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2012/09/05

3・11はそれぞれの1分の1の体験だ 松岡正剛「3・11を読む」 千夜千冊番外録<4>

<3>からつづく


「3・11を読む」 千夜千冊番外録<4>
松岡正剛 2012/07 平凡社 単行本 430p

1)第一章は「大震災を見つめる」である。80ページ程のなかに10数冊の本が切り口として利用されている。地震の起きた3・11その日から書かれている。「大震災を見つめる」というテーマである限り、Seigow的であるか、Seiko的であるかに違いはない。Seigowは直ぐ読書に掛かり、Seikoは、避難所の小学校の体育館で、切れ切れのケータイで家族親戚との連絡をとり、小さなワンセグで、被災地の津波や火災の映像を見ていた。

2)少なくとも「大震災をみつめる」という限りにおいては、被災地にいる私のほうが実態を知っていることになる。もっとも、書店も図書館もないまま被災地で数カ月過ごした身よりは、マスメディアなどで情報としてあちこちの大震災を知っていた立場のほうが大震災全体をとらえることができていたかもしれない。

3)ところで、話題は急に変わるが、千夜千冊1457夜において松岡は加藤哲夫を紹介している。

4)ところで本書の「あとがき」は、仙台で長年にわたってNPO活動のリーダーを務めてきた加藤哲夫の言葉、「復興とはなによりも原子力災害の克服である」で結ばれている。闘病ブログとして書きまくっていた加藤哲夫の「蝸牛庵日乗」の7月21日の言葉だった。

 加藤哲夫は去年2011年の8月26日に、ガンに勝てずに無念のまま死んでいった。その2カ月前、加藤さんから3・11以降に久々の連絡があって、「ぼくはもう死ぬが、どうしてもその前に松岡さんと話したい」と言われた。ただならない声だった。その日を待って病室の対話に臨んだのだが、見るからに余命があまり長くないことを感じたまま、最後の収録を了えた。いずれひつじ書房から本になる予定だ。

 そのとき加藤さんは最後の力をふりしぼっていた。ほんとうは上田紀行さん、上野千鶴子(
875夜)さん、ぼくの3人と対話して遺言を残したかったようだが、上野さんとの対話はまにあわなかったようだ。こんなところに加藤さんのことを書くのは場違いかもしれないが、冥福を祈りたい。

 長谷川はその加藤さんを「脱原子力運動の先達」として心から敬服していた。そこで「あとがき」の締めくくりに加藤さんのブログの言葉を掲げたのだろう。本書が一貫して身の丈に合った内容に徹していることは、ここにもあらわれている。ちなみに長谷川には句集『緑雨』がある。俳号を冬虹という。とてもいい俳号だ。
松岡正剛「千夜千冊1457夜

Senya1457_img026_2

病床の加藤哲夫さんと松岡。枕元で語り合う。
(2011年8月8日:仙台市)
同上から無断拝借

5)故加藤哲夫氏の通夜にあたる偲ぶ会に参加し、その時、加藤氏は、最期に、何人かの人との対談集を3冊だったか5冊だったかを出版したい、と遺言を残していたことを知った。その中に松岡正剛の名もあり、いつかは出ると待っているのだが、そのひつじ書房から出るとされる一冊はまだ出てきていないようだ。

6)加藤哲夫は、スピリット・オブ・プレイスの主要スタッフの一人である。スタッフの一人として、私なりの意見を持っているが、ここでは語るまい。3・11後に、自然食品レストランのオーナーでもあった福島出身の加藤哲夫はガンで62歳で亡くなった。ベジタリアンであるはずのスティーブ・ジョブズも56歳と7ヵ月でガンで亡くなり、ヒーリング・ミュージックの宮下富美夫もガンで52歳で亡くなった。 

7)さて、松岡著「3・11を読む」ではあるが、これで、5分の2は読了したことにする。 

<5>につづく

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