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2012/09/05

ど真ん中としての「東北」を語るべきだろう 松岡正剛「3・11を読む」 千夜千冊番外録<3>

<2>からつづく


「3・11を読む」 千夜千冊番外録<3>
松岡正剛 2012/07 平凡社 単行本 430p

1)パラパラと部分的につまみ食いしたあと、目次を見てみると、この本は五章にわけて一冊にまとめられている。

第一章 大震災を見つめる
第二章 原発問題の基底
第三章 フクシマという問題群
第四章 事故とエコとエゴ
第五章 陸奥(みちのく)と東北を念(おも)う 
p2 「損傷の哲学へ 小さな絆創膏」 「まえがき」代えて

2)3・11は地震・津波・原発のトリプル・パンチだ。この章立てからは、この三つはキチンと分別はされていない。敢えていうなら、地震と津波はひとつになり、それに対峙する形で原発があり、しかも多くは原発にあてられている。そして、特筆すべきは、第五章が「東北」に充てられていることであろう。

3)まずは、この第五章を通読してみる。出て来るのは梅原猛であり、高橋富雄であり、森崎和江である。他に赤坂憲雄、高橋崇、工藤雅樹も加わっている。わずか6名の著書について書いてあるだけなのだが、他の章の一冊一冊に比して、この五章では、かなりな長文が並べられている。

4)つまり、松岡正剛においての「東北」あるいは「東北学」が語られるわけだが、従来の東北学から大きく踏み出したものではない。むしろそれらの全体的理解のおさらいという形だ。

5)当ブログは、東北大震災とも、東日本大震災とも表記することは少ない。むしろ、一括して3・11と表記している。北海道や関東にも影響がでているし、場合によっては東海や関西にまでその影響はある。されど、表東北と裏東北ではその比重はかなり違い、東と西だけに分けてしまうことに異論はある。

6)それに、東北といわれることに、どこか違和感がどこまでも残っている。どこから見て東北なのか。結局は、蝦夷、えみし、まつろわぬ、などと言われつつ総称されているのは、蔑称でしかない。東北と、無機質な方角的表現になったとしても、結局は現代においても「東北」は蔑称でしかないのではないか。

7)あまりおおっぴらにすべきことではないが、我が家の住まいは、東北本線の南○○駅の西口・西△△にある。住所表記は5-5-5だ。5は九星気学などで考えれば、真ん中を意味する。つまり、私が依って立っている場は、東西南北の真ん中の真ん中の真ん中なのである、というのが私の私流の理解なのだ。私流の中華思想である。自らを一方角である東北とはとらえたくないし、何かの補完としてもとらえたくない。

8)松岡正剛がいくら語ったとしても、彼の東北は、他に語られている東北学の彼流の理解なのであって、自らの中に湧いた東北ではない。それは仕方ないことなのだ。その彼が東北を理解しようとしている、ということだけでも、評価すべきことなのだろう。

9)かてて加えて、私はアベの末裔である。父方もアベ、母方もアベである。両家とも10数代の墓石が残っているところから、すでに数百年以上この地に住み続けている血の結合体なのである。歴史がどうの、文献がどうのという前に、血が騒ぐ。

10)連休中に釜石・気仙沼・塩釜・いわき市を走り回るのだが、惨状なまなましい現地を走ってみると、歴史への思いなどとうてい遡及もできない。むしろ「お前、いったい何を歴史浪漫に浸っているのか」と瓦礫の惨状から無言で怒鳴られるようなもの、自分の歴史的現在すら吹き飛ばされた。 

 ともかくそんなふうななかで、高橋富雄、高橋崇、工藤雅樹を読んでいたのだ。いや、もっと読んだ。毎晩がひどい状態だったけれど、それをやめなかったのは(やめられなかったのは)、なんとか「東北」を古代から現在までつなげて3・11を見つめきりたかったからだった。404「陸奥と東北を念う」

11)私も同じ連休の前、北は弘前から八戸、久慈、宮古、釜石、大船渡、気仙沼、南三陸、石巻、女川、松島、塩釜と回った。地元の多賀城、仙台、名取、岩沼、亘理、山元町はいうに及ばず、新地、相馬、そして、福島第一原発から20キロ圏まで足を伸ばしたし、福島以南も、茨城、千葉まで、機会をとらえて走ってみた。山形、新潟、富山、長野、群馬も走ってみた。

12)私にとっては、これらの地域は、ひとつひとつが地元であり、今でも友人知人が多く住んでいる。「東北」と言って客観的に見つめることには、極めて不都合である。感情を移入しないでは考えられない。

13)すくなくともこれらの地域は、ある一部ではなく、何かを補完すべきものでもなく、それらはそれらで、「全部」なのである。

14)「東北学」は1991年の「スピット・オブ・プレイス」以来、私の中でも大きなテーマでありつづけているが、3・11後は大きな読書の対象とはならなかった。むしろ私が読んだのは、「地元学」の結城登美雄であり、 三陸海岸の牡蠣養殖家、「森は海の恋人」(1994/10 北斗出版)の畠山重篤だった。そしてやっぱり、宮沢賢治だった。ゲーリー・スナイダー山尾三省、も読んだ。

15)3・11を東北と限定し、あるいは直接的に結びつけて考察することは、私はあまり好まない。原発は東北の問題ではなく、日本全体の問題であり、かつ、世界全体の問題である。地震もまた世界どこでもおきる可能性がある。津波しかりである。これらこそ、地球であり、問われているのは「東北」ではなくて、地球全体なのである。それこそ、ホールアース・ディシプリンが必要なのだ。

16)松岡正剛が、これらの「東北」を読んでいたのは、3・11直後の、4月、5月、6月である。これらの歴史的背景を認識したかったということであろうし、当ブログとしても、別な文脈では読み進めてきている分野だし、今後も大いに益するところがあるだろう。ただ、この時期、私の住んでいる「東北」は自宅の書庫は倒壊し、書店もことごとく閉鎖され、図書館もほぼ壊滅という状態にあり、読書すらできなかった。

17)私は、ピッカピッカの東北人であることを誇りに思っている一人なのであるが、そこから地域ナショナリズムや地域ファシズムに走る想いはさらさらない。宮沢賢治の想いに似て、東北にいながら、地球人であることを願う。一人の地球人に残されているのは、足元ほ大地であるし、頭上の天空である。

18)すくなくとも、松岡正剛の、この本における「東北」の括りの中には、地球人的ビジョンはでてこない。ホールアース的な地球観もなければ、未来においての可能性も語られない。断片的な「歴史」のつなぎとめだけである。

19)と、いうことは、この本の5分の1は、まずは読了、としてしまっていいだろう。

<4>につづく

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