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2012/09/13

坂口恭平 『独立国家のつくりかた』 <3>

<2>からつづく 


「独立国家のつくりかた」 <3>
坂口恭平 2012/05 講談社 現代新書 221p
★☆☆☆☆

1)さくらさんの書込みはこうだ。

2)う~ん、私は坂口恭平の本、面白く読んだけどなぁ。
「独立国家のつくりかた」というタイトルですが、
本の大半はそれ以外のことが書かれていますよね。
多分、坂口にとって独立国家なんてどうでもいいんですよ。
閉塞感の強い時代に、なにを言ったりやったりしても

叩かれる時代に、よくぞ書いてくれた。投稿: さくら | 2012/09/11 18:43

3)対する講談社新書の腰巻はこうだ。

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4)さくらさんは、「独立国家のつくりかた」というタイトルですが、本の大半はそれ以外のことが書かれていますよね」と言っている。たぶんそうだ。だから、私はまず羊頭狗肉だ、と思う。少なくとも、講談社新書のカバーコピーは「1人で、O円で国をつくった男の記録」と赤文字になっている。いくら本の売れない時代であったとしても、売らんがためのインチキコピーをここまで許していいのだろうか。JARO 公益社団法人 日本広告審査機構あたりに、持ち込んだら、どういう判断を下すだろう(笑)。

5)さらに、さくらさんは、「多分、坂口にとって独立国家なんてどうでもいいんですよ。」と書いている。であれば、なおのこと、タイトルにもカバーの紹介にもないことが書いてある本なんて、私は、特に読んでみるほどの酔狂さはない。タイトルや紹介コピーは、少なくとも内容と、なにか関連があってしかるべきだろう。

6)さくらさんは、「閉塞感の強い時代に、なにを言ったりやったりしても叩かれる時代に、よくぞ書いてくれた。」とまで言っている。ここでこの人は何を言いたいのかわからない.、少なくとも、これだけツイッターや他の言論表現が許されている時代である。決して、現代は閉塞感が強いだけの時代だとは、私は思わない。

7)「なにを言ったりやったりしても叩かれる時代」ともいうが、それもどうだろうか。叩かれないこともたくさんある、と私は見る。むしろ、坂口という人は叩かれることを喜んでいるようだ。だから、あえて羊頭狗肉も辞さない。

8)「よくぞ書いてくれた」とはどういうことであろうか。つまり、本のタイトルにも、カバーの紹介コピーにないことを、この本の中に見つけて「よくぞ書いてくれた」と思った、とさくらさんは言いたいのだろうか。そしてそこに、さくらさんは同調している。それでは、この本の中のなにを読めばいいのだろう。ウロウロ。まぁ、ゆっくり読み始めてみるか。

9)独立国家のつくりかた、といういささか大袈裟なタイトルだが、僕はこれしかないと思い、書籍化が決まった瞬間からずっとこのタイトルだった。坂口p220「あとがき」

10)ここを見る限り、著者は最初からこのタイトルに固執しているのであり、「いささか大袈裟」だとさえも思っているようだ。少なくとも、大真面目でこのタイトルと取り組んでいるのである。

11)大学時代の恩師、石山修武の建築の考え方、そして1960年代にヒッピーたちが建てていたフラードーム、60年代つながりで、フラードームを紹介していた「ホールアースカタログ」という雑誌をつくったスチュアート・ブランド、ジャック・ケルアックの書いた小説からソローの「森の生活」という僕の中での「経済文学」。それらは鴨長明ともつながる。さらには南方熊楠の南方曼荼羅の空間の捉え方と・・・(以下略)坂口p115「態度を示せ、交易せよ」

12)前にいちど読んでしまった本だから、ざっとアトランダムにアクセスするが、この部分あたりが、当ブログとかすかに抵触する部分であり、また私へこの本を紹介してくれたご婦人が、感じた当ブログとの親和性があると推測した部分であろう。

13)しかし、このあたり、一気に物事をつなげばいいというものではない。主テーマである「独立国家のつくりかた」の「国家」とはかなり縁遠い人々が登場しているではないか。ましてや、最近の当ブログにおいては、スチュアート・ブランドの近著「地球の論点」などは、噴飯ものとさえ結論づけつつあるのだ。著者は、決して「1人で国をつくった」わけではなさそうだ。多くの人々のステロタイプのイメージを十分に借りて、自らのイメージを立ち上げようとしているだけではないか? 

14)2011年3月15日、僕は日経新聞で東京でも大気中からヨウ素とセシウムが発見されたことを知った。これはいかんとすぐに妻フーとアオ三歳を新幹線に乗せて大阪へ送り、僕は映画撮影があるために名古屋へ朝八時に出発した。僕も名古屋から直ぐに大阪へ。

 僕は3月16日から一週間ほど大阪で過ごして、気が狂ったようになっていた。携帯電話に登録してあるすべての人に電話をかけ、とにかく西日本に避難せよと伝えた。ホームページの日記内でも逃げろと書きつづけた。坂口p84「2011年5月10日、新政府誕生」

15)私がこの本のもっとも嫌いな部分。すくなくともこのような行為をした人間との交流は、福島第一原発から80キロ県内にとどまり続けている私のような人間にとって、不可能だろう。さくらさんは「なにを言ったりやったりしても叩かれる」と言ってはいるが、すくなくとも、このようなことを言ったり、やったり、する存在は、大いに「叩かれる」べきだと、私は思う。

16)まず、科学的でない。もし著者の主張が妥当だとするなら、東京の三歳以下の子供は、すぐに関西以南に移動しなければならなかったとなり、圧倒的に避難しなかった子供たちは見離されたことになる。でも、どうであろうか。すべての人に電話をした、というのもやりすぎ。ホームページで書き続けるのは大いに結構だが、ますます心ある人は、そんなページを見向きもしなくなる。

17)僕は、逃げるべきだと知りながら言わない政府というのはもはや政府ではないと認定した。つまり、現在は無政府状態なのである。政府がないのはまずいから、僕のほうで一つつくってみようとしたまでだ。

 そんなわけで2011年5月10日に「新政府」を樹立した。そして、自分で始めたのだから、責任をとって、「新政府初代内閣総理大臣」に就任した。勝手にね。坂口p86「新政府の誕生」

18)実に甘いだろう。実に幼稚過ぎる。この人、「気が狂ったようになって」いたのではなく、「気が狂っている」のだろう。狂人である。お店のケーキがまずかったんで、私は自分が新しいケーキ屋のシェフだ、と宣言した、というようなものである。市長が嘘を言ったので、私が新しい市を作って市長になった。あの俳優の演技が気に食わないので、私がスターになった。などなど、思いつくまま想像してみるが、まったくこの人、文脈に脈絡がない。

19)僕が念頭に置いているのは路上生活者だ。0円ハウスの生活形態だ。ここではすでに0円で生活することが可能な世界が実現されており、あらゆるゴミを貨幣に換え、独自の技術を独自の「貨幣」として流通させる新しい経済が実践されている。坂口p87「モデルとしての路上生活」

20)すくなくとも、沢口の6冊の著書を読む限りにおいては、完全無欠な「0円生活」などあり得ない。登場人物の中で、生まれて死ぬまで0円生活を全うした人は、著者本人を初めとして、ひとりもいない。それは「ブランド」化することはできるだろうが、羊頭狗肉である。農薬を使い、科学肥料を使っても、「完全な自然野菜」として売っているようなもので、そういう名前のついた、まがい物でしかない。名前が体を現していない。

21)さらに言えば、ここにおいては、いくら路上に転がっているアルミ缶を拾い集めたとしても、アルミ缶そのものが「貨幣」として流通しているわけではあるまい。集めたアルミ缶を、キロ何円として、「無政府状態になった」日本政府の貨幣と交換しているだけだろう。

22)独立国家うんぬんをするのなら、「貨幣」だけでは国家たりえない。アントニオ・ネグリ風に言えば、「貨幣」と「武器」と「憲法」が必要だ。

23)この本にも「路上」のケルアックがでてくる。著者としては、その60年代的アメリカ文学のイメージをも借りたいのだろうが、ケルアックのほうは「On The Road」であって、「路上生活」やホームレスを意味しているわけではない。あえていうなら「途上」なのだ。ヒッチハイクで、アメリカ大陸をあれこれ旅をしているのであって、都市に寄生して、ゴミ集めをしたり、時にはボランティアの手に甘えて人生を送ろう、という人々の文学ではない。

24)新政府というどこからどう見ても狂っているとしか思えない行動を支えてくれた妻フーと「パパは普通だよ」と言ってくれた娘アオには命を救われた。坂口p221「あとがき」

25)彼の嫁さんが私の娘なら、「考えたほうがいいよ」とアドバイスするだろうが、よそ様のことには関与しないでおこう。少なくとも、著者自らが、「どこからどう見ても狂っているとしか思えない」と自覚しているのであれば、私ごときが、敢えて、新たに指摘して上げるほどでもないだろう。

26)3歳の我が娘に「パパは普通だよ」と言ってもらってようやく、精神のバランスを保ち、命が救われている著者なのである。この人、病んでるね。

<4>につづく

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