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2012/09/15

坂口恭平 『独立国家のつくりかた』 <5>

<4>からつづく 


「独立国家のつくりかた」 <5>
坂口恭平 2012/05 講談社 現代新書 221p
★☆☆☆☆

1)僕は精神病院から躁鬱病と診断されている。病気と思っていないが p94「0円サマーキャンプ」

2)ん? それってまずいじゃん。躁鬱病は、立派な病気だと思うがなぁ。

3)僕は鬱状態以外の時は一日に原稿用紙30~40枚書く。多い時には50枚に到達することもある。もちろん原稿の量が問題ではないが、そういう持久力を持っている。調子が良い時には、結構いい動きをしてくれるのである。逆に駄目な時は何をやっても駄目だが。p175「才能には上下はない」

4)あらら、ダメじゃん。前回は立ち読みだったし、今回はツマミ読みして、まずは気になるところをメモしておいただけだから気が付かなかったのだが、改めて最初から最後まで通読してみると、実に何回も彼は自らの病歴を告白しているのだった。

5)なんで躁状態のときに、こんなにたくさんの言葉が出てくるのかというと、それは鬱状態の間に(僕はずっと自殺念慮にやられそうになっているのだが、)いつかまた上がった時のために毎日、何を書こうか話そうかとシナリオを書いていたからではない。

 そうでなく「生きるとは何か」ということをただひたすら死にたくないので考えていただけだ。鬱状態の時は適当な生きる目的や抽象的な理由では駄目なので、とにかく具体的に高い解像度で自分の「生」について考えている。

 その時に筋力が身につけられる。鬱が明けた時には、その筋力がバネのような役割を果たし、僕は原稿を膨大に書かなければならないという状態になる。p176同上

6)私はこの人の本をあちこちちょっとづつツマミ食いして、ああ、この人は病んでいるなぁ、と直感したが、それは本当だった。私の直感にも根拠がないわけではない。専業ではないが、対価をいただいて活動する心理カウンセラー資格者として、私なりのキャリアと実績と直感がある。

7)彼は、あるクライエントを連想させた。国立大学をでて、公務に属する就職をしていた有能な男である。家庭も円満で、幼い子供も二人いた。学生時代から仲間と連れだってよく遊びに来た。長じてからは、個人カウンセリングの申し込みがあり、10年以上の面談歴があった。彼は、調子のいい時は、いつもより20%くらいエネルギーが高くなるのだという。実に活動的になり、社会活動も素晴らしく、大きな企画を立ち上げたりする。

8)しかし、ダークサイド・オブ・ザ・ムーンに入ると、連絡が途絶える。電話申し込みが何度かくるが、いつもドタキャンが続く。そしてようやく、曙がやってくる、というサイクルを、何回か、繰り返した。そして、最後には、自宅で自殺した、という連絡が家族からはいった。

9)磯部涼は音、そして遊のパトロン。磯部涼と出会ってから、僕は躁鬱病の症状が緩和された。p179「パトロンを持つ」

10)磯部涼とは何を意味しているのかわからない(そのうち調べてみよう)が、著者には、理想的な瞑想「パトロン」と出会うことを願いたい。それが彼にヒットするかどうかは定かではないが、瞑想カウンセラーの私としては、それが一番いいはずだ、それしかないよ、と直感する。いろいろなメソッドが開発されている。

11)僕は鬱状態の時、完全な絶望に陥る。周りの人は何をそんなに深刻になっているのよと笑うが、僕は絶望してしまう。(中略)

 そして、最終的にお前、生きる価値なしと確定し、では死のうと思考を始める。僕が鬱状態になると、妻は家に帰ってくる時、いつもアパートの前で飛び降りて倒れていないか不安なのだそうだ。本当に申し訳ない。p181「鬱が起点になる」

12)クライエントに自殺されたり、自殺予告電話を受けたりした場合、周りにいる人間は実に無力だと思う。なんとかしたいのだが、できない。

13)何もできないので、家の中で僕は手持ち無沙汰になる。しかも、襲ってくるのは自殺願望のみなので、かなりしんどい。その強い重力がかかっている状態で、暇だから僕は思考を再開する。

 結局、鬱期が終わってみると、この時に始めた思考こそが、その次からの僕の行動の指針となりテキストになっているということに気付くのだが、その時はとにかく必死なのだ。死なないためだけに考えるのだから。p182同上

14)坂口恭平の本はすでに6冊読んだが、他の本でこれだけ病歴を告白している部分はあっただろうか。粗雑な読書ブログにして、なおかつあまり魅力を感じない本たちだったので、見落としていた可能性もある。だが、すくなくとも、当ブログとしては、ここでこのように著者が自らの病歴を告白している限り、フェアな試合はできないと思う。著者はここでハンデを要求しているのであり、フルコンタクトな試合は無理である。徹底批判などできない。当ブログにおいてはノーゲームとする。

15)しかも、それが2011年の8月から4カ月つづいた。前回の2008年の時は1年間つづいた。1年落ちると2年飛ぶ。この計算からいけば、今度は8カ月飛ぶことになる。2012年の夏頃までは行けそうだ。ということで夏頃までの予定を立てる。つまり、1年というカレンダーで見るのではなく、自分の体を起点に人生設計を更新する。p182同上

16)こうなりゃ、著者の独壇場である。余人の立ち居る隙間はない。この流れで語られているのが、坂口恭平独立国家なのであり、新首相の就任なのである。各メディアが絶賛(?)するような内容ではない。

17)自殺願望を抱いている時が好きだといったら語弊があるが、それでも僕はそのような状況に陥った時、つまり絶望している時、「望みが断たれた」ではなく、「望みを絶った」というふうに解釈する。こうすると、絶望は積極的な行為となる。まあ言葉遊びだけれど、そうすると主体が出てくる。自ら選んだ道になる。p182「絶望眼が目を覚ます」

18)自殺願望を抱くような総理大臣を抱える独立国家の大臣を引き受けたとされる、中沢新一を初めとする方々ではあるが、これは「大臣」側からの、それぞれの会見を聞くまでは、その可否を即断することはできない。

19)この絶望した男の視点、絶望眼が鮮明になると、世のほとんどのものはグレーに見える。もちろんこれはただの鬱の症状である。脳内のエリア25がほとんど機能しなくなるだけだ。

 そのおかげでほとんどのものに感動しなくなる。人はそれを病気と呼ぶ。でも、おかげで本当にやばいものに会った時、絶望眼がコンピューターのように寸分の狂いもなく、正確に反応する。p183同上

20)このような時、周囲はとにかく致命的な極限にだけならないように見守るしかない。

21)死のうと思うこと。絶望すること。実はそれは力だ。ただ、それは何か行動を起こそうとする力ではない。自分が大きな眼になるような力である。つまり、行動ではなく傍観、傍観の世界に入れる。芸術とデザインワークの間、自己実現と社会実現の間、そんな違いが一目瞭然に理解できる。(略)だから、やっぱり僕は寿命で死ぬまで自殺願望を持って生きていくのだろう。p183同上

22)彼を本当の意味で救うことができるのは、瞑想だろうが、このような本に表現されたものではなく、本人と直に面談出来る人が、キチンとリードしてあげることが必要だ。

23)だから自殺願望のない人、もしくは以前あったがどうにか薬で治して、今は会社に毎日通っていても我慢できるようになった人、などはもったいないなあと思う。あの、ふぐの毒のような体験がなくなるのは辛い。あれこそ「生きるとは何か」を考えることができる唯一の時間なのに。p184同上

24)この辺は、よそ様にとっては、余計なお世話だろう。とにかく本人は、なんだかんだ言っても、落ちているのも好きなんだね。

25)恋をしているような躁状態には、いろんなレイヤーをつくり出すことができる。いろんな良さに気付き、自分が知らなかった自分自身が根源的に持っていた興味などとも出会うことができる。

 こうやって出来上がったレイヤー構造の自らの精神を、今度は鬱状態の時に俯瞰する。そうすると、南方曼荼羅のようにいくつもの交差点が生じていることが見えてくる。それらは自らの使命を「具現化」するためのヒントになる。p187「レイヤーをつくる」

26)もっと正常な意識でクリアなビジョンを得ている人たちはたくさんいると思う。これでは、妄想の類でしかない。

27)2011年の5月に新政府を立ち上げた僕は、その後3カ月間、寝ずに避難計画や福島の子どもを熊本に一時避難させる0円サマーキャンプなどの奔走していた。もしかして、この突如思い立って始めた自治も可能性があるかもしれないと思い始めていた8月、僕は肉体的に限界だったのだろう、2年ぶりの鬱状態に突入した。

 その後、4カ月間、ほとんど原稿も書けず、昼間から家の布団にくるまり自分が始めた新政府というふざけた行為に対して後悔ばかりしていた。

 両親には精神病院に連れていかれた。僕は狂っていないと思っていたが、まわりもさすがに新政府活動はやりすぎじゃないかと疑っていた。p218「あとがき」

28)他人を助ける前に、まず自分を助けなきゃね。私もクライエントの家族との付き添いやカウンセリングなどで、精神病院の内部になんどか行ったことがある。聞くところによれば、あのスペースには、王様や殿様、大統領や首相、大将、将軍、そして、はばかりながら天皇すら沢山いるらしい。もちろん全部自称だが・・・・・。

29)坂口恭平独立国家や、総理大臣就任も、この文脈で見れば、きわめてわかりやすい。

<6>につづく

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