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2012/09/19

3・11曼陀羅と自らの立ち位置 松岡正剛著 『3・11を読む』 千夜千冊番外録<9>

<8>からつづく


「3・11を読む」 千夜千冊番外録<9>
松岡正剛 2012/07 平凡社 単行本 430p

1)さて、いろいろと名残りは惜しいが、この本もそろそろ返却することとする。

2)われわれが読むべきは、事故と損傷の正体の真っ只中にあえて身を突っ込んで、新たな意味を再発見することなのである。おそらく3・11とはそのことの告知であったろう。

 ポール・ヴィリリオが「これからの時代は事故からしか新たな展望は生まれない」といい、ジャン=ピエール・デュビュイが「いまや津波の体験が新しい形而上学を生むしかあるまい」と指摘したように、われわれは損傷の渦中から新哲学を掬(すく)ってくるべきなのである。松岡・表紙見返し著者紹介

3)ヴィリリオ「アクシデント 事故と文明」デュビュイ「ツナミの小形而上学」も読んでいない。今は読む気がしない(いずれ目を通そう)。そもそもこの人はこのように、すこしわかりずらいことを並べることをよしとするダンディズムに酔うところがある。それはそれとして、まずはこの本は、著者の本意をつかむという意味では、私には楽しい一冊だった。

4)ぼくは錯乱しそうになるアタマを整理しながら、三つのストリームが自分のなかで錯綜しているのを見た。

<1>この災害が東北を襲ったことについて、ずっと考えていかなければならないだろう。それには蝦夷の歴史から今日の町村の現実まで眺め渡さなければならないだろう。

<2>国家と原子力のことについて、何らかの見通しと判断をしなければならないだろう。それには世界のエネルギー問題や環境問題を見渡す必要がある。

<3>危機とリスクとその解消と保持の関係について、かなり深い問題を浮上させなければならないだろう。それには資本主義下の社会学や現代思想の根本をぐりぐり動かすべきだろう。

 いずれも厄介な難問だ。p84「大震災を受けとめる」

5)当ブログは当ブログなりに、上の三つのテーマに、論旨が飛躍しているが、とっかかりをつけておく必要がある。

<1>蝦夷や、まつろわぬ者としての東北論は一旦棚上げしたい。人類の歴史は戦争の歴史だ。大きかろうと小さかろうと、戦争は恨みを遺す。80数年前の満州事件の恨みを果たそうとする中国「人民」を、当ブログは美しいとは思わない。蝦夷の、現代における反乱も美しいとは思わない。私たちは国境や人種、民族、信教、ジェンダーを超えた、ひとりの地球人として、この地上に足をつけている存在としての自らを確認していく必要がある。

 東北の<まずしさ>は、都市集中の結果であるから、その解決には、大都市集中のライフスタイルを変えていく必要がある。

<2>国家があるから、戦争があり、戦争があるから、核武装が必要なのであり、その技術を保持するために原発も維持しなければならなくなった。いずれは、ゆるい、たったひとつの地球政府に、すべての武器を渡し、国家はゆるく解体して行く必要がある。

 経済はそのためにあり、学問も、科学も、そのために存在する社会がくるはずだ。

<3>この世は仮の住まいであり、全ての生命は「死」を迎える。いずれ死すべき「私」とは誰かを、それぞれが問い、その問いが中心に来るようなライフスタイルを生きていく必要がある。思想や哲学は、すべて、その環境に向けて自己解体していく必要がある。

6)多くの遺体が苦悶の表情のままで床に並べられたままになっている。遺族が泣きながら駆けつけても何もできない。警察は沈黙したまま、ただ警備をするばかり。千葉は自分ならこの窮状をなんとかコントロールできるかもしれないと思い、釜石市長の野田武則に申し入れをした。p232「釜石遺体安置所の日々」

7)野田武則は、若い頃、一緒にアメリカ・オレゴン州のOshoコミューンに参加した仲間である。3・11直後は音信がとれなくて某SNSでも騒ぎになったが、市長であるがゆえにいち早くその消息が分かった。その後はテレビでその活動が見れるので、敢えて、こちらからは連絡することはなかった。

8)その釜石に、ひょんなことで、身内の一家が移住して、その被災後の通信網の復旧工事の任務にあたっている。

9)最後に、もう一度、ざっと読みとおしてみて感じることは、この本には50冊以上の本が紹介されているが、この3・11は、松岡正剛の3・11曼荼羅だ、ということだ。これは私にとっては、好印象だった。べつに他の本を読みたいからこの本を読むのではない。松岡正剛を読みたいからこの本を読んだのだ。そういう意味では正解だった。

10)残されたテーマは大きく、多い。そして難しい。だが、それは何も松岡オヤブンを通さなければならない問題でもない。それは別個な取り組みなのである。ただ、自分の立場を表明しないまま、あやふやな論旨を振り回している者たちが多い中、なにはともあれ、自らの立ち位置を表明したこの一冊は好著だと思う。近いうちに、また再読する機会もあろう。

<10>につづく

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コメント

吉田けい@ビジネスモデル研究 さん
なかなか興味深い一冊です。当ブログはこの本全体をフォロー中です。本年度上半期の新刊本ベスト10入りは確実です。次へのステップのいくつかが見つかりました。

投稿: Bhavesh | 2012/10/08 09:55

松岡正剛さんの3.11論はぜひ読んでみたいですね。

投稿: 吉田けい@ビジネスモデル研究 | 2012/10/08 01:32

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