松岡正剛「3・11を読む」 千夜千冊番外録<5>
「3・11を読む」 千夜千冊番外録<5>
松岡正剛 2012/07 平凡社 単行本 430p
1)5章の章立てのうち、第一章が3・11を受けとめることに専念し、第五章が著者なりの東北学の再確認に充てられているとすれば、中身は二~四章の部分となり、どうやらそれは原発に向けれている。
2)第二章は「原発問題の基底」とあり、基本的には3・11以前のいわゆる原発=核問題についての再確認ということになる。第三章は「フクシマという問題群」として「3・11原発」を直視し、第四章は「事故とエコとエゴ」というおとになる。二章~四章で、原発の3・11「以前」、「3・11そのもの」、そして3・11「以後」が語られているということになるだろう。
3)第二章については、70ページほどのなかに12冊の本が紹介されており、当ブログが読んだ本とそう重なりはしないけれども、内容的には、それほど違ったもにになっているわけではない。
4)いずれにしても原発問題は反対派のものばかり読んでいては見えなくなることも少なからずあるということだ。本書はそのことをそれなりに伝えている。
だから反面教師として読むなどという意固地な読み方ではなく、一度はその道を走る自動車になったつもりで、アクセルやハンドルを動かしてみるといい。p125松岡「元東電原子力本部長が書いた本--「原子力発電がよくわかる本」について
5)上記についてはおおいに賛成だ。千夜千冊においては、プロの読書家が、選りすぐった一作家一冊に絞り込んで、読者に「紹介」しているのに対し、当ブログにおいては、公立図書館の一ユーザーが、やみくもに手を出してあちこち散読して、自分のためにメモを残している、というスタイルなので、おのずと読書態度は違ってくる。しかし、「反対派のものばかり読んでいては見えなくなることも少なからずある」というところは我が意を得たりと思う。
6)ただし、震災後に復活した図書館の窓口の「震災コーナー」にある本を片っ端から手を出しているうちに、推進派も反対派もよくわからず読み進めたわけだが、おのずと、おかしいものはおかしい、という結論になる。スチュアート・ブランドやジェームズ・ラブロックの本ですら、やっぱりおかしい、ということに変わりはない。
7)石川迪夫「原子炉解体新装版 廃炉への道」 (2011/04 講談社)なんて本は、出版時期やタイトルから、きわめて紛らわしいが、いわゆる広瀬隆いうところの原発マフィア・原発シンジケートの大本のような存在が書いた本であり、ある意味、一般社会への「恫喝」のような本である。しかし「廃炉への道」というだけでは、そのスタンスは最初はよくわからない。
8)あるいは「低量放射線は怖くない」(中村仁信 2011/06 遊タイム出版)なんて本は、サブタイトルが「本人の放射線アレルギーを吹き飛ばす!」なんてところでおかしいとは感づいたが、いわゆるホルミシス=ホルメシス効果を過大に語っている本だった。ラルフ・グロイブ「人間と環境への低レベル放射能の脅威 福島原発放射能汚染を考えるために」(2011/06あけび書房)あたりと併読してみて、ようやくそれぞれの位置関係がわかる。
9)そういえば、友人の治療院で、このホルミシス効果のある治療台というものを体験したことがある。たしか数ミリシーベルトの放射線がごくわずかのエリア(ベット周辺数十センチだけ)に放出され、その空間に数十分間だけ身をおくことによって、治療効果を得るというしくみだ、と聞いた気がする。もっともこれは、治療としては厚労省の認可が下りておらず、無料体験だった、と思った。
10)日本の反原発の科学技術者として、最も良心的でラディカルだろうといわれているのが小出裕章だ。p154「隠される原子力・核の真実」小出裕章について
11)当ブログにおいても、原発関連本を乱読・蚕読した結果、「最も良心的でラディカルだろう」と思われるのは小出裕章氏だ。ここに別に「日本の反原発の科学技術者」と限定しなくてもいいように思う。特に「反」は要らないのではないか。
12)それらの本はすべて講演やインタヴューや対話で構成されていて、小出がしっかりと文章を練り上げてはいない。(略)そのためときどき話題や論旨が前後したりする。
これだけの本気の筋金入りがどうして決定打を打たないのだろうと思っていたが、おそらくゆっくり書いている暇などはなく、そんな気持ちにはなれないのであろう。また執筆よりは実践なのだろう。ぼくも、この人はそういう人なのだと納得した。
それでも、これらの本のどんな本の端々にも小出の哲学や技術観は鋭く突出しているし、とくに原子炉を扱う研究者としての痛哭に近いほどの責任の重さは、どのページにも滲み出ている。p155
13)たしかに、最寄りの公立図書館のネットワークを見ても、3・11以前に書かれた本は、わずかに3冊しか登録されていない。1992年の「放射能汚染の現実を超えて」 2010年の「隠される原子力・核の真実」であり、残り一冊は2005年にでた37人による共著本に文章が収録されているだけである。
14)この第二章の最後を飾った「メアリー=ルイーズ・エンゲルスの「反核シスター」(緑風出版2008/08)についての「あらゆるると戦う修道女」p117という紹介も面白かった。
15)総じて言えることは、プロの読書家だろうが、一般の公立図書館のユーザーだろうが、こと原発に関してはほとんど両論が、それぞれの量で読みこむことができるということである。したがって、当ブログとしては、この「3・11を読む」の5分の3は読了した、ということにする。
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