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2012/09/02

ガイアの時代 ジェ-ムズ・ラヴロック


「ガイアの時代」
ジェ-ムズ・ラヴロック著 スワミ・プレム・プラブッダ訳 1989/10 工作舎  単行本  388p 1984/10 工作舎 単行本 296p
Vol.3 No.0793★★☆☆☆

1)環境保護主義の友人の多くは、私が原子力発電を強く支持することに驚き、最近宗旨替えをしたのかと思うようだ。 

 しかし私の最初の著書「地球生命圏---ガイアの科学」(1979年。邦訳はスワミ・プレム・プラブッダ訳、工作舎)の第二章と、次の著書「ガイアの時代」(1988年。スワミ・プレム・プラブッダ訳、工作舎)の第七章を読めば、そうでないことがわかる。「ガイアの復讐」(2006/10 中央公論新社)p159  ジェ-ムズ・ラヴロック 「核分裂エネルギー」

2)ということであれば、まずは、この本の第七章を読めば、今回の読書の目的は達成されたことになる。

3)訳者というのはおうおうにして著者と同化されがちだが、いま述べたようなすぐれた示唆の半面、とくに本書では何点かとうてい同意しかねる部分がある。わが国でも、惑星科学者松井孝典氏をはじめいくつかガイア仮説批判がでてきているようなので、それらにもふれながらここで訳者なりのささやかなラブロック批判を展開してみたい。p378プラブッタ「訳者あとがき」

4)訳者が著者を、その本のあとがきで批判するというのは異例だろうが、自著で批判されるラブロックにとっても、気持ちのいいものではないだろう。

5)ラブロックを理解し、ガイア理論を正しく日本に紹介しようと努力した最初の著名人は、糸川英夫博士である。(略)ちなみに欧米でニューエイジ本なみの扱いを受けたラブロックの第三著「癒しのガイア」は、日本では糸川博士監訳のもと「ガイア---生命惑星・地球」(1993年 NTT出版)なる豪華本として上梓され、それまでくすぶっていたガイア理論のニューエイジ的誤解の払拭に役だった。秋元勇巳「ガイアの復讐」(ジェ-ムズ・ラヴロック著 2006/10 中央公論新社)p11  「ラブロックと日本 今なぜジェームス・ラブロックなのか」

6)原発ムラの御大・秋元勇巳がこうまでいうのは、このような経緯があったからだ。糸川訳といわれるものも、現在、手元で同時にめくってみている。

7)本書でもっとも承服しがたいのは、原子力に対するラヴロックの楽観論である。このことは、「エコロジー派の友人たちへの裏切りととられるのでは」と彼自身も懸念しているが、このままでは本書の内容がそっくり原発擁護論に転用されかねないので、あえてはっきり釘をさしておきたい。 

 まず第一に、ラブロックはあまりにも原子力開発をめぐる現場と違い、世界中でウラン採掘にかかわって、主に各国の先住民を中心とする弱い立場の人びとがどんなに不当な抑圧と搾取と現実の放射能被害に苦しめられているが、著者の眼中はないようだ。

 弱者の犠牲と愚民政策の上にはじめて成り立つという点では、原発の建設・稼働にあたっても一貫している。放射性廃棄物の処理問題や原子力施設で働く下請け労働者の被曝実体、そして発生後三年たってなお10万人もの大量避難を招くチェルノブイリ事故のような大規模の有形・無形の影響について、「ガイアにとっては放射能などオソルに足らず」として楽観することは、ガイアのなかの有力な一メンバーであるわたしたち人間を、逆にあまりにも軽んじすぎる不自然な姿勢のように感じられる。p379プラブッタ「訳者あとがき」

8)ここまで著者と訳者が分裂していてみれば、後から普通人の乗るトヨタのワゴン車の名前にまで一般化した「ガイア」という概念は、一体なんだったのか、ということになる。ラブロック自身がトヨタ「ガイア」がハイブリット車ではなかった、などと言う、ほほえましい違和感など、一笑に伏す以外にない。

9)さて、ホールアース、全球的哲学、全球的思想であるべき、ガイア仮説→ガイア理論が、ここですでに大きく亀裂をきたしているのであれば、スチュアート・ブランドのカタログや、スティーブ・ジョブズの「愚かであれ、ハングリーであれ」も、池田純一の「ウェブ×ソーシャル×アメリカ <全球時代>の構想力」(2011/03 講談社)も、一体なんだったのか、ということになってくる。

10)そもそも、ホールアース、全球的、と表現されることに矛盾はないのか。地球をロケット宇宙船から眺めたからと言って、本当に全球としてみることができているだろうか。それは、地球上から月を眺めていることに似ていて、見えるのは表ばかりで、裏面はぜんぜん見えていないのではないか。全球的、ではなく、半球的でしかないのではないか。

11)グーグル・アースのように、ぐるぐる回して、球体としての地球を味わうことができるかもしれないが、常に地球の半分しか見えていないというのは、いかにも象徴的だ。

12)シヴァの男根が立っているのをシンボライズしたものを、ヨーニといって女陰がそれをとりまいているという合体像なんだけれども、よくよく考えてみると、それはどういうことかというと、シヴァの男根というのはこちら側に向かって刺さっているんです。

 だからその世界観からすると、この世界というのは、パールバーティという女体のなかなんです。そこへシヴァのリンガムが刺さって合体しているところを、なかから見ているのがこの世界だ、そういう像だとぼくは理解しているんです。

 合体した喜びの境地というか、タントラ的にいえば悟りの境地があって、ここは女体の外部ではなくて、内部、体内だというひとつの世界観が、ある意味では実にヒンドゥー的とうかインド的な感じ方だなとぼくは思いますね。プラブッダ「ガイアと里」p104山尾三省との共著

13)全球的といえるには、それをまるごと抱きしめるか、その内部に入っていかなければ、味わうことのできない境地ということになる。

14)わたし自身は、無条件の原発支持者ではまったくない。よく簡便軽量な核融合が発明されるという悪夢にうなされるくらいだ。それは電話帳ぐらいの大きさの小さな箱で、表面に普通の家庭用電気ソケットが四つついている。

 その箱は取り入れた空気中の水分から水素を抽出し、それを燃料に最大百キロワットの出力が可能なミニ核融合を起こす。それは安く、信頼性があり、日本製で、世界のどこでも手にはいる。完璧、クリーン、安全と三拍子そろったエネルギー源で、核廃棄物も放射能もまったく出さす、危険な故障もけっして起こさない。ラブロックp281「第七章 ガイアと現代環境」

15)空想的であり、また素朴でもある。この空想に近い問いが、20数年後の小出裕章「福島原発事故  原発を今後どうすべきか」(2012/04 河合文化教育研究所)の中にもでてくる。塾の受験生たちの中から出された質問に、小出氏は、自分はそれは不可能だと思う、とはっきり述べている。ただし、自分がそう思うなら、ぜひとも自分で研究してつくりだしてほしい、とも述べている。

16)最後に、この場をかりてひとつの提案をしたい。日本で、「地球の医学」あるいは「地球生理学」をテーマにしっかりした国際会議を開き、今後の深化・発展のきっかけをつくってはどうだろうか。

 ガイアを癒すうえですぐれた「惑星医」が必要なのはラヴロックのいうとおりであり、この分野に貢献できるのは、現在経済力と技術力の集中したわが国をおいてほかにないかもしれないのだ。訳者のみるかぎり、日本は地球の癒しのツボである。プラブッダ p382「翻訳者あとがき」

17)上の文章が書かれたのは1989年である。私は今はじめてこの文章を見つけたのであるが、この想いはかならずしも訳者ひとりの想いではなかった。1981年の国際環境心理学シンポジウム「スピリット・オブ・プレイス」に積極的に参加したのは、同じような想いに、私も駆り立てられていたからだった。

つづく・・・・・かも

 

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