。どうやったらこの日本という国が、いや日本という国が-----ではないですね、この地球という★が、そしてその上で生きている人間が、世界が、そして日本が、あるいはみなさん一人一人が、どうやってこれから豊かに生きていかれるかということを考えなければいけない。そういう時代になっていると思います。そのために必要な力あるいは知識というのは多様です。p65「不夜城ではなく豊かな社会を」
10)その時代の工学部原子核工学科というのは、一番難しい学科でした。そういう時代に生きていて、私は原子核工学以外はやる気がしなかったので、その時に志望学科を一個しか書きませんでした。第二志望も第三志望も書かない。「第一志望・原子核工学科」と書いて、そこで採ってくれないなら行かなくていい、ちう形で私は選んだんです。当時は、それほど原子力というと、世界中が夢に酔っていたという時代でした。p95「廃炉のための原子力研究」
11)これだけ優秀な学究であったればこそ、氏の反原発の主張は静かだが、深い説得力に満ちている。
12)最後に塾関係者が書いている。
その後も原発の増設は続いた。現在の日本には54基の原発がある。しかし私個人について言えば、原発の存在もいつしか日常化し、日々の生活に追われる中、その危険性を感じる神経は鈍化していった。p117青木裕司「解説 講演会を終えて」
13)それは何も、かつては反原発のデモに参加していたというこの人だけの問題ではない。多くの人々が、その争点を見失い、推進派にやりたい放題やらせてしまっていた、というそれぞれの「責任」がある。もちろん私も免罪されることはない。
14)この本で氏は忌野清志郎の歌を二曲紹介している。
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