« 坂口恭平 『独立国家のつくりかた』 <6> | トップページ | 3・11曼陀羅と自らの立ち位置 松岡正剛著 『3・11を読む』 千夜千冊番外録<9> »

2012/09/17

芭蕉ではなく、宮沢賢治、でもなく・・・ 赤坂憲雄 『東北学/忘れられた東北』


「東北学/忘れられた東北」
赤坂憲雄 2009/01講談社 文庫 301p 『東北学へ(1)もうひとつの東北から』(1996 作品社)改題書
Vol.3 No.0800★★★★★

1)松岡正剛著「3・11を読む」は5章立てであり、要約すれば、「大震災」、「原発」、「フクシマ」、「ポスト3・11」、そして「東北」の、5つのジャンルからできている。それぞれに何冊かの読後感が述べられており、第5章の「東北」のジャンルから当ブログが一冊だけ選ぶとしたら、この本だな、と思った。

2)山形に拠点のなかばを移したのは、1992年の春のことだった。p3「学術文庫版まえがき」

3)おやぁ、と思った。私が「東北学」という単語を始めて聞いたのは、1991年の初冬「スピリット・オブ・プレイス」に参加した岩手の人々の研究誌「北天塾」であった。あの本は季刊誌ながら1988年9月に創刊されており、その表題も「東北学研究誌」と、きちんと表紙に銘打ってある。

4)私は、この赤坂憲雄という人を、そのグループの一員かな、と感違いしていたのだった。著者は1953年東京生まれ、私と同学年である。この人が「東北学」というジャンルに深く入り始めたのは、1992年以降のようだ。この本には92~95年当時、東北を車で走破して集められた「東北」の風景と、それに対する著者の思索とエッセイがまとめられている。

5)赤坂憲雄の東北学はディープである。軽々しいものがない。そう言って足りなければ、ラディカルで、かつきわめて丹念だ。松岡正剛「3・11を読む」p350

6)松岡は、この本を2011年4月17日に読んでいる。再読であったかもしれないが、少なくとも、私はこの時点ではまだ本を読むような心境にも環境にもなかった。ましてや、このような「ディープ」な本をめくるような気分にはとうていなれなかった。

7)部分によってはディープというより、ヘビーでハードな本でもあるが、どうも「東北学」という時の脂ぎったつややかさと、よそよそしさが、たしかに東北人の1人ではある私の、何かが、するどく拒否感を示す。

8)そう言えば、この人、2011年9月にでた「反欲望の時代へ 大震災の惨禍を越えて」 2011/09 東海教育研究所)で山折哲雄と対談をしているのだった。読んだのは出版直後の10月、なんだか、あの当時になっても、私は、まだまだ胸が落ち着かず、あちこちの本をつまんでは、毒づいてばかりいた気がする。

9)友人である舞踏家の森繁哉さんと二人で、山形の最上地方を歩きはじめてから、3年あまりになる。その間、老人からの聞き書きを少しづつ重ねてきた。p23「東北にて/野良仕事の旅」

10)なるほど、すこしづつ分かってきた。森繁哉もまた1991年の「スピリット・オブ・プレイス」のパネラーの1人である。舞踏も演じてくれた。森は、中沢新一の「哲学の東北」(1995/5 青土社)にも、重要人物として登場する。

11)・・・芭蕉が黙して語らなかった、もうひとつの東北である。あえて断言することにしよう。芭蕉からは、芭蕉的なものからは、何ひとつ始まらない。芭蕉によっては救われない。芭蕉的なるものへの、淡い期待はかならず裏切られる。芭蕉その人も身勝手ながら、芭蕉に期待する側もまた、ひとしく身勝手であることには変わりがない。

 東北がみずからの言葉で、みずからの東北を語りはじめるとき、そこにはじめて、おおいなる地殻変動が起こるだろう。都/辺境という、まなざしの構図が壊れ、もうひとつの豊かな東北が立ち上がってくる。 

 芭蕉的なものよ、さらば。 p215「川の民の村から」

12)芭蕉を芭蕉として味わうことには何の苦痛もない。しかし、そこに「みちのく」「東北」「蝦夷」「奥州」などと表現されてくると、なにか自分の中の、何かが八つ裂きにされて、なにかのタガが嵌められてしまうような、窮屈さを感じる。あえていうなら「日高見」という語感が、そのスピリチュアリティの高さを表わしているようには、思う。

13)賢治はその可能性の糧であり、種子である。中路(正恒)この言葉を借りれば、生の本質的な多数性の喜びに満ちた承認と肯定において、賢治の思想を読みぬいてゆくことだ。そんな、いまだ見い出されざる賢治の東北からの思想が、やがてくっきりと像を結んでゆくだろう。p260「なめとこ山の思想」

14)賢治を巡っては、3・11後、だいぶ当ブログも逡巡した。ごく先日も、花巻に泊まり、賢治記念館にまた足を運んだ。私は私なりに思うところがある。はて、賢治は東北人なのであろうか。

15)賢治の両親は、ともに姓を宮沢という。父方も母方も宮沢家である。祖先をたどってゆくと、一人の人物にで行き当たる。つまり遠縁の一族なのだ。その人物とは誰か。江戸中期の天和・元禄年間に京都から花巻にくだってきたといわれる、公家侍の藤井将監(しょうげん)である。この子孫が花巻付近で商工の業に励んで、宮沢まき(一族)とよばれる地位と富を築いていった。(中略)

 いずれにしても、賢治の祖先は、京都からの移民である。つまり、賢治の中に流れている血は蝦夷以来の、みちのくの土着ではない。天皇を頂点とするクニに反逆する血ではないのだ。「宮沢賢治幻想紀行 新装改訂版」 (畑山博他/石寒太 2011/07 求龍堂)p106「生涯」

16)正直言えば、私は私の「東北」性については、ほっといてくれ、と思う。それには語るに語れない、それこそディープな古層があるのであり、そして、「東北学」とか、蝦夷とか、縄文とか名付けられた古層よりも、さらに掘り下げたところにまで降りっていった時こそ、その根は、天高くそびえる巨木となり、翼になると思う。それが地球人スピリットのイメージだ。

17)芭蕉もいい、賢治もいい。中途半端に「東北学」などと、思想や哲学にふけるよりも、実際に生きた人間が、1人の地球人の人生がほうふつとするなら、ずっとそのほうがいい。

18)これまで語られてきた東北の多くは、南から眺めた東北、それゆえ辺境=みちのくとしての東北でした。それをまず壊さねばならない。そして、東北は南の他者から与えられた呼称ではなく、みずからの呼称を獲得しなければならない、と思うのである。p204「稲の呪縛からの解放」

19)尖閣列島や竹島問題で揺れる現代「日本人」たちである。「中国人」も「韓国人」も大騒ぎしている。誰もが戦争をしたくないといいつつ、戦争を避けることができない局面にさえ突入する可能性だってある。

20)私は敢えて、自らを「東北人」とは認めない。あるいは、「日本人」としてさえ自称したくない。ただひとつ名付けるとするなら「地球人」としたい。

21)東北学、というややアカデミックなアプローチから何が生まれてくるのか、まだわかないが、結論として「地球人スピリット」に繋がっていかない「東北学」ならば、最初から私はいらない。

|

« 坂口恭平 『独立国家のつくりかた』 <6> | トップページ | 3・11曼陀羅と自らの立ち位置 松岡正剛著 『3・11を読む』 千夜千冊番外録<9> »

30)Meditation in the Marketplace2」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



« 坂口恭平 『独立国家のつくりかた』 <6> | トップページ | 3・11曼陀羅と自らの立ち位置 松岡正剛著 『3・11を読む』 千夜千冊番外録<9> »