今やスマホ・ネイティブの時代なのか 『必ず使える!スマートフォン2012年秋号』アンドロイドを万能ツールに! (日経PC21増刊)
「必ず使える!スマートフォン」 アンドロイドを万能ツールに!
2012年秋号 (日経PC21増刊) (雑誌) / 日経BPマーケティング
Vol.3 No.0801★★★★☆
1)晩のおかずを買いに近くのスーパーにお買いもの。奥さんのお供で、なにげなく店内をぶらついていると、新聞、雑誌コーナーにこの本があった。いつもなら婦人雑誌がメインなので立ち寄ることもないが、いきなりこの表紙には視線を奪われてしまった。
2)書店のパソコンコーナーにもいかない訳ではないが、最初から心していくので、ほとんどが立ち読みのツマミ食いで、一冊お持ち帰り、なんてことはまずない。だいたい気になるところをパラパラめくるだけだ。
3)ところが今回は、ちょっと油断していた。構えていないところに一撃を加えられたので、即反応して、表紙を見ただけで衝動買いをしてしまった。今晩のおかずのひと品、の感覚である。
4)自宅にもどってパラパラめくった。一目には沢山の情報が満載ではあるが、本当に自分に必要な記事は少ない。雑多な情報の中から有益な記事を探すのも一苦労。だが、この苦労が多少のワクワク感を生む。
5)しかし、すごいもんだな。こういう時代なんだな、と思う。本当にポケットにコンピュータの時代だ。
6)かく言う私もスマホを持って2年、今じゃケータイとスマホ2台と、モバイルWiFi端末を、ガチャガチャとポケットに入れて歩く時代となった。たしかに便利で、こいつらがないと、なんだか物足りないという感覚になる。
7)思えば、自分が生まれた時の我が家には、裸電球と真空管ラジオしかなかった。テレビが近所にやってきたのは正田美智子さんの結婚式の時で、力道山の活躍でさらに広がった。東京オリンピックの時からはカラーテレビが一般化した。
8)蛍光灯が入り、電気アイロン、電気釜、簡易水道システムが入り、洗たく機が入り、冷蔵庫が入った。黒電話が入ったのはやや遅くて中学生になってからだった。
9)高校生になってからは、むしろテレビを見なくなった。オチャラケ番組や、一方的なマスメディアの報道には飽き飽きし始めたのだった。ラジオの深夜放送や、ステレオセットに向かうことが多くなった。テープレコーダーなんてのを個人に持てる時代になった。
10)その後は、電化製品が身近にあるなんてことは当たり前の時代だった。ありとあらゆるものが考えだされた。だが、次なる、大きなイノベーションは、やはりパソコンであっただろう。1980年代初頭にはパソコンの前身みたいなものが出来始めたが、まだ電卓に毛が生えたようなものだった(それでもすごいものだった)。
11)パソコンは80年代後半から当たり前に家庭にも入り込んできていたが、まだ何をやったらいいかわからないような「箱」だった。むしろ専用ワープロのほうが、その機能を「特化」しているだけに、ごく当たり前に家庭に浸透していった。
12)パソコンが本当に力を持つようになったのは1995年以降だから、思えば、随分と準備期間があったものだと思う。そこにインターネットとケータイが登場し、21世紀になってからは、情報化時代の本番に突入した。
11)その結果、21世紀になってからの真打ちはスマートフォン(スマホ)ということにあいなった。
12)ごちゃごちゃと、あっという間にスマホの時代が来たような気もするが、それぞれに準備段階を踏まえて、ようやくここまできたのだ、という気もする。なにせ、2012年の御時世、スマホがなくては、何事も一歩も進まない、という時代である。
13)孫が泣けば、スマホをYoutubeを繋いでアンパンマンのテーマ曲を聞かせ、這った、立った、と喜んではスマホで動画を撮る。それをネットで送ってもらってジジババは大喜び。時にはスカイプで顔を見せながらの、孫とジジババのたわいのない対話。
14)おしめを買うにも、スマホをアマゾンにつないで、翌日宅急便でお届け。記念日の写真撮影も、適当な写真館をスマホで検索し、予約。最近じゃ、直近の、地域の放射線情報をスマホでキャッチするばかりか、放射線を計測する機能がついたスマホも登場している。
15)もうすでに何でもありのスマホ天国の時代だが、はてさて、この動きも何処までいくのやら。生まれた時からデジタル機器が目の前にあった今の青年たちのデジタル・ネイティブ時代を通り越して、今生まれてきている孫たちは、スマホ・ネイティブである。スマホがあって当たり前の時代なのだ。
16)ちょっとひと昔を考えてみれば、パソコンが職場に導入されて、俺はデジタルが嫌いだ、などと言っていた、浪花節アナログおじさんたちは、早々と早期退職で、職場から一掃されてしまった。パソコンができなければ、仕事ができない時代になって、もはや15年近い。
17)そろそろ、スマホがなければ仕事ができない、という時代が来るのだろうか。いやはや、仕事どころか、スマホがなければ満足な家庭生活も送れない、という時代なのかも。うちの奥さんがらくらくフォンを持つようになったのは、必要に迫られてのことだった。道を歩いていて、危険を感じても連絡する公衆電話がどんどん消えているという。もう、個人ケータイは当たり前の必需品になっていたのだ。
18)その奥さんも、らくらくスマートフォン導入にはいまいち躊躇している。せっかく払い終わった端末を捨ててまで、新しい端末を買う必要があるのか。いや、そのうちきっと、必要だ、という結論に達するだろう。理由は・・・? あれこれいろいろと、その口実は、もうそこまで迫っている。
19)ほんの近くの食品スーパーで、スマホ本が買い物かごに入れられる時代である。
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