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2012/09/07

首尾一貫して原発ゼロを主張する脱原発の最右翼 小出裕章 『隠される原子力・核の真実』 原子力の専門家が原発に反対するわけ


「隠される原子力・核の真実」原子力の専門家が原発に反対するわけ
小出裕章 2010年12 八月書館 単行本 157p
Vol.3 No.0797 

1)松岡正剛は「3・11を読む」小出裕章を紹介するにあたって、まずはこの一冊をとりあげる。この本をとりあげたのはネット上の千夜千冊(2012/02/10)だから、他に3・11後に出版された小出本もたくさんあるのだが、あえてこの本を選んだのには、それなりにわけがあるだろう。

2)小出本は、基本的に金太郎飴にも似た構造になっており、どこを切っても同じことしか書いていない。首尾一貫しまくっているのだ。だから、3・11「以前」だろうが、3・11「以後」だろうが、寸分もぶれるところがない。いささかの変化があるとするなら、3・11の原発事故は起こるべくして起こったことであり、それを止めることを絶対指名と自らに課してきた氏においては、誠に悔恨すべき自体が、まさに起こってしまった、という自省のみである。

3)日本というこの国では、いまだに1キロワット時の発電もしていない「もんじゅ」に限っても、すでに1兆円をこえる金を捨ててしまいました。

 こんなでたらめな計画を作った歴代の原子力委員会は誰一人として責任をとらないまま、原子力界に君臨し続けています。そして、高速増殖炉はすぐにでもできると今でも言い続けている学者たちがいます。正直に言えば、こういう人たちは全員刑務所に入れるべきだと私は思います。p43「日本が進める核開発」

4)この数日の間にも、石原慎太郎が「もんじゅ」を訪れて何かを言ったということが報道されているが、科学者たちは実態をすでに把握しているのに、物事をすべてあらぬ方向へ導こうというのが、これらの政治家の影響もあるからである。

5)私の職場である京都大学原子炉実験所は京都にはなく、もうすぐ和歌山という大阪の南の端にあります。京都大学の施設がなぜ京都にないかと言えば、私の職場には原子炉があり、原子炉は都会には建てられないからです。

 そのため、私は今、大阪の郊外に住んで仕事をしています。大阪は日本一暑いと私は思っていますが、研究所でも家でもクーラーは使いません。TVも見ませんし、エレベーターやエスカレーターを使うこともしません。

 これは私が実践していることですが、一人ひとりが自分でできるエネルギー消費を抑える方法を見つけることはできるはずです。それは自分がどのような未来を生きて、選択するのかに関わる大変重要なことと思います。

 社会構造を変革し、エネルギー中毒社会から抜け出すために、まず私たち一人ひとりがしっかりと自覚することが大切です。p150「エネルギーと不公平社会」

5)この本はクレヨンハウスから2012/04に出た「原発に反対しながら研究をつづける小出裕章さんのおはなし」の元本にもなっているようだ。3・11を挟んで出た二冊の本ではあるが、そこに論理の齟齬は一切ない。

6)日本を含め「先進国」と自称している国々に求められていることは、何よりもエネルギー浪費社会を改めることです。あらゆる意味で原子力は最悪の選択ですし、代替エネルギーを探すなどと言う生ぬるいことを考える前に、まずはエネルギー消費の抑制こそに目をむけなければいけません。

 残念ではありますが、人間とは愚かにも欲深い生き物のようです。種としての人類が生き延びることに価値があるかどうか、私にはわかりません。

 しかし、もし地球の生命環境を私たちの子どもや孫たちに引き渡したいのであれば、その道はただ一つ「知足」しかありません。一度手に入れてしまった贅沢な生活を棄てるには苦痛が伴う場合もあるでしょう。当然、浪費社会を変えるには長い時間がかかります。

 しかし、世界全体が持続的に平和に暮らす道がそれしかないとすれば、私たちが人類としての叡智を手に入れる以外にありません。

 私たちが日常的に使っているエネルギーが本当に必要なものなのかどうか真剣に考え、一刻でも早くエネルギー浪費型の社会を改める作業に取り掛からなければなりません。p153同上

7)この夏、以前から事務室として使っていた部屋を、孫たちのキッズルームとして明け渡した私は、ガレージに事務室を移した。天井は高くなり、通りに面しているので、それなりに便利になった。エアコンがないので扇風機で過ごしたのだが、これはこれでなんとかなった。だが、書類は扇風機の風で飛ぶし、電話の声は通りに漏れるしで、来年の夏もエアコンなしで通せるかどうかは、予断をゆるさない。毎日、汗で下着はビチョビチョだったし・・・・・

8)しかし、氏の語られていることはそのまま本当だと、賛同する。車もハイブリットにはしてみたが、最小限の使い方に限定している。日常生活の緩みがあちこちにあるのは、どうも、真剣にこのエネルギー問題を、自らの問題として突き詰めて、考え切れていないからかもしれない。

 

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コメント

それでも日本人は、原発の再稼働を選んだ。
一億総ざんげへの道。動き出したら止まらない。
この道は、いつか来た道。ああ、そうだよ、民族の歴史は繰り返す。

意思のあるところに方法はある。(Where there’s a will, there’s a way).
意思のないところに解決法はない。
意思は未来時制の内容であり、日本語には時制がない。
それで、日本人には意思がなく、解決法が見つけられない。
自然鎮火を待つのみか。

耐え難きを耐え、忍び難きを忍んで、もって万世のために太平を開かんと欲す。
不自由を常と思えば不足なし。
座して死を待つか、それとも腹切りするか。
私の父は、玉砕した。何のお役に立てたのかしら。
安らかに眠ってください。過ちは繰り返しますから、、、、

わかっている、わかっている。皆、わかっている。
ああしてこうすりゃこうなると、わかっていながらこうなった、、、、、
十二歳のメンタリィティには、知恵の深さが見られない。教養がない。
わかっちゃいるけど やめられない。ア、ホレ、スイスイ、、、、

白く塗られた黒いオオカミの足を見破ることは難しい。
だます人は悪い人。だまされる人は善良な人。おとり捜査は難しい。
この調子では、人の命はいくつあっても足りるものではない。
自らは望むことなく危機に陥る民族なのか。

http://www11.ocn.ne.jp/~noga1213/
http://3379tera.blog.ocn.ne.jp/blog/

投稿: noga | 2012/09/07 15:11

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