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2012/09/22

今だにあの日を直視できない 『河北新報のいちばん長い日』


「河北新報のいちばん長い日 」 
河北新報社 2011/10 文藝春秋 単行本 269p
Vol.3 No.0802★★★★★

1)松岡正剛「3・11を読む」の中にある5章のうち、第1章は「大震災を受け止める」。その中には11冊の本が紹介されているが、とてもそれらを全部読むなんて気はおきない。すでに十分な体験をしている。そう思うとまったく読む気はしなくなる。もう読んでしまった本も何冊かある。それでも一冊だけこの中から選ぶとすれば、この河北新報社の一冊だろうか。

2)あの日、私は河北新報社のほぼ近く、新築2年の耐震工事もほどこされた高層ビルの4階の大会議室にいた。私のライフスタイルとしては、そのような場にいることはほとんどない。偶然にその場で被災したわけだが、大きな会議室には、机と椅子とホワイトボードくらいしかなく、棚から落ちてくるものなどなかった。

3)同席していたのは全て大人。しかもリスクマネジメントのプロ達である。大きな窓はすべてブラインドが落ちていた。確かに地震の時間は長かった。だが、私は、被災地にいながら、本当にあの日の恐ろしさを体験したのかどうかわからない。せいぜい「ビルで地震を体験するとはこういうことか」というレベルだった。

4)震災直後、10数分後には、私は河北新報社前を徒歩で自宅に向かっていた。外からみた河北新報社は、いつもとそれほど変わりはなく、たしかにビルの外壁のタイルになにか変化があったかな、と感じた程度だった。

5)2時間半、徒歩で戻った自宅では、すでに先に戻っていた奥さんが、避難場所になっている近くの小学校にいく準備をしていた。私は、自宅の中のちらばり具合をデジカメで数枚撮影し、一緒に避難した。

6)ケータイは繋がらず、テレビは停電で見ることができなかった。メインの情報源は箪2乾電池入りのポータブルラジオ。混乱した断片的な放送ではあるが、今現在、何が進行しているかを伝え続けてくれた。乾電池もまったくヘタらなかった。

7)ブツブツきれながらも、当日夜8ぐらいまでには、家族やだいたいの身内とは連絡がとれ、それぞれに何とか無事であるだろう、ぐらいまでは確認することができた。

8)避難所の小学校の体育館では、小さな発電機が持ち込まれ、最低限の明かりがともされ、充電もできる環境が整った。それからは、小さなスマホのワンセグでテレビ報道の画面を見続けた。ただならぬ事態に突入していることはわかった。だが、自分がいる体育館の天井でさえ、次から次と襲う余震で揺れるため、とにかく自分の身を守るのが精いっぱいだった。

9)暖房器具も持ち込まれていたが、床に段ボールを敷いただけで、満足な寝具もないままでは、横になって寝ることもできなかった。近くのトイレの臭いもなかなか香ばしい香りを流し続けてくれていた。

10)それでもウトウトしていると、未明の3時半頃だっただろうか、あちこちで人影が動き、教壇の脇のグランドピアノのほうに、何人も小走りに走った。私もつられて、なにか新しい食料品でも届いたのかな、と行ってみると、そこには、真新しい「河北新報」があった。

11)現在も我が家の何処かに、あの日くばられた新聞があるはずだが、今は確認しない。決して号外ではなく、3月12号の「河北新報」だったと思う。

12)よくぞまぁ、新聞が作られたものだ、と思った。しかもこんなに早い時間に、こんなに大量に届けてくれたのか、と感謝した。

13)トップの大きな写真は大変な状況を大写しにしていた。それまで、ラジオ、途切れがちなケータイ、小さな画面のワンセグで見ていた現在進行形の大震災を、新聞であらためて確認することができた。

14)やがて白々と明けてきた夜明けを待って、私たち夫婦は自宅に戻った。これでは避難場所に居続けるよりは、自宅に戻ってかた付けを始めたほうがいいかもしれない。だから、その後も残り続けた人たちに対して、河北新報が届けられ続けたのかどうかはわからない。

15)だが、それにしても、何気なく手に取った河北新報ではあったが、このような大変な動きの中で作られていたのだ、ということが、この本を手にとって初めて分かった。

16)正直言って、いまだにあの日のことを直視できない。もう、自分1人分の体験で十分だ。他の人たちの分まで「体験」などしたくない、体験話など聞きたくない、と言う気持ちもある。こうしてあらためてその体験談を聞くと、それぞれの「あの日」が、さらに重層的に襲ってくる。ゆっくりこれらの情報を整理するのは、もっともっと後のことになるだろう。いや、もうそういう作業はしないのかもしれない。

17)3・11オムニバス本は面白くない、という結論を当ブログは出している。焦点が定まらないのだ。それに比して、1人の視点で書かれた本、例えば、「その時、閖上は 小齋誠進写真集」とか、太田圭祐「南相馬10日間の救命医療」、などは定点カメラで事実を追いかけているようで、非常に分かりやすい。記録としても秀抜であると思う。

18)この河北新報の記録は、「私」という装いを持ちながらも、結局は「私たち」で書かれている。河北新報の視点から、とはいうものの、重層的で、外側の混乱に、さらに内側で混乱させているような、めまい感を覚える。

19)同じ新聞でも、小学生の女の子たち中心になって作り続けた「宮城県気仙沼発!ファイト新聞」 には、事実報道ではない、なにかほのぼのとしたものを見ることができる。それは、明治三陸津波の年に生まれ、昭和三陸津波の年になくなった宮沢賢治の童話の世界のような、救いがある。

20)まぁ、そうはいいながらも、地元の新聞社としての使命が「河北新報」には、ある。この新聞にしかできないことがある。この新聞であればこその信頼感が、寄せられている。津波を追うのか、原発を追うのか、などは、地元の新聞社でなければ発生しない迷いかもしれない。

21)私は宅配新聞を読まなくなってからもうすでに5年以上経過しているので、避難場所をでたあとは、報道を宅配新聞に頼ったことはない。新聞はいずれは大きく別なスタイルに変わらざるを得ないだろう。だが、それでも現在のところ、百年以上の歴史をもつ報道機関として、この3・11に直面したことを、このような一冊として記録しておくことは、極めて重要なことであろう。

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コメント

太田圭祐先生
先日は当ブログ「1.0」にもコメントいただきありがとうございました。ホントに感動いたしました。貴書、近いうちにまた再読しようと思います。

投稿: Bhavesh | 2012/10/05 07:12

過分な評価ありがとうございます。自分の日記としてなんとか記録として残せれたことは、ほんとによかったと思います。
何か今後に生かされることを期待してます

投稿: 太田 圭祐 | 2012/09/26 23:54

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