メディアラボ―「メディアの未来」を創造する超・頭脳集団の挑戦 スチュアート・ブランド
「メディアラボ」 「メディアの未来」を創造する超・頭脳集団の挑戦
スチュアート・ブランド (著), 室 謙二 (著), 麻生 九美 (著), Stewart Brand (著) 1988/04 福武書店 単行本 342p
Vol.3 No.0778★★★★☆
ほぼ一日に一冊、毎日の日記のようにかければいいなぁ、と思ってきた当ブログだが、このところすっかりご無沙汰ぎみである。このところのロンドン・オリンピックの深夜テレビ観戦で、生活リズムが変化し、読書がライフスタイルの中から排除されてしまったのが、大きな原因ではある。
しかし、本当は、深い内省のタイミングに入っている、と見ることもできる。「ジョブズの禅」で始まったスティーブ・ジョブズ追っかけも、池田純一の「ウェブ×ソーシャル×アメリカ <全球時代>の構想力」(2011/03 講談社)あたりをひとつのきっかけとして、かなりのスピードダウンを迫られている。
ジョブズの2005年スタンフォード大学での講演の結句「ハングリーであれ、愚かであれ」の出典である「アース・ホールド・カタログ」。その編集者のスチュアート・ブランドの近刊「地球の論点 現実的な環境主義者のマニフェスト」(2011/06 英治出版)ですっかりこけてしまった。
その一部、まずは第4章を読んだだけだが、かつてのカウンタカルチャーの大御所のように思われていた人の脱原発から原発推進への「転向」は、どうも納得がいかない。所詮、転向者とスティグマを張って無視してしまえば、それでおしまいなのだが、どうもそれができない。
つづく第5章「緑の遺伝子」や第6章「遺伝子の夢」などにさしかかると、実は個人的には、Oshoの「大いなる挑戦-黄金の未来」(1988/1 OEJ)との関連で読み進めることになり、なかなかデリケートな話題で、簡単に読み進めることができなくなった。
さて、スチュアート・ブランドの本はそう多くない。過去にでている邦訳はこの「メディアラボ」あたりしかないのではないか。こちらの本もなかななか面白そうなのであるが、単に一冊の本として楽に読み進めることができない。
こちらの本の翻訳者は室謙二である。よもやこの翻訳者にしても、著者がやがて原発推進者に「転向」するとは思ってもみなかったであろう。時あたかも日本においては、3・11のFukusimaをきっかけに、かつてないほどの「グリーンパワー」がカウンターカルチャーとして勃発中である。この期に及んで、ここで原発推進者の意見をまともに聞くのもなかなか難しい。
しかしだ。だからこそ、おちつかなければならない。まずは、自らの意見にそぐわない意見も、ゆっくりと玩味していかなければならない。これは、一冊の本とか、ひとりの意見とか、単なる反対者の迷妄とかと片付けてしまってはならないだろう。すくなくとも、話題は「地球」なのである。彼らと私(たち)は、ひとつの地球の上に生きている。
検索してみると松岡正剛の千夜千冊でもスチュアート・ブランドを取り上げている。いろいろ検討したあと、結局松岡は「やっぱり(スチュアート・)ブランドは勘違いをして、勇み足をしたにちがいない。」と断定している。すくなくとも、当ブログにおいても、そうであってほしいと松岡に同調しておくことにする。
いずれにせよ、このテーマについては、今現在、当ブログにおいてはゆっくり咀嚼しないと理解できないことが多すぎる。少なくとも前のめりに先を急ぐのはやめよう。右だろうが、左だろうが、ここでの岐路は、かなり重要な、ほとんど基本的な分岐点に差し掛かっているのだ、と肝に銘じよう。
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