3・11を時間と空間で実体験した本を読みたい 松岡正剛「3・11を読む」 千夜千冊番外録<2>
「3・11を読む」 千夜千冊番外録<2>
松岡正剛 2012/07 平凡社 単行本 430p
1)ひょんなことで池田純一「ウェブ×ソーシャル×アメリカ <全球時代>の構想力」(2011/03 講談社)がひとつの回転軸として当ブログがうごめき始めたところだったが、いかんせん、3・11以前の著作ということになり、なんとも歯がゆい思いがすることが多かった。それにその本の中心のひとつとなっているスチュアート・ブランドにも、あちこちほころびが見えてきて、改めて、全体を読みなしたあとに、新たなる軸を作る必要がでてきている。
2)その新機軸としては、この松岡正剛「3・11を読む」は大きな可能性を持っているのではないか。3・11後に読まれた本の数々がメモしてあるので、新しい視点からの捉え返しが可能になっている。ただ、その約60冊の殆どが3・11以前の書物なので、必ずしも「3・11」後となっていないのが、辛いところだ。
3)そもそも書籍一冊を創るのは大変な工程が必要で、そんな簡単にできるわけはないので、しかたないが、それでもやはり、ここは完全なる「3・11『後』を読む」というスタイルにすこしでも早く近づけていきたい。
4)さて、そのスチュアート・ブランドの「地球の論点」について松岡正剛が語っているのが「なぜ環境主義者は『親核』になったのか」p271である。わずか10ページ足らずだが、本の内容の説明が多すぎて、松岡本来の主張がはっきりと見えないが、それでもやっぱりここでこの本には出会ってしまうのだろう。
5)そしてそのスチュアート・ブランドの前の本、中村政雄「原子力と環境」p266を紹介しながら、松岡は一連の動きに触れている。めちゃくちゃ長文の引用になるが、当ブログの進行と大きく関わってくるところなので、転写する。
6)本書(「地球と環境」)は第一章で、環境運動の活動家たちがどのように「石油から原子力」に転向していったのか、その実態や噂をレポートしている。
2005年4月に、グリーンピースの創設者の一人で環境学者でもあるパトリック・ムーアが「原子力は、化石燃料に代わって世界中のエネルギー需要を満たすことのできる、唯一の非温暖化ガス排出エネルギーである」というスピーチを、アメリカ上院のエネルギー・天然資源委員会でしたのが、最初の大きなきっかけだった。
しかし原子力使用に対して核アレルギーをもつ運動家やジャーナリストたちは、この発言に疑問をもっただけでなく、グリーンピースの実態を暴露しようとした。たとえば、1980年代は会員の会費だけで活動費を捻出していたのが、しだいにロックフェラー財団やフォード財団から資金を得るようになったとか、フランスのブルーノ・コンビは「グリーンピースの活動資金はサウジアラビアが出している」と証言したりした。エクソンからの資金が出ていたといううわさもあった。
まあ、そのへんのことは真相がよくわからないが、そうしたジグザグもあったようだと中村は書いている。
ちなみにグリーンピースの日本事務局は星川淳クンで、ぼくが30代のころよく遊んだ仲間だった。当時はプラブッダと名のっていた。カリフォルニアのバグワン・シュリ・ラジニーシのアシュラムにいて、たいそう優美で声とセンスがよかった。「遊」にも原稿連載をしてもらったし、工作舎の翻訳も何冊か頼んだ。ジェームズ・ラヴロック(584夜)を日本語に移したのは星川クンだったのだ。その後、屋久島に移り住んでいたが、いつのまにかグリーンピース日本代表を引き受けたようだ。
(追記:以上の文章を綴ったところ、星川クンからメールが来て、以下の訂正がゼツヒツであると判断したので、そうします。(1)グリーンピース・ジャパンの事務局長は2005年からの5年間だけだった。(2)いまは屋久島に戻り、一般社団法人「act beyond trust」を立ち上げた。ラジニーシのアシュラムはインド時代のこと、アメリカに移ってからは活動を共にしなかった。(4)グリーンピースがエクソンから資金を受け取ったとは思えない。こういうことでした。星川クン、ごめんね)
話を戻して、そうした紆余曲折はあったのだが、「石油から原子力へ」の声はしだいに強くなってきた。ガイア仮説のラヴロックが「原子力は唯一のクリーンな選択肢えある」と言い、「ジェラシック・パーク」のマイケル・クライトンらが原子力発電に賛意を示したのも影響力が大きかった。
が、ぼくが驚いたのはスチュアート・ブランドがMITの「テクノロジー・レビュー」に、「理想と現実のギャップを埋めてCO2の大気への放出を停めることが可能な唯一の技術は原子力である」と書いたことである。クリーンエネルギーとしての原子力に期待を寄せたためだったろうが、このことはブッシュからオバマに及んだアメリカの原発推進ムードの盛り上げにも一役買ったにちがいない。それだけではなく、ブラントは反核運動の批判をしはじめた。
いったいなぜブランドは「反核」から「親核」にひっくりかえったのか。その説明をぜひ聞きたいと思っていた。次に紹介する「地球の論点」(ホールアース・ディシプリン)がその”答弁”にあたるはずなのだが、さて、どうか。ただし原著は3・11以前の執筆のものだ。千夜千冊◎1456夜(2012年2月22日)p268松岡「地球を左右しているのは『水』である」
7)この最後の「ただし原著は3・11以前の執筆のものだ」というところがとても大切だと思う。3・11以前と、3・11後では、世界観が大きく変わってしかるべきだ。ある意味で、地球に生きる地球人として、戦争体験をも上回るような大災害が3・11だったはずである。それが一瞬のうちにやってきた。それぞれ各人が、それぞれに思想の転換を体験するタイミングであろう。
8)ただ、みんなが3・11にいるとしても、それだけで十分だろうか。この本の巻頭でも、松岡が東京・原宿表参道を歩いている時に体験した3・11を刻銘に書き遺しているが、より被災地にいる私などが読むと、あちこち違和感が残る。
9)3・11「後」であることも大切だが、宮沢賢治が「雨ニモマケズ」でいうところの「行ッテ」精神が忘れられても困ると思う。その時間と空間の共有できる本あるいは発言でなければ、今後、当ブログではなかなか受け止めることも、読み進めることもできないことになるだろう。
10)松岡も3・11後に被災地入りしているようだ。今後は、どれだけ評価の高いものであろうと、その思想や哲学、あるいは実存の根底において、3・11体験を基礎に据えようとしなければ、今後の地球人スピリットとしては採用できない。
11)上の長文の引用部についても、私なりにコメントを挟みたいが、それは今までも触れてきたし、今後も振り返ることがあるだろうから、今回はやめておく。
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