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2012年9月の30件の記事

2012/09/25

事故を操る軽やかな手口 ポ-ル・ヴィリリオ著『アクシデント 事故と文明』


「アクシデント」  事故と文明
ポ-ル・ヴィリリオ 小林正巳訳   2006/02 青土社 単行本199p
Vol.3 No.0806★★★★☆ 

1)松岡正剛「3・11を読む」第4章の19冊は、この本から始まる。松岡は「そろそろ日本にもせめて十人のヴィリリオが必要になっているのではあるまいか」松岡「3・11を読む」p241と結んでいる。

2)ほう、どんな書物だろうと、思ってはいたが、いざ手にとってみると、「事故」という単語が、被災地の風景を連想させて、なかなか手につかなかった。とても事故の「直後」に読めるような本ではない、と後回しにした。松岡にしてからが千夜千冊したのは3・11の一年後の2012年3月だった。

3)だが実際に読み始めてみれば、傍点やボールド体、カギカッコや引用が煩雑に入り組んではいるものの、決して読みにくい本ではない。ましてや、「事故」を手玉にとっているようで、どこか軽やかなものさえ感じ始める。

4)さて、地震、津波、原発、と重層した3・11だが、「事故」と言えるのは原発事故だけであろう。地震事故とも言わない死、津波事故とも言わない。地震も津波も、ある程度は織り込み済みのことなのであり、地球上にいきる人間としては必然的に遭遇しなければならない、ごく「自然」なことなのである。

5)地震や津波で仮に工場や商店街が被害を受けても「事故」とは言わない。火力発電所が津波に襲わても「事故」とは言わない。津波は津波なのである。仮に火災や油類流出が起きたとしても、二次的な「事故」とまでは、大きく取り上げられなかった。

6)ところが、原発だけは、地震や津波に襲われたあと、放射性物質の流出という「事故」を起した。原発施設が襲われただけでは、単に津波被害なのだ。その次の放射性物質の流失は二次的な事故なのである。

7)ヴィリリオの概念からは少し離れるが、大雑把にいえば、原発が「発明」された時点で、今回の「フクシマ」の「発明」は織り込み済みだったと言える。

8)実体が(科学にとって)絶対的かつ必然的であり、事故が相対的かつ偶発的であるとしたら、今や「実態」を認識の始まりとして、「事故」をあの哲学的直感--アリストレテスなどが先駆者であった--の終わりとして考えることができる。p29「事故の発明」

9)地震や津波は自然現象なのだから甘受せざるを得ないが、原発は人類の発明なのであり、その結果の「事故」は自然現象ではないが、発明した限りは甘受しなければならないのだ。あるいは、「事故」を避けたければ、その「発明」を取り消さなければならない。

10)このような本を「事故」のあとに読んでもどうしようもないと思うが、実際にはこの本は2005年に出版されているものであり、ヴィリリオらの思索は、それよりさらに昔に遡ることができる。その大きな契機は2001年の9・11だっただろうが、さらに遡って、1986年のチェルノブイリだったり、スリーマイルだったりするし、さらにもっと遡ることができる。

11)このような思索をしていた人々にとっては、今回の3・11、とりわけ「原発事故」の持っている意味は、のちのちまで語られるほど、重要かつ重大なものとなるだろうし、それは、さらにもっと大きな、「原発事故」以上に大きな「事故」の予言にもなっている。

12)もし実体を発明することが間接的に事故を発明することであるなら、その発明が強力でパフォーマンスの高いものであればあるほど、当の事故は劇的なものとなる。p66「事故の未来」

13)本書には、著者紹介や顔写真のようなものがついていないので、著者について本文からもイメージしにくいが、ウィキペディアによればPaul Virilioは 1932年生まれのフランスの思想家、都市計画家ということである。

14)カナダや日本で---おそらく神戸の大震災や東京の地下鉄テロがあったこの国ならではの結果だろうが---最近導入された「人類の安全」という新しい概念は、将来、<法治国家>はおろか文明世界全体をも興廃させかねないあの礼儀をまきまえぬ[=反市民的な]戦争を封じ込めることに寄与するかもしれない。p129「公共的情動」

15)著者には著者の独特のアルファベットがあり表記法があるので、読みにくく解読しにくい面も多いが、読みようによっては、まさにヴィリリオが言っていることは、当ブログと深く底通するようでもある。

16)尖閣列島や竹島の領土問題で、するどく問われている日本「国家」であるが、そもそも国家を「発明」したかぎり、領土問題はさけては通れない「事故」である、ということができる。あるいは領土問題という「事故」が起きてみれば、「国家」という「発明品」が本質的に抱えている欠陥が、するどく浮き彫りにされてくる、とも言える。

17)ついには、人類は、ニューエイジ運動の信奉者や合衆国に蔓延するサバイバリズムのセクトが暗示するように、滑走路が途切れるギリギリのところで離陸し、一個の未確認飛行物体となるのだろうか。

 たしかに、グローバリゼーションは世界の終わりではないにしろ、それでも、現実時間の中心にあって、世界の中心に向かう一種の旅の様相を呈している。この現実時間の中心は、極めて危険なことに世界の中心に取って代わろうとしているが、この世界の中心こそ、まさしく現実空間だったのであり、行動(action)のために---双方向通信(intereaction)が一般化する時代以前のことだ---まだ時間も猶予を作ってくれていたのだった。p185「走行圏」

18)著者のアルファベットに慣れて、より内容を吟味するには、この本一冊では無理だが、こういう視点から、こういう人物が、こういうスタイルで、人間や文明をぶった切ると、なるほどこうなるのか、という快感が走る。そしてその結論は、それほど想定外のエリアにはない。

19)よくよく考えてみれば、人間において「私」を「発明」すれば、「事故」としての「死」は避けられないのであり、その事故を避けようとすれば、そもそも人間など生きている必要はない、というニヒリズムに陥る。

20)ここは、「事故」を忌避すべき直視できないものとするではなく、そこからこそ次のステップが見えてくるというヴィリリオの視点の、実に「軽やかな」手口で、「事故」をお手玉にのように「あやつってみる」のも面白いのかもしれない。

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2012/09/23

宣言すべきは自分は独立した地球人なのだということだ 村雲司 『阿武隈共和国独立宣言』


「阿武隈共和国独立宣言」
村雲司 2012/08 現代書館 単行本 150p
Vol.3 No.0805★★★★☆ 

1)小説である。当ブログではほとんど小説を読まないが、まったく読まないわけでもない。ブログを通して「新訳カラマゾーフの兄弟」も完読したし、一気に村上春樹の出版されているものの殆どを読みとおした。「その男ゾルバ」だって小説だし、「ツラトゥストラ」だって小説だろう。まったく読まないわけではない。しかし、得意ではない。

2)この本は奥さんが借りてきたもの。タイトルが気になったし、気軽に読めそうだったので、手を出してみた。

3)著者はどうやら1945年岐阜県生まれの男性、主人公も同じような設定だから、かなり個人史的な小説と言えるだろう。団塊の世代というと、1948(昭和23)年頃の人たちを連想するが、著者は「終戦っ子」。70年安保世代でも、ちょっと早く来てしまった青年たちに属するだろう。

4)70年前後の反戦運動などが思い入れたっぷりに描かれる。新宿駅西口のフォークゲリラなどが、大きなモチーフのひとつになる。あの時代のモニュメントの一つである。

5)90年代のイラク戦争などに併発されながら、2011年の3・11へと遭遇する。主人公は若い時代にアマチュア演劇の台本を書いたりしていたが、その後、テレビコマーシャルを中心とした広告代理店に入り、職業生活を送る。

6)1945年生まれで2011年だから、すでに66歳になって、福島阿武隈地方の人々とであい、再び、台本を書くことになる。それが「阿武隈共和国独立宣言」である。

7)考えようによれば、小説は一人で作るものだから、坂口恭平のように「1人で、0円で国をつくった」ということにもなるだろう。

8)しかしまぁ、どうして人はこうも「共和国」とか「独立」とかに憧れるのだろう。端的に言って、「国」をつくるのはもう古いと私なら思う。かこい「ロ」を作って、そこに「王」を入れるのが、「国」だろうか。いや「王」ではなくて「玉」だぞ。でも、やっぱりなにか自分で囲いをつくりたがるのは同じようなことだ。

9)いや、もし「王」だとして、その「装置」が「天地人」を貫くエネルギー体であるならば、それもいいのかもしれない。それが「王」だろうと「玉」であろうと、本当に機能しているならば、「国」は「国」たり得るかもしれない。

10)しかし、21世紀の初頭において、すくなくともこのプラネタリー地球にうごめいているグローバリズムは、紛争や戦争を生み出すばかりで、ちっとも天地人を貫いていない。今語られているレベルでの「国」は、古い古いスタイルに成り下がっている。

11)なぜ、この小説においてはハビタットとしての阿武隈地方を書けなかっただろうか。

12)「国名は村の名前をそのまま『阿武隈』とします。
 遠く宮城から茨城まで、フクシマを貫き伸びる阿武隈川と阿武隈の山々は、私たちの母なる大自然です。その命のまほろばに大いなる敬意をこめて、阿武隈と名乗ります。山から木々を得て家を建て、川から水を得て作物を育てた。その自給自足の原点を忘れないとの誓いでもあります。(後略)」
 p112「記者会見の騒然」

13)このレベルは、坂口恭平となんら変わらない同じレベルの妄想である。

14)「あぶくま」になぞらえた虻と熊のユーモラスな馴染みの絵が描かれたバスに、みんなの笑顔が戻った。p120「核武装の真実」

15)阿武隈の語源には諸説あり、定説はないが、遡れば1000年以上、あるいはアイヌ語に語源を求める場合もある。だが、「アブ」と「クマ」で「阿武隈」では、地元の人間は誰も納得しないだろう。ユーモラスを通り越して、無視されるだけだ。

16)この小説にでてくる阿武隈村は仮想の村であり、いちいち目くじらを立てるほどではないが、私自身としては阿武隈は永年心洗われるエリアだと思ってきている。身内の生活圏でもあるし、場合によっては私の終の住処になるはずだ。

17)その阿武隈川河畔で計測してみると、放射線量があっと言う間に1・0マイクロシーベルト/時を示した。それでも東電原発から50キロエリアである。心から憂うる。

18)なにはともあれ、こういう小説が岐阜県出身の作家によって書かれた、ということを確認した。

19)「国」は古いと思う。独立すべきは、ひとりひとりの人間だ。今なされるべきは、「私はひとりの地球人」なのだ、という宣言だ。作家たちのファンタジーに酔って、行き先を見誤ってはならない。

20)ツイッターやフェイスブック、その他のネットやIT上の新機能も、あくまでデバイスに過ぎない。最も大事なのは、自らの地球人スピリットを宣言することだ。

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グローバルとプラネタリーを峻別する ゲーリー・スナイダー『場所の詩学』 「異文化コミュニケーション学への招待」


「異文化コミュニケーション学への招待」 場所の詩学 ゲーリー・スナイダー/山里勝己訳
鳥飼玖美子 野田研一 他編みすず書房 2011/12 単行本 484p
Vol.3 No.0804★★★★★

1)スナイダー追っかけの中で出会った一冊。20人以上の内外人が関わっている、6300円もする高価な本である。しかしながら、今回はスナイダーの14ページ分だけが目的なのであり、他の文章は割愛する。

2)2007年8月に、立教大学に招聘研究員として滞在していたスナイダーの講演記録である。

3)場所は、さまざまな大きさを有しています。私たちは、小さな場所から巨大な場所まで、様々な場所を想定することができます。いま私にとって意味のある最も大きな「場所」のスケールは「プラネタリー」なものです。つまり、地球という惑星(プラネット)を一つの場所としてみることです。これよりもっと大きなスケールもあるでしょうが、いまは特に気にしなくともよいでしょう。p188「場所の詩学」

4)「これよりももっと大きなスケールがあるが、いまは特に気にしない」、というあたりは我が意を得たり。当ブログが地球人スピリットと冠していることとの繋がりを感じる。逆に、場所、と言ってしまった場合の、日本語の矮小な深みのない語彙のまま軽視されてしまうことを恐れる。1991年の「スピリット・オブ・プレイス」の語義を、あのシンポジウム以降、深めることができた関係者は多くない。

5)3・11において、「場所」とは、東日本であり、東北であり、沿岸部であり、フクシマであっただろう。あるいは、我が家であり、日本列島であり、太平洋一体であり、地球全体であっただろう。それよりも、拡大して考えることもできないではないが、やはり人間スケールで考えれば、もう地球までで限界だろう。

6)私たちはいま気候変動の可能性に直面しています。これまでの想定を超えるような驚きを秘めた新しい惑星(プラネット)の時代が到来しようとしていることを示唆しているように思われます。

 「プラネタリー」というのは新しい用語で、地球という惑星について、流域や生態系、自然の文化、エスニシティ、さらには植生や動物たちを考慮しながら考える際に有用な言葉です。地球はモザイク状の無数の生態系に覆われた惑星なのです。p198同上

7)永幡嘉之「巨大津波は生態系をどう変えたか  生きものたちの東日本大震災」(2012/04 講談社)などは、当ブログとしてはまだまだ読み切れていないが、上の論点から見ても、とても重要な視点だと思う。

8)あるいはまた、ここでスナイダーがこう言っている限りにおいて、この3・11に対するスナイダーの見方が、例の現代詩手帖特集などのレベルであっていいはずはない。

)「プラネタリー」とほぼ同じ意味で使われる言葉が「グローバル」です。しかし、この言葉の意味をもう一度考えてみてください。「グローバル」という言葉は、国民国家、国境、民族主義、国民国家間の紛争、企業の「世界的な」経営活動、変容する現代の職業や貿易などの意味を含有していますが、このような活動は、自然界に生起していることにはほとんど注意を払いません。私たちは、「プラネタリー」と「グローバル」を、地球という惑星に対する二つの異なるアプローチを意味する言葉として使い分けています。p199同上

10)なるほど、当ブログとしても、この二つの用語は峻別して使っていこう。このほか「ガイア」という用語も多用されてきたが、その「ガイア理論」のジェームズ・ラブロックが、独特な変遷を遂げているので、素直に使えなくなっている。

11)この講演ではうっとりするようなスナイダーの歴史が本人から語られている。その人生は見事に美しいが、しかし、その「美しさ」にうっかり見とれてはいけない。それは、スナイダーがスナイダーの場所を得て生きた結果であり、スナイダーを聴く者は、自らの場所を得て、自らの人生を生きる必要がある。


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2012/09/22

ゲーリー・スナイダー・イン・ジャパン 『現代詩手帖』特集<1>

Photo

「ゲーリー・スナイダー・イン・ジャパン」
「現代詩手帖」 2012年7月号特集1 思潮社 雑誌
Vol.3 No.0803★★★☆☆

1)3・11震災後、書店も図書館も壊滅し、読書する気力も失って、ようやく読書とブログを開始しようかな、と思ったのは、何週間も経過してからだった。最初に読み始めたのは、ゲーリー・スナイダー「地球の家を保つには」だった。

2)そのスナイダーが震災の半年後、日本を訪問した。震災以前より企画されていた谷川俊太郎との対談「太平洋をつなぐ詩の夕べ」に参加するためだった。

3)その時、スナイダーはどんな発言をしただろう。3・11の日本を見て、どう思っただろう、と心待ちしていたが、この度、この雑誌で特集されることになった。

4)でも、その期待感は、この雑誌によってことごとく裏切られた、という気分のほうが強い。谷川俊太郎との対談では、3・11に触れることはまったくなかった(あるいは、その部分はすべてカットされている、のかもしれない)。

5)この特集のなかで、このビート詩人と3・11の距離感を量ることのできる部分はわずかしない。

6)そして年が明けて、3月にあの東日本大震災と原発の事故が起こった。地震の翌日、スナイダーから安否確認のメールが届いた。「ぼくも家族もみんな無事です」と返事を書きながら、「いま福島で何が起こっているか」という不安がどんどん膨らんでいった。p32原成吉「ブラックロックから奥の細道へ」

7)谷川俊太郎さんとの再会と「詩の夕べ」のイベントの翌日、スナイダーとぼくは新幹線で新花巻駅へ行き、そこからはレンタカーで「宮澤賢治記念館」を訪れた。スナイダーは賢治の作品を英訳し、自身の詩集「奥地」(The Back Country 1968)の最後のセクションで賢治の詩を紹介している。これが賢治の英訳のはじまりとなった。 

 記念館に着くと、館長の宮澤雄造さんが出迎えてくれた。そこから館内を2時間ほど案内していただいた。その後、近くの北上川、例の「イギリス海岸」へ行ってみると、シロザケと出会うことができた。産卵後の「ほっちゃれ」もちらほら。 

 その年の夏、ぼくはロアー・ユバ川でチノック・サーモンの遡上に出くわしたので、その話をするとスナイダーは、「どちらもタイヘイヨウ鮭属だよ。太平洋をつないでいるのは詩だけじゃないね」と笑っていた。 

 それから、賢治の実弟、宮澤清六さんのお孫さんにあたる宮澤和樹さんの「林風舎」を訪ね、コーヒーを飲みながら賢治の作品についてお話を伺うことができた。この夜は賢治も訪ねたという大沢温泉の山水閣に泊まり、自炊部露天風呂に浸かりながら、酒と夜話を楽しんだ。

 10月31日、朝早いうちに花巻を出発し平泉へ。ちょうどこの年に世界遺産に登録されたこともあり混雑が予想されたが、ゆっくりと参道を歩くことができた。

 スナイダーは詩集「奥地」を先輩詩人ケネス・レクスロスに捧げているが、同じページにエピグラフとして、「・・・・・予もいずれの年よりか、片雲の風にさそわれて、漂白の思いやまず、海浜にさすらへ・・・・・」という「奥の細道」の冒頭のことばを記している。

 「五月雨の降りのこしてや光堂」の近くに立つ芭蕉像のとなりでメモをとるスナイダーの姿が印象的だった。

 スナイダーの詩集「絶頂の危うさ」には、芭蕉の俳文からヒントを得たスタイルで書かれた作品も収められている。午後に「夏草や兵どものが夢の跡」の碑がある毛越時を訪ね、夕方には松島へ。この夜は、松島湾に望むホテル「一の坊」に泊まった。

 翌朝、松島湾を巡るクルーズをした。湾の奥にあたる商店街は津波の影響がほとんど見られなかったが、外海に近い島々には、島に乗り上げたままの漁船や崩れた島がそのまま残っていた。

 芭蕉とこの地を訪れた曾良は、「松島や鶴に身をかれほととぎす」と詠んだが、けたましいウミネコの鳴き声に、「自然は与えもするし、奪いもする」という警句を聞いたような気がした。

 午後に瑞巌寺を訪ね、仙台から大宮経由で立川へ帰ってきた。短い間の「奥の細道」紀行ではあったが、そこからどんな詩が生まれるのかファンの一人として楽しみである。

 最後にひと事付け加えておきたいことがある。大震災や原発事故が起きたにもかかわらず、このイベントがどうにか行えそうだとわかったとき、スナイダーから、「もしわたしへのお礼があれば、そのすべてを震災で苦しんでいる方々へ送ってもらいたい」というメールがあった。

 その趣旨に谷川俊太郎さんも賛同してくれた。事実上「太平洋をつなぐ詩の夕べ」は、東日本大震災被害者支援にも協力することになった。p33原成吉 同上

8)正直言って、この詩人たちの集まりである雑誌の特集にも不満であるし、そのイベント後のアメリカ現代詩の第一人者と目されるゲーリー・スナイダーの「行動」にも不満である。これでは、単に観光地巡りをしているに過ぎない。内陸部の花巻と平泉を見て、松島湾をクルーズしただけでは、3・11は分からない。

9)いえいえ、松島だって、決して津波の被害がなかったわけではない。観光で成り立っている地だけに、地元の人たちが、気丈夫にふるまって、その傷跡を小さく見せているに過ぎない。よくよく見てほしい。そして、ほんとうは、もっと「奥地」へと足を延ばしてほしかった。

10)私もまた、「ファンの一人」として「どんな詩が生まれる」のか、「楽しみ」にして待てばいいのだろうか・・・・? 私はどこか、震災地に立つ宮澤賢治や、Fukushimaで語ったダライ・ラマ、あるいは被災地の子どもたちに「龍の話」をしたブータン国王のように、「ビート詩人とポスト3・11」というような、鮮やかなコントラストを期待していたのだ。だが、少なくとも、この詩人たちは、そのようには、今回のスナイダーを「演出」しなかった。

11)その他、この15人がからむ「ゲーリー・スナイダー・イン・ジャパン」特集の中で、3・11の痕跡をみつけることができたのは、わずかに一名だけだった。

12)「海は静かで、残酷なほど美しかった。ふりかえれば、その輝きとは対照的に、瓦礫山の荒涼とした広がりが胸をしめつける。気仙沼階上の浜辺、海猫の哀歌を聴きながら、ぼくはゲーリーの第一詩集「リップラップと寒山詩」を開いた。p60石田瑞穂「岩の言葉」

13)スナイダーと3・11という劇的な対比を期待していた私がアホだったかもしれない。

14)次のような面白い文章もある。

15)昨年逝去したスティーブ・ジョブズについては(スナイダーは)次のように語っている。

 「彼は生きていたら、コンピュータやiPadを超えて、発明しつづけていたと思います。たぶん、彼は多くの愚かな問題から世界を救うための道を見つけ出し、われわれみんなを掬ってくれたかもしれません。

 彼の偉大な才能は、ただ世界最良のコンピュータを製造することだけに使われたのです。われわれはそのような人々をもっと必要としているのです」

 このコメントには、カウンターカルチャーの中心人物として60年を経て、自らの文化的業績を見届けてきた自信が感じられる。p46高橋綾子「カウンターカルチャーはどこにでもある」

16)ジョブズ追っかけの中にスナイダーをみつけ、スナイダー追っかけの中にジョブズを見つければ、なにはともあれ、当ブログとして、ひとつの円環が閉じたという感覚を味わうことができる。

17)しかしまぁ、言葉の遊び手たちである日本「現代詩」人たちの、「野性的」でもなく、「今日的」でもない「感性」の鈍さに驚いた。これはスナイダーが悪いのではなく、この特集をプロデュースした側が悪いのである、とスナイダー「びいき」の私は、一応の結論を出しておく。

<2>につづく 

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今だにあの日を直視できない 『河北新報のいちばん長い日』


「河北新報のいちばん長い日 」 
河北新報社 2011/10 文藝春秋 単行本 269p
Vol.3 No.0802★★★★★

1)松岡正剛「3・11を読む」の中にある5章のうち、第1章は「大震災を受け止める」。その中には11冊の本が紹介されているが、とてもそれらを全部読むなんて気はおきない。すでに十分な体験をしている。そう思うとまったく読む気はしなくなる。もう読んでしまった本も何冊かある。それでも一冊だけこの中から選ぶとすれば、この河北新報社の一冊だろうか。

2)あの日、私は河北新報社のほぼ近く、新築2年の耐震工事もほどこされた高層ビルの4階の大会議室にいた。私のライフスタイルとしては、そのような場にいることはほとんどない。偶然にその場で被災したわけだが、大きな会議室には、机と椅子とホワイトボードくらいしかなく、棚から落ちてくるものなどなかった。

3)同席していたのは全て大人。しかもリスクマネジメントのプロ達である。大きな窓はすべてブラインドが落ちていた。確かに地震の時間は長かった。だが、私は、被災地にいながら、本当にあの日の恐ろしさを体験したのかどうかわからない。せいぜい「ビルで地震を体験するとはこういうことか」というレベルだった。

4)震災直後、10数分後には、私は河北新報社前を徒歩で自宅に向かっていた。外からみた河北新報社は、いつもとそれほど変わりはなく、たしかにビルの外壁のタイルになにか変化があったかな、と感じた程度だった。

5)2時間半、徒歩で戻った自宅では、すでに先に戻っていた奥さんが、避難場所になっている近くの小学校にいく準備をしていた。私は、自宅の中のちらばり具合をデジカメで数枚撮影し、一緒に避難した。

6)ケータイは繋がらず、テレビは停電で見ることができなかった。メインの情報源は箪2乾電池入りのポータブルラジオ。混乱した断片的な放送ではあるが、今現在、何が進行しているかを伝え続けてくれた。乾電池もまったくヘタらなかった。

7)ブツブツきれながらも、当日夜8ぐらいまでには、家族やだいたいの身内とは連絡がとれ、それぞれに何とか無事であるだろう、ぐらいまでは確認することができた。

8)避難所の小学校の体育館では、小さな発電機が持ち込まれ、最低限の明かりがともされ、充電もできる環境が整った。それからは、小さなスマホのワンセグでテレビ報道の画面を見続けた。ただならぬ事態に突入していることはわかった。だが、自分がいる体育館の天井でさえ、次から次と襲う余震で揺れるため、とにかく自分の身を守るのが精いっぱいだった。

9)暖房器具も持ち込まれていたが、床に段ボールを敷いただけで、満足な寝具もないままでは、横になって寝ることもできなかった。近くのトイレの臭いもなかなか香ばしい香りを流し続けてくれていた。

10)それでもウトウトしていると、未明の3時半頃だっただろうか、あちこちで人影が動き、教壇の脇のグランドピアノのほうに、何人も小走りに走った。私もつられて、なにか新しい食料品でも届いたのかな、と行ってみると、そこには、真新しい「河北新報」があった。

11)現在も我が家の何処かに、あの日くばられた新聞があるはずだが、今は確認しない。決して号外ではなく、3月12号の「河北新報」だったと思う。

12)よくぞまぁ、新聞が作られたものだ、と思った。しかもこんなに早い時間に、こんなに大量に届けてくれたのか、と感謝した。

13)トップの大きな写真は大変な状況を大写しにしていた。それまで、ラジオ、途切れがちなケータイ、小さな画面のワンセグで見ていた現在進行形の大震災を、新聞であらためて確認することができた。

14)やがて白々と明けてきた夜明けを待って、私たち夫婦は自宅に戻った。これでは避難場所に居続けるよりは、自宅に戻ってかた付けを始めたほうがいいかもしれない。だから、その後も残り続けた人たちに対して、河北新報が届けられ続けたのかどうかはわからない。

15)だが、それにしても、何気なく手に取った河北新報ではあったが、このような大変な動きの中で作られていたのだ、ということが、この本を手にとって初めて分かった。

16)正直言って、いまだにあの日のことを直視できない。もう、自分1人分の体験で十分だ。他の人たちの分まで「体験」などしたくない、体験話など聞きたくない、と言う気持ちもある。こうしてあらためてその体験談を聞くと、それぞれの「あの日」が、さらに重層的に襲ってくる。ゆっくりこれらの情報を整理するのは、もっともっと後のことになるだろう。いや、もうそういう作業はしないのかもしれない。

17)3・11オムニバス本は面白くない、という結論を当ブログは出している。焦点が定まらないのだ。それに比して、1人の視点で書かれた本、例えば、「その時、閖上は 小齋誠進写真集」とか、太田圭祐「南相馬10日間の救命医療」、などは定点カメラで事実を追いかけているようで、非常に分かりやすい。記録としても秀抜であると思う。

18)この河北新報の記録は、「私」という装いを持ちながらも、結局は「私たち」で書かれている。河北新報の視点から、とはいうものの、重層的で、外側の混乱に、さらに内側で混乱させているような、めまい感を覚える。

19)同じ新聞でも、小学生の女の子たち中心になって作り続けた「宮城県気仙沼発!ファイト新聞」 には、事実報道ではない、なにかほのぼのとしたものを見ることができる。それは、明治三陸津波の年に生まれ、昭和三陸津波の年になくなった宮沢賢治の童話の世界のような、救いがある。

20)まぁ、そうはいいながらも、地元の新聞社としての使命が「河北新報」には、ある。この新聞にしかできないことがある。この新聞であればこその信頼感が、寄せられている。津波を追うのか、原発を追うのか、などは、地元の新聞社でなければ発生しない迷いかもしれない。

21)私は宅配新聞を読まなくなってからもうすでに5年以上経過しているので、避難場所をでたあとは、報道を宅配新聞に頼ったことはない。新聞はいずれは大きく別なスタイルに変わらざるを得ないだろう。だが、それでも現在のところ、百年以上の歴史をもつ報道機関として、この3・11に直面したことを、このような一冊として記録しておくことは、極めて重要なことであろう。

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2012/09/20

今やスマホ・ネイティブの時代なのか 『必ず使える!スマートフォン2012年秋号』アンドロイドを万能ツールに! (日経PC21増刊)


「必ず使える!スマートフォン」 アンドロイドを万能ツールに!
2012年秋号 (日経PC21増刊) (雑誌) / 日経BPマーケティング
Vol.3 No.0801★★★★☆

1)晩のおかずを買いに近くのスーパーにお買いもの。奥さんのお供で、なにげなく店内をぶらついていると、新聞、雑誌コーナーにこの本があった。いつもなら婦人雑誌がメインなので立ち寄ることもないが、いきなりこの表紙には視線を奪われてしまった。

2)書店のパソコンコーナーにもいかない訳ではないが、最初から心していくので、ほとんどが立ち読みのツマミ食いで、一冊お持ち帰り、なんてことはまずない。だいたい気になるところをパラパラめくるだけだ。

3)ところが今回は、ちょっと油断していた。構えていないところに一撃を加えられたので、即反応して、表紙を見ただけで衝動買いをしてしまった。今晩のおかずのひと品、の感覚である。

4)自宅にもどってパラパラめくった。一目には沢山の情報が満載ではあるが、本当に自分に必要な記事は少ない。雑多な情報の中から有益な記事を探すのも一苦労。だが、この苦労が多少のワクワク感を生む。

5)しかし、すごいもんだな。こういう時代なんだな、と思う。本当にポケットにコンピュータの時代だ。

6)かく言う私もスマホを持って2年、今じゃケータイとスマホ2台と、モバイルWiFi端末を、ガチャガチャとポケットに入れて歩く時代となった。たしかに便利で、こいつらがないと、なんだか物足りないという感覚になる。

7)思えば、自分が生まれた時の我が家には、裸電球と真空管ラジオしかなかった。テレビが近所にやってきたのは正田美智子さんの結婚式の時で、力道山の活躍でさらに広がった。東京オリンピックの時からはカラーテレビが一般化した。

8)蛍光灯が入り、電気アイロン、電気釜、簡易水道システムが入り、洗たく機が入り、冷蔵庫が入った。黒電話が入ったのはやや遅くて中学生になってからだった。

9)高校生になってからは、むしろテレビを見なくなった。オチャラケ番組や、一方的なマスメディアの報道には飽き飽きし始めたのだった。ラジオの深夜放送や、ステレオセットに向かうことが多くなった。テープレコーダーなんてのを個人に持てる時代になった。

10)その後は、電化製品が身近にあるなんてことは当たり前の時代だった。ありとあらゆるものが考えだされた。だが、次なる、大きなイノベーションは、やはりパソコンであっただろう。1980年代初頭にはパソコンの前身みたいなものが出来始めたが、まだ電卓に毛が生えたようなものだった(それでもすごいものだった)。

11)パソコンは80年代後半から当たり前に家庭にも入り込んできていたが、まだ何をやったらいいかわからないような「箱」だった。むしろ専用ワープロのほうが、その機能を「特化」しているだけに、ごく当たり前に家庭に浸透していった。

12)パソコンが本当に力を持つようになったのは1995年以降だから、思えば、随分と準備期間があったものだと思う。そこにインターネットとケータイが登場し、21世紀になってからは、情報化時代の本番に突入した。

11)その結果、21世紀になってからの真打ちはスマートフォン(スマホ)ということにあいなった。

12)ごちゃごちゃと、あっという間にスマホの時代が来たような気もするが、それぞれに準備段階を踏まえて、ようやくここまできたのだ、という気もする。なにせ、2012年の御時世、スマホがなくては、何事も一歩も進まない、という時代である。

13)孫が泣けば、スマホをYoutubeを繋いでアンパンマンのテーマ曲を聞かせ、這った、立った、と喜んではスマホで動画を撮る。それをネットで送ってもらってジジババは大喜び。時にはスカイプで顔を見せながらの、孫とジジババのたわいのない対話。

14)おしめを買うにも、スマホをアマゾンにつないで、翌日宅急便でお届け。記念日の写真撮影も、適当な写真館をスマホで検索し、予約。最近じゃ、直近の、地域の放射線情報をスマホでキャッチするばかりか、放射線を計測する機能がついたスマホも登場している。

15)もうすでに何でもありのスマホ天国の時代だが、はてさて、この動きも何処までいくのやら。生まれた時からデジタル機器が目の前にあった今の青年たちのデジタル・ネイティブ時代を通り越して、今生まれてきている孫たちは、スマホ・ネイティブである。スマホがあって当たり前の時代なのだ。

16)ちょっとひと昔を考えてみれば、パソコンが職場に導入されて、俺はデジタルが嫌いだ、などと言っていた、浪花節アナログおじさんたちは、早々と早期退職で、職場から一掃されてしまった。パソコンができなければ、仕事ができない時代になって、もはや15年近い。

17)そろそろ、スマホがなければ仕事ができない、という時代が来るのだろうか。いやはや、仕事どころか、スマホがなければ満足な家庭生活も送れない、という時代なのかも。うちの奥さんがらくらくフォンを持つようになったのは、必要に迫られてのことだった。道を歩いていて、危険を感じても連絡する公衆電話がどんどん消えているという。もう、個人ケータイは当たり前の必需品になっていたのだ。

18)その奥さんも、らくらくスマートフォン導入にはいまいち躊躇している。せっかく払い終わった端末を捨ててまで、新しい端末を買う必要があるのか。いや、そのうちきっと、必要だ、という結論に達するだろう。理由は・・・? あれこれいろいろと、その口実は、もうそこまで迫っている。

19)ほんの近くの食品スーパーで、スマホ本が買い物かごに入れられる時代である。

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2012/09/19

3・11曼陀羅と自らの立ち位置 松岡正剛著 『3・11を読む』 千夜千冊番外録<9>

<8>からつづく


「3・11を読む」 千夜千冊番外録<9>
松岡正剛 2012/07 平凡社 単行本 430p

1)さて、いろいろと名残りは惜しいが、この本もそろそろ返却することとする。

2)われわれが読むべきは、事故と損傷の正体の真っ只中にあえて身を突っ込んで、新たな意味を再発見することなのである。おそらく3・11とはそのことの告知であったろう。

 ポール・ヴィリリオが「これからの時代は事故からしか新たな展望は生まれない」といい、ジャン=ピエール・デュビュイが「いまや津波の体験が新しい形而上学を生むしかあるまい」と指摘したように、われわれは損傷の渦中から新哲学を掬(すく)ってくるべきなのである。松岡・表紙見返し著者紹介

3)ヴィリリオ「アクシデント 事故と文明」デュビュイ「ツナミの小形而上学」も読んでいない。今は読む気がしない(いずれ目を通そう)。そもそもこの人はこのように、すこしわかりずらいことを並べることをよしとするダンディズムに酔うところがある。それはそれとして、まずはこの本は、著者の本意をつかむという意味では、私には楽しい一冊だった。

4)ぼくは錯乱しそうになるアタマを整理しながら、三つのストリームが自分のなかで錯綜しているのを見た。

<1>この災害が東北を襲ったことについて、ずっと考えていかなければならないだろう。それには蝦夷の歴史から今日の町村の現実まで眺め渡さなければならないだろう。

<2>国家と原子力のことについて、何らかの見通しと判断をしなければならないだろう。それには世界のエネルギー問題や環境問題を見渡す必要がある。

<3>危機とリスクとその解消と保持の関係について、かなり深い問題を浮上させなければならないだろう。それには資本主義下の社会学や現代思想の根本をぐりぐり動かすべきだろう。

 いずれも厄介な難問だ。p84「大震災を受けとめる」

5)当ブログは当ブログなりに、上の三つのテーマに、論旨が飛躍しているが、とっかかりをつけておく必要がある。

<1>蝦夷や、まつろわぬ者としての東北論は一旦棚上げしたい。人類の歴史は戦争の歴史だ。大きかろうと小さかろうと、戦争は恨みを遺す。80数年前の満州事件の恨みを果たそうとする中国「人民」を、当ブログは美しいとは思わない。蝦夷の、現代における反乱も美しいとは思わない。私たちは国境や人種、民族、信教、ジェンダーを超えた、ひとりの地球人として、この地上に足をつけている存在としての自らを確認していく必要がある。

 東北の<まずしさ>は、都市集中の結果であるから、その解決には、大都市集中のライフスタイルを変えていく必要がある。

<2>国家があるから、戦争があり、戦争があるから、核武装が必要なのであり、その技術を保持するために原発も維持しなければならなくなった。いずれは、ゆるい、たったひとつの地球政府に、すべての武器を渡し、国家はゆるく解体して行く必要がある。

 経済はそのためにあり、学問も、科学も、そのために存在する社会がくるはずだ。

<3>この世は仮の住まいであり、全ての生命は「死」を迎える。いずれ死すべき「私」とは誰かを、それぞれが問い、その問いが中心に来るようなライフスタイルを生きていく必要がある。思想や哲学は、すべて、その環境に向けて自己解体していく必要がある。

6)多くの遺体が苦悶の表情のままで床に並べられたままになっている。遺族が泣きながら駆けつけても何もできない。警察は沈黙したまま、ただ警備をするばかり。千葉は自分ならこの窮状をなんとかコントロールできるかもしれないと思い、釜石市長の野田武則に申し入れをした。p232「釜石遺体安置所の日々」

7)野田武則は、若い頃、一緒にアメリカ・オレゴン州のOshoコミューンに参加した仲間である。3・11直後は音信がとれなくて某SNSでも騒ぎになったが、市長であるがゆえにいち早くその消息が分かった。その後はテレビでその活動が見れるので、敢えて、こちらからは連絡することはなかった。

8)その釜石に、ひょんなことで、身内の一家が移住して、その被災後の通信網の復旧工事の任務にあたっている。

9)最後に、もう一度、ざっと読みとおしてみて感じることは、この本には50冊以上の本が紹介されているが、この3・11は、松岡正剛の3・11曼荼羅だ、ということだ。これは私にとっては、好印象だった。べつに他の本を読みたいからこの本を読むのではない。松岡正剛を読みたいからこの本を読んだのだ。そういう意味では正解だった。

10)残されたテーマは大きく、多い。そして難しい。だが、それは何も松岡オヤブンを通さなければならない問題でもない。それは別個な取り組みなのである。ただ、自分の立場を表明しないまま、あやふやな論旨を振り回している者たちが多い中、なにはともあれ、自らの立ち位置を表明したこの一冊は好著だと思う。近いうちに、また再読する機会もあろう。

<10>につづく

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2012/09/17

芭蕉ではなく、宮沢賢治、でもなく・・・ 赤坂憲雄 『東北学/忘れられた東北』


「東北学/忘れられた東北」
赤坂憲雄 2009/01講談社 文庫 301p 『東北学へ(1)もうひとつの東北から』(1996 作品社)改題書
Vol.3 No.0800★★★★★

1)松岡正剛著「3・11を読む」は5章立てであり、要約すれば、「大震災」、「原発」、「フクシマ」、「ポスト3・11」、そして「東北」の、5つのジャンルからできている。それぞれに何冊かの読後感が述べられており、第5章の「東北」のジャンルから当ブログが一冊だけ選ぶとしたら、この本だな、と思った。

2)山形に拠点のなかばを移したのは、1992年の春のことだった。p3「学術文庫版まえがき」

3)おやぁ、と思った。私が「東北学」という単語を始めて聞いたのは、1991年の初冬「スピリット・オブ・プレイス」に参加した岩手の人々の研究誌「北天塾」であった。あの本は季刊誌ながら1988年9月に創刊されており、その表題も「東北学研究誌」と、きちんと表紙に銘打ってある。

4)私は、この赤坂憲雄という人を、そのグループの一員かな、と感違いしていたのだった。著者は1953年東京生まれ、私と同学年である。この人が「東北学」というジャンルに深く入り始めたのは、1992年以降のようだ。この本には92~95年当時、東北を車で走破して集められた「東北」の風景と、それに対する著者の思索とエッセイがまとめられている。

5)赤坂憲雄の東北学はディープである。軽々しいものがない。そう言って足りなければ、ラディカルで、かつきわめて丹念だ。松岡正剛「3・11を読む」p350

6)松岡は、この本を2011年4月17日に読んでいる。再読であったかもしれないが、少なくとも、私はこの時点ではまだ本を読むような心境にも環境にもなかった。ましてや、このような「ディープ」な本をめくるような気分にはとうていなれなかった。

7)部分によってはディープというより、ヘビーでハードな本でもあるが、どうも「東北学」という時の脂ぎったつややかさと、よそよそしさが、たしかに東北人の1人ではある私の、何かが、するどく拒否感を示す。

8)そう言えば、この人、2011年9月にでた「反欲望の時代へ 大震災の惨禍を越えて」 2011/09 東海教育研究所)で山折哲雄と対談をしているのだった。読んだのは出版直後の10月、なんだか、あの当時になっても、私は、まだまだ胸が落ち着かず、あちこちの本をつまんでは、毒づいてばかりいた気がする。

9)友人である舞踏家の森繁哉さんと二人で、山形の最上地方を歩きはじめてから、3年あまりになる。その間、老人からの聞き書きを少しづつ重ねてきた。p23「東北にて/野良仕事の旅」

10)なるほど、すこしづつ分かってきた。森繁哉もまた1991年の「スピリット・オブ・プレイス」のパネラーの1人である。舞踏も演じてくれた。森は、中沢新一の「哲学の東北」(1995/5 青土社)にも、重要人物として登場する。

11)・・・芭蕉が黙して語らなかった、もうひとつの東北である。あえて断言することにしよう。芭蕉からは、芭蕉的なものからは、何ひとつ始まらない。芭蕉によっては救われない。芭蕉的なるものへの、淡い期待はかならず裏切られる。芭蕉その人も身勝手ながら、芭蕉に期待する側もまた、ひとしく身勝手であることには変わりがない。

 東北がみずからの言葉で、みずからの東北を語りはじめるとき、そこにはじめて、おおいなる地殻変動が起こるだろう。都/辺境という、まなざしの構図が壊れ、もうひとつの豊かな東北が立ち上がってくる。 

 芭蕉的なものよ、さらば。 p215「川の民の村から」

12)芭蕉を芭蕉として味わうことには何の苦痛もない。しかし、そこに「みちのく」「東北」「蝦夷」「奥州」などと表現されてくると、なにか自分の中の、何かが八つ裂きにされて、なにかのタガが嵌められてしまうような、窮屈さを感じる。あえていうなら「日高見」という語感が、そのスピリチュアリティの高さを表わしているようには、思う。

13)賢治はその可能性の糧であり、種子である。中路(正恒)この言葉を借りれば、生の本質的な多数性の喜びに満ちた承認と肯定において、賢治の思想を読みぬいてゆくことだ。そんな、いまだ見い出されざる賢治の東北からの思想が、やがてくっきりと像を結んでゆくだろう。p260「なめとこ山の思想」

14)賢治を巡っては、3・11後、だいぶ当ブログも逡巡した。ごく先日も、花巻に泊まり、賢治記念館にまた足を運んだ。私は私なりに思うところがある。はて、賢治は東北人なのであろうか。

15)賢治の両親は、ともに姓を宮沢という。父方も母方も宮沢家である。祖先をたどってゆくと、一人の人物にで行き当たる。つまり遠縁の一族なのだ。その人物とは誰か。江戸中期の天和・元禄年間に京都から花巻にくだってきたといわれる、公家侍の藤井将監(しょうげん)である。この子孫が花巻付近で商工の業に励んで、宮沢まき(一族)とよばれる地位と富を築いていった。(中略)

 いずれにしても、賢治の祖先は、京都からの移民である。つまり、賢治の中に流れている血は蝦夷以来の、みちのくの土着ではない。天皇を頂点とするクニに反逆する血ではないのだ。「宮沢賢治幻想紀行 新装改訂版」 (畑山博他/石寒太 2011/07 求龍堂)p106「生涯」

16)正直言えば、私は私の「東北」性については、ほっといてくれ、と思う。それには語るに語れない、それこそディープな古層があるのであり、そして、「東北学」とか、蝦夷とか、縄文とか名付けられた古層よりも、さらに掘り下げたところにまで降りっていった時こそ、その根は、天高くそびえる巨木となり、翼になると思う。それが地球人スピリットのイメージだ。

17)芭蕉もいい、賢治もいい。中途半端に「東北学」などと、思想や哲学にふけるよりも、実際に生きた人間が、1人の地球人の人生がほうふつとするなら、ずっとそのほうがいい。

18)これまで語られてきた東北の多くは、南から眺めた東北、それゆえ辺境=みちのくとしての東北でした。それをまず壊さねばならない。そして、東北は南の他者から与えられた呼称ではなく、みずからの呼称を獲得しなければならない、と思うのである。p204「稲の呪縛からの解放」

19)尖閣列島や竹島問題で揺れる現代「日本人」たちである。「中国人」も「韓国人」も大騒ぎしている。誰もが戦争をしたくないといいつつ、戦争を避けることができない局面にさえ突入する可能性だってある。

20)私は敢えて、自らを「東北人」とは認めない。あるいは、「日本人」としてさえ自称したくない。ただひとつ名付けるとするなら「地球人」としたい。

21)東北学、というややアカデミックなアプローチから何が生まれてくるのか、まだわかないが、結論として「地球人スピリット」に繋がっていかない「東北学」ならば、最初から私はいらない。

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2012/09/15

坂口恭平 『独立国家のつくりかた』 <6>

<5>からつづく 


「独立国家のつくりかた」 <6>
坂口恭平 2012/05 講談社 現代新書 221p
★☆☆☆☆

1)そもそもH女史がこうつぶやいたのが始まりだった。

2) 坂口恭平「独立国家の作り方」を読んでいるのだけど、この方、もう1人Bhaveshがいるみたい・・・ 6月某日

3)ほう、坂口某とはどんな人なのだろう。どんなところが私と似ていると、H女史は感じたのだろう。彼女のブログには、なにやら次のようなことが書いてあった。

4)君は天使OR悪魔?  今一番やばい若者 坂口恭平「独立国家のつくりかた」 
アナキスト大杉栄が生まれ変わっていたらこんな青年になってるかもしれない・・・直感的に、私と同じことを考えているかも知れない・・・と思った。明日確認のために、書店へ行って著書ゲット。
5月某日

5)彼女のアンテナには一目置くところがあって、気になった。なにが、どこが・・・? いまだによくわかっていないが、とにかく、坂口、Bhavesh、大杉栄、そしてH女史の、親和性とはなんだろう。

6)その後、坂口著6冊を読み、H女史には申し訳ないが、当ブログの追っかけの中では、最下位ランクの読後感だった。大杉栄も連想しなかったし、私とも当然似ているところなんてない。もちろん、彼とH女史とのつながりも、私には見えなかった。

7)坂口の著書の中に、きらめく部分がないとは言えない。多くの支線があり、そこから何かを発展させることはできる。つまり、ネタは満載だ。ただ、その統合力がまったくめちゃめちゃだ。自己顕示欲、ハイテンションな活動力、積極的な交渉力、海外までいっての示威活動。あるいは彼言うところのパトロンとの付き合い。それはそれで、個人活動なのだから、他人がとやかく言うべきもない。

8)ただ、私はこの人との共同性はなにも感じない。私がひいきにしている人びとの引用もたびたびこの本には登場する。ただ、そのような引用もあるのか、とあきれるだけで、同じ人名や単語を使っているからと言って、そこに何かの類似性があると思われるのは、私側がら見ると、はっきり言って迷惑である。

9)最初は立ち読みだったが、その後、私も一冊購読して通読した結果、今後、ひんぱんに再読するような本ではない、と判断した。特に彼には彼のプライバシーがあるようなので、あえて他者は触れないでおいたほうがよいように思う。

10)おわり

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坂口恭平 『独立国家のつくりかた』 <5>

<4>からつづく 


「独立国家のつくりかた」 <5>
坂口恭平 2012/05 講談社 現代新書 221p
★☆☆☆☆

1)僕は精神病院から躁鬱病と診断されている。病気と思っていないが p94「0円サマーキャンプ」

2)ん? それってまずいじゃん。躁鬱病は、立派な病気だと思うがなぁ。

3)僕は鬱状態以外の時は一日に原稿用紙30~40枚書く。多い時には50枚に到達することもある。もちろん原稿の量が問題ではないが、そういう持久力を持っている。調子が良い時には、結構いい動きをしてくれるのである。逆に駄目な時は何をやっても駄目だが。p175「才能には上下はない」

4)あらら、ダメじゃん。前回は立ち読みだったし、今回はツマミ読みして、まずは気になるところをメモしておいただけだから気が付かなかったのだが、改めて最初から最後まで通読してみると、実に何回も彼は自らの病歴を告白しているのだった。

5)なんで躁状態のときに、こんなにたくさんの言葉が出てくるのかというと、それは鬱状態の間に(僕はずっと自殺念慮にやられそうになっているのだが、)いつかまた上がった時のために毎日、何を書こうか話そうかとシナリオを書いていたからではない。

 そうでなく「生きるとは何か」ということをただひたすら死にたくないので考えていただけだ。鬱状態の時は適当な生きる目的や抽象的な理由では駄目なので、とにかく具体的に高い解像度で自分の「生」について考えている。

 その時に筋力が身につけられる。鬱が明けた時には、その筋力がバネのような役割を果たし、僕は原稿を膨大に書かなければならないという状態になる。p176同上

6)私はこの人の本をあちこちちょっとづつツマミ食いして、ああ、この人は病んでいるなぁ、と直感したが、それは本当だった。私の直感にも根拠がないわけではない。専業ではないが、対価をいただいて活動する心理カウンセラー資格者として、私なりのキャリアと実績と直感がある。

7)彼は、あるクライエントを連想させた。国立大学をでて、公務に属する就職をしていた有能な男である。家庭も円満で、幼い子供も二人いた。学生時代から仲間と連れだってよく遊びに来た。長じてからは、個人カウンセリングの申し込みがあり、10年以上の面談歴があった。彼は、調子のいい時は、いつもより20%くらいエネルギーが高くなるのだという。実に活動的になり、社会活動も素晴らしく、大きな企画を立ち上げたりする。

8)しかし、ダークサイド・オブ・ザ・ムーンに入ると、連絡が途絶える。電話申し込みが何度かくるが、いつもドタキャンが続く。そしてようやく、曙がやってくる、というサイクルを、何回か、繰り返した。そして、最後には、自宅で自殺した、という連絡が家族からはいった。

9)磯部涼は音、そして遊のパトロン。磯部涼と出会ってから、僕は躁鬱病の症状が緩和された。p179「パトロンを持つ」

10)磯部涼とは何を意味しているのかわからない(そのうち調べてみよう)が、著者には、理想的な瞑想「パトロン」と出会うことを願いたい。それが彼にヒットするかどうかは定かではないが、瞑想カウンセラーの私としては、それが一番いいはずだ、それしかないよ、と直感する。いろいろなメソッドが開発されている。

11)僕は鬱状態の時、完全な絶望に陥る。周りの人は何をそんなに深刻になっているのよと笑うが、僕は絶望してしまう。(中略)

 そして、最終的にお前、生きる価値なしと確定し、では死のうと思考を始める。僕が鬱状態になると、妻は家に帰ってくる時、いつもアパートの前で飛び降りて倒れていないか不安なのだそうだ。本当に申し訳ない。p181「鬱が起点になる」

12)クライエントに自殺されたり、自殺予告電話を受けたりした場合、周りにいる人間は実に無力だと思う。なんとかしたいのだが、できない。

13)何もできないので、家の中で僕は手持ち無沙汰になる。しかも、襲ってくるのは自殺願望のみなので、かなりしんどい。その強い重力がかかっている状態で、暇だから僕は思考を再開する。

 結局、鬱期が終わってみると、この時に始めた思考こそが、その次からの僕の行動の指針となりテキストになっているということに気付くのだが、その時はとにかく必死なのだ。死なないためだけに考えるのだから。p182同上

14)坂口恭平の本はすでに6冊読んだが、他の本でこれだけ病歴を告白している部分はあっただろうか。粗雑な読書ブログにして、なおかつあまり魅力を感じない本たちだったので、見落としていた可能性もある。だが、すくなくとも、当ブログとしては、ここでこのように著者が自らの病歴を告白している限り、フェアな試合はできないと思う。著者はここでハンデを要求しているのであり、フルコンタクトな試合は無理である。徹底批判などできない。当ブログにおいてはノーゲームとする。

15)しかも、それが2011年の8月から4カ月つづいた。前回の2008年の時は1年間つづいた。1年落ちると2年飛ぶ。この計算からいけば、今度は8カ月飛ぶことになる。2012年の夏頃までは行けそうだ。ということで夏頃までの予定を立てる。つまり、1年というカレンダーで見るのではなく、自分の体を起点に人生設計を更新する。p182同上

16)こうなりゃ、著者の独壇場である。余人の立ち居る隙間はない。この流れで語られているのが、坂口恭平独立国家なのであり、新首相の就任なのである。各メディアが絶賛(?)するような内容ではない。

17)自殺願望を抱いている時が好きだといったら語弊があるが、それでも僕はそのような状況に陥った時、つまり絶望している時、「望みが断たれた」ではなく、「望みを絶った」というふうに解釈する。こうすると、絶望は積極的な行為となる。まあ言葉遊びだけれど、そうすると主体が出てくる。自ら選んだ道になる。p182「絶望眼が目を覚ます」

18)自殺願望を抱くような総理大臣を抱える独立国家の大臣を引き受けたとされる、中沢新一を初めとする方々ではあるが、これは「大臣」側からの、それぞれの会見を聞くまでは、その可否を即断することはできない。

19)この絶望した男の視点、絶望眼が鮮明になると、世のほとんどのものはグレーに見える。もちろんこれはただの鬱の症状である。脳内のエリア25がほとんど機能しなくなるだけだ。

 そのおかげでほとんどのものに感動しなくなる。人はそれを病気と呼ぶ。でも、おかげで本当にやばいものに会った時、絶望眼がコンピューターのように寸分の狂いもなく、正確に反応する。p183同上

20)このような時、周囲はとにかく致命的な極限にだけならないように見守るしかない。

21)死のうと思うこと。絶望すること。実はそれは力だ。ただ、それは何か行動を起こそうとする力ではない。自分が大きな眼になるような力である。つまり、行動ではなく傍観、傍観の世界に入れる。芸術とデザインワークの間、自己実現と社会実現の間、そんな違いが一目瞭然に理解できる。(略)だから、やっぱり僕は寿命で死ぬまで自殺願望を持って生きていくのだろう。p183同上

22)彼を本当の意味で救うことができるのは、瞑想だろうが、このような本に表現されたものではなく、本人と直に面談出来る人が、キチンとリードしてあげることが必要だ。

23)だから自殺願望のない人、もしくは以前あったがどうにか薬で治して、今は会社に毎日通っていても我慢できるようになった人、などはもったいないなあと思う。あの、ふぐの毒のような体験がなくなるのは辛い。あれこそ「生きるとは何か」を考えることができる唯一の時間なのに。p184同上

24)この辺は、よそ様にとっては、余計なお世話だろう。とにかく本人は、なんだかんだ言っても、落ちているのも好きなんだね。

25)恋をしているような躁状態には、いろんなレイヤーをつくり出すことができる。いろんな良さに気付き、自分が知らなかった自分自身が根源的に持っていた興味などとも出会うことができる。

 こうやって出来上がったレイヤー構造の自らの精神を、今度は鬱状態の時に俯瞰する。そうすると、南方曼荼羅のようにいくつもの交差点が生じていることが見えてくる。それらは自らの使命を「具現化」するためのヒントになる。p187「レイヤーをつくる」

26)もっと正常な意識でクリアなビジョンを得ている人たちはたくさんいると思う。これでは、妄想の類でしかない。

27)2011年の5月に新政府を立ち上げた僕は、その後3カ月間、寝ずに避難計画や福島の子どもを熊本に一時避難させる0円サマーキャンプなどの奔走していた。もしかして、この突如思い立って始めた自治も可能性があるかもしれないと思い始めていた8月、僕は肉体的に限界だったのだろう、2年ぶりの鬱状態に突入した。

 その後、4カ月間、ほとんど原稿も書けず、昼間から家の布団にくるまり自分が始めた新政府というふざけた行為に対して後悔ばかりしていた。

 両親には精神病院に連れていかれた。僕は狂っていないと思っていたが、まわりもさすがに新政府活動はやりすぎじゃないかと疑っていた。p218「あとがき」

28)他人を助ける前に、まず自分を助けなきゃね。私もクライエントの家族との付き添いやカウンセリングなどで、精神病院の内部になんどか行ったことがある。聞くところによれば、あのスペースには、王様や殿様、大統領や首相、大将、将軍、そして、はばかりながら天皇すら沢山いるらしい。もちろん全部自称だが・・・・・。

29)坂口恭平独立国家や、総理大臣就任も、この文脈で見れば、きわめてわかりやすい。

<6>につづく

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2012/09/14

坂口恭平 『独立国家のつくりかた』 <4>

<3>からつづく 


「独立国家のつくりかた」 <4>
坂口恭平 2012/05 講談社 現代新書 221p
★☆☆☆☆

1)他のSNSのほうにV氏からコメントがあったので、転写する。

2)何かこの人を持ち上げるような風評があり、あまり読んでみたくなかったのですが、バヴェッシュの感想を読んで、僕のカンが当たってたのかと思いました。ますます読む気がなくなった。2012年9月13日 22:59

3)この本のカバーには、金色(に似せた茶色)に白ヌキで、「各メディアで話題沸騰 絶賛の嵐!」とある。まさか本人が書いたコピーではないだろうが(いやいや、その可能性もないではない)、天下の講談社の一冊としては、いささか度を踏み外した表現ではないだろうか。

4)各メディア、とは何を意味している知らないが、「話題沸騰」なら、賛否両論ということもあろうが、「絶賛の嵐!」とくれば、ひたすら賛成派のほうが圧倒的に多いようなイメージがある。本当にそうなのだろうか。この本の、何に賛成なのだろうか。ただ単に、オチャラケが、笑いを誘っている、というだけなのではないだろうか。

5)ここでV氏は、「この人を持ち上げるような風評」があるとしている。私は、Youtubeあたりで、彼の講演風景を見て、ありゃ、これはダメだ、と思ったくらいだが、寡聞にして、この人を紹介したようなマスメディアには接していない。

6)ただ私は、とりあえず、目につくものはまずは手に取ってみるので、私が彼のことを「徹底批判」(笑)しているとしても、彼の営業活動を妨害している、訳ではない。私もまた最初のは書店で立ち読みし、後でアフェリエイト活用で0円読書、とはいうものの、一冊入手し、手元に保存しており、きっちり彼には印税が行くように配慮はしている。

7)はじめまして。坂口恭平です。職業はいまだによくわかっていません。なので、僕はいつも「あなたは僕が何者だと思いますか。それが僕の職業です」と言うことにしています。坂口p3「まえがき」

8)私なら、この人はペテン師だと思う。だから、この人の職業はペテン師なのだろう。表紙見返しには、「建築家」とある。だが、これは誤解を招く表現だ。少なくとも、職業的建築家は、強い職業倫理が求められる職種である。各種の法的縛りの上で、なおコンプライアンスを徹底しながら遂行しなければならない職業だ。

9)何年か前に、「高橋弘二税理士事務所」を名乗っていた男が、いつのまにかライフスペースとかの代表かなにかになり、ミイラ事件やらを起したことがある。ペテン活動を推進するのに、「税理士」という肩書が大いに役立ったことは、察するにあまりある。

10)少なくとも、この人は、誤解を招くので、「建築家」は外したほうがいい。建築家としての「国家」資格も持っていないし、家を建てたという「実績」もないのだから。一緒に併記してある「作家・絵描き・踊り手・歌い手」はいいだろう。絵は何枚か売れたようではあるが、歌や踊りで有名になったわけではないのだから、やはり「作家」がいいのではないか。「作家」ならなんでもありで、自由勝手に、好きなことを言っていればいいんだから。少なくとも、本は6冊以上出しているし。

11)「新政府を樹立し、初代内閣総理大臣に就任」。この言葉も著者紹介で追記されているが、これは止めた方がいいだろうな。誤解を招くし、「作家」先生ご自身の想いが十分表現されているとは、とても思えない。自分は自由奔放にやりたいが、周囲からは、順法精神に富んだ「普通」の人間に見られたい。それがこの人の本心だ。

12)いまや、絵描きや歌い手だって、法律にがんじがらめにされており、純粋に芸術にいそしむなんてことは出来にくい世の中ではあるが、それでもやはり、アーティストには、飽くなき探求を続けてほしいものだと思う。

13)2011年の年収は約1000万円。貯金は300万円、とある。周囲から見ればうらやましいような数字を「まえがき」の第1ページに掲げているが、これもまた、私に言わせれば眉唾ものである。あるなしは関係ないとしても、なにをもって「年収」としているだろうか。売上なのか、税金を控除した上での申告の数字なのか。その辺がアバウトに露出してある。

14)あるいは、どうやらこの人「パトロン」をお持ちなようだが、たまたま2011年度はそうであったにすぎず、安定した「年収」と言えるほどの数字ではないのではないか。

15)貯金とはいうものの、例えば1年間に1000万円の入りがあれば、妻と三歳の子供との三人のくらしであれば、不動産などを購入したり、無節操に散財しなければ、300万円程はあまるだろう。ただ、実際には、それが余剰資金といえるのかどうかは、わからない。

16)車輪が付いた「モバイルハウス」という家も建ててもいる。これは車輪が付いているから法律上は家ではない。坂口p5「まえがき」

17)モバイルハウスとはいうものの、電子機器のような「モバイル」を連想してはいけない。この人の作品は、単にリヤカーにホロが付いたようなものだ。ここにも羊頭狗肉の手口が見え隠れする。「法律上は家ではない」といいつつ、「ハウス」と名付けるあたり、なかなか手口は巧妙だ。

12)そこで法律を読んでみる。「生きていけないのか?」だから生存権である。どうなっているか。

憲法25条 すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。

やっぱりお金がなくても生きていく権利はあるらしい。 坂口p37「法律が多層なレイヤーをすり合わせる」

13)この人、コンプライアンス精神にのっとった生活をしているのかどうか疑問だが、よそを責める時には、法的根拠を持ちだす。そう言えば、どこぞの団体も、やらたらと弁護士を盾にして殺人事件まで突入してしまったことがあったなぁ。

14)法律なのだか、憲法なのだか、分からなくなっている。権利と義務はワンセットになっているものだが、私は小学校の時代に、日本国憲法には、国民の義務として、就学(させる)義務、労働の義務、納税の義務、がある、と学習したような気がする。

15)すくなくとも、私のみるところ、坂口いうところの「0円ハウス」群の人々は、労働の義務と、納税の義務、にやや疎いのではないか、と察する。義務を果たそうとせずに、権利だけ主張するならば、国家に限らず、どんな共同性からも排除されてしまうのは、しかたのないことであろう。

16)僕が初めてつくったモバイルハウスは正確に言えば2万6000円でできた。デザインは自分で好きにやればいい。車輪を付けさえすればいいのだ。小さい建築なので、素人でも誰でも設計できる。坂口p52「安い、簡単、建て直せる」

17)例によって、この人は、イメージ先行で、「口先」達者に物事を進めてしまう。はっきりいうなら、2万6000円もあれば、DIY感覚で結構なものは沢山作れる。廃材利用なら、これほどの資金はいらない。O円ハウスを標榜するリーダーなら、徹底して0円に挑戦すべきだろう。

18)山尾三省に次のような詩がある。

19)太郎 中学三年生
後輩にあとをゆずって野球部を引退したお前に
この夏休みの宿題を与える
大きくなったお前と やがて大きくなる次郎
二人の部屋を自分たちの手で建て増しをすること

父が棟梁 図面を引き 根太のほぞを切る
お前は手元 柱にほぞ穴を掘る
次郎はやがて12歳 川で鰻の仕掛に熱中している

何をすることが
本当の楽しみなのか
何をしている時に
胸に希望があり 静かな力が湧いてくるのか
父は子に教えようとし
父はまた 子から学ぼうとしている

大工
おおいなる たくみ 
    山尾三省「聖老人 百姓・詩人・信仰者として」p100 「大工」

20)私にも似たような経験がある。中学生になって、自分のスペースが欲しくなり、まずは大部屋をつい立てで区切り、やがて高校生になってからは、空いていた裏部屋を、床、壁、天井、窓、すべてを作りなおして、自分の部屋としたのである。

21)もちろん、高校生に潤沢な資金などあるわけがない。余っていた資材、拾ってきた家具、もらってきたポスター、そして小遣いと、アルバイトでためた僅かな手持ち資金で、金具や工具を買った。DIYと言えば言え。何流であろうと、人は必要であれば、どんなものでも作ってしまうのだし、そのことが自らを豊かにする。

22)まず僕たちはもともと狂っているのだ。そこから始めたい。
 狂っている僕は、狂っている世界から離れた路上生活者たちの所有をしない世界を見て、自分が狂っていたことを認識した。でも彼らはこの世から見たら無法者であるらしい。そうやって見ると、いろいろと発見があった。違法って何なのだろうと思った。
坂口p62「普通に考えたらおかしい」

23)この人、「僕」と「僕たち」が入り乱れる。私としては、すくなくとも一読者として、この人の「僕たち」のカテゴリには参加しない。この人の文脈における「狂っている」人たちのグループに入ることは拒否する。「踊る阿呆に見る阿呆、おなじ阿呆なら、踊らなソンソン」というレベルの踊りレベルの狂気なら参加もできるが、自らのコンプライアンスも顧みず、二言目には、法律だ、憲法だ、と引用してくるような御仁の「狂っている」発言には、赤の傍線を引いて、危険ゾーンとする以外にない。

24)普通に考えよう。常識というものは、文句を言わないようにというおまじないである。まずは、そのおまじないから解放される必要がある。おまじないからの解放は、「考える」という抑制によって実現する。坂口 p63同上

25)この人、若いから(と言ってももう34才か)多少は甘く見られているが、もうすこし時間が経過すれば、立派な「居直り強盗」になるな。俺がこうして強盗に入ったのは、お前がドアに鍵をかけていなかったのが悪いのだ。これからはキチンと鍵をかけることだな。コンコンと説諭して、立ち去る姿は、まさにこの人の前生さえ連想させる。

26)こういう読書は、健康ではないが、乗りかかった船だけに、もうすこし続けてみよう。

<5>につづく

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2012/09/13

坂口恭平 『独立国家のつくりかた』 <3>

<2>からつづく 


「独立国家のつくりかた」 <3>
坂口恭平 2012/05 講談社 現代新書 221p
★☆☆☆☆

1)さくらさんの書込みはこうだ。

2)う~ん、私は坂口恭平の本、面白く読んだけどなぁ。
「独立国家のつくりかた」というタイトルですが、
本の大半はそれ以外のことが書かれていますよね。
多分、坂口にとって独立国家なんてどうでもいいんですよ。
閉塞感の強い時代に、なにを言ったりやったりしても

叩かれる時代に、よくぞ書いてくれた。投稿: さくら | 2012/09/11 18:43

3)対する講談社新書の腰巻はこうだ。

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4)さくらさんは、「独立国家のつくりかた」というタイトルですが、本の大半はそれ以外のことが書かれていますよね」と言っている。たぶんそうだ。だから、私はまず羊頭狗肉だ、と思う。少なくとも、講談社新書のカバーコピーは「1人で、O円で国をつくった男の記録」と赤文字になっている。いくら本の売れない時代であったとしても、売らんがためのインチキコピーをここまで許していいのだろうか。JARO 公益社団法人 日本広告審査機構あたりに、持ち込んだら、どういう判断を下すだろう(笑)。

5)さらに、さくらさんは、「多分、坂口にとって独立国家なんてどうでもいいんですよ。」と書いている。であれば、なおのこと、タイトルにもカバーの紹介にもないことが書いてある本なんて、私は、特に読んでみるほどの酔狂さはない。タイトルや紹介コピーは、少なくとも内容と、なにか関連があってしかるべきだろう。

6)さくらさんは、「閉塞感の強い時代に、なにを言ったりやったりしても叩かれる時代に、よくぞ書いてくれた。」とまで言っている。ここでこの人は何を言いたいのかわからない.、少なくとも、これだけツイッターや他の言論表現が許されている時代である。決して、現代は閉塞感が強いだけの時代だとは、私は思わない。

7)「なにを言ったりやったりしても叩かれる時代」ともいうが、それもどうだろうか。叩かれないこともたくさんある、と私は見る。むしろ、坂口という人は叩かれることを喜んでいるようだ。だから、あえて羊頭狗肉も辞さない。

8)「よくぞ書いてくれた」とはどういうことであろうか。つまり、本のタイトルにも、カバーの紹介コピーにないことを、この本の中に見つけて「よくぞ書いてくれた」と思った、とさくらさんは言いたいのだろうか。そしてそこに、さくらさんは同調している。それでは、この本の中のなにを読めばいいのだろう。ウロウロ。まぁ、ゆっくり読み始めてみるか。

9)独立国家のつくりかた、といういささか大袈裟なタイトルだが、僕はこれしかないと思い、書籍化が決まった瞬間からずっとこのタイトルだった。坂口p220「あとがき」

10)ここを見る限り、著者は最初からこのタイトルに固執しているのであり、「いささか大袈裟」だとさえも思っているようだ。少なくとも、大真面目でこのタイトルと取り組んでいるのである。

11)大学時代の恩師、石山修武の建築の考え方、そして1960年代にヒッピーたちが建てていたフラードーム、60年代つながりで、フラードームを紹介していた「ホールアースカタログ」という雑誌をつくったスチュアート・ブランド、ジャック・ケルアックの書いた小説からソローの「森の生活」という僕の中での「経済文学」。それらは鴨長明ともつながる。さらには南方熊楠の南方曼荼羅の空間の捉え方と・・・(以下略)坂口p115「態度を示せ、交易せよ」

12)前にいちど読んでしまった本だから、ざっとアトランダムにアクセスするが、この部分あたりが、当ブログとかすかに抵触する部分であり、また私へこの本を紹介してくれたご婦人が、感じた当ブログとの親和性があると推測した部分であろう。

13)しかし、このあたり、一気に物事をつなげばいいというものではない。主テーマである「独立国家のつくりかた」の「国家」とはかなり縁遠い人々が登場しているではないか。ましてや、最近の当ブログにおいては、スチュアート・ブランドの近著「地球の論点」などは、噴飯ものとさえ結論づけつつあるのだ。著者は、決して「1人で国をつくった」わけではなさそうだ。多くの人々のステロタイプのイメージを十分に借りて、自らのイメージを立ち上げようとしているだけではないか? 

14)2011年3月15日、僕は日経新聞で東京でも大気中からヨウ素とセシウムが発見されたことを知った。これはいかんとすぐに妻フーとアオ三歳を新幹線に乗せて大阪へ送り、僕は映画撮影があるために名古屋へ朝八時に出発した。僕も名古屋から直ぐに大阪へ。

 僕は3月16日から一週間ほど大阪で過ごして、気が狂ったようになっていた。携帯電話に登録してあるすべての人に電話をかけ、とにかく西日本に避難せよと伝えた。ホームページの日記内でも逃げろと書きつづけた。坂口p84「2011年5月10日、新政府誕生」

15)私がこの本のもっとも嫌いな部分。すくなくともこのような行為をした人間との交流は、福島第一原発から80キロ県内にとどまり続けている私のような人間にとって、不可能だろう。さくらさんは「なにを言ったりやったりしても叩かれる」と言ってはいるが、すくなくとも、このようなことを言ったり、やったり、する存在は、大いに「叩かれる」べきだと、私は思う。

16)まず、科学的でない。もし著者の主張が妥当だとするなら、東京の三歳以下の子供は、すぐに関西以南に移動しなければならなかったとなり、圧倒的に避難しなかった子供たちは見離されたことになる。でも、どうであろうか。すべての人に電話をした、というのもやりすぎ。ホームページで書き続けるのは大いに結構だが、ますます心ある人は、そんなページを見向きもしなくなる。

17)僕は、逃げるべきだと知りながら言わない政府というのはもはや政府ではないと認定した。つまり、現在は無政府状態なのである。政府がないのはまずいから、僕のほうで一つつくってみようとしたまでだ。

 そんなわけで2011年5月10日に「新政府」を樹立した。そして、自分で始めたのだから、責任をとって、「新政府初代内閣総理大臣」に就任した。勝手にね。坂口p86「新政府の誕生」

18)実に甘いだろう。実に幼稚過ぎる。この人、「気が狂ったようになって」いたのではなく、「気が狂っている」のだろう。狂人である。お店のケーキがまずかったんで、私は自分が新しいケーキ屋のシェフだ、と宣言した、というようなものである。市長が嘘を言ったので、私が新しい市を作って市長になった。あの俳優の演技が気に食わないので、私がスターになった。などなど、思いつくまま想像してみるが、まったくこの人、文脈に脈絡がない。

19)僕が念頭に置いているのは路上生活者だ。0円ハウスの生活形態だ。ここではすでに0円で生活することが可能な世界が実現されており、あらゆるゴミを貨幣に換え、独自の技術を独自の「貨幣」として流通させる新しい経済が実践されている。坂口p87「モデルとしての路上生活」

20)すくなくとも、沢口の6冊の著書を読む限りにおいては、完全無欠な「0円生活」などあり得ない。登場人物の中で、生まれて死ぬまで0円生活を全うした人は、著者本人を初めとして、ひとりもいない。それは「ブランド」化することはできるだろうが、羊頭狗肉である。農薬を使い、科学肥料を使っても、「完全な自然野菜」として売っているようなもので、そういう名前のついた、まがい物でしかない。名前が体を現していない。

21)さらに言えば、ここにおいては、いくら路上に転がっているアルミ缶を拾い集めたとしても、アルミ缶そのものが「貨幣」として流通しているわけではあるまい。集めたアルミ缶を、キロ何円として、「無政府状態になった」日本政府の貨幣と交換しているだけだろう。

22)独立国家うんぬんをするのなら、「貨幣」だけでは国家たりえない。アントニオ・ネグリ風に言えば、「貨幣」と「武器」と「憲法」が必要だ。

23)この本にも「路上」のケルアックがでてくる。著者としては、その60年代的アメリカ文学のイメージをも借りたいのだろうが、ケルアックのほうは「On The Road」であって、「路上生活」やホームレスを意味しているわけではない。あえていうなら「途上」なのだ。ヒッチハイクで、アメリカ大陸をあれこれ旅をしているのであって、都市に寄生して、ゴミ集めをしたり、時にはボランティアの手に甘えて人生を送ろう、という人々の文学ではない。

24)新政府というどこからどう見ても狂っているとしか思えない行動を支えてくれた妻フーと「パパは普通だよ」と言ってくれた娘アオには命を救われた。坂口p221「あとがき」

25)彼の嫁さんが私の娘なら、「考えたほうがいいよ」とアドバイスするだろうが、よそ様のことには関与しないでおこう。少なくとも、著者自らが、「どこからどう見ても狂っているとしか思えない」と自覚しているのであれば、私ごときが、敢えて、新たに指摘して上げるほどでもないだろう。

26)3歳の我が娘に「パパは普通だよ」と言ってもらってようやく、精神のバランスを保ち、命が救われている著者なのである。この人、病んでるね。

<4>につづく

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坂口恭平 『独立国家のつくりかた』 <2>

<1>からつづく 


「独立国家のつくりかた」 <2>
坂口恭平 2012/05 講談社 現代新書 221p
★☆☆☆☆

1)この本は、すでに立ち読みしている。そしてすでに彼の著書6冊も目にしている。当ブログとしてはすでにコメントすべきことは終わっている。特段に触れなければならない一冊だとは思えない。

2)しかるに、縁ある淑女に紹介された一冊であってみれば、立ち読みだけでは失礼と思い、図書館に入ったら読んでみようと思っていた。だが、入荷した冊数が少ないのか、リクエストが多いのか、私の番までにはだいぶ時間がかかりそうだ。と、うっちゃっておいた。

3)そして、「さくら」と称する人からコメントがついた。この人、車寅次郎の妹さんなのだろうか、それとも、ニックネームがそういう女性なのか、あるいは、当ブログの隠れファンで、有難くも「さくら」を装って投稿してくれたのだろうか。

4)なにはともあれ、この本をエサに、すこしメモを残してみようじゃないか。と、ネットで一冊注文することにした。

5)当ブログは、0円ブログでもある。ブログサービスも、アクセスログも、有料サイトを使えば、もっと素敵なブログができあがるかもしれない。しかし、すべて無料サービスを利用している。それなのに、アフェリエイトが使えているから、逆に多少のポイントは発生するのである。

6)いつもは、もう自宅に本を増やしたくないので、図書館の蔵書を利用しているのであるが、どしても手に入らなかったり、急いで読みたい時はアフェリエイトを利用して配送してもらっている。なに、この本ほどのものは、月に何冊かは「0円」で読めるのである。おとといの夜、発注しておいたら、今朝着いた。

7)さて、プロジェクト567のプロセスにおいて、私においての「地球」、「大地」とは、結局我が家であった。いくら小さな坪数しかない利用価値の小さなスペースであっても、我が家は「地球」なのである。

8)そしてまた、その中心には「子供たち」が鎮座した。私にとっては、3・11を挟んで生まれた、可愛い孫たちである。

9)私は、それまで使っていた事務室を、キッズルームとして明け渡すことにした。キッズルームにするには結構大変である。床に柔らかい素材を使い、コンセントや回線の類はすべて隠さなければならない。扉や家具の尖ったところはゴムなどの素材で覆い隠し、窓のブラインドは布カーテンに変えざるをえなかった。

10)ちょっとした出費と労働だったが、なに、本当は、このキッズルームは「瞑想ルーム」にも早変わりするように作ってあるので、今回は一石二鳥というわけである。

11)さて、事務室はどこに行ったかというと、ビルドインの車庫に移動せざるを得なかった。被災した住宅からもらってきた窓サッシや廃材を使い、もともと電動シャッターではあったが、天井が高い、まずまずの事務室が出来上がったのである。65点ぐらい。もうすこし手をいれる必要があるが、実用に足りる。

12)さて、その車庫に入れておいた、あれこれの書類や備品の類は、外の自転車置き場に移動せざるを得なかった。こちらはオープンエアーだったので、屋根を修復拡大し、やはりもらってきた窓サッシと板材を使い、結構なスペースな物置に仕上げたのである。寒暖の影響を受けやすい構造ではあるが、DIY精神の発露、自分としてはなかなか気に入っている。

13)ところが、この改造物置にあったものが、余り出した。これは、もう天井裏にでも持っていくしかないだろう、ということで、現在、天井裏部屋の収納スペースを工作中とあいなった。

14)収納式の天井梯子を取りつけ、床材を貼って、なにはともあれ、物置のスペースを確保してみよう。ひょっとすると、ノストラダムスが占いをしたように、なにやら不思議な天井裏空間が出来上がるかもしれない。

15)まだまだ9月。天井裏は、猛暑を通り越して、サウナ状態である。汗を大量にかくには適しているが、占いをしたり、瞑想をしたりするのは不適なようだ。でもなぁ、ネイティブ・アメリカンのようにスエトロジー効果があるかもしれないし、まだまだ試してみたいことはある。

16)なにはともあれ、天井裏の、暑くて、暗い、僅かにできた半畳ほどの足場に転がって、まずは、この坂口恭平とやらの、「独立国家のつくりかた」とやらを、めくってみようじゃないか。

<3>につづく

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2012/09/11

ウェブVS原発、ソーシャルVS国家、アメリカVS東北、と読みなおしてみる 池田純一『ウェブ×ソーシャル×アメリカ』<全球時代>の構想力<4>

<3>よりつづく


「ウェブ×ソーシャル×アメリカ」 <全球時代>の構想力<4>
池田純一(著) 2011/03 講談社 317P

1)もう一度、この本を最初から読み直してみる。なかなか面白い本なのだが、もしこの本が思ったほど話題になっていないとしたら(未確認)、この本が、著者自らが認めているように、「階層的」に書かれているからだろう。

2)階層的で、全方位的な書き方は、当ブログとしては賛成で、あるいは松岡正剛などもそういう意味では意図的にその「編集工学」に取り入れているはずである。

3)こちらの池田著のほうが「ウェブ」「ソーシャル」「アメリカ」というキーワードを三つに絞り、そこから構想力を探っていっているとすれば、松岡著「3・11を読む」の場合、もちろん切り口は3・11なのであるが、池田本をぶつけて敢えて3つのキーワードを探ろうとすれば、「原発」「国家」「東北」となるのではないだろうか。

4)池田本の場合は、もともとが出版社からのリクエストは「ウェブ」と「ソーシャル」について何か書いてくれ、ということだったらしいが、コンサルタントとしての池田にとってはそれだけでは物足りずに、もう一項「アメリカ」を入れた、ということになるのだろう。そのことによって、大変重層で支線に満ちた「大作」になったわけだ。

5)もし「ウェブ」と「ソーシャル」で、いわゆるツイッターやフェイスブックの一面的な流行現象をなぞっただけでは、その辺にいくらでも転がっている凡百のIT本として消費されていくだけだったに違いない。

6)松岡「3・11を読む」においても、3・11から「原発」と「国家」だけを取り出して論じているものは沢山あり、重要なテーマではあるが、重層的な構想力(つまり松岡流編集工学)としては、いまいち面白みにかける一冊となったであろう。成功しているとは言い難いが、なにはとりあえず、三本柱の一つに「東北」を据えたことに、この本が魅力あふれる(つまり私としては読む気になった)一冊になっていると思う。

7)逆に考えると、ロジャー・パルバース「もし、日本という国がなかったら」 (2011/ 12集英社)や、石寒太「宮沢賢治祈りのことば 悲しみから這い上がる希望の力」(2011/12 実業之日本社)が、的を得ているようでいて、重要な何かが決定的に不足していると思わせるのは、この三つの視点が、キチンと毅立していないからではないだろうか。とくに「ウェブVS原発」への支線がなかなかつかめない。

8)科学や物理の世界ということで「原発VSウェブ」を考える上で、一人の人格として考慮してみようとした場合、スチュアート・ブランドジェームズ・ラブロック、あるいは時にはゲーリー・スナイダーの影響下にあるところの、スティーブ・ジョブズあたりを切り口に考えてみるのも面白いかもしれない。

9)「ウェブVS国家」というテーマなら、アントニオ・ネグリあたりの「マルチチュードVS<帝国>」などが、容易に思いつきやすい。ネグリは難解だし、とても極左的なので、その文脈から読むというより、そのネグリ自身の人生そのものを振り返ってみる、ということが重要となるだろう。

10)「アメリカVS東北」というテーマであれば、宮沢賢治や禅とも繋がるゲーリー・スナイダーが連想される。いやむしろ、スナイダーにも影響を遺したという意味では賢治そのものを立ち上げたほうが、より本質的なアプローチとなるかもしれない。そこには、南方熊楠や、あるいはソロー、エマーソン、ホイットマンなどの系譜も見え隠れするだろう。

11)とにかく、ここで、特に当ブログとしては、哲学や思想、あるいは作品や著作、発明物、というところではなく、人間としての生き方、その人生、その一生にこそ、より真実味を感じたいと思うのである。

12)だとするならば、「原発VS国家」、あるいは「原発VSソーシャル」、はたまた「原発VS東北」という意味で、小出裕章という人の立派な人生に学ぶことも、大変重要なテーマとなるだろう。

13)この池田純一という人は、確かに面白いのだが、1965年生まれで21世紀になってから数年コロンビア大学に留学した、という以外、ほとんどよくわからない。少なくとも実存的でない。これだけの考察をするのであれば、それを支えるライフスタイルの何たるからが、著者本人の姿として、もう少し見えてこなくてはならない。

14)そう言った意味においては、西海岸のボートハウスで暮らすスチュアート・ブランドや、英国のどうやら田舎で暮らしているらしきラブロックですら、その思想や哲学の「逸脱」に違和感を覚えつつ、そのライフスタイルには、とても強く魅力を感じるのである。

15)そういった意味においては、松岡正剛も「原発」「国家」に「東北」を加えたのは慧眼としても、どうもそのライフスタイルにおいては、「東北」はとってつけたような違和感が残る。

16)「東北」や「原発」、「国家」というキーワードなら山尾三省の生き方も気になるところ。三省は、極端に科学嫌いなスタイルを取ったので、電気やネット、そしてそこから派生するソーシャルへの支線は弱い。しかし、自らの「生き方」を詩集として書き上げたところからは、余人に見られないほどの堅い決意を感じる。

17)ラブロックやスチュアート・ブランドが夢見るような、電話帳クラスの小さな「原子力発電」が可能とされていない現在、「原発」は過去の科学に成らざるを得ないだろう。それに比して、「太陽光発電」などは、いくらコスト云々で難題が待ち構えているとしても、未来に向けて夢がある。少なくとも、電話帳サイズの蓄電池付きの発電システムは、十分可能なように思える。

18)「ウェブVS国家」においては、ことさら「日本」という国を称賛せずとも、そして、尖閣諸島や竹島問題で揺れる国家の境界ではあるが、いずれは国家はゆるく解体されて、「地球人」全体のものとして、「地球」全体が利用され愛されていく必要があるだろう。

19)ツイッターやフェイスブックは、ネグリいうところの「マルチチュード」が、より自覚し、意識し、自立していく過程におけるエピソードなのであり、大きな歴史の中においては、過大評価は禁物であろう。もちろん、iPadやiPhoneの過大なアイコン化は慎むべきだ。

20)「アメリカVS東北」も、太平洋を挟んだ西海岸と東海岸でのことだが、これは地球の位置的なものと理解すべきことではない。地球に根差した生き方、大地と共に生きる人間、そのことを意味するテーマでなくてはならない。

21)中国や韓国、ロシア、あるいは中東、さらには南米、アフリカ、という地域からの、時には「日本人」としては、違和感の残るメッセージが届くことがある。しかし、これらもまた国家に収奪された一人一人の人間が、よりマルチチュード化しているプロセスだと見ることができる。それはIT機器も加わった「ソーシャル」化の現象の一つであろう。ここはおなじ「地球人」としての立場に立って、感じ、共鳴しあっていく必要がある。

22)地球人として、この大地の上で、どう生きるのか、それが、ひとりひとりに問われていることなのであり、当ブログがジャーナルすべきことなのでもある。

<5>につづく

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2012/09/09

3・11後もこの人は同じことを言うだろうか? 中村政雄 『原子力と環境』


「原子力と環境」
中村政雄 2006/03 中央公論新社  新書 189
Vol.3 No.0799★☆☆☆☆

1)松岡正剛「3・11を読む」の第四章を語る上で、重要な点に位置している一冊。基本的には原発推進派で、地球温暖化の解決の決め手は原発しかない、という論点の他、とにかく原発は推進しなければならない、とあらゆるデータを切りそろえて提出している。

2)環境派の代表はグリンピースで、グリンピースさえ押さえてしまえばいわゆる環境派は簡単に論破できるでもいうような文脈。グリンピースの創立メンバーのパトリック・ムーア、「外ラ理論」のジェームズ・ラブロック、「アースホールド・カタログ」のスチュアート・ブランドの、脱原発から、原発推進への「転向」を鬼の首でもとったように大言し、これさえあれば、反対論は完全に抑えられる、と言わんばかりの勢い。

3)論旨そのものは、他の原発推進派と大同小異、特に目立ったものはない。この本は3・11以前、やく5年前に書かれた本なので、3・11後に批評するのはフェアではないが、原発の持っている意味を考える時、5年くらいでは意見が変わるわけもないだろうし、変わってもらっては困ると思う。ただ、この本の調子では、いくら著者といえども、大きな声でこの本の主旨を主張することはできないだろう。

4)後半から巻末にかけては、日本独特の文化論などが展開されているが、それはあるいみ取ってつけたようなパッケージで、まったく意味がない。

5)少なくとも、この本の中にでてくる、いわゆる環境派の「転向」はごくごく特例的なエピソードであり、かりにそんな事例があったからと言って、原発の現実と、その限界性に変わりがあるわけではない。とくに3・11以降は、そのことがより明確になってしまった。

6)この本は抜き書きするほどのところはない。むしろ、この人の3・11後の本を読んでみたい。

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2012/09/08

敢えて各章から一冊づつ選んでみる 松岡正剛『3・11を読む』 千夜千冊番外録<8>

<7>からつづく


「3・11を読む」 千夜千冊番外録<8>
松岡正剛 2012/07 平凡社 単行本 430p

1)さて、この本、五章あるうちの各章から、一冊づつ抜き出すとしたら、どのようなことになるだろうか。

2)第一章「大震災を受け止める」では、ひたすら報道写真集などが紹介されているので、本当はあまり見たくない。いまだに「受け止められない」のだろう。この11冊の中では「津波てんでんこ」(山下文男 2008/01)は、3・11の予告の書ではあるが、3・11を直に伝えている本ではない。

3)もうこの手の本をあまり見たくはないのだが、敢えて抜き出すなら、「河北新報のいちばん長い日」だろうか。書店の店頭ではめくってみたが、借り出してまでみる勇気がない。市内の図書館にはほとんどすべてこの本が入っている。地元の新聞社だけに、各図書館に寄贈したのかもしれない。それでも、ウェイティング・リストは満載である。とりあえず、予約だけは入れておくことにする。

4)第二章「原発問題の基底」の12冊からの一冊となれば、ここは小出裕章「隠される原子力・核の真実」(2010/12  八月書館)しかない。小出裕章氏には3・11後に出た本が沢山あり、必ずしもこの本がベストとは言い難い。氏こそ3・11「後」を語り得る一人だと思う。今後も注目しよう。

5)第三章「フクシマという問題群」では12冊紹介されている。3・11を冠した写真集を今でも直視出来ないように、今でも当ブログは、福島=フクシマ=FUKUSIMAとう表記を直視することができない。いずれ「受け止め」なければならないのだろう。

6)ここから一冊抜き出すとしたら、やはり身近なたくきよしみつ「裸のフクシマ」(2011/10 講談社)となるだろうか。現場からの報告という意味では、メジャーな流通には乗っていないが、地元からの出版物がたくさんでている。当ブログでも多少は追っかけを始めているが、県境を越えたたくさんのレポートが記録され続けている。

7)第四章「事故とエコとエゴ」では19冊紹介されている。3・11後に出版された本ではあるがスチュアート・ブランド「地球の論点」(2011/06 英治出版)はそもそも3・11以前に書かれた本でもあるし、原発推進に帰結したこの著者については、当ブログとしては「噴飯もの」と結論づけてしまった。

8)噴飯ものというなら、中沢新一だってその類だ、と怒鳴ってしまいそうだが、敢えて一冊と言われれば中沢「日本の大転換」あたりを残してみるしかないのだろう。ただ、全然解決策になっていない。

9)この第四章だけは、当ブログとしては未読がたくさんあり、もうすこし注意深くリストアップしなおす必要がある。

10)第五章「陸奥(みちのく)と東北を念(おも)う」には、6冊の本が紹介されているが、私なら、どれも選ばない。そもそも、松岡がいう時の「東北」という言葉が気に食わない(笑)。あるいは、東北、という単語を使う時、松岡の存在そのものが浮きあがってきて、もっとも松岡の、私から見た「嫌な面」が見えてしまう。残念ながら、敢えてこのリストはいただかない。この人は、心から一番東北が好きな人ではない。

11)世の中には、なにをおいても東北が大好き、と言う人はいるわけで(私もその片隅にいたい)、そういう人たちの手触り、たたずまいは、また独特である。3・11にかかわらず、東北は東北であり続ける。あるいは、この東と北を組み合わせた単語から漏れ出てしまう、たくさんの豊饒さがそこにはあるのだ。そこに気づいていない人はたくさんいる。

12)といいつつ、やはり一冊を選ぶとすれば赤坂憲雄「東北学/忘れられた東北」あたりにしておくのが無難かな。

<9>につづく

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松岡正剛「3・11を読む」 千夜千冊番外録<7>

<6>からつづく


「3・11を読む」 千夜千冊番外録<7>
松岡正剛 2012/07 平凡社 単行本 430p

1)第一章が3・11そのものとの遭遇であり、第五章が著者なりの東北学の捉え直しだったとして、第二章~第四章は、3・11≒原発≒フクシマというひとくくりの、「前」「中」「後」ということになる。そして、最後の「後」に位置する第四章がやっぱり一番読み応えがあり、当ブログの読書へと繋がる、大事な一章となる。

2)この「3・11を読む」を、同時併読していた池田純一の「ウェブ×ソーシャル×アメリカ <全球時代>の構想力」(2011/03 講談社)になぞらえてまとめるなら、その論点は「原発×国家×東北」ということになるだろう。池田の著書はまさに3・11「前」に位置し、このセイゴー本は3・11「中」に位置する。

3)2001年に亡くなった山尾三省は没後にまとめられた「南の光のなかで」(2002/04 野草社)において、自らの死を予期しつつ、子供たちに三つの遺言を遺した。 

4)「子供達への遺言・妻への遺言」 山尾  三省 

 僕は父母から遺言状らしいものをもらったことがないので、ここにこういう形で、子供達と妻に向けてそれ書けるということが、大変うれしいのです。というのは、ぼくの現状は末期ガンで、何かの奇跡が起こらない限りは、2、3ヶ月の内に確実にこの世を去って行くことになっているからです。

 そのような立場から、子供達および妻、つまり自分の最も愛する者達へ最後のメッセージを送るということになると、それは同時に自分の人生を締めくくることでもありますから、大変身が引き締まります。

 まず第一の遺言は、僕の生まれ故郷の、東京・神田川の水を、もう一度飲める水に再生したい、ということです。神田川といえば、JRお茶の水駅下を流れるあのどぶ川ですが、あの川の水がもう一度飲める川の水に再生された時には、劫初に未来が戻り、文明が再生の希望をつかんだ時であると思います。

 これはむろんぼくの個人的な願いですが、やがて東京に出て行くやもしれぬ子供達には、父の遺言としてしっかり覚えていてほしいと思います。

 第二の遺言は、とても平凡なことですが、やはりこの世界から原発および同様のエネルギー出力装置をすっかり取り外してほしいということです。

 自分達の手で作った手に負える発電装置で、すべての電力がまかなえることが、これからの現実的な幸福の第一条件であると、ぼくは考えるからです。

 遺言の第三は、この頃のぼくが、一種の呪文のようにして、心の中で唱えているものです。その呪文は次のようなものです。

 南無浄瑠璃光・われらの人の内なる薬師如来。

 われらの日本国憲法の第9条をして、世界の全ての国々の憲法第9条に組み込まさせ給え。武力と戦争の永久放棄をして、すべて
の国々のすべての人々の暮らしの基礎となさしめ給え。

 以上三つの遺言は、特別に妻にあてられたものなくても、子供達にあてられたものでなくてもよいと思われるかもしれませんが、そんなことはけっしてありません。
 

 ぼくが世界を愛すれば愛するほど、それは直接的には妻を愛し、子供達を愛することなのですから、その願い(遺言)は、どこまでも深く、強く彼女達・彼ら達に伝えられずにはおれないのです。 

 つまり自分の本当の願いを伝えるということは自分は本当にあなたたちを愛しているよ、と伝えることでもあるのですね。

 死が近づくに従って、どんどんはっきりしてきてることですが、ぼくは本当にあなた達を愛し、世界を愛しています。けれども、だからといって、この三つの遺言にあなたがたが責任を感じることも、負担を感じる必要もありません。

 あなた達はあなた達のやり方で世界を愛すればよいのです。市民運動も悪くないけど、もっともっと豊かな”個人運動”があることを、ぼくたちは知ってるよね。その個人運動のひとつの形としてぼくは死んでいくわけですから。

5)三省の遺言を受ける形で、上の三題話をさらに煮詰めれば、自然環境の回復、核(原発)兵器の廃絶、国家主義の解体、ということになろう。

6)原発(=核兵器)についての「解決策」については、小出裕章「原発ゼロ世界へ ぜんぶなくす」(2012/01 エイシア出版)、これしかないだろう。どんなに夢想的に見えたとしても、じっくり考えて、じっくり考えてくればこれしかないのである。そして、小出氏は、そういう生き方を、自分の人生として選んだ。

7)国家、あるいは戦争放棄については、「憲法九条を世界遺産に」太田光・中沢新一 2006/8 集英社)のタイトルが秀抜である。いくらお笑い的に聞こえても、いずれ国家はゆるく、世界全体へ解体されていくしかない。そのためには、戦争はしないという理念が、地球に生きる全ての人々の共通理念になる日がきっとくる。

8)そして、自然環境の回復を思えばゲーリー・スナイダー「地球の家を保つには エコロジーと精神革命」(1975/12 社会思想社)がピンとくる。三省はインターネットも使わず、自動車もちょっとだけ、太陽光発電もちんぷんかんぷんという形で逝ってしまったけれど、こにあたりについてはスナイダーの方が先見の目がある。

9)小出氏は科学者だから、三省のような南無浄瑠璃光を語ったりはしないし、スナイダーはZENに通じていても、3・11の「東北」については、いまひとつ自らの問題としてとらえることはできないだろう。

10)ちょっと飛躍はするが、私は、これらを含めて、いつもOshoを思っている。それを露骨に表に出すことはなくとも、ひとつのビジョンとして、科学や芸術を超えて、意識を含めた、本当の革命が、きっとくると、思い続けている。あるいは、そういう姿勢で日々を生きていきたいと願っている。

11)さて、こちら「3・11を読む」第四章においては、スチュアート・ブランドあり、中沢新一あり、宮台真司あり、佐藤優、内田樹、森本敏、ボール・ヴィリリオ、ヴァン・ジョーンズ・・・・・などなど、かなりにぎやかな顔ぞろえではある。

12)特に中沢新一「日本の大転換」(2011/08集英社)や中沢新一×内田樹×平川克美「大津波と原発」(2011/05 朝日新聞出版)などには期待してしまうのだが、いかんせん、こちらも、3・11「中」でしかない。当ブログとして納得のいくような「解決策」にはなっていない。

13)この第四章、もうすこし再読・精読するとしても、いわゆる松岡編集工学が編み出す世界観には、どこかケン・ウィルバーの横並び主義に似て、いつまで経ってもひとつにまとまらず、また中心に空や無を見つけ出すことはない。

14)松岡正剛の著書には、「曼荼羅」という接頭語や接尾詞がつく本がいくつもあるようだが、歴史や空間を超えて「情報」をかき集め「編集」するのはいいのだが、そこからの詰めが甘いと思う。情報の最終編集は、情報の放棄であることに、まだ気づいていないと、私なら思う。

15)あるいは、読書ブログとしての当ブログもまた、読書の長短をわきまえつつ、自らの3・11「後」を見つめていこうとするものである。

<8>につづく

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2012/09/07

松岡正剛 監修情報の歴史 象形文字から人工知能まで

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「情報の歴史」 象形文字から人工知能まで
松岡正剛/監修 編集工学研究所/構成 1990/04  NTT出版  全書/双書 p433
Vol.3 No.0798★★★★☆

1)スタンフォード大学で生物学を専攻して、進化論をポール・エリックから叩きこまれ、陸軍に入隊し、除隊し、それからは数々のグリーン運動にかかわってきた。そうして「ホールアース・カタログ」を立ち上げたのが忘れもしない1968年である。

 それがいかに重大な出版であったかは、ぼくの「情報の歴史」(NTT出版)の当該ページを見てもらえばわかる。松岡正剛「3・11を読む」p271「スチュアートブランド・地球の論点」のページより

2)と、そう書いてある限りは、探し出して読んでみなければならない。この本はさらに1996年に「増補版」がでて、翌97年にはダイジェストとして「情報の歴史を読む」がでているようだ。

3)「ぼくの」と書いてあるけれど、松岡は監修とあり、構成は編集工学研究所となっている。要は同じことではあろうが、少なくとも松岡一人の手によって出来た本ではない。分野協力者だけでも30名。その他、関わった人々の名前だけでもゆうに100名を越そうというリストが巻末に掲載されている。

4)なにか、こう、多くの人々の手を煩わせて、しかも若い人を安く使って(笑)、というイメージがあるので、どうしても、この人をオヤブンと揶揄したくなるのである。オヤブンと呼んだからと言って、私が彼のコブンのつもりはさらさらない。ただ、コブンに成りたがっている人は多くいるのかもしれない。

5)「当該ページ」を見てみたのだが、「わから」なかった。この本、これだけ分厚くて、数限りない「情報」で埋め尽くされているのに、一部の整理の図版以外、イラストも写真もない。凝った装飾も一切ない。ひたすら、文字、文字、文字・・・の大冊である。しかも全てカラーページ、というところも相当に稀有なマニアックさだ。

6)このような「奇をてらった」造本はオヤブン門下のお手の物だが、それにしても、まぁ、ごくろうさまというしかない。「象形文字から人工知能まで」の人類史を一気に「横断」的に「縦断」しよう、という、途方もない企てだけに、正直なにがなにやらごちゃごちゃになっているだけである。もちろん、使い方を考えれば、利用価値もあるだろうが、まぁ、こういう力もありますよ、という腕試し的一冊と言えるのではないだろうか。

7)ある意味、これはスチュアート・ブランドの、それこそ「ホールアース・カタログ」に触発された企てだったに違いない。とにかく、「当該ページ」には、大きく(と言っても、他にも大きく書いてあるものはたくさんある)タイトルと著者の名前が書いてあるだけであった。

8)出版されたのが1990年だが、1995年にブレークアウトするインターネットの予兆を十分に感じさせる編集で、96年の増補版や「「読む」では、さらに加筆・加速されていることだろう。ここでは、全体の流れの中にスチュアート・ブランドを入れ込んである、ことを確認しておけば、それで足りるだろう。

9)せっかくだから、この辺でオヤブン関連のリストをつくっておく。(もともとあまり読んでないし、今後もおっかけの機会は来ないのではないだろうか)

松岡正剛関連リスト(工事中)

「松岡正剛 千夜千冊」2006/10 求龍堂

「ちょっと本気な千夜千冊虎の巻」2007/06  求龍堂

「セカンドライフマガジン(vol.1)」 2007/12 インプレスR&D 

「脳と日本人」茂木健一郎との対談 2007/12 文藝春秋

「多読術」2009/04 筑摩書房

「松岡正剛の書棚」  松丸本舗の挑戦 2010/07 中央公論新社

「3・11を読む」 千夜千冊番外録 2012/07 平凡社

「謎床: 思考が発酵する編集術」 ドミニク・チェンと共著 2017/07 晶文社 

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福島をフクシマやFUKUSIMAにしてしまうのか 松岡正剛「3・11を読む」 千夜千冊番外録<6>

<5>からつづく


「3・11を読む」 千夜千冊番外録<6>
松岡正剛 2012/07 平凡社 単行本 430p
★★☆☆☆

1)さて、本書の一番のキモであろう、第三章「フクシマという問題群」という60ページほどの12冊についてのコメントを読んだ。はっきり言って、肩透かしを食った。ああ、せいぜいこの程度のことなのだ。そもそも、他人の読書に期待していた自分がアホだったのだ。

2)当ブログでは、まず、震災後、本を読めなかった。図書館が復興し、書店が復興して、すぐに読み始めたのは、いままで読み残していた過去の本であり、再読本だった。やがて、地震や津波についての読書となり、ようやくマスメディアの今回の震災の特集号に目をとおすようになった。

3)原発モノに目をやり始めたのは一番最後だった。どうにもできない、という諦めと、誰かがやるだろう、ということで原発モノは避けて通ってきた。だけど、いつまでもそんな態度が通るはずがない。原発モノ、そして、福島モノ、と進んでいtった。

4)しかし、フクシマ物にはあまり手をつけたくなかった。そもそも原発も東電第一原発、という呼称を長い間使っていた。そこに福島という単語を使うことさえ憚れた。当然のごとく、「フクシマ」と表記することは忌避したし、ヒロシマ、ナガサキ、フクシマ、などと一連のイメージでコピーをひねり出す連中に対しては唾棄した。

5)だが、もちろん、それとていつまでも続けられる態度ではない。いつの間にか、当ブログもフクシマと言う表記に慣れようとしてきた。そんなか、マツオカ親分の「フクシマという問題群」は、なにもえぐっていない、と、現在の私は唸る。

6)せいぜい、たくきよしみつ「裸のフクシマ」や広瀬隆「FUKUSHIMA  福島原発メルトダウン」についてのコメントが目についたくらいで、あとは、それほどフクシマの問題群を、ぐぐっと捉えている、というふうには思えなかった。

7)どうも「番外篇」から、元の「連関篇」にもどれないままである。あの日の朝には、ぼくは「遊牧民から見た世界史」のあと、青木健のイラン・アーリア系についてのめったにない好著「アーリア人」を書くつもりだった。p191 2011/3/23

8)当ブログにおいても「遊牧民から見た世界史」杉山正明 1997/10)は既読である(Vol.2 No.0072)。 当日午前中、「メタコンシャス--意識を意識する」というカテゴリのもと、「パーマカルチャー」を読んでいた。その後、次のコンセプトは「森の生活」へと移行した。

9)福島が「フクシマ」になったのは3・11以降のことではなかったことを言いたくて、まず詩集をとりあげる。p192若松丈太郎「福島原発難民」 

10)ここでのオヤブンのスタイルがわからないでもないのだが、まぁ、それは自らの「美学」の中でのことであって、現地人の現在進行形の心情をよく理解できていない表現だと、私なら感じる。

11)で、問題は福島はいつから「フクシマ」になったのかということだ。3・11以降であるわけがない。そこはヒロシマやナガサキとは異なっている。 

 開沼の整理では、戦後政治が地方を服従させることによって復興・高度成長・GNP・GDP伸長を計画した当初から、福島はフクシマに向かっていた。中央の「原子力村」は地方の「原子力ムラ」を弄(もてあそ)ぶことに向かっていた。そこに一種の国内コロニアリズムのようなものが始まっていたのだという。p200「いつから福島はフクシマになったのか」

12)当ブログにおいては、この福島論は、今しばらく決着を見ないだろう。まだ、直視するほど余裕がないのだ。地名を限って、県境を限って、ひとつのシンボルをつくることによって、何事かの全体を把握したかに錯覚したくない。また、その名前をラベルのようにもてあそびたくない。

13)さて、本書を読んでいて、以前から持っていた松岡正剛という人のいまいちわからない部分についての、理解への足がかりがつかめたかな、という部分があった。

14)父はぼくが早稲田の四年のときに胆道ガンと膵臓ガンであっけなく死んだ。(略)それからのぼくは父がのこした借財を返すため数年を潰してツトメをはたし、やっと再びゼロから捲土重来をすると決意したのだ(以下略)  p230「フクシマという問題群」

15)私はこの人の追っかけをしてきたわけではないので、詳しくは知らないが、そういえば、このような経緯をどこかに書いてあったのを読んだ記憶もある。つまりは、かなり若くして貪欲に経済的に浮揚策を採ってきた人だったのだ。工作舎とか編集工学とか、魅力あるコンセプトで魅了はしてくれるのだが、いっこうに、私の世界観とは一致しなかった。

16)膨大な印刷物となった「松岡正剛 千夜千冊」(2006年10月 求龍堂)なんてシリーズもパラパラ手にとったし、そのダイジェストである「ちょっと本気な千夜千冊虎の巻」(2007/06  求龍堂)も面白く読んだ。その他、1970年代初半からの雑誌「遊」もよく友人宅でめくった(私は買う気がいまいち起きなかった)。80年代初半には、短波ラジオでラジオマガジン「遊」なんていう実験をしていて、やたらと「エチカル・アニマル」の宣伝をしていたことも覚えている。その後は、ニューサイエンスやら、トランスパーソナルなどの翻訳本を工作舎から乱出させたし、90年代には、そこそこマスメディアでも有名人になった。21世紀になっては、日本の「思想界」にこの人ありとも目される人であろう、と推測はする。しかし、いまいち今だによくわからない。そのうち、関連リストをつくり、ひとつガチンコ読書をしてみよう。

17)さて、松岡正剛「3・11を読む」、そのキモとも思われていた部分の第三章では、いまいち納得できなかった。いよいよ残り第四章「事故とエコとエゴ」に突入しよう。なにやら、語呂合わせで「自己とセエコオとセエゴオ」なんて読めたりする。おふざけが過ぎるか・・・。

<7>につづく

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首尾一貫して原発ゼロを主張する脱原発の最右翼 小出裕章 『隠される原子力・核の真実』 原子力の専門家が原発に反対するわけ


「隠される原子力・核の真実」原子力の専門家が原発に反対するわけ
小出裕章 2010年12 八月書館 単行本 157p
Vol.3 No.0797 

1)松岡正剛は「3・11を読む」小出裕章を紹介するにあたって、まずはこの一冊をとりあげる。この本をとりあげたのはネット上の千夜千冊(2012/02/10)だから、他に3・11後に出版された小出本もたくさんあるのだが、あえてこの本を選んだのには、それなりにわけがあるだろう。

2)小出本は、基本的に金太郎飴にも似た構造になっており、どこを切っても同じことしか書いていない。首尾一貫しまくっているのだ。だから、3・11「以前」だろうが、3・11「以後」だろうが、寸分もぶれるところがない。いささかの変化があるとするなら、3・11の原発事故は起こるべくして起こったことであり、それを止めることを絶対指名と自らに課してきた氏においては、誠に悔恨すべき自体が、まさに起こってしまった、という自省のみである。

3)日本というこの国では、いまだに1キロワット時の発電もしていない「もんじゅ」に限っても、すでに1兆円をこえる金を捨ててしまいました。

 こんなでたらめな計画を作った歴代の原子力委員会は誰一人として責任をとらないまま、原子力界に君臨し続けています。そして、高速増殖炉はすぐにでもできると今でも言い続けている学者たちがいます。正直に言えば、こういう人たちは全員刑務所に入れるべきだと私は思います。p43「日本が進める核開発」

4)この数日の間にも、石原慎太郎が「もんじゅ」を訪れて何かを言ったということが報道されているが、科学者たちは実態をすでに把握しているのに、物事をすべてあらぬ方向へ導こうというのが、これらの政治家の影響もあるからである。

5)私の職場である京都大学原子炉実験所は京都にはなく、もうすぐ和歌山という大阪の南の端にあります。京都大学の施設がなぜ京都にないかと言えば、私の職場には原子炉があり、原子炉は都会には建てられないからです。

 そのため、私は今、大阪の郊外に住んで仕事をしています。大阪は日本一暑いと私は思っていますが、研究所でも家でもクーラーは使いません。TVも見ませんし、エレベーターやエスカレーターを使うこともしません。

 これは私が実践していることですが、一人ひとりが自分でできるエネルギー消費を抑える方法を見つけることはできるはずです。それは自分がどのような未来を生きて、選択するのかに関わる大変重要なことと思います。

 社会構造を変革し、エネルギー中毒社会から抜け出すために、まず私たち一人ひとりがしっかりと自覚することが大切です。p150「エネルギーと不公平社会」

5)この本はクレヨンハウスから2012/04に出た「原発に反対しながら研究をつづける小出裕章さんのおはなし」の元本にもなっているようだ。3・11を挟んで出た二冊の本ではあるが、そこに論理の齟齬は一切ない。

6)日本を含め「先進国」と自称している国々に求められていることは、何よりもエネルギー浪費社会を改めることです。あらゆる意味で原子力は最悪の選択ですし、代替エネルギーを探すなどと言う生ぬるいことを考える前に、まずはエネルギー消費の抑制こそに目をむけなければいけません。

 残念ではありますが、人間とは愚かにも欲深い生き物のようです。種としての人類が生き延びることに価値があるかどうか、私にはわかりません。

 しかし、もし地球の生命環境を私たちの子どもや孫たちに引き渡したいのであれば、その道はただ一つ「知足」しかありません。一度手に入れてしまった贅沢な生活を棄てるには苦痛が伴う場合もあるでしょう。当然、浪費社会を変えるには長い時間がかかります。

 しかし、世界全体が持続的に平和に暮らす道がそれしかないとすれば、私たちが人類としての叡智を手に入れる以外にありません。

 私たちが日常的に使っているエネルギーが本当に必要なものなのかどうか真剣に考え、一刻でも早くエネルギー浪費型の社会を改める作業に取り掛からなければなりません。p153同上

7)この夏、以前から事務室として使っていた部屋を、孫たちのキッズルームとして明け渡した私は、ガレージに事務室を移した。天井は高くなり、通りに面しているので、それなりに便利になった。エアコンがないので扇風機で過ごしたのだが、これはこれでなんとかなった。だが、書類は扇風機の風で飛ぶし、電話の声は通りに漏れるしで、来年の夏もエアコンなしで通せるかどうかは、予断をゆるさない。毎日、汗で下着はビチョビチョだったし・・・・・

8)しかし、氏の語られていることはそのまま本当だと、賛同する。車もハイブリットにはしてみたが、最小限の使い方に限定している。日常生活の緩みがあちこちにあるのは、どうも、真剣にこのエネルギー問題を、自らの問題として突き詰めて、考え切れていないからかもしれない。

 

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2012/09/06

松岡正剛「3・11を読む」 千夜千冊番外録<5>

<4>からつづく


「3・11を読む」 千夜千冊番外録<5>
松岡正剛 2012/07 平凡社 単行本 430p

1)5章の章立てのうち、第一章が3・11を受けとめることに専念し、第五章が著者なりの東北学の再確認に充てられているとすれば、中身は二~四章の部分となり、どうやらそれは原発に向けれている。

2)第二章は「原発問題の基底」とあり、基本的には3・11以前のいわゆる原発=核問題についての再確認ということになる。第三章は「フクシマという問題群」として「3・11原発」を直視し、第四章は「事故とエコとエゴ」というおとになる。二章~四章で、原発の3・11「以前」、「3・11そのもの」、そして3・11「以後」が語られているということになるだろう。

3)第二章については、70ページほどのなかに12冊の本が紹介されており、当ブログが読んだ本とそう重なりはしないけれども、内容的には、それほど違ったもにになっているわけではない。

4)いずれにしても原発問題は反対派のものばかり読んでいては見えなくなることも少なからずあるということだ。本書はそのことをそれなりに伝えている。

 だから反面教師として読むなどという意固地な読み方ではなく、一度はその道を走る自動車になったつもりで、アクセルやハンドルを動かしてみるといい。p125松岡「元東電原子力本部長が書いた本--「原子力発電がよくわかる本」について

5)上記についてはおおいに賛成だ。千夜千冊においては、プロの読書家が、選りすぐった一作家一冊に絞り込んで、読者に「紹介」しているのに対し、当ブログにおいては、公立図書館の一ユーザーが、やみくもに手を出してあちこち散読して、自分のためにメモを残している、というスタイルなので、おのずと読書態度は違ってくる。しかし、「反対派のものばかり読んでいては見えなくなることも少なからずある」というところは我が意を得たりと思う。

6)ただし、震災後に復活した図書館の窓口の「震災コーナー」にある本を片っ端から手を出しているうちに、推進派も反対派もよくわからず読み進めたわけだが、おのずと、おかしいものはおかしい、という結論になる。スチュアート・ブランドジェームズ・ラブロックの本ですら、やっぱりおかしい、ということに変わりはない。

7)石川迪夫「原子炉解体新装版 廃炉への道」 (2011/04 講談社)なんて本は、出版時期やタイトルから、きわめて紛らわしいが、いわゆる広瀬隆いうところの原発マフィア・原発シンジケートの大本のような存在が書いた本であり、ある意味、一般社会への「恫喝」のような本である。しかし「廃炉への道」というだけでは、そのスタンスは最初はよくわからない。

8)あるいは「低量放射線は怖くない」(中村仁信 2011/06 遊タイム出版)なんて本は、サブタイトルが「本人の放射線アレルギーを吹き飛ばす!」なんてところでおかしいとは感づいたが、いわゆるホルミシス=ホルメシス効果を過大に語っている本だった。ラルフ・グロイブ「人間と環境への低レベル放射能の脅威  福島原発放射能汚染を考えるために」2011/06あけび書房)あたりと併読してみて、ようやくそれぞれの位置関係がわかる。

9)そういえば、友人の治療院で、このホルミシス効果のある治療台というものを体験したことがある。たしか数ミリシーベルトの放射線がごくわずかのエリア(ベット周辺数十センチだけ)に放出され、その空間に数十分間だけ身をおくことによって、治療効果を得るというしくみだ、と聞いた気がする。もっともこれは、治療としては厚労省の認可が下りておらず、無料体験だった、と思った。

10)日本の反原発の科学技術者として、最も良心的でラディカルだろうといわれているのが小出裕章だ。p154「隠される原子力・核の真実」小出裕章について

11)当ブログにおいても、原発関連本を乱読・蚕読した結果、「最も良心的でラディカルだろう」と思われるのは小出裕章氏だ。ここに別に「日本の反原発の科学技術者」と限定しなくてもいいように思う。特に「反」は要らないのではないか。

12)それらの本はすべて講演やインタヴューや対話で構成されていて、小出がしっかりと文章を練り上げてはいない。(略)そのためときどき話題や論旨が前後したりする。

 これだけの本気の筋金入りがどうして決定打を打たないのだろうと思っていたが、おそらくゆっくり書いている暇などはなく、そんな気持ちにはなれないのであろう。また執筆よりは実践なのだろう。ぼくも、この人はそういう人なのだと納得した。

 それでも、これらの本のどんな本の端々にも小出の哲学や技術観は鋭く突出しているし、とくに原子炉を扱う研究者としての痛哭に近いほどの責任の重さは、どのページにも滲み出ている。p155

13)たしかに、最寄りの公立図書館のネットワークを見ても、3・11以前に書かれた本は、わずかに3冊しか登録されていない。1992年の「放射能汚染の現実を超えて」 2010年の「隠される原子力・核の真実」であり、残り一冊は2005年にでた37人による共著本に文章が収録されているだけである。

14)この第二章の最後を飾った「メアリー=ルイーズ・エンゲルスの「反核シスター」(緑風出版2008/08)についての「あらゆるると戦う修道女」p117という紹介も面白かった。

15)総じて言えることは、プロの読書家だろうが、一般の公立図書館のユーザーだろうが、こと原発に関してはほとんど両論が、それぞれの量で読みこむことができるということである。したがって、当ブログとしては、この「3・11を読む」の5分の3は読了した、ということにする。

<6>につづく 

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2012/09/05

3・11はそれぞれの1分の1の体験だ 松岡正剛「3・11を読む」 千夜千冊番外録<4>

<3>からつづく


「3・11を読む」 千夜千冊番外録<4>
松岡正剛 2012/07 平凡社 単行本 430p

1)第一章は「大震災を見つめる」である。80ページ程のなかに10数冊の本が切り口として利用されている。地震の起きた3・11その日から書かれている。「大震災を見つめる」というテーマである限り、Seigow的であるか、Seiko的であるかに違いはない。Seigowは直ぐ読書に掛かり、Seikoは、避難所の小学校の体育館で、切れ切れのケータイで家族親戚との連絡をとり、小さなワンセグで、被災地の津波や火災の映像を見ていた。

2)少なくとも「大震災をみつめる」という限りにおいては、被災地にいる私のほうが実態を知っていることになる。もっとも、書店も図書館もないまま被災地で数カ月過ごした身よりは、マスメディアなどで情報としてあちこちの大震災を知っていた立場のほうが大震災全体をとらえることができていたかもしれない。

3)ところで、話題は急に変わるが、千夜千冊1457夜において松岡は加藤哲夫を紹介している。

4)ところで本書の「あとがき」は、仙台で長年にわたってNPO活動のリーダーを務めてきた加藤哲夫の言葉、「復興とはなによりも原子力災害の克服である」で結ばれている。闘病ブログとして書きまくっていた加藤哲夫の「蝸牛庵日乗」の7月21日の言葉だった。

 加藤哲夫は去年2011年の8月26日に、ガンに勝てずに無念のまま死んでいった。その2カ月前、加藤さんから3・11以降に久々の連絡があって、「ぼくはもう死ぬが、どうしてもその前に松岡さんと話したい」と言われた。ただならない声だった。その日を待って病室の対話に臨んだのだが、見るからに余命があまり長くないことを感じたまま、最後の収録を了えた。いずれひつじ書房から本になる予定だ。

 そのとき加藤さんは最後の力をふりしぼっていた。ほんとうは上田紀行さん、上野千鶴子(
875夜)さん、ぼくの3人と対話して遺言を残したかったようだが、上野さんとの対話はまにあわなかったようだ。こんなところに加藤さんのことを書くのは場違いかもしれないが、冥福を祈りたい。

 長谷川はその加藤さんを「脱原子力運動の先達」として心から敬服していた。そこで「あとがき」の締めくくりに加藤さんのブログの言葉を掲げたのだろう。本書が一貫して身の丈に合った内容に徹していることは、ここにもあらわれている。ちなみに長谷川には句集『緑雨』がある。俳号を冬虹という。とてもいい俳号だ。
松岡正剛「千夜千冊1457夜

Senya1457_img026_2

病床の加藤哲夫さんと松岡。枕元で語り合う。
(2011年8月8日:仙台市)
同上から無断拝借

5)故加藤哲夫氏の通夜にあたる偲ぶ会に参加し、その時、加藤氏は、最期に、何人かの人との対談集を3冊だったか5冊だったかを出版したい、と遺言を残していたことを知った。その中に松岡正剛の名もあり、いつかは出ると待っているのだが、そのひつじ書房から出るとされる一冊はまだ出てきていないようだ。

6)加藤哲夫は、スピリット・オブ・プレイスの主要スタッフの一人である。スタッフの一人として、私なりの意見を持っているが、ここでは語るまい。3・11後に、自然食品レストランのオーナーでもあった福島出身の加藤哲夫はガンで62歳で亡くなった。ベジタリアンであるはずのスティーブ・ジョブズも56歳と7ヵ月でガンで亡くなり、ヒーリング・ミュージックの宮下富美夫もガンで52歳で亡くなった。 

7)さて、松岡著「3・11を読む」ではあるが、これで、5分の2は読了したことにする。 

<5>につづく

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ど真ん中としての「東北」を語るべきだろう 松岡正剛「3・11を読む」 千夜千冊番外録<3>

<2>からつづく


「3・11を読む」 千夜千冊番外録<3>
松岡正剛 2012/07 平凡社 単行本 430p

1)パラパラと部分的につまみ食いしたあと、目次を見てみると、この本は五章にわけて一冊にまとめられている。

第一章 大震災を見つめる
第二章 原発問題の基底
第三章 フクシマという問題群
第四章 事故とエコとエゴ
第五章 陸奥(みちのく)と東北を念(おも)う 
p2 「損傷の哲学へ 小さな絆創膏」 「まえがき」代えて

2)3・11は地震・津波・原発のトリプル・パンチだ。この章立てからは、この三つはキチンと分別はされていない。敢えていうなら、地震と津波はひとつになり、それに対峙する形で原発があり、しかも多くは原発にあてられている。そして、特筆すべきは、第五章が「東北」に充てられていることであろう。

3)まずは、この第五章を通読してみる。出て来るのは梅原猛であり、高橋富雄であり、森崎和江である。他に赤坂憲雄、高橋崇、工藤雅樹も加わっている。わずか6名の著書について書いてあるだけなのだが、他の章の一冊一冊に比して、この五章では、かなりな長文が並べられている。

4)つまり、松岡正剛においての「東北」あるいは「東北学」が語られるわけだが、従来の東北学から大きく踏み出したものではない。むしろそれらの全体的理解のおさらいという形だ。

5)当ブログは、東北大震災とも、東日本大震災とも表記することは少ない。むしろ、一括して3・11と表記している。北海道や関東にも影響がでているし、場合によっては東海や関西にまでその影響はある。されど、表東北と裏東北ではその比重はかなり違い、東と西だけに分けてしまうことに異論はある。

6)それに、東北といわれることに、どこか違和感がどこまでも残っている。どこから見て東北なのか。結局は、蝦夷、えみし、まつろわぬ、などと言われつつ総称されているのは、蔑称でしかない。東北と、無機質な方角的表現になったとしても、結局は現代においても「東北」は蔑称でしかないのではないか。

7)あまりおおっぴらにすべきことではないが、我が家の住まいは、東北本線の南○○駅の西口・西△△にある。住所表記は5-5-5だ。5は九星気学などで考えれば、真ん中を意味する。つまり、私が依って立っている場は、東西南北の真ん中の真ん中の真ん中なのである、というのが私の私流の理解なのだ。私流の中華思想である。自らを一方角である東北とはとらえたくないし、何かの補完としてもとらえたくない。

8)松岡正剛がいくら語ったとしても、彼の東北は、他に語られている東北学の彼流の理解なのであって、自らの中に湧いた東北ではない。それは仕方ないことなのだ。その彼が東北を理解しようとしている、ということだけでも、評価すべきことなのだろう。

9)かてて加えて、私はアベの末裔である。父方もアベ、母方もアベである。両家とも10数代の墓石が残っているところから、すでに数百年以上この地に住み続けている血の結合体なのである。歴史がどうの、文献がどうのという前に、血が騒ぐ。

10)連休中に釜石・気仙沼・塩釜・いわき市を走り回るのだが、惨状なまなましい現地を走ってみると、歴史への思いなどとうてい遡及もできない。むしろ「お前、いったい何を歴史浪漫に浸っているのか」と瓦礫の惨状から無言で怒鳴られるようなもの、自分の歴史的現在すら吹き飛ばされた。 

 ともかくそんなふうななかで、高橋富雄、高橋崇、工藤雅樹を読んでいたのだ。いや、もっと読んだ。毎晩がひどい状態だったけれど、それをやめなかったのは(やめられなかったのは)、なんとか「東北」を古代から現在までつなげて3・11を見つめきりたかったからだった。404「陸奥と東北を念う」

11)私も同じ連休の前、北は弘前から八戸、久慈、宮古、釜石、大船渡、気仙沼、南三陸、石巻、女川、松島、塩釜と回った。地元の多賀城、仙台、名取、岩沼、亘理、山元町はいうに及ばず、新地、相馬、そして、福島第一原発から20キロ圏まで足を伸ばしたし、福島以南も、茨城、千葉まで、機会をとらえて走ってみた。山形、新潟、富山、長野、群馬も走ってみた。

12)私にとっては、これらの地域は、ひとつひとつが地元であり、今でも友人知人が多く住んでいる。「東北」と言って客観的に見つめることには、極めて不都合である。感情を移入しないでは考えられない。

13)すくなくともこれらの地域は、ある一部ではなく、何かを補完すべきものでもなく、それらはそれらで、「全部」なのである。

14)「東北学」は1991年の「スピット・オブ・プレイス」以来、私の中でも大きなテーマでありつづけているが、3・11後は大きな読書の対象とはならなかった。むしろ私が読んだのは、「地元学」の結城登美雄であり、 三陸海岸の牡蠣養殖家、「森は海の恋人」(1994/10 北斗出版)の畠山重篤だった。そしてやっぱり、宮沢賢治だった。ゲーリー・スナイダー山尾三省、も読んだ。

15)3・11を東北と限定し、あるいは直接的に結びつけて考察することは、私はあまり好まない。原発は東北の問題ではなく、日本全体の問題であり、かつ、世界全体の問題である。地震もまた世界どこでもおきる可能性がある。津波しかりである。これらこそ、地球であり、問われているのは「東北」ではなくて、地球全体なのである。それこそ、ホールアース・ディシプリンが必要なのだ。

16)松岡正剛が、これらの「東北」を読んでいたのは、3・11直後の、4月、5月、6月である。これらの歴史的背景を認識したかったということであろうし、当ブログとしても、別な文脈では読み進めてきている分野だし、今後も大いに益するところがあるだろう。ただ、この時期、私の住んでいる「東北」は自宅の書庫は倒壊し、書店もことごとく閉鎖され、図書館もほぼ壊滅という状態にあり、読書すらできなかった。

17)私は、ピッカピッカの東北人であることを誇りに思っている一人なのであるが、そこから地域ナショナリズムや地域ファシズムに走る想いはさらさらない。宮沢賢治の想いに似て、東北にいながら、地球人であることを願う。一人の地球人に残されているのは、足元ほ大地であるし、頭上の天空である。

18)すくなくとも、松岡正剛の、この本における「東北」の括りの中には、地球人的ビジョンはでてこない。ホールアース的な地球観もなければ、未来においての可能性も語られない。断片的な「歴史」のつなぎとめだけである。

19)と、いうことは、この本の5分の1は、まずは読了、としてしまっていいだろう。

<4>につづく

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3・11「以前」ならこの構想力は面白かったかも 池田純一「ウェブ×ソーシャル×アメリカ」 <全球時代>の構想力<3> 

<2>よりつづく


「ウェブ×ソーシャル×アメリカ」 <全球時代>の構想力<3>
池田純一(著) 2011/03 講談社 317P

1)一時は、当ブログの当面の回転軸にしようとさえ思った、重要な一冊であった。だが、この本の重要な登場人物である「ホールアース・カタログ」のスチュアート・ブランドを追いかけているうちに、なんだかボロボロとその基盤が崩れてきた。ブランドが師と仰ぐ「ガイア理論」のジェームズ・ラブロックなどに至っては、当ブログとしては噴飯ものという結論づけさえしているのである。

2)しかしながら、池田純一の手になるこの本は、なかなか捨てがたい魅力がある。このような論点でまとめてある本は、寡聞にして他に知らない。ゆっくりじっくり読んでみたい一冊でもあり、当ブログとしては珍しく、アフェリエイトのポイントを使って、自分用に一冊購入もしている(尤も、市内の図書館に一冊も入っていないからなのでもあるが)。

3)スチュアート・ブランドが崩れてしまえば、この本のテーマであるウェブもアメリカも崩れてしまい、その<全球>構想も、なんとも<半球>的でしかなかったのではないか、と疑念が湧いてくる。そして、ソーシャルに至っては、現在進行形ながら、特段にこの本でしか語り得ないというものではない、ということになる。

4)ここでこの本を上げたり下げたりするのは、この本が3・11直前に書かれた本であったからであり、また、3.11を経過して、その<全球>的構想は、大きく変貌を遂げざるをえなくなったからである。

5)今、あえて松岡正剛「3・11を読む」千夜千冊番外録(2012/07 平凡社)をぶつけてみると、いかに3・11以前の<全球>のイメージが脆弱なものであったかが分かる。もちろん、松岡「3・11を読む」にしても、決して網羅的ではなく、少なくともその「ウェブ」について言及している部分が少ないので、こちらも<半球>的と言わざるを得ない部分が多い。

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6)「ウェブ×ソーシャル×アメリカ」が3・11直前までを読んだものであり、「3・11を読むが」が文字通り3・11を読んだものであったとしたら、次なる一冊はその意味において3・11「以後」を読んだものでなければならない。少なくも、大きなビジョンや「構想力」において、3・11「以後」を盛り込んだものは、まだ出そろっていない。あるいはない。そして、ないものねだりをしているばかりではなく、当ブログは、そこのところにこそ力を注いでいく必要がある。

7)少なくとも、読書ブログを標榜する限り、3・11以前から3・11を予見し、3・11以後へのビジョンを語っていた本はあったことを忘れてはいけない。

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8)これらの本にもっと大きな信頼をおき、真剣にその可能性について考察を深めていたら、私の3・11はもっと違った意味あいになっていただろう。松岡正剛も「3・11を読む」p223において「広瀬隆が鳴らす警鐘を聞くべきだった」と述べている。これらの本は3・11以前に3・11を予見し、3・11以降までのビジョンを語っている。

9)広瀬の本は激越である。
 振り上げた青龍刀を上段から真っ向に斬り落とし、そのまま止めるのではなく、最後まで振り切る。相手は悲鳴をあげる。
 いや、下から斬り上げて、そのまま天空に向かうこともある。適当なナジリや揶揄など、がまんがならないのだ。たとえば多くの知識人や評論家やマスコミが「原子ムラ」とか「御用学者」などと言っているのが気にいらない。かれらは「原子力マフィア」であって「原子力シンジケート」だというべきだというのだ。
松岡正剛「3・11を読む」p225「広瀬隆が鳴らす警鐘を聞くべきだった」

10)松岡にして、広瀬隆はそのような存在であったか。

11)ぼくが最も納得したのは「原子炉時限爆弾」の一冊だった。もっと解説したいとは思うものの、広瀬の本にかぎっては、その鋭利な毒舌とともに読者も返り血を浴びたほうがいいだろうから、直截に手にとって読まれることを勧める。松岡正剛「3・11を読む」p225「広瀬隆が鳴らす警鐘を聞くべきだった」

12)漫然と本を見開き文字面を追っているだけでは、本当に満足のいく読書にはならない。未来を予見し、構想力を身につけるには、返り血を浴びるだけの勇気と余力がほしい。例えば、ジェームズ・ラブロックやスチュアート・ブランド軍団の「原発推進」もまた、たしかに注目すべき「警鐘」ではあった。しかしながら、「3・11」を経験した今、その方向性はかなり現実的なものとなり、一歩前に進まなくてはならなくなったのだ。

13)「ウェブ×ソーシャル×アメリカ」はなかなか支線に富んでいて面白い。突っ込みネタ満載である。今後、いずれまた俎上に上がるとしても、なにはともあれ、この辺で、中締めとしておく。

<4>につづく

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重要なテーマではあるが、深化するには時間が必要 ポール・アダムス 「ウェブはグループで進化する」 ソーシャルウェブ時代の情報伝達の鍵を握るのは「親しい仲間」


「ウェブはグループで進化する」ソーシャルウェブ時代の情報伝達の鍵を握るのは「親しい仲間」
ポール・アダムス  小林啓倫訳2012/07  日経BPマーケティング単行本 283p
Vol.3 No.0796★★★☆☆

1)面白そうなテーマだから、あとでゆっくり読んでやろうと思っていたら、あっという間に返却日になってしまった。次の人のために、急いで返却しよう。

2)ということは、面白そうなのだが、他の本を押しのけてまで、すぐに読みたい、という本ではなかったことになる。ひとつひとつの記事は面白い。もっともだと思うところもあれば、新事実がここに書かれていたりする。しかし、それは現在進行形のことでもあり、共通の理解となっているわけでもなく、またきちんと検証されていることでもない。

3)「6次の隔たり」には二つの落とし穴がある。ひとつめに、ある人物と別の人物とを結ぶ最短距離は、実際には非常に見つけづらいという点だ。私とあなたとの間には共通の知り合いがいるかもしれないが、それが誰かを見つけ出すのは難しい。 

 ふたつめに、私とあなたが6次の隔たりでつながっているかもしれないということは、私たちは他のあらゆる人々とも6次の隔たりでつながっている可能性があることを意味する。そのような状況の中で最短の経路を見つけ出すのは、気が遠くなるほど込み入った作業になるのである。p85「ソーシャルネットワークの構造が与える影響」

4)6次の隔たりは、当ブログでも盛んに登場する。多いに啓発される概念だが、当ブログとしては、特定の誰かと繋がるための手段として6次の隔たりを考えてはいない。6次の隔たりがあれば、いずれには、自分発の情報が「他のあらゆる人々」へも伝わる可能性があるのであるし、「他のあらゆる人々」からの情報も、自分の元へたどり着く可能性がある、というところに、その概念を評価するのである。

5)つまり、当ブログの主張は、せいぜい200名程度の「グループ」に属していれば、あるいは200名程度とネット上で繋がっていれば、世界中と、情報を発信し、受信することが可能である、と結論づけている。しかも、その200名のうちのコアな部分は、せいぜい3~40名程度。しかも、本当に必要な数名、7~8名の「親友」がいれば、事足りる、というものだ。

6)グーグルで彼(本書の著者)が担当していた領域のひとつが、ソーシャルメディアに関する研究である。グーグルがフェイスブック対抗サービスとして開発したSNS「グーグルプラス(Google+)」に、「サークル」という目玉機能があるが、その基礎をデザインしたのがほかならぬアダムス氏だ。

 サークルは他のユーザーをまとめてグループ化する機能で、コンテンツを投稿する際には、指定したサークルのみが閲覧できるように設定できる。まさに本書で繰り返される「グループ」の概念を具現化するものと言えるだろう。

 しかしそのアダムス氏はその後、競合であるフェイスブックへと移籍。さらにグーグルに対する不満をネット上で表明するなど、一躍有名人となった。p263小林啓倫「訳者あとがき」

7)ついつい先日、この「グーグルプラス」とやらへの紹介が、私の「親友」からあった。彼が始めたのであれば、ああ、それはそれなりに活用の価値があるのだろうと、渋々登録したが、本当の私は、あまりこの手のサービスには新規に登録したくない、というのが本音だ。

8)さらには、「LINE」という奴にも登録してしまったのだ。誰かの呟きに興味を持って、スマホでアプリをダウンロードして登録しただけで、どうやら、私のスマホの友人情報は吸い取られてしまったようだ。もっとも、2台持ちにしているし、私のスマホの情報はごくごく限られたものしか入っていないので、情報ダダ漏れはしていない。

9)ただし、LINEに登録しただけで、すでに、私の情報を持っている人がLINEに私の情報を吸い取られてしまっているみたいで、私の情報をダダ漏れさせたのが誰かが分かってしまった。つまり、この人たちとは、すぐに「友だち」になれるのである。

10)こういうシステムがいいのかどうかは、わからない。すぐに結果はでないとは思うが、実態を知ったうえで参加していかないと、どこまで情報がダダ漏れしてしまうのか、そら恐ろしい感じさえする。

11)それは、個人が自らの進化のために利用する分には価値があるかもしれないが、その膨大な情報を、マーケティングや管理のために利用しようとする「悪意」ある人々にとっても、重大な関心ごとになっていることも忘れてはならない。

12)ツイッターやフェイスブックとは言っても、所詮、2chとMixiの深化形じゃないか、と笑い飛ばすこともできるが、まぁ、そのプロセスは今後、よく見ていないと分からない。すくなくとも、200名の友だちのうちの情報をチェックし、コアな人たちが始めたら、そして、本当の「親友」たちが進めていたら、私もまた、重い腰をあげる時なのだろう。

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2012/09/03

3・11を時間と空間で実体験した本を読みたい 松岡正剛「3・11を読む」 千夜千冊番外録<2>

<1>からつづく


「3・11を読む」 千夜千冊番外録<2>
松岡正剛 2012/07 平凡社 単行本 430p

1)ひょんなことで池田純一「ウェブ×ソーシャル×アメリカ <全球時代>の構想力」2011/03 講談社)がひとつの回転軸として当ブログがうごめき始めたところだったが、いかんせん、3・11以前の著作ということになり、なんとも歯がゆい思いがすることが多かった。それにその本の中心のひとつとなっているスチュアート・ブランドにも、あちこちほころびが見えてきて、改めて、全体を読みなしたあとに、新たなる軸を作る必要がでてきている。

2)その新機軸としては、この松岡正剛「3・11を読む」は大きな可能性を持っているのではないか。3・11後に読まれた本の数々がメモしてあるので、新しい視点からの捉え返しが可能になっている。ただ、その約60冊の殆どが3・11以前の書物なので、必ずしも「3・11」後となっていないのが、辛いところだ。

3)そもそも書籍一冊を創るのは大変な工程が必要で、そんな簡単にできるわけはないので、しかたないが、それでもやはり、ここは完全なる「3・11『後』を読む」というスタイルにすこしでも早く近づけていきたい。

4)さて、そのスチュアート・ブランドの「地球の論点」について松岡正剛が語っているのが「なぜ環境主義者は『親核』になったのか」p271である。わずか10ページ足らずだが、本の内容の説明が多すぎて、松岡本来の主張がはっきりと見えないが、それでもやっぱりここでこの本には出会ってしまうのだろう。

5)そしてそのスチュアート・ブランドの前の本、中村政雄「原子力と環境」p266を紹介しながら、松岡は一連の動きに触れている。めちゃくちゃ長文の引用になるが、当ブログの進行と大きく関わってくるところなので、転写する。

6)本書(「地球と環境」)は第一章で、環境運動の活動家たちがどのように「石油から原子力」に転向していったのか、その実態や噂をレポートしている。 

 2005年4月に、グリーンピースの創設者の一人で環境学者でもあるパトリック・ムーアが「原子力は、化石燃料に代わって世界中のエネルギー需要を満たすことのできる、唯一の非温暖化ガス排出エネルギーである」というスピーチを、アメリカ上院のエネルギー・天然資源委員会でしたのが、最初の大きなきっかけだった。 

 しかし原子力使用に対して核アレルギーをもつ運動家やジャーナリストたちは、この発言に疑問をもっただけでなく、グリーンピースの実態を暴露しようとした。たとえば、1980年代は会員の会費だけで活動費を捻出していたのが、しだいにロックフェラー財団やフォード財団から資金を得るようになったとか、フランスのブルーノ・コンビは「グリーンピースの活動資金はサウジアラビアが出している」と証言したりした。エクソンからの資金が出ていたといううわさもあった。 

 まあ、そのへんのことは真相がよくわからないが、そうしたジグザグもあったようだと中村は書いている。 

 ちなみにグリーンピースの日本事務局は星川淳クンで、ぼくが30代のころよく遊んだ仲間だった。当時はプラブッダと名のっていた。カリフォルニアのバグワン・シュリ・ラジニーシのアシュラムにいて、たいそう優美で声とセンスがよかった。「遊」にも原稿連載をしてもらったし、工作舎の翻訳も何冊か頼んだ。ジェームズ・ラヴロック(584夜)を日本語に移したのは星川クンだったのだ。その後、屋久島に移り住んでいたが、いつのまにかグリーンピース日本代表を引き受けたようだ。 

 (追記:以上の文章を綴ったところ、星川クンからメールが来て、以下の訂正がゼツヒツであると判断したので、そうします。(1)グリーンピース・ジャパンの事務局長は2005年からの5年間だけだった。(2)いまは屋久島に戻り、一般社団法人「act beyond trust」を立ち上げた。ラジニーシのアシュラムはインド時代のこと、アメリカに移ってからは活動を共にしなかった。(4)グリーンピースがエクソンから資金を受け取ったとは思えない。こういうことでした。星川クン、ごめんね)

 話を戻して、そうした紆余曲折はあったのだが、「石油から原子力へ」の声はしだいに強くなってきた。ガイア仮説のラヴロックが「原子力は唯一のクリーンな選択肢えある」と言い、「ジェラシック・パーク」のマイケル・クライトンらが原子力発電に賛意を示したのも影響力が大きかった。

 が、ぼくが驚いたのはスチュアート・ブランドがMITの「テクノロジー・レビュー」に、「理想と現実のギャップを埋めてCO2の大気への放出を停めることが可能な唯一の技術は原子力である」と書いたことである。クリーンエネルギーとしての原子力に期待を寄せたためだったろうが、このことはブッシュからオバマに及んだアメリカの原発推進ムードの盛り上げにも一役買ったにちがいない。それだけではなく、ブラントは反核運動の批判をしはじめた。

 いったいなぜブランドは「反核」から「親核」にひっくりかえったのか。その説明をぜひ聞きたいと思っていた。次に紹介する「地球の論点」(ホールアース・ディシプリン)がその”答弁”にあたるはずなのだが、さて、どうか。ただし原著は3・11以前の執筆のものだ。千夜千冊◎1456夜(2012年2月22日)p268松岡「地球を左右しているのは『水』である」

7)この最後の「ただし原著は3・11以前の執筆のものだ」というところがとても大切だと思う。3・11以前と、3・11後では、世界観が大きく変わってしかるべきだ。ある意味で、地球に生きる地球人として、戦争体験をも上回るような大災害が3・11だったはずである。それが一瞬のうちにやってきた。それぞれ各人が、それぞれに思想の転換を体験するタイミングであろう。

8)ただ、みんなが3・11にいるとしても、それだけで十分だろうか。この本の巻頭でも、松岡が東京・原宿表参道を歩いている時に体験した3・11を刻銘に書き遺しているが、より被災地にいる私などが読むと、あちこち違和感が残る。

9)3・11「後」であることも大切だが、宮沢賢治が「雨ニモマケズ」でいうところの「行ッテ」精神が忘れられても困ると思う。その時間と空間の共有できる本あるいは発言でなければ、今後、当ブログではなかなか受け止めることも、読み進めることもできないことになるだろう。

10)松岡も3・11後に被災地入りしているようだ。今後は、どれだけ評価の高いものであろうと、その思想や哲学、あるいは実存の根底において、3・11体験を基礎に据えようとしなければ、今後の地球人スピリットとしては採用できない。

11)上の長文の引用部についても、私なりにコメントを挟みたいが、それは今までも触れてきたし、今後も振り返ることがあるだろうから、今回はやめておく。

<3>につづく

 

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原発推進なら理論も仮説も噴飯もの ジェ-ムズ・ラヴロック/糸川英夫 「GAIA 生命惑星・地球 」

Gaia
「GAIA 生命惑星・地球 」
 ジェ-ムズ・ラヴロック著 糸川英夫訳 1993/09 NTT出版   単行本  205p
Vol.3 No.0795★★☆☆☆

1)ここでの読書は、ラヴロックにはこのような三冊目の著書があり、前二冊の「地球生命圏 ガイアの科学」 「ガイアの時代」と違い、糸川英夫という人物に監修が移った、ということを確認すれば足りるだろう。

2)一目みてみると、松井孝典監修「ガイア 地球は生きている」(2003/08  ガイアブックス)と大差ないようなのだが、その二書が同時に手元にあるわけではないので、比較できない。いず比較してみる価値はあるかも。しかし内容的には、3・11後の読書という意味では、各論に入っていくほどの好事家にはなれない。

3)「監訳にあたって」で糸川英夫は、イギリスのラヴロックとの交友歴などを披露し、その親密度を誇っている。ラヴロックもまんざらでもない。この辺が、原子力ムラの住人・秋元勇巳などがラブロックを理解し、ガイア理論を正しく日本に紹介しようと努力した最初の著名人は、糸川英夫博士である。」ジェ-ムズ・ラヴロック ガイアの復讐」(2006/10 中央公論新社)p11、などとのたまわる所以であろう。

4)ここでの確認は、ラヴロックは原発擁護派であり、それは一貫した姿勢であった。そのガイア仮説や理論と言われるものは、科学の分野で語られるラヴロック個人の「仮説」なのであり、科学全体の結論として、原発は「有用」である、と結論づいているわけではない、ということだ。

5)今読み始めたばかりの松岡正剛「3・11を読む」 (2012/07 平凡社)においても、このラヴロックの変遷がいくつかの章に渡って語られている。3・11後に、3・11以前の本を酷評するというのは、後出しジャンケンになるので、あまり面白くはないが、それでもやっぱり、「一貫して」原発推進派であったとラヴロックに居直られると、それはちょっと困る。

6)少なくとも、ラヴロックが言うなら、私もそう考えるようにしよう、とは思わないし、むしろ、そういう結論に達する仮説や理論なら、そのネーミングや取り組みが如何に面白かろうと、彼のいう「ガイア」など、ほとんど魅力のないものに見えてくる。地球を癒す医者、などという概念は、実に噴飯もの、ということになる。

 

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2012/09/02

松岡正剛「3・11を読む」 千夜千冊番外録<1>


「3・11を読む」 千夜千冊番外録<1>
松岡正剛 2012/07 平凡社 単行本 430p
Vol.3 No.0794

1)3・11後に、あわてて、とりあえず何人かの短文をまとめて、何か出そう、という魂胆丸見えの、いわゆる3・11オムニバス本は、ほとんど面白くない。ひとつひとつが断片的で、深まりがないばかりか、一冊の本としてのまとまりも悪い。

2)そもそも天地をひっくり返したような3・11を、まともに全体的に把握できている、ということ自体おかしいのであるが、被災地にいるひとりの人間として、そのおかしさに、なお輪をかけたような、心の沈殿物をかき回されたような、不快感が残ってしまうような本がほとんどなのである。

3)それでも、「いまだから読みたい本ー3.11後の日本」 (坂本龍一・他 2011/08 小学館) や「 世界が日本のことを考えている 3.11後の文明を問うー17賢人のメッセージ」(アントニオ・ネグリ他 2012/03  太郎次郎社)など、いつかおちついたら、精読してもいいかな、と思える本もないでもない。

4)その中にあって、こちらの松岡正剛オヤブンの「3・11を読む」を店頭で見つけたものの、はて、どの程度のなのかな、と乗り気のないまま手を伸ばしてみることになった。そもそもがネット上の「千夜千冊」を一冊にしたものだから、大体の雰囲気はネットを読めばわかるのだろうが、本は本として、やはり出版される前に加筆訂正はされているだろう。

5)ぼくは原発関係の本を3・11以来のこの9カ月で、おそらく300冊以上に目を通してきた・・・p230

6)私は3・11の午前中、ビル・モリソン「パーマカルチャー 農的暮らしの永久デザイン」(1993/09 農山漁村文化協会)を読んでいた。だけど、その後、ライフラインの寸断のもとでの読書は不可能だった。書店は壊滅し、図書館も閉鎖された。次から次と事態が変転し、やっと読書らしきものを再開しようかな、と思ったのは、3ヵ月ほど経過してからだった。

7)その後、当ブログが約1年数カ月の間に読んだ本はほぼ500冊。一日一冊のペースである。しかし、原発関連の本は、その5分の一か10分の一くらいだろう。まだリストが工事中なので明確ではないが、地震関連津波関連のほうがまずは目についた。あるいは、原発関連は直視できなかった、というべきだろうか。

8)この本の目次を見てみると、なんとかなく傾向が似ているのは3・11を読んでいるのだから当たり前なのだが、ずばり同じ本のタイトル、というのは少ない。この本に取り上げられている本は約60冊だが、その1割程度しか重なっていない。

9)その中にあっても、最初に目がついたのは、たくきよしみつ「裸のフクシマ 原発30km圏内で暮らす」(2011/10 講談社)、そして、目下、当ブログが格闘しているスチュアート・ブランド「地球の論点 現実的な環境主義者のマニフェスト」2011/06 英治出版)だった。

10)それぞれについて、当ブログなりにコメントをつけておいた。誰かに読んでもらおうと外向けに書いているわけではないので、個人的な備忘録的なメモになりやすいが、それでも率直な意見をそれなりに、その時々に記してきたつもりだ。

11)それにしても、同じ「環境保護派」でパソコンやインターネットに強い二人ながら、かたや、フクシマのその放射線汚染地域にすみつつ情報を発信するたくきよしみつと、カウンターカルチャーに多大な足跡を残しながら、21世紀になって、「親」原発派に「転向」したスチュアート・ブランドの対比は、なかなか気になるところである。

12)「津波てんでんこ」「思想としての3・11」、内田樹/中沢新一 /平川克美 「大津波と原発」、広瀬隆「FUKUSHIMA  福島原発メルトダウン」 、などなどを松岡オヤブンはどう読んだだろう。

13)いつも私は、松岡正剛を、オヤブンと、やや揶揄して呼んでいる。なんでそうなのだろうか、と何回か考えたのだが、よくわからない。なんだか工作舎という出版チームを引っ張っているカリスマにも見えるからかも知れないし、セイゴウ、という名前が、私のセイコウと似ているので、理由のない親近感を感じているからかもしれない。いつもその背中をおっかけているような気分になる。

14)当ブログが今おっかけている、プラブッダが訳したラブロック二冊の本も、工作舎からでている。

15)すこしペースダウンして、この本をゆっくり読みこんでみよう。この本から、まず学んだことは、それぞれに本の印象をコンパクトにタイトル化していることである。当ブログはいままで、タイトルしか書いてこなかったが、今回から、当ブログもそれぞれの印象をコンパクトにサブタイトル化してメモしていくことにする。

<2>につづく

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ガイアの時代 ジェ-ムズ・ラヴロック


「ガイアの時代」
ジェ-ムズ・ラヴロック著 スワミ・プレム・プラブッダ訳 1989/10 工作舎  単行本  388p 1984/10 工作舎 単行本 296p
Vol.3 No.0793★★☆☆☆

1)環境保護主義の友人の多くは、私が原子力発電を強く支持することに驚き、最近宗旨替えをしたのかと思うようだ。 

 しかし私の最初の著書「地球生命圏---ガイアの科学」(1979年。邦訳はスワミ・プレム・プラブッダ訳、工作舎)の第二章と、次の著書「ガイアの時代」(1988年。スワミ・プレム・プラブッダ訳、工作舎)の第七章を読めば、そうでないことがわかる。「ガイアの復讐」(2006/10 中央公論新社)p159  ジェ-ムズ・ラヴロック 「核分裂エネルギー」

2)ということであれば、まずは、この本の第七章を読めば、今回の読書の目的は達成されたことになる。

3)訳者というのはおうおうにして著者と同化されがちだが、いま述べたようなすぐれた示唆の半面、とくに本書では何点かとうてい同意しかねる部分がある。わが国でも、惑星科学者松井孝典氏をはじめいくつかガイア仮説批判がでてきているようなので、それらにもふれながらここで訳者なりのささやかなラブロック批判を展開してみたい。p378プラブッタ「訳者あとがき」

4)訳者が著者を、その本のあとがきで批判するというのは異例だろうが、自著で批判されるラブロックにとっても、気持ちのいいものではないだろう。

5)ラブロックを理解し、ガイア理論を正しく日本に紹介しようと努力した最初の著名人は、糸川英夫博士である。(略)ちなみに欧米でニューエイジ本なみの扱いを受けたラブロックの第三著「癒しのガイア」は、日本では糸川博士監訳のもと「ガイア---生命惑星・地球」(1993年 NTT出版)なる豪華本として上梓され、それまでくすぶっていたガイア理論のニューエイジ的誤解の払拭に役だった。秋元勇巳「ガイアの復讐」(ジェ-ムズ・ラヴロック著 2006/10 中央公論新社)p11  「ラブロックと日本 今なぜジェームス・ラブロックなのか」

6)原発ムラの御大・秋元勇巳がこうまでいうのは、このような経緯があったからだ。糸川訳といわれるものも、現在、手元で同時にめくってみている。

7)本書でもっとも承服しがたいのは、原子力に対するラヴロックの楽観論である。このことは、「エコロジー派の友人たちへの裏切りととられるのでは」と彼自身も懸念しているが、このままでは本書の内容がそっくり原発擁護論に転用されかねないので、あえてはっきり釘をさしておきたい。 

 まず第一に、ラブロックはあまりにも原子力開発をめぐる現場と違い、世界中でウラン採掘にかかわって、主に各国の先住民を中心とする弱い立場の人びとがどんなに不当な抑圧と搾取と現実の放射能被害に苦しめられているが、著者の眼中はないようだ。

 弱者の犠牲と愚民政策の上にはじめて成り立つという点では、原発の建設・稼働にあたっても一貫している。放射性廃棄物の処理問題や原子力施設で働く下請け労働者の被曝実体、そして発生後三年たってなお10万人もの大量避難を招くチェルノブイリ事故のような大規模の有形・無形の影響について、「ガイアにとっては放射能などオソルに足らず」として楽観することは、ガイアのなかの有力な一メンバーであるわたしたち人間を、逆にあまりにも軽んじすぎる不自然な姿勢のように感じられる。p379プラブッタ「訳者あとがき」

8)ここまで著者と訳者が分裂していてみれば、後から普通人の乗るトヨタのワゴン車の名前にまで一般化した「ガイア」という概念は、一体なんだったのか、ということになる。ラブロック自身がトヨタ「ガイア」がハイブリット車ではなかった、などと言う、ほほえましい違和感など、一笑に伏す以外にない。

9)さて、ホールアース、全球的哲学、全球的思想であるべき、ガイア仮説→ガイア理論が、ここですでに大きく亀裂をきたしているのであれば、スチュアート・ブランドのカタログや、スティーブ・ジョブズの「愚かであれ、ハングリーであれ」も、池田純一の「ウェブ×ソーシャル×アメリカ <全球時代>の構想力」(2011/03 講談社)も、一体なんだったのか、ということになってくる。

10)そもそも、ホールアース、全球的、と表現されることに矛盾はないのか。地球をロケット宇宙船から眺めたからと言って、本当に全球としてみることができているだろうか。それは、地球上から月を眺めていることに似ていて、見えるのは表ばかりで、裏面はぜんぜん見えていないのではないか。全球的、ではなく、半球的でしかないのではないか。

11)グーグル・アースのように、ぐるぐる回して、球体としての地球を味わうことができるかもしれないが、常に地球の半分しか見えていないというのは、いかにも象徴的だ。

12)シヴァの男根が立っているのをシンボライズしたものを、ヨーニといって女陰がそれをとりまいているという合体像なんだけれども、よくよく考えてみると、それはどういうことかというと、シヴァの男根というのはこちら側に向かって刺さっているんです。

 だからその世界観からすると、この世界というのは、パールバーティという女体のなかなんです。そこへシヴァのリンガムが刺さって合体しているところを、なかから見ているのがこの世界だ、そういう像だとぼくは理解しているんです。

 合体した喜びの境地というか、タントラ的にいえば悟りの境地があって、ここは女体の外部ではなくて、内部、体内だというひとつの世界観が、ある意味では実にヒンドゥー的とうかインド的な感じ方だなとぼくは思いますね。プラブッダ「ガイアと里」p104山尾三省との共著

13)全球的といえるには、それをまるごと抱きしめるか、その内部に入っていかなければ、味わうことのできない境地ということになる。

14)わたし自身は、無条件の原発支持者ではまったくない。よく簡便軽量な核融合が発明されるという悪夢にうなされるくらいだ。それは電話帳ぐらいの大きさの小さな箱で、表面に普通の家庭用電気ソケットが四つついている。

 その箱は取り入れた空気中の水分から水素を抽出し、それを燃料に最大百キロワットの出力が可能なミニ核融合を起こす。それは安く、信頼性があり、日本製で、世界のどこでも手にはいる。完璧、クリーン、安全と三拍子そろったエネルギー源で、核廃棄物も放射能もまったく出さす、危険な故障もけっして起こさない。ラブロックp281「第七章 ガイアと現代環境」

15)空想的であり、また素朴でもある。この空想に近い問いが、20数年後の小出裕章「福島原発事故  原発を今後どうすべきか」(2012/04 河合文化教育研究所)の中にもでてくる。塾の受験生たちの中から出された質問に、小出氏は、自分はそれは不可能だと思う、とはっきり述べている。ただし、自分がそう思うなら、ぜひとも自分で研究してつくりだしてほしい、とも述べている。

16)最後に、この場をかりてひとつの提案をしたい。日本で、「地球の医学」あるいは「地球生理学」をテーマにしっかりした国際会議を開き、今後の深化・発展のきっかけをつくってはどうだろうか。

 ガイアを癒すうえですぐれた「惑星医」が必要なのはラヴロックのいうとおりであり、この分野に貢献できるのは、現在経済力と技術力の集中したわが国をおいてほかにないかもしれないのだ。訳者のみるかぎり、日本は地球の癒しのツボである。プラブッダ p382「翻訳者あとがき」

17)上の文章が書かれたのは1989年である。私は今はじめてこの文章を見つけたのであるが、この想いはかならずしも訳者ひとりの想いではなかった。1981年の国際環境心理学シンポジウム「スピリット・オブ・プレイス」に積極的に参加したのは、同じような想いに、私も駆り立てられていたからだった。

つづく・・・・・かも

 

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2012/09/01

原発再稼働 最後の条件 「福島第一」事故検証プロジェクト最終報告書 大前研一


「原発再稼働 最後の条件」 「福島第一」事故検証プロジェクト最終報告書
大前研一 2012/07 小学館 単行本 175p
Vol.3 No.0791★☆☆☆☆  ( ̄◆ ̄;) 

1)おやおや、当ブログにこのような著者をお迎えするとは思いもよらなかった。なにはともあれ、書店店頭に平積みされ、図書館にも新刊書として入荷した限りは目を通しておこう。

2)なかでも、最も重大な過ちは「格納容器」の”安全神話”です。これはかつて日立製作所で高速増殖炉の炉心設計を行っていた私にとっても、一番ショッキングな反省事項です。p11「崩壊した格納容器の”安全神話”」

3)「かつて私は~~~」のフレーズはあちこちにある。反省している人がほとんどなのだが、この人は、そのような仕事に携わっていたことを今だに誇りに思っているようだ。

4)技術的なこととか、理論的なこととか、そのようなことは、どんな分野であれ、その専門的な人たちが責任もってやればいい。私のような一般人があれこれいうことではない。ただ、今回の原発事故はたまたま起きてしまった、ということではない。必ず起こるのであり、そして、その危険性は最初の最初から分かっていたことなのだ。

5)このような事実を踏まえ、私たちは未来を選択しなければなりません。もはや日本は新たな原発を建設することはできないでしょうし、既存の原発の延命も今後は難しいと思われます。ということは、どのみち30年後には国内の原発はゼロになります。

 それまでは本書で詳しく検証した”最後の条件”をクリアした原子炉は、地元住民の理解を得たうえで「再稼働」して寿命が来るまで利用し、その間に再生エネルギーへの転換を進めるのが現実的な選択ではないか、と私は思います。いずれにせよ、原発存続の是非は最終的には国民のみなさんが判断すべきことです。p13同上

6)30年後に、原発ゼロになるならまだいい。実際は、原発はゼロにはならない。廃炉に途方もない時間がかかるからである。そして、何万年という処理作業が残される。原発は、使うだけ使って、あとは捨てればいい、というほど簡単なシステムではない。

7)そもそも、帰れなくなった原発周辺の住民の生活権はどうする、放射性廃棄物はどうする、健康被害の調査・保障はどうする。問題は山積みである。作るだけ作って、儲けるだけ儲けて、致命的な事故を起こしてしまってから、あとは「地元」の皆さま、「国民」の皆さまの責任です、とは、これいかに。

8)それらを含めた福島第一原発事故の教訓を、日本は世界に語りつがなければなりません。なんとなれば、世界中の原子炉が、基本的には福島第一と同じ設計思想に基づいて作られているからです。p163「再稼働の条件は『”神様”を説得できるかどうか」

9)この人にこんなことを言われる必要はない。それほど今回のことを教訓にしたかったら、なぜに、スリーマイルやチェルノブイリを教訓とできなかったのか。原子炉の設計の問題ではないだろう。原発=核、という破局の科学そのものが、人類が手を伸ばしてはいけない領域にあったのだ。

10)このような事故があったために、すべての原発を今すぐ永遠に廃棄するというのは、”敗北思想”以外の何物でもありません。少なくともここで完全撤退したのでは、科学技術の進歩はありません。福島第一原発事故から何も学ばずに目をつぶってしまったのでは、悲惨な経験を生かすことなく終わってしまいます。p165「『敗北思想』で福島の経験を捨てていいのか」

11)この人、まだまだ懲りていないようだ。ここで完全撤退など、もはや出来ないのだ。これから事故処理するだけでもざっと30年はかかると言われている。完全撤退できるなら、それほど楽なことはない。廃炉に向けてマイナスな方向で、永遠に「科学者」たちが働き続けなければならないことは、決定づけられてしまったのだ。

12)何も学ばずに、目をつぶってしまいそうなのは、大前研一、この人自身だ。

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